痛ましい様々な混乱と苦しみに。。 | 色と祈りと歌うこと - Hidetake Yamakawa (山川英毅)

色と祈りと歌うこと - Hidetake Yamakawa (山川英毅)

自分自身の中に豊かにある深いものに触れて、元気や安らぎを得るのに「色と遊ぶこと」や「自分で歌う」ことが欠かせないない気がしています。
色・音の作品や「発声法」などについての気づきもシェアしていきます。

maria

trinitas

My prayer and thoughts for those who suffer or are in pain currently.   

(I'm also thinking of our friends in Turkey...)

トルコ人の友人たちにとっては、その友人や家族にも直接かかわりのある事件なので本当に心痛むことです。。

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一方、今日は音はないですが、昨日に続く歌い方の気づきのメモも書いておきます。

歌い出すときにクラシック的なら先に息を送っておいてその空気の柱で"響き"を包むことができるのに、実声で歌い出すときには開けないからのどで歌い出すと考えると、声帯を”ひっかけて”過剰な負荷で歌ってしまうという問題にずっとひっかかていた。実際に聞こえ方に大差がないようでいてもここが重要なポイントだと思っていた。

左側を上げないと意識の延長で、今日の(自分への)言葉としては「歌いだしの音の位置は低くていい」

これは音程が低くていいという意味でない。(そしてもちろん私自身がつかんだ感覚を忘れないための呪文?!なので一般論でも何でもありません。。)


クラシック的な発声の意識では音は鼻の上の空間からむしろ上からおりてくる感じで感じることで歌いだしから声の響きの柱を作る。この音の入り方をしておきながら、Pops発声として背中とか他の筋肉の連動をクラシックの発声より抜いて「軽く」したつもりになると、辺にふわふわした声になり音程も不安定になる。

 
そこで、ポイントとしては、左側を上げないと感じてから頭に浮かべた歌い出しの音には「やや下目から入った感じにして、声帯に引っ掛けないといのが、「歌いだしの音の位置は低くていい」の意味。

クラシックの発声は音程はほっておけば下がるという発想から音はとにかく上に感じて集める意識が働くが、
Pops/Blues/Soulの歌い方だとやや下から入るような気持ちで声帯を閉めないで音に入り、見えている音程の「水平線の面」に声を伸ばしていくような感じ。。

この意識で実は音程はピッたり
「濃く」でるようにも思う。。