今回は3.11に関して書かせていただきます。
私はこれまでにも3月11日については考えや意見を求められたり、自分でまとめようとしたりしたことは何度かあります。しかし、そのたびに私の考えはこの疑問に行きつきます。私が被災地や被災者に対して、あまり強い感情を持てずにいるのはどうしてか。
たとえば変わり果てた被災地の姿に心の痛みを感じたり、被災者に対してなにかできることをしようという気持ちであったり、そういった感情がまったくないわけではないと思いますが、あまり強く意識できないのです。
これは私が心のわびしい人間だからでしょうか、もしくは被災者の状況などの深刻さを理解していないからでしょうか。または愛国心や帰属心が薄いからでしょうか。もしくは自分に正直だからでしょうか。
夏休み、被災地のボランティアに行こうと思いました。それで自分の意識が変わるかもしれない。
結局、ボランティアには行けませんでした。行きませんでした。
人の心はすごく難しいです。たまに私は、人の心は究極的には利己的なのかなと思います。ですが、真に他人のためだけに行動できる人もいると聞きます。マザー・テレサという名前ががぱっと思いつきます。
マザー・テレサがすばらしい人であったのは、やはり人はまずは利己的とみんなが考えてるからかもしれません。その上に何かがあって、他人のために心からなにかできるのかなと思います。それは他人への愛であったり、連帯感であったり、またはなにかしらの責任感であったりでしょうか。
私は自分はすごく利己的だなと思います。ずっとそう思っています。そんな自分がきらいなわけではありません。ただ、そんな自分でも心から誰かのために何かできるならば、それはすばらしいと思います。
ハーバード生は自分というものを強く見つめていると聞きました。自分はどういう人間で何が好きで、何が嫌いで、ということです。そんなハーバード生たちは、この3.11についてどうゆうふうに考えているのでしょう。また彼らは、3.11が自国で起こったとしたら、どう感じていたのでしょう。ぜひ知りたいと思います。
3.11からの復興はまだすぐには終わらないと聞きます。いつか気づいた時には、被災地でボランティアしてたり、東北復興に少しでも協力してる自分がいたなら、それはやっぱりすばらしいことだなと思います。
以上です。お読みいただきおりがとうございました。