爆笑だった。

 乳首のしこり、女性化乳房というらしい。中高年になって、ホルモンバランスが崩れ、起こる場合もあるらしい。

 しかし、僕の場合、ちょっと違うようである。原因は、どうやら水道橋博士に貰った「育毛の飲み薬」にあるらしい。

 英語で書かれた説明書を注意深く読んでみると、女性化になる可能性・症例が出ていると書いてあった。

 思わず大笑いだった。女性化を取るか、髪の毛を取るか、それが問題である。


 新しく出版する予定の本のゲラチェックをしている。読んでいると、色々と懐かしい思い出が出てくる。読んで思うのだが、昔から、信念や哲学は首尾一貫している。というか、少しも変わっていない。というか、進歩が無いのかも。

 

 あれから、10年。また謹慎記念日がやって来る。実に感慨深い。

 1998年10月13日。捲土重来・臥薪嘗胆を誓ったあの頃。思えば、あの頃から、既に今の日々・状態を目標にしていた。しかし、その目標というか、夢を他者に語ることは無かった。大学に行くつもりであることも、将来、政治に関わりたいということも誰にも語らなかった。正に「今は、ありません」ということであった。


 そんなとき、いつも富士山の例えを思い出す。

 富士山は遠くから見ていると綺麗で魅力的で、誰しもいつかあの山の頂上に登ってみたいと思う。しかし、実際に登ってみると、確かに景色は絶景であるし、感動もある。しかし、そこはただの瓦礫の山なのである。それは、どんな夢や目標もそうで、これまでそういう経験を何回かして来た。

 

 これからの10年、僕の中で富士山(目標)は、既に決まっている。達成されるかどうか分からないが、その目標地点に向かって登ってみるだけである。その頂上はただの瓦礫の山だと知っているのに、何故か登りたいと思う。

 やはり、登山は、登頂より、その過程にこそ価値や遣り甲斐を見出せるのではないだろうか? その過程の労苦こそが、登頂の達成感や感動を生むのだと思う。マラソンと同じである。


 相変わらず、腰が痛い。昨日、今日と数キロずつ、ゆっくり走ってみた。ついに、アイシングを始めた。長い距離を走っていない。そろそろ長い距離を走ろうと思っていた矢先に、腰痛である。やれやれ。