Sherlock Series 2: A Scandal in Belgravia | First Chance to See...

First Chance to See...

エコ生活、まずは最初の一歩から。

 iPlayer + Tunnelbear で、2012年1月1日にBBCで放送されたばかりの "Sherlock series 2 Episode 1: A Scandal in Belgravia" を観た。それも2回も。まもなく "Episode 2: The Hounds of Baskerville" の放送も始まるが、その前に多分、あと1回くらいは観ると思う。
 
 ここ数日というもの、ふと気がつくとこのドラマのことばっかり考えている。さすがに仕事時間中は仕事に気を取られるが(当たり前だ)、それ以外の時間は、強制的に別のテレビや映画を観たり本を読んだりしない限り、ドラマの中のさまざまなシーンを振り返っては反芻している。我ながら、完全にアブない人だ。
 
 しかし、言い訳にもならない言い訳をさせてもらうなら、いつまでも頭の中で引きずり続けている理由は、単純に「大好き!」という以外に、大きく分けて2つある。
 
 まず第一に、英語がよく分からないこと。第1シリーズを日本語吹き替えで観た時だって一度で全部を把握し切れなかったくらいなのに、それが英語オンリーとあっては、一回目はストーリーの展開についていくのがやっと。英語力不足を補うために、あれこれ想像して脳内補完することも多い。当然、細かい伏線やら小ネタを拾う余裕はまったくなくて、それどころか、2回観てようやく合点がいったり意味がとれたりすることもしばし。うう、情けない。
 
 もう一つの、そして最大の理由は、"A Scandal in Belgravia" のラストシーンをどう解釈していいのか掴みかねていること。正確には、初めて観た時には何の迷いもなく「うわああああ、すげえええええ」と、痺れるほど感動したのだが、いわゆる2ちゃんねるのネタバレスレ(?)を読んでみると、あのラストを私と同じように解釈している人はいないではないか。

 うっっっっ。
 
 という訳で、ここから先の文章は、ラストシーンの内容をほのめかしています。これから観ようと思っている人は、ここで止めておいてください。
 
 


 
 いいですか? では先を続けます。

 
 「え、私の勘違いだった? いやいや、そんなはずはない」と思ってもう一回観てみると、私の勘違い、というか考え過ぎの可能性も否定し切れない、気もする。2ちゃんねるの解釈は「観たまんま」なので間違いということはないんだが、いやいやいや、あれはあくまで元旦のゴールデンタイムに放送する都合上、家族で観ていて親が子供から聞かれた時に「めでたしめでたし」と答えられる余地を残しておいただけのことであって、大人の解釈としては「観たまんま」をそっくりそのままドラマ内事実として受け取ってはダメでしょう、だってそれじゃあまりに突拍子も現実味もなくて強引すぎるでしょう、そうじゃなくてあれは絶対「アウル・クリーク橋の一事件」(by アンブローズ・ビアス)でしょう、もっとも私としては短編小説じゃなくてロベール・アンリコ監督の短編映画「ふくろうの河」のほうが馴染みがあるけどさあああああっ。
 
 しかし。賛同者がいないってことは、やっぱり私一人の勘違いなのだろうか。勘違いして、「な、なんて鬼畜な脚本なんだ」と震え上がった私は、真性の大バカ者なのだろうか。

 実際、このドラマに限らず、うっかりトンデモ解釈することは私の場合よくある。でも、今回はどう考えてもそのほうが筋が通ると思うんだけどなあ(←まだ言い張ってる)。
 
 残る Episode 2と3、こんな調子で大丈夫かしらん。