トルツメの蜃気楼/登場人物について② | クレハズム

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松澤くれは公式ブログ。

『トルツメの蜃気楼』

登場人物についての、続き。

 

[アイドルユニット・にゃんにゃん☆しゅばびあんはーる]

 

■芳子(アリス)/氏家綾乃

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本作の元になった『アイドル・イン・アンダーグラウンド』という未発表作品がある。

24歳くらいの、ちょうど前記事、横井ユリのところで触れた時期に書いた。公演のあてもなくお蔵入りしていた。アリスもあいりんもその時に生まれた。

 

己を客観視できず、需要のないキャラクターを演じてしまう「痛さ」。

自分が伸ばせる長所や魅力より前に「自分は○○をしたい!」が優先されてしまう彼女たちには、コンセプトや一貫性が欠けている。受け手にどう思われたいか、何を売りにしたいのかがなければ、何者にもなれやしない。

 

「キャラ」というのは人に必要とされる魅力のこと。

魅力のない「キャラ」は、キャラじゃなくて「そういう設定」に過ぎない。

 

誰ともカブらない、それでいて分かりやすく魅力的な「キャラ」を模索し続けなければ、生き残れない世界。つらいと思う。心がすり減ってしまうと思う。そうまでして、そこにいなきゃいけないのかとも思う。

 

大切なのは、何を最期に大切にするかだ。

1を守り抜くことができれば、99を妥協してもいい。魂を売ってもいい。

 

「なりたいんじゃなくて、私たちはアイアムアイドル。30で売れなければ40、40で売れなければ50。その間に一人でも応援してくれる人が増えればいい。その人はもうファミリーです。やめる?諦める?……できない。だって私、家族とは死ぬまで一緒にいたいから。死ぬまでアイドルでいたいから」

 

アリスを夢見て、不思議の穴に迷いこんだ彼女。

ファンが何人いたかは定かじゃない。

だけど必要とした人間は確実に一人いた。

 

夢と人生を、完膚なきまでに他者に破壊されたって。

きっと、病室を訪れたあいりんに笑顔を向けるのだろう。

 

大切なのは結果じゃない。

どう生きるか。どう、生きたか。

 

 

 

■愛梨(あいりん)/はるはる 

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企画書の人物紹介欄にはこう書かれている。

「巨躯で無口な仏頂面。処刑器具【アイアンメイデン】に酷似。」

 

やる気と実力の不一致、キャラの迷走、敬語の使えなさ、突然の奇声。…等々。一見して「ああ売れないなあ」と分かるインパクト。

 

芸能界という物差しで見たら、彼女は無価値に違いない。

 

けれど心はある。

売れてなくて、何者でもないかもしれないけど、毎日生きて、生活して、人生のある、​大人だ。

 

その心まで蹂躙する権利は、誰にもない。

 

夢を追うことは美しいと世間は言う。

一方でいつまで夢見てると罵られる。

 

アリスに憧れて、すべてが中途半端で、どうしようもないかもしれない。

それでも言葉を生み出せる。

受け売りでも言葉を紡ぐことができる。

 

人を想う気持ちに懸けてみたっていいじゃないか。人間だもの。心があるもの。

 

 

 

 

[芸能プロダクション・アクトレスアーカム]

 

■杉本(マネージャー)/黒沢佳奈

 

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いろんな人がいた。

お世話になった方がいた。

お金を持って逃げた方がいた。

処世術を教えてくれた人がいた。

業界から消すよと脅してきた人がいた。

いいもの作ろうと励ましてくれた人がいた。

 

嘘をつかれたり、裏切られたり。

そこまでするかって目にもあった。借金漬けにされて自死を考えた。


杉本は、僕の心を折った人間がモデルだ。

若かった僕に、地獄を見せてくれた人だ。


彼女の言うことは正論だろう。

これを「つまらない」と切って捨てる方がつまらない。

その世界に行きたいなら、その論理から逃げちゃダメだ。

 

彼女に勝つにはどうすればいいのか。

考え続けるしかない。考えて、実行し、結果をみせるしかない。

 

そして騙されてほしくない。

その正論の「定規」は誰が持っているのか。杉本じゃないか。

いつだって価値基準を決めるのは、あちら側だ。

 

表現を、演劇を愛して、志をつよく持った若い人が。ズタズタのボロ雑巾になることだって全然ある。全然あるよ。

 

そんな経験はしなくていい。

強者の論理に対抗するための、確固たる「個」を築いてほしい。

 

どんな目にあっても。心が折れても。

人生は続いて、それでも生きてゆく。


自分と、大切な人を守れるつよさを。

 


 

[回想・富山県立滑山高等学校]

 

■アヤ/濱崎愛子

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今作の抽象概念(シャドー)。

ユリの後ろに重くのしかかる、死んでしまった同級生。

来場したお客様だけに見える霊にしたくて、演じた濱崎愛子さんは稽古場写真にすら滅多に写っていない。それくらい徹底した。

 

名前の由来は「クレハとアヤハの織姫伝説」から。

つまり、僕のシャドーにあたる。

 

「忌々しい立山!このまま一生ずっと、あの山を越えていけないとか、あれがずっと邪魔して閉じ込めてくるって思ったら、きれいなんて思えない。あの向こうには何でもある。こっちにいたら何もはじまんない。」

 

過去作『赤鬼-レッドパージ立山-』からのセルフオマージュ。

かつてのヒロイン「佐伯さん」と同様の切迫感を、アヤに託した。

 

「立山山脈が自分たちを閉じ込めている」

富山の片田舎で、閉塞感を抱きながら思春期を過ごした人間特有の感覚。

 

今ほどネット情報も充実していなかった時代。

富山には娯楽も楽しみも何もなくて、東京にいけば何でもあると思ってた。

 

けどね。東京に来たら気づくんだ。

「何でもあるかもしれないけど、何でも手に入るわけじゃない」って。

 

本当に大切なものはすぐそばにある。

アヤにとってのユリは青い鳥。その羽を借りて、アヤは飛ぼうとした。

 

離れられないから。一緒に飛躍したいから。

「私のアイドル」を本物のアイドルにしようと。

冷たい都会で、独り、じっと傷つきつづけた。

 

ユリとアヤ。

二人で、一人。

一は全。それがすべて。世界のすべて。

 

 

僕は富山が好きだ。故郷を愛してる。

 

新幹線が開通して、立山には穴が開いた。

もう閉塞感を抱く子どもたちはいないかもしれない。

 

故郷も刻一刻と変化する。

時間を止めていたら何もはじまらない。

 

分かってる。だからもう一度、もう一度だけ振り返る。

 

あの頃はどうだったろう。

神通川の川べりに座って、立山連峰を眺めたとき。

 

覚えているのは。

虚しすぎるほど澄んだ青空と、隣で笑う悠理の横顔。

 

 

二人で並んだ、あれから10年。

 

 

 

一人でのぞむ、せかいの色。

 

 

 

 











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トルツメの、蜃気楼。
2016.11.03-13