みなさん知ってました?
ドラえもんには人生の糧に言葉がいたるところに散りばめられていることを。
これを読んでいる方はどこかしらのび太の一面をもっていることを。
今回は思わず「あっ!」と声を出してしまいそうになる、
ドラえもんの言葉を紹介します。
新年ということで自分のなかで目標を定めるときのヒントになるかもしれませんね。
______________________________________________
□人のコースを進んでも、いいことないよ
┃自分の道を切り開いていこう。
□りっぱすぎる決心はきっと3日ぼうずになる。
┃確かに。継続できるように自分で調整していきましょう
□なにかしようと思ったら、そのことだけに夢中にならなくちゃだめだ。
┃本当に充実している人が口を揃えていう言葉ですね。
┃ドラえもんはそれをわかっているのでしょうか。
□よくみておくんだね。きみが昼寝してる間も、時間は流れつづけてる。 一秒もまってはくれない。そして流れさった時間は二度とかえってこないんだ!!
┃年を重ねるごとに時間の大切さが身に染み渡ります。
□きみはかんちがいしてるんだ。道をえらぶということは、かならずしも歩きやすい安全な道をえらぶってことじゃないんだぞ。
┃たとえ危険とわかっていても自分が進みたい道であれば進むしかないんですね。
□いじわるされるたびにしんせつにしてやったらどうだろう。
┃これができたらあなたは本当に強い人です。
□くちきくのもめんどくさけりゃ、もう死んでしまえ!
┃ドラえもんは意外と厳しいことを言います。
┃人とのつながりはコミュニケーション。それを忘れるなということですね。
________________________________________________
さすが未来から来だけあって確信をつく言葉が多いですね。
たとえ道具を持っていなくても
こういうことを言ってくれるドラえもんがいる
のび太たちは幸せ者ですね。
ドラえもんが伝える言葉がまだまだあります。
気になる方はフォローお願いします!
漫才やコントといえばテンポ良く、的確なツッコミとボケで笑いを生み出すものでした。
しかしそれとは正反対にツッコミもせずむしろお互いを褒め合う独特な空間を作り出し、
じわじわと笑いを取りにいくスタンスを確立した芸人、おぎやはぎ。
その中でも矢作兼さんは数々の逸話を残しており、
同じ事務所の芸人 東京03から「人力舎の3大革命」を起こした人と語り継がれています。
3大革命とは
・上下関係をなくしてより良い関係を作り上げた
・ボケとツッコミという固定観念を無くした
・他事務所の芸人と交流を持たせることで今まで売れなかった芸人がテレビ関係者の目にとまりやすい状況を作り上げた
とあります。
そして矢作兼さん個人としてみても、
その人柄の良さから多くの芸人から支持を得ています。
その人柄は芸人としてデビューする前から有名だったことから
彼の生まれ持ったものだろうと想像します。
今回はサラリーマン時代を経験したものから、芸人としてまでの逸話を
矢作兼さんの超人伝説と題して紹介します。
______________________________________________
■矢作兼は怒ったことがない!?
