個人的なことですが、先月からずっと、マメにトレーニングを続けています。

昔、スーパーF4選手権に参戦していた頃は、かなり真面目にトレーニングしてました。

レース参戦されたことがないと、感覚的に理解できないかも知れませんが、体力いるんですよ。マジで。

一番最初にF4で走ったサーキット、TIサーキット英田。いまの岡山国際サーキット。


30分のテストを8回、都合4時間の練習を組んで、7回目で身体(特に首)が終わり、走行終了。

ストレートでアクセルを踏むと上を向いてしまい、コーナーでは右に左に頭が持っていかれ、ブレーキを踏むとアゴとノドがくっつくぐらいバコッとヘルメットが下を向く....。

これ、「首が終わった」状況。自分の力で自分の頭とヘルメットの重さが制御できないわけ。
初めての体験でしたが、危険極まりないとの判断で(そりゃそうだ。まともに前を見ることができない状況だから)チームオーナーからピットインのサイン。悔しかったですねー。

腕もパンパンに張ってしまい、足の筋肉はつるし、背中は痛いし、いったいなんなんだ! 
フォーミュラカーのFJ1600ではそんなことはなかったのに、F4、スリックタイヤとウィング、おそるべし。

で、3年間走っているうちに、まったく平気になったわけです。人間ってスゴイね。

そのあと、いきなりF3にデビュー。練習走行もなく、中国・北京で初開催の金港サーキット(ゴールデン・ポート・サーキット)に到着し、シート合わせをし走り出してびっくり。

F4やってたから、F3の基本的な動きは問題ない。パワーもすぐ慣れる。でも....。

「やばい。身体が持たない」

最初の1周でわかりましたね。体力、足らないって。

最終コーナーが4速の高速ロングコーナーなんですけど、首がもたないので、アクセルが踏めない。
全開でいけるかもってわかっていても、ダメ。いけない。首が痛くて、踏めない。戻る。

悔しかったけど、それが実力。
その日、決めました。もう一度、金港サーキットでのレースに出る。
で、最終コーナーだけは1周目から全開でいく。いけなかったら、引退。

本気でトレーニングしましたね、その日からは。

1年後、本当にまた金港サーキットでのF3に参戦。

コースインして、タイヤを温め、全開走行。
いけるか、いけないか。悩むな、町田! いくしかない!

いけ、いけ、いったー!!!

嬉しかったですね。本当。小さな自分の中の壁を乗り越えた達成感。首、少し痛かったけど(笑)。



$モータースポーツ疾風怒濤2010

上の写真、2年目のF3、ゴールデンポートサーキットでのレースを終えたあとの記念写真。
タイヤに座っている町田、いまより全然、腕太い(笑)です。(となりは一緒に参戦した三浦健光選手)


僕にとってレースって、自分自身に対するチャレンジだった気がします。
達成感や挫折感、いろいろな気持ちをコクピットの中で感じながら、チェッカーを目指す。
その走っている間だけは、自分ひとりの世界なんです。
もちろん、チームの皆さんに支えられています。でも、最後にステアリングを握って、判断するのは自分。そういった意味で、魅力はつきないですね。

で、現在。自分がマネージメントをしている桜井孝太郎選手、15歳。
いつも1日4時間サーキットを走らせています。
どれほど身体が辛いか、過酷なのかは僕自身が一番わかっているわけです(笑)。

F3に乗ることや、GP2に乗ることは、ある意味、お金を集めれば可能です。
でも語学力と体力だけはお金で買うわけにはいかない。備えるのに時間がかかる。

だから、孝太郎選手には、1週間に4回ジムでパーソナルトレーナーをつけて、頑張ってもらっている。インターナショナルスクールで、すべて英語の生活をしてもらっている。

本気で上を目指す彼には、すべての条件を整えてあげたい。知らないうちに身につけてもらいたい。
そんな気持ちを、なぜか今朝は思い出したわけです。

さ、ジョギングしてこよーっと。(仕事はそのあとで)