『トルツメの蜃気楼』
登場人物についての、続き。
[アイドルユニット・にゃんにゃん☆しゅばびあんはーる]
■芳子(アリス)/氏家綾乃
本作の元になった『アイドル・イン・アンダーグラウンド』という未発表作品がある。
24歳くらいの、ちょうど前記事、横井ユリのところで触れた時期に書いた。公演のあてもなくお蔵入りしていた。アリスもあいりんもその時に生まれた。
己を客観視できず、需要のないキャラクターを演じてしまう「痛さ」。
自分が伸ばせる長所や魅力より前に「自分は○○をしたい!」が優先されてしまう彼女たちには、コンセプトや一貫性が欠けている。受け手にどう思われたいか、何を売りにしたいのかがなければ、何者にもなれやしない。
「キャラ」というのは人に必要とされる魅力のこと。
魅力のない「キャラ」は、キャラじゃなくて「そういう設定」に過ぎない。
誰ともカブらない、それでいて分かりやすく魅力的な「キャラ」を模索し続けなければ、生き残れない世界。つらいと思う。心がすり減ってしまうと思う。そうまでして、そこにいなきゃいけないのかとも思う。
大切なのは、何を最期に大切にするかだ。
1を守り抜くことができれば、99を妥協してもいい。魂を売ってもいい。
「なりたいんじゃなくて、私たちはアイアムアイドル。30で売れなければ40、40で売れなければ50。その間に一人でも応援してくれる人が増えればいい。その人はもうファミリーです。やめる?諦める?……できない。だって私、家族とは死ぬまで一緒にいたいから。死ぬまでアイドルでいたいから」
アリスを夢見て、不思議の穴に迷いこんだ彼女。
ファンが何人いたかは定かじゃない。
だけど必要とした人間は確実に一人いた。
夢と人生を、完膚なきまでに他者に破壊されたって。
きっと、病室を訪れたあいりんに笑顔を向けるのだろう。
大切なのは結果じゃない。
どう生きるか。どう、生きたか。
■愛梨(あいりん)/はるはる
企画書の人物紹介欄にはこう書かれている。
「巨躯で無口な仏頂面。処刑器具【アイアンメイデン】に酷似。」
やる気と実力の不一致、キャラの迷走、敬語の使えなさ、突然の奇声。…等々。一見して「ああ売れないなあ」と分かるインパクト。
芸能界という物差しで見たら、彼女は無価値に違いない。
けれど心はある。
売れてなくて、何者でもないかもしれないけど、毎日生きて、生活して、人生のある、大人だ。
その心まで蹂躙する権利は、誰にもない。
夢を追うことは美しいと世間は言う。
一方でいつまで夢見てると罵られる。
アリスに憧れて、すべてが中途半端で、どうしようもないかもしれない。
それでも言葉を生み出せる。
受け売りでも言葉を紡ぐことができる。
人を想う気持ちに懸けてみたっていいじゃないか。人間だもの。心があるもの。
[芸能プロダクション・アクトレスアーカム]
■杉本(マネージャー)/黒沢佳奈
いろんな人がいた。
お世話になった方がいた。
お金を持って逃げた方がいた。
処世術を教えてくれた人がいた。
業界から消すよと脅してきた人がいた。
いいもの作ろうと励ましてくれた人がいた。
嘘をつかれたり、裏切られたり。
そこまでするかって目にもあった。借金漬けにされて自死を考えた。
杉本は、僕の心を折った人間がモデルだ。
若かった僕に、地獄を見せてくれた人だ。
彼女の言うことは正論だろう。
これを「つまらない」と切って捨てる方がつまらない。
その世界に行きたいなら、その論理から逃げちゃダメだ。
彼女に勝つにはどうすればいいのか。
考え続けるしかない。考えて、実行し、結果をみせるしかない。
そして騙されてほしくない。
その正論の「定規」は誰が持っているのか。杉本じゃないか。
いつだって価値基準を決めるのは、あちら側だ。
表現を、演劇を愛して、志をつよく持った若い人が。ズタズタのボロ雑巾になることだって全然ある。全然あるよ。
そんな経験はしなくていい。
強者の論理に対抗するための、確固たる「個」を築いてほしい。
どんな目にあっても。心が折れても。
人生は続いて、それでも生きてゆく。
自分と、大切な人を守れるつよさを。
[回想・富山県立滑山高等学校]
■アヤ/濱崎愛子
今作の抽象概念(シャドー)。
ユリの後ろに重くのしかかる、死んでしまった同級生。
来場したお客様だけに見える霊にしたくて、演じた濱崎愛子さんは稽古場写真にすら滅多に写っていない。それくらい徹底した。
名前の由来は「クレハとアヤハの織姫伝説」から。
つまり、僕のシャドーにあたる。
「忌々しい立山!このまま一生ずっと、あの山を越えていけないとか、あれがずっと邪魔して閉じ込めてくるって思ったら、きれいなんて思えない。あの向こうには何でもある。こっちにいたら何もはじまんない。」
過去作『赤鬼-レッドパージ立山-』からのセルフオマージュ。
かつてのヒロイン「佐伯さん」と同様の切迫感を、アヤに託した。
「立山山脈が自分たちを閉じ込めている」
富山の片田舎で、閉塞感を抱きながら思春期を過ごした人間特有の感覚。
今ほどネット情報も充実していなかった時代。
富山には娯楽も楽しみも何もなくて、東京にいけば何でもあると思ってた。
けどね。東京に来たら気づくんだ。
「何でもあるかもしれないけど、何でも手に入るわけじゃない」って。
本当に大切なものはすぐそばにある。
アヤにとってのユリは青い鳥。その羽を借りて、アヤは飛ぼうとした。
離れられないから。一緒に飛躍したいから。
「私のアイドル」を本物のアイドルにしようと。
冷たい都会で、独り、じっと傷つきつづけた。
ユリとアヤ。
二人で、一人。
一は全。それがすべて。世界のすべて。
僕は富山が好きだ。故郷を愛してる。
新幹線が開通して、立山には穴が開いた。
もう閉塞感を抱く子どもたちはいないかもしれない。
故郷も刻一刻と変化する。
時間を止めていたら何もはじまらない。
分かってる。だからもう一度、もう一度だけ振り返る。
あの頃はどうだったろう。
神通川の川べりに座って、立山連峰を眺めたとき。
覚えているのは。
虚しすぎるほど澄んだ青空と、隣で笑う悠理の横顔。
二人で並んだ、あれから10年。
一人でのぞむ、せかいの色。
トルツメの、蜃気楼。