合コンで酔っ払った女の子に帽子を取られた上に頭を思いっきりぶん殴られ
「あはは~やはげだやはげ~」と髪が薄いのを馬鹿にされた。
同席していたアンジャッシュの渡部建は「あの怒らない矢作でもとうとう怒るだろうな」
とわくわくして様子を見ていたら、
「そうだよ~やはげだよ~」
と満面の笑みでうれしそうに受け答えをした。
その上サラダにメガネを落とされドレッシングまみれにされても
「俺のメガネ超美味しそうになっちゃったじゃん」
とうれしそうな矢作を見て、渡部は思わず胸キュンしてしまったという。
〈これは相手が最悪ですね。でもこんな返しが出来る矢作さんすげー。。。〉
【一般人時代】
■人間関係を築くのが上手く、目上の人間や上司に気に入られやすい
サラリーマン時代に、「社長が矢作の職場の隣の喫煙室にたまたま来ていて、矢作の電話対応をたまたま聞いていて話の上手さを知った」ことが切掛けで気に入られた。
上海まで矢作を引き抜いてまで連れていかれ、短期間で上海支部の支店長になってしまったそう。
また、交渉にも長けていた為、サラリーマン時代の営業成績は常にトップだった。
何か揉めそうになると、「矢作を呼べ」と言われ、現場に出向くと全て上手くまとまるといった逸話がある。
〈話術の上手さがいかんなく発揮された瞬間だったのでしょう〉
■適当でもできてしまう
仕事は出来たが外国語はてんで駄目。
上海に勤務していたときは、当然書類や電話の対応は外国語で、
書類は辞書を引いて何とかなったものの、電話の対応は完全にお手上げだった。
その為最終的には話の内容も解らずに適当に対応してしまったことが何度もあった。
にもかかわらず何の問題も起こることは無かった。
〈なんか羨ましい。。。〉
■知り合いが多いため危険を回避
学生時代から不良グループの人物と仲がよくなることが多く、
卒業後も地元で元番長だった多くの人物と知り合いだった。
ただし矢作自身は不良ではないため、喧嘩になりそうな場面では、
仲間から「兼ちゃんは危ないから車にいてね」と言われ、喧嘩に参加することはなかった。
〈いわゆるおいしい立ち位置ってことですね。我々普通の人間は「まずお前がいけ」とか言われそう。〉
【デビュー後】
■芸人仲間からの信頼の声
ダウンタウン松本
「矢作は"浮遊芸"ですね。一流の格闘家というのは「勝ちたいと思う気持ちすら邪魔や」と。浮いとけと。もう、もう行くとこまで行ったら、もう、そこに達する。そこでたぶん、ぺちゃくちゃ言ってるほうがおもろいねんな。もう。もうちょっと突き詰めて行けばフェアウェイに行ってんのに浮き芸の空気残ってる!みたいな位置に行けるよ、あいつはね。」
オアシス光浦靖子
「人力舎の人間は皆矢作に憧れている。現場でのおぎやはぎの印象が非常に良く、芸人としても信頼が置ける」
バナナマン設楽統
「人付き合いの天才」
「矢作さんとしゃべっているとみんな矢作さんのことが好きになる」
「誰しも矢作さんに好かれたくなる、そう思わせる才能がある」
「ナンバー1のナンバー2(主役級のサポーターの意)」
「芸能界の永久パスポートを俺らの世代でもってるのは矢作さんだけ」
「可愛いんですよ。抱きしめたくなることが何度かある。矢作さんに惚れてるんでしょうね。心底」
さまぁ~ず
「知識もあり、人望も厚く、エリートサラリーマンの様な資質があるくらい完璧で、考え方が冷静で大人」
有吉弘行
「矢作は他とは空気が違う」
「空気を変えてくれる。毒も吐くしオールマイティー」
「チェンジオブマイペース」
オークラ(放送作家)
「矢作さんがムードメーカーなんですよね。矢作さんがいることで場が和むというか。そういう根っからの性格の良さがあるから、なんでもうまくまとまるんですよね」
アンジャッシュ渡部
「矢作が怒っているところを見たことがない」
「人力舎の人間は俺も含めて仕事のことなどすべて矢作に相談してる。占い師みたいになってる」
「矢作の魅力にハマッて同棲していた」
(引用:Wikipedia)
________________________________________________
こうやってみると自分を偽らず、自然のままひょうひょうと生きている矢作さんが
すごく魅力的でまわりから好かれているのがよくわかります。
テレビでみても彼の人柄があらわれている場面がたくさんありますよね。
おぎやはぎの作り出す空気は唯一無二ですね。
ああいう空気を出せる人間になりたいもんです。
5秒で読める140文字の有名人からあなたへの言葉を配信中!
しかしそれとは正反対にツッコミもせずむしろお互いを褒め合う独特な空間を作り出し、
じわじわと笑いを取りにいくスタンスを確立した芸人、おぎやはぎ。
その中でも矢作兼さんは数々の逸話を残しており、
同じ事務所の芸人 東京03から「人力舎の3大革命」を起こした人と語り継がれています。
3大革命とは
・上下関係をなくしてより良い関係を作り上げた
・ボケとツッコミという固定観念を無くした
・他事務所の芸人と交流を持たせることで今まで売れなかった芸人がテレビ関係者の目にとまりやすい状況を作り上げた
とあります。
そして矢作兼さん個人としてみても、
その人柄の良さから多くの芸人から支持を得ています。
その人柄は芸人としてデビューする前から有名だったことから
彼の生まれ持ったものだろうと想像します。
今回はサラリーマン時代を経験したものから、芸人としてまでの逸話を
矢作兼さんの超人伝説と題して紹介します。
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■矢作兼は怒ったことがない!?
