「苦労してないよ!」後半 | 和久井秀俊オフィシャルブログ「海外サッカー選手のホンネ」Powered by Ameba

「苦労してないよ!」後半

 

 

モチベーション

 

 

「僕は、苦労してないよ!」~前半~の続きです。

もう一つは、「モチベーション」です。

 

 

「努力」は、主観的にも客観的にも見えない、その人の行動の限界の先を目指している、その姿やその結果の中での、「プロセス」を努力が表現されます。

 

 

人には評価できな(見えないまたは見えにくい)目的や目標を続ける期間(プロセス)も大きく関わっています。しかし、このプロセスがもし「習慣化出来ないほど、苦しい」目標、行動、環境などであれば、継続できません。

 

 

そこで、意識が関係します。「苦しみ」そのものを「楽しい」ことに転換させたり、行動と共存する中に、その度の報酬なども含めて「楽しい」を確保するとモチベーションが生まれ、苦しみの限界に達することはありません

 

 

 

努力が身体を壊したら止め時

 

 

この「習慣」「モチベーション」が、「努力」という抽象的な言葉で置き換えられていると思います。世の中には、一般的には考えられない思考と行動をする人が存在します。(社会的に存在できるかどうかは別)

それは遺伝的な部分や環境の影響もありますが、目標と目的が大きく「行動」に影響を与えています。

 

 

「習慣とモチベーション」が自分に伴う目的や目標であれば、達成に大きく近づきます。逆に言うと、「習慣とモチベーション」が成り立たない人は、身体が壊れる前に別の目的と目標を探すべきだと思います。

それを維持しようとすると、努力(習慣とモチベーション)する手段に引きずられて、目的や目標を見失います。

 

 

お金や現実

 

 

僕はサッカーが好きで、小さい頃からサッカー選手に憧れていました。多くの人は「努力した、頑張ってなれた」という声を掛けてくれます。「習慣とモチベーション」が無意識的、または意識的に保てたからなのだと思います。長く続けていると、サッカーでは「お金」や「現実」などという言葉を耳にするようにします。

 

 

僕はこうした場面と直面した際、「初心の目標」に戻りながら、「手段」に引きずられないようにしています。社会の構造の中では「苦しい」状況となり得ますが、初心の目的や目標において「苦しい」ことはありません

 

 

だからこそ僕はこうした言葉を正面で受け止めて、否定しながら、初心を叶え続けられる新しい価値を提案し続けたいと思います。

「努力をし、努力に振り回されない人間」であり続けたいと思います。