★天下の朝日新聞が、謙虚さを忘れてどうする!「取材源秘匿」報道に思う | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。



15日付朝日新聞朝刊(第3社会面)に気になる記事が出ている。
「破られた取材源の秘匿 日経、実名入り書面を裁判所に提出」
大阪府枚方市の談合疑惑報道で、前市長から名誉棄損で訴えられた日経新聞が、取材先の検察幹部の実名が入った取材メモを大阪地裁に証拠として提出していた、という記事だ。
『あぁ、またか』と言うのが、僕の率直な感想だ。
マスメディアの倫理も地に墜ちた。『今の体たらくではこんなものだろう』と半分思いつつ、半分では『しっかりしやがれ』と思う。
毎度のことだが…。


取材源の秘匿(ひとく)」と言っても、一般の人には分かりにくいかもしれない。
取材は─最近は“玄関ダネ”、発表モノと言われる官庁・企業発表が多くなったが─
本来は独自の記事を書きたい、特ダネがほしいという記者が、当事者や捜査当局の人間に直接あたって情報を取ろうとするものである。
無論、当事者、周辺にいる者、捜査関係者の口は固い。
そこをこじ開けるため、ふだんから記者はありとあらゆる知恵と努力を傾注して“人間関係”をつくる(持ちつ持たれつの関係)。
それがあるからこそ、いざという時に同業他社を出し抜く情報が得られたりするわけだ。


そんな時、新聞社ならデスク、部長といった記事掲載の責任者は「誰からの情報だ?」と聞きはしない。「大丈夫だろうな」「筋は確かか?」とだけ聞く。
(もちろん記事の信ぴょう性確認がいつもこのようであるとは限らない。2重3重に裏打ちの取材をする場合も多い。ただ、その場合も、取材源は“常に”“一般的に”上司に明らかにされるわけではない)
警察、検察とのやりとりでさえこのようであって、それが事件の当事者(例えば内部告発者)、あるいは当事者に非常に近い関係者である場合、取材源の秘匿はいっそう徹底される。
誰がその情報を漏らしたかが「敵対する側」に知られれば、情報提供者の人権を守れなくなる可能性が高いからだ。


メディアが情報源を秘匿するのは、1つにはメディアの自己保身のためである。名誉棄損で賠償責任を負ったり、時には記者・編集者の逮捕ということにもなりかねない。そんな事態は避けたい、という理由が1つ。
もう1つは、幾分カッコ良すぎるきらいもあるが、情報を途切れさせないためだ。情報を流した者が著しく損害を被るなら、情報を提供しようとする人はいなくなる。すると、読者・視聴者の知る権利が損なわれる(つまり、有益情報が出にくくなり、発表モノばかりになる)と言う理屈。
「取材源の秘匿」と言えば、通常、2番目に挙げた理由が語られる。


さて今回、日経新聞は検察官の名を明らかにしてしまった。
しかも、名指しされることになる当人の了解も得ず裁判所に提出した、とされる。
このことを同業の朝日新聞はページの半分以上を割いて、問題だとした。
問題であるに違いない。
僕も『新聞記者の倫理も地に墜ちたな』と感じた。
しかし朝日新聞は「公平さ」を担保したかったのだろう。
同じ紙面でこんな話も掲載している。有識者に代弁させる形で─


「日経の対応に問題はあるが、裁判所に提出したのは、取材に応じるべき立場の幹部の名前や取材メモ。内部告発者など明らかに不利益を被る対象とは区別する必要がある」(メディア法が専門の田島泰彦・上智大教授)


この上智大教授の発言をみなさんはどう受け取るだろうか。
言葉の意味はこうだ。
「捜査する側の公人だから名前が出ても当然。内部告発者のリスクとは違う」
一見、学者先生の言うことだし、正しそうに聞こえる。
だが僕はこのように解釈した。