合コンで酔っ払った女の子に帽子を取られた上に頭を思いっきりぶん殴られ
「あはは~やはげだやはげ~」と髪が薄いのを馬鹿にされた。
同席していたアンジャッシュの渡部建は「あの怒らない矢作でもとうとう怒るだろうな」
とわくわくして様子を見ていたら、
「そうだよ~やはげだよ~」
と満面の笑みでうれしそうに受け答えをした。
その上サラダにメガネを落とされドレッシングまみれにされても
「俺のメガネ超美味しそうになっちゃったじゃん」
とうれしそうな矢作を見て、渡部は思わず胸キュンしてしまったという。
〈これは相手が最悪ですね。でもこんな返しが出来る矢作さんすげー。。。〉
【一般人時代】
■人間関係を築くのが上手く、目上の人間や上司に気に入られやすい
サラリーマン時代に、「社長が矢作の職場の隣の喫煙室にたまたま来ていて、矢作の電話対応をたまたま聞いていて話の上手さを知った」ことが切掛けで気に入られた。
上海まで矢作を引き抜いてまで連れていかれ、短期間で上海支部の支店長になってしまったそう。
また、交渉にも長けていた為、サラリーマン時代の営業成績は常にトップだった。
何か揉めそうになると、「矢作を呼べ」と言われ、現場に出向くと全て上手くまとまるといった逸話がある。
〈話術の上手さがいかんなく発揮された瞬間だったのでしょう〉
■適当でもできてしまう
仕事は出来たが外国語はてんで駄目。
上海に勤務していたときは、当然書類や電話の対応は外国語で、
書類は辞書を引いて何とかなったものの、電話の対応は完全にお手上げだった。
その為最終的には話の内容も解らずに適当に対応してしまったことが何度もあった。
にもかかわらず何の問題も起こることは無かった。
〈なんか羨ましい。。。〉
■知り合いが多いため危険を回避
学生時代から不良グループの人物と仲がよくなることが多く、
卒業後も地元で元番長だった多くの人物と知り合いだった。
ただし矢作自身は不良ではないため、喧嘩になりそうな場面では、
仲間から「兼ちゃんは危ないから車にいてね」と言われ、喧嘩に参加することはなかった。
〈いわゆるおいしい立ち位置ってことですね。我々普通の人間は「まずお前がいけ」とか言われそう。〉
【デビュー後】
■芸人仲間からの信頼の声
ダウンタウン松本
「矢作は"浮遊芸"ですね。一流の格闘家というのは「勝ちたいと思う気持ちすら邪魔や」と。浮いとけと。もう、もう行くとこまで行ったら、もう、そこに達する。そこでたぶん、ぺちゃくちゃ言ってるほうがおもろいねんな。もう。もうちょっと突き詰めて行けばフェアウェイに行ってんのに浮き芸の空気残ってる!みたいな位置に行けるよ、あいつはね。」
オアシス光浦靖子
「人力舎の人間は皆矢作に憧れている。現場でのおぎやはぎの印象が非常に良く、芸人としても信頼が置ける」
バナナマン設楽統
「人付き合いの天才」
「矢作さんとしゃべっているとみんな矢作さんのことが好きになる」
「誰しも矢作さんに好かれたくなる、そう思わせる才能がある」
「ナンバー1のナンバー2(主役級のサポーターの意)」
「芸能界の永久パスポートを俺らの世代でもってるのは矢作さんだけ」
「可愛いんですよ。抱きしめたくなることが何度かある。矢作さんに惚れてるんでしょうね。心底」
さまぁ~ず
「知識もあり、人望も厚く、エリートサラリーマンの様な資質があるくらい完璧で、考え方が冷静で大人」
有吉弘行
「矢作は他とは空気が違う」
「空気を変えてくれる。毒も吐くしオールマイティー」
「チェンジオブマイペース」
オークラ(放送作家)
「矢作さんがムードメーカーなんですよね。矢作さんがいることで場が和むというか。そういう根っからの性格の良さがあるから、なんでもうまくまとまるんですよね」
アンジャッシュ渡部
「矢作が怒っているところを見たことがない」
「人力舎の人間は俺も含めて仕事のことなどすべて矢作に相談してる。占い師みたいになってる」
「矢作の魅力にハマッて同棲していた」
(引用:Wikipedia)
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こうやってみると自分を偽らず、自然のままひょうひょうと生きている矢作さんが
すごく魅力的でまわりから好かれているのがよくわかります。
テレビでみても彼の人柄があらわれている場面がたくさんありますよね。
おぎやはぎの作り出す空気は唯一無二ですね。
ああいう空気を出せる人間になりたいもんです。
5秒で読める140文字の有名人からあなたへの言葉を配信中!
