先日、冬至の日からめずらしく風邪をひきまして、木曜はひどい吐き気と頭痛にみまわれ、金曜日もまだ絶食していましたので、予告なく雑貨屋さんの出展をお休みさせていただき、お詫び申し上げます。
ついに胃腸風邪かと思いきや、ただの食あたりのようでして、昨夜から徐々に復活してきました
年末と言えば、いろんな所で「第九」のメロディーを耳にするようになります。
昨夜、ベートーヴェンと、ピアニストの仲道郁代さん好きな娘が、録画していた、「ザ・プロファイラー」という番組を私も一緒に見ました。
ベートーヴェンの音楽には、200年たった今なお、私たちの魂を揺さぶる感動を与えてくれる何かがあります。
その番組では、仲道さんがその秘密についてわかりやすく弾き語りをして下さっていました。
ベートーヴェンは、当時の音楽家としては、革命的な変化を起こした人でした。例えば、髪型ひとつにしても、バッハやモーツァルトなどはみなきれいな「かつら」をつけて公の場に出て、肖像画もあの整った巻き毛は「かつら」だったそうです!
ベートーベンのあのくしゃくしゃな髪型は自分の毛であり、音楽についても、それまでは、宮廷の貴族たちにうけのよい、聴き心地よい軽やかな長調の曲想だったので、お茶を飲みながらのバックミュージックにもなりえる感じだったのが、ベートーヴェンの音楽では、ピアノソナタ第1番において、いきなり当時もっとも好まれていなかった、へ短調で始まっているあたりは、挑戦状を投げつけたイメージだったそうです。
まさに、「そこのあなた、100%で私の音楽を聴きなさい!」と言っているような、心をわしづかみされるような音楽であったのです。
そして、有名なことでは、耳が聴こえなくなるという音楽家にとっては致命的ともいえる苦悩をかかえ、遺書まで書き、死ぬ直前のどん底まで落ちた時に見えたものが、音楽を芸術として完成させるという使命でした。
芸術が自分の命を生かしたという偉大な音楽家です。
そして、それまで宮廷貴族だけのの楽しみであった音楽を、庶民にも広げようという革命的なことをしたのもベートーヴェンでした。
苦悩の中で晩年に作られた、交響曲第9番、いわゆる「第九」には、それまでは考えられもしなかった、多数のオーケストラと大合唱を組み合わせた壮大なスケールで、今まで誰も聴いたことのない大きな音(パワフルな音)をすべての人々へ届けたいという願いがこめられていました。
当時、初演を前にして、オーケストラや大合唱団の募集を、新聞広告にも載せて広く一般庶民からも集めたということでした。
シラーの詩、「歓喜によせて」を、誰もが平等であり、人類愛を唄いあげる詩にアレンジしたものであり、「人々はみな兄弟となる」というベートーヴェンのメッセージがこめられています。
そこには、たくさんの人々を勇気づけたいということと、音楽とは、言語が違っても伝わる最強の言葉、芸術であるということを、不滅の交響曲第9番で、私たちに伝えてくれています。
その「第九」の初演があった3年後、1827年3月26日にベート^ヴェンは56才で生涯を終えました。
第九の初演から190年になろうとする今なお、世界中で第九のコンサートが開催されているという、不滅の交響曲第9番。
ぜひ、私もコンサートでいつか聴きに行きたいです。
私の以前お隣に住んでいらした、今では年賀状だけのお付き合いの方が、「第九の合唱団に参加しました」というすごくエネルギッシュな写真付き年賀状を今年はじめに送ってくれました。
やろうと思えばドイツ語の歌詞であろうが、誰でもできてしまえる事なのですね
皆さまもぜひ、年末だけとは言わずに、お聴きになってみてくださいね。
それでは、一足早いかもしれませんが、よいお年をお迎え下さいませ。
今日もここまでお読みいただき、ありがとうございます。