次元を超えて

自らが意図しなくとも

必然とメッセージが日々、伝わる毎日で

覚醒のはじめの頃は

釈迦と名乗る 彷徨える魂が 釈迦となりきり、伝え翻弄された過去もありました。



ですが、



真と偽、

釈迦が誰か、では無く

釈迦という存在を生み

釈迦をあらわすそれが 何かを知った時から

人間である私は

それを釈迦という存在でいた頃を表しながら伝えていたことを学び

様々な対話をするようになりました。




はじめの頃は

たしかに、

釈迦が まるで尊いものととらえたりもありましたが


通じていくうちに

尊いものとは何か

人間が生み出したものであることを

真の釈迦の光が 重なる時、知りました。



釈迦は 光となり

粒子となり

すべてとなり

私たちに繋がるものとなったことを

過去の過去、釈迦の誕生の瞬間から繋がり

知らされました。




宗教やエネルギーを用いる方が 覚醒を経て

自らを神と名乗るのも その繋がりがあるのです。




私は 今も尚、人間であるため

釈迦という存在をとらえながら

時々、対話をします。




疲れ果てたときには

彼という存在が 私へ

天上天下唯我独尊、と 呟きを与え

人間であるが故の学び そして 虚しさを教え

今を生きなければならない苦悩と共に

そこに 未来を生む意味があることを知らせに来ます。





時空の歪みが 酷くなり

歪みを受け止め

歪みながらも 存続するこの地球であることを

釈迦たちは 口々に言うような感覚で

光を放っています。




私の覚醒の頃から知って下さっている方々は、

ある意味、変わった、進化した、と感じられたかもしれません。




それは

私自身も気づかぬまま、

人間として 皆さまと出会いながら

私という存在での解釈も混ざってしまう時期を経て

今は

私という人間としての学びから
お伝えしたものではなく

すべての無と通じ 

釈迦の経緯と同じく

あらゆる次元を通じた無から

お伝えさせていただくようになったから
かもしれません。




哀しいことに、そこに証明や資格など

皆さまに明言させていただけるものは
何も無いのですが


それが 真実です。






変なお話になりますが、

すべてをとらえながら

人間で生きることは

ある意味、生き地獄でもあります。




手に触れるもの すべては

その流れを知らせ 終わりを見せ

願う輝きを求めます。


すれ違い出逢うすべては

過去世のしがらみを 走馬灯のように知らせ

覆したい思いを

嘆きの悲鳴と共に すがり叫びます。




頭を掻き毟り この生を終わらせたくなることは

毎日 毎時間 起こります。

  




涙を流すことすら 虚しくなることも。




その度に

そんな過去を経た 釈迦をはじめ

様々な学びを求めた菩薩や明王の光が

まわりを囲み

常に、囁きます。




世界に生き 世界を見よ、と。






すべてが繋がる この宇宙にいる私たちは

個々で存在しているようで

個々ではないのです。





私たちは、願望が生まれ

運気を良くするために、とか

厄よけに、とか

呪いを解く 、とか

しがらみを乗り越える、とか 

様々な願いを実現へと願い

悩み苦しみながらも

未来を生んでいます。



個々という存在を認識する私たちの時代だからこそ、

生まれた道でもありますが


それらは すべて

ひとつ、という真の意味を見出す道でもあるのです。





これまで、私を見つけて下さった方に 

「あったら良いな、を創る未来を願う道を」と

お話させていただいたことがありますが

その真意は

無の始まりに通じ

無の行く末に通じているのです。



無 とは 無限であり

限りなど無い世界であるため


何も無い世界が

限りあるもの、とは何かを求め

生まれたのが  

この 現世でもあります。




終わりを迎え

だけれど 終わりを受け止める光は見いだせず

再び、新たなる希望と共に

再生をし

「叶える」とは何かを求める。




これは、源である 無が

様々な粒子を生み

様々な変化を知り

その行く末を

あらゆるもので見出そうとしている 道から生まれた

今があるからなのです。




今年の2月過ぎてから

彷徨える魂たちも

まるで 人間として存在しているかのような時空となり

私たち 人間にとって

摩訶不思議な事件や奇跡が起こるように なりました。




絶望の闇と思えば、取り返すことの出来ない闇。

光の道の前の暗闇と思えば 奇跡を生む道。



人間の思い次第で

如何様にも 未来が生める時代となったことも
真実です。







もし、あなたが

何かで 心潰されそうな悩みに襲われそうになりましたら

「どんな幸せを願うのか」

過去世 同じ悩みで終えた あなたが、
そして
未来を輝かせたいと願うあなたが

今のあなたに 問いかけてきていると 思ってみてください。


八方ふさがりや 四面楚歌になるような感覚を覚えましたら


少し前のあなたが、

そうなったらどうしよう、と 不安を描いたことを
思い出してください。





この時期、小さな出来事から

大きな失望を生んでみよう、というような

様々な闇が 歪んだ協力とは気づけず
力を果たそうと 現れだします。





ほんの小さな不安が生まれたときは、

幸せの未来を願うからこそ、生まれた闇であることを思い出し

不安をも乗り越えた 幸あふれる未来を思い描いてみてください。






釈迦という存在のメッセージを

本当は ダイレクトにお伝えしようとしておりましたが、

釈迦の言葉は

時に、

その言葉を聞いて 満足、と終えてしまう方々が増えているようで

釈迦のメッセージを、と載せようとしたら

我が道の言葉は 過去のもの、
今のものへは そなたから、と

頭を光の筋でつつかれましたので

彼の思いを 今の私と共に

伝えさせていただきました。





彼、といっても

釈迦は

あなたの心の光の一部です。


あなたの眠る思いを

私を通じて

この場をお借りして

お伝えさせていただいているのが真実です。









モヤモヤしたことがありましたら、

ひっくり返して

幸せになりたい思いがあったことを 思い出し

幸あふれる未来が生まれたイメージを。






未来を輝かせる。

どんな結末でも、

あなたが あなた自身で その道を選べた喜びを見出せる未来を。





それが、源も願う 未来の輝きなのです。











紅葉