■
うちは貧乏な母子家庭で、俺が生まれた時はカメラなんて無かった。
だから写真の変わりに母さんが色鉛筆で俺の絵を描いて、アルバムにしてた。
絵は上手じゃない。
ただ、どうにかして形に残したかったらしい。
ほぼ毎日、赤ん坊の俺を一生懸命描いてた。
絵の隣に『キゲンが悪いのかな??』とか『すやすや眠ってます?』ってコメント付きで。
小学四年生の時、家に遊びに来た友達数人に、そのアルバムを発見された。
めちゃくちゃ笑われて、貧乏を馬鹿にされた。
友達が帰って直ぐ、俺はアルバム三冊をバラバラに破いてゴミ箱に捨てた。
パートから帰って来た母さんがそれを見つけて、泣きだした。
破いた理由を言っても、変わらず泣き続けた。
翌朝起きると、居間で母さんがゴミ箱から絵の破片を集めてセロハンテープでとめてた。
「恥ずかしい思いさせてごめんね。でもね、これ、母さんの宝物なんよ」
申し訳なさそうに優しくそう言われると、涙が溢れた。
俺はごめんなさいと謝った。
■
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、
とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。
後悔で涙がこぼれた
■
俺は小さい頃、家の事情でおばあちゃんに預けられていた。
当初、見知らぬ土地にきて間もなく当然友達もいない。
いつしか俺はノートに自分が考えたスゴロクを書くのに夢中になっていた。
それをおばあちゃんに見せては
「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み~」
おばあちゃんはニコニコしながら、「ほーうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。
それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。
やがて俺にも友達ができ、そんなことも忘れ友達と遊びまくってた頃
家の事情も解消され、自分の家に戻った。
おばあちゃんは別れるときもニコニコしていて
「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」
と喜んでくれた。
先日そのおばあちゃんが死んだ。
89歳の大往生だった。
遺品を整理していた母から「あんたに」と一冊のノートをもらった。
開いてみみるとそこにはおばあちゃんの作ったスゴロクが書かれてあった。
モンスターの絵らしきものが書かれてあったり、なぜかぬらりひょんとか
妖怪も混じっていた。
「おばあちゃんよく作ったな」とちょっと苦笑していた。
最後のあがりのページを見た。
「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に
「ヨシヒロ(俺)くんに友達がいっぱいできますように」
人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
おばあちゃん、死に目にあえなくてごめんよ。
■
6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを手紙に書いて窓際に置いておいたから、
早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、
こう書いてあった。
「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください!おねがいします」
夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、
私だんだん悲しくなって少しメソメソしてしちゃったよw
昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と
「ガンがなおるおくすり」と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。
朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで「ギャーっ!」って嬉しい叫びを上げてた。
早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って「ねえ! サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの! 早く飲んでみて!」っていって、夫に薬を飲ませた。
夫が「お! 体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ」と言うと娘が、
「ああ! 良かった~。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、
動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね~」
……っていうと夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、
それから声を押し殺すようにして「ぐっ、ぐうっ」って泣き始めた。
私も貰い泣きしそうになったけれどなんとか泣かないように鍋の味噌汁をオタマで掬って無理やり飲み込んで態勢を整えた。
夫は娘には「薬の効き目で涙が出てるんだ」と言い訳をしてた。
その後、娘が近所の子の家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、
夫が「来年はお前がサンタさんだな……。しっかり頼むぞ」と言ったので、
つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。
お椀の味噌汁に涙がいくつも混ざった。
_________________________________________
子供を喜ばせるのは難しい。何をしても不満そうな顔をする。
それに比べて、親を喜ばせることは何と簡単なことだろうか。
それほど簡単なことを私はしてこなかった。
うちは貧乏な母子家庭で、俺が生まれた時はカメラなんて無かった。
だから写真の変わりに母さんが色鉛筆で俺の絵を描いて、アルバムにしてた。
