ハワイに名を残した日本人― Tetsuo Harano トンネル | 南国ハワイで頑張る母の日常 ~ えい、えいっ、オー!

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ハワイ親子留学サイトの編集長さんに励まされブログ始めました。
「憧れのハワイでの子育てについて…」ですが、
子育てに、家事に、仕事に、駈けずり回って1日はあっという間。
それでも、ため息をついた時に見上げた青空に、山々にかかる虹に励まされ頑張っています。


今日は仕事でカネオヘMCKB(海兵隊基地)へ。

仕事場からだとH3に乗って20分。


H3は軍に便をはかってか、パールハーバー

とカネオヘのマリン・コープ(海兵隊基地)を結んでいる。


H3マミーが大好きなドライブ

緑ぶかく、切り立った山々が迫り、遠浅の美しい海が遠くに広がる。


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ここで、トンネルについている、日本人の名前を目にする。

“Tetsuo Harano”


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これには面白いエピソードがある。


このかた、ハラノさんは長年(52年間)陸運局に勤め、

34年の歳月を経て1994年に完成したH3の建設に多大に貢献した方である。


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                        (写真はStar Bulletinより)

面白いのはここから。


完成時にハラノさんの貢献に敬して、Tetsuo Harano Tunnelと名づけられた、このトンネル、

2001年に前知事カイエタノ氏が、どこかからプレッシャーがあったのか、


彼 「本当に貢献度が高かったのは、当時の知事のジョン・バーンズ氏だと思うので、

   トンネルの名前変えちゃいます。」

と言って、以来このトンネルはJohn A.Burns Tunnel と書き換えられた。



そこで怒っちゃった人が、10,000人もいて、署名が集まった。

そして、2002年に就任した現知事リングル氏公約として、

名前をTetsuo Harano Tunnelにもどした。



そして、お金がなかったのか、その下ろされた看板が

再びTetsuo Harano Tunnel に張り替えられるまで、

4年もかかり、2006年に晴れて正式な看板が取り付けられた。


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                       カイエタノ前ハワイ州知事

この看板の取りはずし、取り付けには約$45,000がかかってるお金

(こんなことにお金使ってないで、学校を週5日に戻しなさい!)



最初の名前をこき下ろして、またこき下ろされたバーンズ氏も、

権限を利用して、後から物申して人民の怒りをかっちゃったカイエタノ氏も、


格好悪いったらないんだけど、偉くなって権力がある人は、

大抵、面の皮も厚いので、めげてないんだろうな~。



ちなみにバーンズさんの名前はアロハスタジアム入口にも、

ハワイ大学の医学部にも“John A. Burns School of Medicine”として、

その名を既に残している。


こういうのって、クセになっちゃうのかしらね~。。。