夕方、大淀川を走った。行き交う県民の皆様に、石を投げられるか、罵声を浴びせられるかと思ったが、意外に、「頑張って!」とか「国を変えて!」とかの声が多く、びっくりした。ちょっと拍子抜けだった。宮崎(故郷)の人は、やっぱ、優しいな~暖かいな~と、心が「じ~ん」とした。


 3年前に県知事選に出馬表明した頃、メディアや周辺に「県民を馬鹿にしているのか?」「冗談か?」「おちょくっているのか?」「売名か?」とか言われた。

 こちらは大真面目に真剣に、そして人生を賭して立候補したのに・・・・・本当に悔しかった。当初から理解し応援してくれたのは、身内と数人の友人だけだった。今、考えると懐かしいが・・・・・・でも、そういう挫折や屈辱を何回も乗り越えて人は成長して行くのだろう。

 今、自民党の方々は、きっと3年前の、あの時の県民の皆様のような面持ちなのだろう。それはそれで無理もないことかも。

 想像もつかないことの連続で歴史は創られて行く。

 

 一般質問の最終日、萩原議員の質問で、「3年前、多くの県民が、当時そのまんま東の出馬に懐疑的でかつ反対だった。私もそうだった。しかし、あれから、3年、今の県知事の姿を、あの当時一体誰が予想できただろう?・・・・・知事はこれまで様々な経験や苦労をされ、庶民の気持ちが分かっている・・・・・・・・癌で亡くなられたとある教師が、教え子である知事のことを、世間が全否定していた3年前、大変褒めておられた・・・・・・・」というような内容の発言をされた。

 心が「じ~ん」とした。

 3年前、こういう意見が出るとは、僕自身、夢にも思っていなかった。

 きっと、そういう風に歴史は変わって行くのだろう。


 時代や社会の変化に適応出来ない種は滅びて行く。政党政治は時代や国民の要請にどう適応して行くのだろう?


 それにしても、3年後、一体どこで何をしているのだろう? 先のことは本当に分からない。3年後、県民や国民の皆様に一体何を言われているのだろう?

 良くも悪くも、「こんなになるとは夢にも思わなかった」と思っているのではないだろうか? やれやれ、疲れる人生である(笑)。