絵は上手じゃない。
ただ、どうにかして形に残したかったらしい。
ほぼ毎日、赤ん坊の俺を一生懸命描いてた。
絵の隣に『キゲンが悪いのかな??』とか『すやすや眠ってます?』ってコメント付きで。
小学四年生の時、家に遊びに来た友達数人に、そのアルバムを発見された。
めちゃくちゃ笑われて、貧乏を馬鹿にされた。
友達が帰って直ぐ、俺はアルバム三冊をバラバラに破いてゴミ箱に捨てた。
パートから帰って来た母さんがそれを見つけて、泣きだした。
破いた理由を言っても、変わらず泣き続けた。
翌朝起きると、居間で母さんがゴミ箱から絵の破片を集めてセロハンテープでとめてた。
「恥ずかしい思いさせてごめんね。でもね、これ、母さんの宝物なんよ」
申し訳なさそうに優しくそう言われると、涙が溢れた。
俺はごめんなさいと謝った。
■
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、
母の作る弁当はお世辞にも華やかとは言えないほど質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま学校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確かに海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし、彩りも悪いし、
とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた。
後悔で涙がこぼれた
■
俺は小さい頃、家の事情でおばあちゃんに預けられていた。
当初、見知らぬ土地にきて間もなく当然友達もいない。
いつしか俺はノートに自分が考えたスゴロクを書くのに夢中になっていた。
それをおばあちゃんに見せては
「ここでモンスターが出るんだよ」
「ここに止まったら三回休み~」
おばあちゃんはニコニコしながら、「ほーうそうかい、そいつはすごいねぇ」と相づちを打ってくれる。
それが何故かすごく嬉しくて、何冊も何冊も書いていた。
やがて俺にも友達ができ、そんなことも忘れ友達と遊びまくってた頃
家の事情も解消され、自分の家に戻った。
おばあちゃんは別れるときもニコニコしていて
「おとうさん、おかあさんと一緒に暮らせるようになってよかったねぇ」
と喜んでくれた。
先日そのおばあちゃんが死んだ。
89歳の大往生だった。
遺品を整理していた母から「あんたに」と一冊のノートをもらった。
開いてみみるとそこにはおばあちゃんの作ったスゴロクが書かれてあった。
モンスターの絵らしきものが書かれてあったり、なぜかぬらりひょんとか
妖怪も混じっていた。
「おばあちゃんよく作ったな」とちょっと苦笑していた。
最後のあがりのページを見た。
「あがり」と達筆な字で書かれていた、その下に
「ヨシヒロ(俺)くんに友達がいっぱいできますように」
人前で、親の前で号泣したのはあれが初めてでした。
おばあちゃん、死に目にあえなくてごめんよ。
■
6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを手紙に書いて窓際に置いておいたから、
早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、
こう書いてあった。
「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください!おねがいします」
夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、
私だんだん悲しくなって少しメソメソしてしちゃったよw
昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と
「ガンがなおるおくすり」と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。
朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで「ギャーっ!」って嬉しい叫びを上げてた。
早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って「ねえ! サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの! 早く飲んでみて!」っていって、夫に薬を飲ませた。
夫が「お! 体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ」と言うと娘が、
「ああ! 良かった~。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、
動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね~」
……っていうと夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、
それから声を押し殺すようにして「ぐっ、ぐうっ」って泣き始めた。
私も貰い泣きしそうになったけれどなんとか泣かないように鍋の味噌汁をオタマで掬って無理やり飲み込んで態勢を整えた。
夫は娘には「薬の効き目で涙が出てるんだ」と言い訳をしてた。
その後、娘が近所の子の家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、
夫が「来年はお前がサンタさんだな……。しっかり頼むぞ」と言ったので、
つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。
お椀の味噌汁に涙がいくつも混ざった。
_________________________________________
子供を喜ばせるのは難しい。何をしても不満そうな顔をする。
それに比べて、親を喜ばせることは何と簡単なことだろうか。
それほど簡単なことを私はしてこなかった。
■はじめに
いまこの現代社会を生きるということはストレスと闘うといっても過言ではないほど、
ストレスの影響力の強さを感じます。
みなさんはストレス解消はお持ちですか?