『あぁっ、先生は検察官が記者に話したのは“リーク”だと思っているんだね。元々、意図をもって話したことだから検察上層部も承知の上だろうし、名前が明らかにされたとしても組織の論理にのっとってしたリークだから検察官が不利益になることはない』、と。


記者の側は、『しめた、口が堅い検察が情報をくれた。特ダネだ』と思ったかもしれない。
しかし大抵は(多くの人が薄々感ずいているように)、
裁判を有利にするための世論操作、それをメディアにやってもらうための意図的な情報漏洩であることが多い。
『だから、そこは不問でいいんじゃないの』という意識が、学者のこういう発言になったと、僕は勝手に解釈している。


そんなエクスキューズをメディアに与えて、何か(国民に)利益はあるのだろうか。
それを「公平性担保」のつもりで、この記事の末尾に相当なスペースを割いて掲載してしまう朝日新聞。
朝日新聞も検察発の“特ダネ”をいくつも書いているから、いざわが身に降りかかったときのことを考えて、こんな無茶苦茶な論も載せておいたほうがいいという魂胆なのかしら。


もう1つ、もっと重大な問題がある。
報道の真実性に対して誰が立証責任を負うか、という問題だ。
日本では今のところ、名誉棄損などで訴えられた場合、メディア側が報道の真実性の立証を行う必要がある。
ところが朝日新聞は、以下のように言う。
取材源の秘匿のための(裁判における)記者の証言拒否を最近は裁判所も認める傾向があることを引き合いに出した上で、「米国は日本と逆に、公人が名誉棄損訴訟を起こした場合、報道が真実でないと立証する責任を負うのは公人側だ」、と言うのである。


メディアにとってこんな大あまな論があっていいものだろうか。
記事の真実性を書いた側に負わせないなら、記者は好き勝手なことが書けるではないか!
日本人のメディアリテラシーの貧弱さを思えば、大新聞、メジャーな放送局が流した情報は99%、国民にうのみにされる。
報道被害を受けた者が、「名誉棄損訴訟」でせめても一矢報いようとする。
その時に、メディアのウソはあんたが証明しなさい、というのがアメリカの司法だと言うのである。
記者やジャーナリスト、新聞や放送局を甘やかすのもいい加減にしてもらいたい。
この理屈でよしとするなら、極端な話、真実であるかどうか未確認でも「とりあえず記事にしちゃえ、あいつ黒っぽいから」「世間に訴えたもの勝ちだ、あんな政治家、今のうちに葬ってしまえ。検察が動き出せばこっちのもんだ(なんせこっちには、立証責任なんてもの、ないんだから)」が通る。
メディアの高笑いである。


朝日がこんな危ない論を平気で書いてしまうのは、今のままでは訴訟リスクが高いと感じているからだ。
例によって、また識者の応援団の弁を載せる─


「日本の裁判では、取材源を守ろうとするメディアが敗訴するリスクが高い。政治家や公務員らの名誉棄損訴訟では、メディアの立証の負担の見直しも検討されるべきだ」(メディア倫理の専門:大石泰彦・青山学院大教授)


やれやれ、朝日新聞は、立法権・行政権・司法権の三権分立ではあき足りず、メディアを第4の権力とし、しかも4番手では嫌だ、「我こそは1等1番の権力たらん」と言いたいかのようだ。


「取材源の秘匿」の問題に社会系紙面の半分を割いてその重要性を訴える朝日新聞の姿勢を、僕は一定の評価をしている。
しかし、後半に挙げた2点については全くいただけない。


メディアは「権力」であってはならない。
「記者の力」は法廷で証言拒否することが認められるほどに強くなくてもいい。
真実追及のため逮捕・訴追され、獄に囚われても、情報提供者には指1本触れさせない、そういう青臭い正義感の方がはるかに国民としては信頼がおける。
国家権力を高見から見下ろすほどの「権力」をメディアに与えたい、などと思う国民は1人もいない、と僕は断じる。
メディアは謙虚でなければならない。




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