私にも ありました~。母への思い。多分、私が ママたちへの活動をしている 原点かな

私は、小学校一年生のときの記憶が たくさん 残っています。
多分、初めてのことが 多かったからだと思うんだけど。
それに まつわる 母との会話も 多く記憶しています。
たとえばね~。
学校で 漢字を習うのが 待ちきれなくて、いろんな 図形(ともいえない ぐちゃぐちゃ)を書いては、
「ねえ、こんな 漢字ある?」と 何度も 見せに行き、まともに 話を聞いてもらえなかったこととか。
(今 思えば、洗濯物を 取り込むのに、忙しかったのね。)
展示された 写生会の絵を 見に行ったら、
「この電車。まるで さつまいもみたい。○○ちゃんみたいに、細く書けば よかったのに。」
と ただただ ダメ出しを されたこと。
悲しいともいえず、ぼーっと してしまいました。
(今思えば、私は 一番上の子で 力が入りすぎてただけなのね。)
学習発表会で、みんなで 合奏をしたときのこと。私は オルガン担当でした。
「両手で弾けるよ!」って言うのが 気恥ずかしくて、片手で弾いていました。。
家に帰って来て 開口一番 母が「なんで 両手で弾かないの。弾けるでしょう。」
ただ「がんばったね」という言葉を 期待していたので、また ぼーっと してしまいました。
(今思えば、せっかく ピアノを習っているのだから、という 気持ちが あったのね)。
書きながら思い出して、うるうる きてしまいました。
何十年たっても、まだ 心が 反応するんですね。今年、40歳なんですけどね~
私が これらのことを 思い出すとき、2つのことを 思います。
まず、母は 悪気はなかったということ。
ただ「話の聞き方」を 知らなかった、それだけだったんですね。
よく思い出せば、愛情を たくさん かけてもらっていました。
それから、私が 感情に 蓋をしていたということ。
コーチングを学んだおかげで、今でこそ、気持ちを 感じたり、口に出したりするのは フツウにできますが、
一年生のとき すでに、十分に 悲しんだり、気持ちを 言ったりするのが できませんでした。
あのとき「ママ、悲しい」と 言えていたら、どんなに 楽だっただろうと 思います。
だから、私は 「話の聴き方」「心の声を聴くこと」を 伝えたい。
今日は、水戸市の私立河和田幼稚園の 家庭教育学級で ワークショップをしてきます。
本を読むだけでは 味わえない「体験」を たくさんしてほしいな~と 思ってます。
テーマは「聞く」です。楽しみだな~