なかなk手軽にストレス解消法ができる記事があったので
と思ったので、まとめてみました。
いくつか私や友人が取り入れている方法も加えてまとめてあります。
引用元ライフハック考えすぎのあなたに。。。ストレスを減らす一日3分割法
_______________________________________
目次:
■1:悪循環に陥っていることに気づこう
■2:一日を『考』『行』『楽』の3つのパートに分けてみよう
■3:騙されたと思って少しだけでも続けてみよう
■1:悪循環に陥っていることに気づこう
ストレスはどんなところからもやってきます。仕事がうまくいかない、納期に遅れないようにというプレッシャーから、太らないようにと気にしすぎるあまり、ストレスで食べてしまうなど。。。
ストレス解消法がわからないことがストレスを増大させることにつながってしまったり。
こういった悪循環を断ち切らないといつまでもストレスは付きまとってきます。
まずはあなたがどのようなときにストレスを感じるか、しっかりと向き合ってみましょう。
■2:一日を『考』『行』『楽』の3つのパートに分けてみよう
しっかりと向き合えたら、次は一日を3つのパートに分けましょう。
『考える時間』『行動する時間』『リラックスする時間』の3つです。
3つに分ける理由は生産性を高めることに影響を与えます。
例えば、何かを覚えなければならないという時に私たちは、
「全部頭のなかで覚えなきゃ!」と1日中そのことばかり考えてしまいがちです。
しかしそれではまったくもって効率が悪く、まず続きません。
そして「これだけやったのに全然覚えられていない」とストレスを感じることでしょう。
そこであらかじめ悩む、思う、覚えるなど脳を使うときを「考える時間」と設定をして
それ以外の時間に心配したり考え込んだりすることから解放しましょう。
続いて「行動する時間」
これは脳を使って考え込んだり、分析したりするのをやめて、ひたすら行動しましょう。
出版できる小説をいきなり書こうとするのではなく、「その日に書けるだけの言葉をただ書くべし」というわけですね。
最後に「リラックスする時間」
これはもうすべてから自分を解放しましょう。
自分の心に従ってやりたいことをやりましょう。
何もないという方、もっと自分に優しくしてください。考えてはダメです。必ずありますから。
ちなみに私の友人は、昼休憩は必ず一人で食べに行きます。
理由を聞いてみると、昼食をパッと済ませて残りの時間はカフェテラスで
ボーッと何も考えない時間を作っているようです。
そうやって自分のなかでバランスをとっているんだとか。
■3:騙されたと思って少しだけでも続けてみよう
ここがキモですよね。
「よし!やるぞ!」と意気込んでもだんだん続けることが難しくなり、
いつしかそれがストレスになり止めてしまうパターンが多いです。
まずはできることからやってみましょう。
始めやすい「リラックスする時間」を意識的に作るだけでもだいぶ変わってきますよ。
______________________________________________
どうでしょう?
しっかりと時間を分けることが大事ですね。
そこに集中・注力することで生産性やストレス軽減につながります。
まずは気軽に始めてみましょうか。
いまこの現代社会を生きるということはストレスと闘うといっても過言ではないほど、
ストレスの影響力の強さを感じます。
みなさんはストレス解消はお持ちですか?
なかなk手軽にストレス解消法ができる記事があったので
と思ったので、まとめてみました。
いくつか私や友人が取り入れている方法も加えてまとめてあります。
引用元ライフハック考えすぎのあなたに。。。ストレスを減らす一日3分割法
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目次:
■1:悪循環に陥っていることに気づこう
■2:一日を『考』『行』『楽』の3つのパートに分けてみよう
■3:騙されたと思って少しだけでも続けてみよう
■1:悪循環に陥っていることに気づこう
ストレスはどんなところからもやってきます。仕事がうまくいかない、納期に遅れないようにというプレッシャーから、太らないようにと気にしすぎるあまり、ストレスで食べてしまうなど。。。
ストレス解消法がわからないことがストレスを増大させることにつながってしまったり。
こういった悪循環を断ち切らないといつまでもストレスは付きまとってきます。
まずはあなたがどのようなときにストレスを感じるか、しっかりと向き合ってみましょう。
■2:一日を『考』『行』『楽』の3つのパートに分けてみよう
しっかりと向き合えたら、次は一日を3つのパートに分けましょう。
『考える時間』『行動する時間』『リラックスする時間』の3つです。
3つに分ける理由は生産性を高めることに影響を与えます。
例えば、何かを覚えなければならないという時に私たちは、
「全部頭のなかで覚えなきゃ!」と1日中そのことばかり考えてしまいがちです。
しかしそれではまったくもって効率が悪く、まず続きません。
そして「これだけやったのに全然覚えられていない」とストレスを感じることでしょう。
そこであらかじめ悩む、思う、覚えるなど脳を使うときを「考える時間」と設定をして
それ以外の時間に心配したり考え込んだりすることから解放しましょう。
続いて「行動する時間」
これは脳を使って考え込んだり、分析したりするのをやめて、ひたすら行動しましょう。
出版できる小説をいきなり書こうとするのではなく、「その日に書けるだけの言葉をただ書くべし」というわけですね。
最後に「リラックスする時間」
これはもうすべてから自分を解放しましょう。
自分の心に従ってやりたいことをやりましょう。
何もないという方、もっと自分に優しくしてください。考えてはダメです。必ずありますから。
ちなみに私の友人は、昼休憩は必ず一人で食べに行きます。
理由を聞いてみると、昼食をパッと済ませて残りの時間はカフェテラスで
ボーッと何も考えない時間を作っているようです。
そうやって自分のなかでバランスをとっているんだとか。
■3:騙されたと思って少しだけでも続けてみよう
ここがキモですよね。
「よし!やるぞ!」と意気込んでもだんだん続けることが難しくなり、
いつしかそれがストレスになり止めてしまうパターンが多いです。
まずはできることからやってみましょう。
始めやすい「リラックスする時間」を意識的に作るだけでもだいぶ変わってきますよ。
______________________________________________
どうでしょう?
しっかりと時間を分けることが大事ですね。
そこに集中・注力することで生産性やストレス軽減につながります。
まずは気軽に始めてみましょうか。
国民的に愛されているアイドルグループ『SMAP』
メンバーそれぞれに強い個性を感じますが、
その中でも一際、存在感を放つのが木村拓哉さん。
ドラマに出ればロングバケーションを始め、高視聴率を連発し、
バラエティで何かしらのゲームをやれば格好いいシーンを見せてくれます。
そのように彼には本当に多くの逸話が存在します。
伝説を残してきて、これからも作り続けるであろう彼ですが、
そんな彼はどのように考えて、物事に向き合っているのか、
どのような思いを言葉にのせて、私たちに伝えているのかを、
木村拓哉の9つの言葉としていくつかまとめてみました。
______________________________________________
■1:「いつかもっと大きな形で実現してみせる!」って思うんだ
思い続けてさえいれば、いつか時期が来て実現できることも、きっとあるって
この言葉から彼も実現できなかった夢や目標があったが、
そう思い続けて実現できることを実現し続けてきたからこそ、今の彼があるのですね。
■2:出来るか出来ないかじゃないやるかやらないかだよ
非常に『キムタクらしい』言葉です。
全てのものごとは勇気ある第1歩から始まる。
■3:イヤな部分を努力して認め合ったりしちゃいけないんだよ
自然に許せないとね
確かに。嫌なものは嫌ですよね。
ただ嫌なものだけに焦点を合わせてしまうのではなく、
自然と許せてしまうような関係を築き上げていこう。
■4:逃げるエネルギーがあるならぶつかった方がいい
これも木村さんならではの言葉ですね。
熱く行動し、それを周りに伝達させていく才能をいかんなく発揮する彼ならではの言葉です。
■5:弱い女性を守ることで自分の強さを感じたいって男が居たらそいつはつまんない奴だと思うよ
そこに自分の居場所を作るなよ、ということでしょうか。
女性から見てもそういった男性は視野や見ている世界が狭そうです。
■6:不満はいくら相手を好きでも生まれてくるもの
その通りですね。それをも全部ひっくるめて好きになれ。
■7:グループほど面倒くさいものはないけれど、あんなに分かり合えてるヤツらはいないから
木村さんの始まりはSMAP。そしてメンバー。
苦楽をともに20年過ごしてきた彼らには私たちには想像もつかないほどの
強い絆で結ばれているのでしょう。
■8:どんな場所でも、どんな条件でも、本気出して闘う姿勢が大事
言葉に情熱があります。
逃げの姿勢が一切ないです。
木村さんは言葉だけでなく、行動でも魅せてくれていますね。
■9:人は弱ってるとき強くなんかなれないよ
だから、そんなときはただ言いたい。"ヤだ"っていう一言を
弱くなるときはもちろんある。
ヤだという言葉を伝えるもの勇気が要な時があります。
しかしまずは自分に優しくしなさいということでしょうか。
______________________________________________
いかがでしょうか。
やはり木村拓哉さんらしい、
前向きで、一生懸命で、力強い言葉たくさんありました。
だからこその今があるのですね。
その気持ちを持ち続けていけるのもSMAPのメンバーがいたからではないでしょうか。
これからの活躍を期待しています。
木村拓哉さんや他のSMAPメンバーの言葉が気になる方はこのツイッターをチェック!
メンバーそれぞれに強い個性を感じますが、
その中でも一際、存在感を放つのが木村拓哉さん。
ドラマに出ればロングバケーションを始め、高視聴率を連発し、
バラエティで何かしらのゲームをやれば格好いいシーンを見せてくれます。
そのように彼には本当に多くの逸話が存在します。
伝説を残してきて、これからも作り続けるであろう彼ですが、
そんな彼はどのように考えて、物事に向き合っているのか、
どのような思いを言葉にのせて、私たちに伝えているのかを、
木村拓哉の9つの言葉としていくつかまとめてみました。
______________________________________________
■1:「いつかもっと大きな形で実現してみせる!」って思うんだ
思い続けてさえいれば、いつか時期が来て実現できることも、きっとあるって
この言葉から彼も実現できなかった夢や目標があったが、
そう思い続けて実現できることを実現し続けてきたからこそ、今の彼があるのですね。
■2:出来るか出来ないかじゃないやるかやらないかだよ
非常に『キムタクらしい』言葉です。
全てのものごとは勇気ある第1歩から始まる。
■3:イヤな部分を努力して認め合ったりしちゃいけないんだよ
自然に許せないとね
確かに。嫌なものは嫌ですよね。
ただ嫌なものだけに焦点を合わせてしまうのではなく、
自然と許せてしまうような関係を築き上げていこう。
■4:逃げるエネルギーがあるならぶつかった方がいい
これも木村さんならではの言葉ですね。
熱く行動し、それを周りに伝達させていく才能をいかんなく発揮する彼ならではの言葉です。
■5:弱い女性を守ることで自分の強さを感じたいって男が居たらそいつはつまんない奴だと思うよ
そこに自分の居場所を作るなよ、ということでしょうか。
女性から見てもそういった男性は視野や見ている世界が狭そうです。
■6:不満はいくら相手を好きでも生まれてくるもの
その通りですね。それをも全部ひっくるめて好きになれ。
■7:グループほど面倒くさいものはないけれど、あんなに分かり合えてるヤツらはいないから
木村さんの始まりはSMAP。そしてメンバー。
苦楽をともに20年過ごしてきた彼らには私たちには想像もつかないほどの
強い絆で結ばれているのでしょう。
■8:どんな場所でも、どんな条件でも、本気出して闘う姿勢が大事
言葉に情熱があります。
逃げの姿勢が一切ないです。
木村さんは言葉だけでなく、行動でも魅せてくれていますね。
■9:人は弱ってるとき強くなんかなれないよ
だから、そんなときはただ言いたい。"ヤだ"っていう一言を
弱くなるときはもちろんある。
ヤだという言葉を伝えるもの勇気が要な時があります。
しかしまずは自分に優しくしなさいということでしょうか。
______________________________________________
いかがでしょうか。
やはり木村拓哉さんらしい、
前向きで、一生懸命で、力強い言葉たくさんありました。
だからこその今があるのですね。
その気持ちを持ち続けていけるのもSMAPのメンバーがいたからではないでしょうか。
これからの活躍を期待しています。
木村拓哉さんや他のSMAPメンバーの言葉が気になる方はこのツイッターをチェック!