ここバンクーバでも、ダウンタンのバンクーバー美術館の前で、
実施されたそうです。
昨日は、Laniヒプノのクラスが、ありました。
インナーチャイルドの実施をしましたが、やる側になるのは、初めてでした。
受けるのも、昨年の年末から、立て続けに、3回程うけていますが、
何回受けても、恐怖感はともないます。
優しいLani ヒプノだからこそ、その恐怖感に立ち向かって行けるし、
インナーチャイルドヒーリングに、成功してると思います。
昨日のインナーチャイルドでは、「自分自身に、絶対に正直なる」って思いました。
特に、実地後は「これ以上自分を傷つける。これ以上、偽りの自分で生きるのは、嫌だ」
って、心底思いました。
そうすると、「お試し」(私、成長してないな。。。と思うとき思い出すこと)
が、しっかりやってきます。
昨晩、些細な事から、夫婦喧嘩に発展しました。
以前は「これを言うと、相手が傷つくから、我慢しよう」
「相手を傷つけるのが、すごく嫌だ」
と言う、理由から「自分がしなくては、いけない事」から逃げていました。
相手を傷つけたくない。というのは、聞こえはすごくいいですが、
立派なエゴの言葉でして、
「自分の感情を感じるのが嫌」ということが、本当の自分の気持ちでした。

私は、相手がどう思うか、相手の感情に責任を、持つ必要がありません。
むしろ、相手の感情なんて、
「「相手が、言葉で伝えてくれない限り、私にはわからないもの」
なのです。
相手の感情よりも、自分の感情に焦点を当てる事を、私はしなければなりません。
私の感情を、私自身が、感じて、理解して、癒してあげなければ、
誰が、この感情を癒すのでしょうか?
私は、私の感情を感じる責任があります。
昨日は、思う存分、怒りの感情を味わいました。
怒りというのは、そう長く続くものでもなく、
充分に怒ると、それで、満足するというか、疲れてくるというか、飽きてくるというか。。
問題は、その後の感情を、感じる事です。
私は、いつも、その後の感情を感じる事を、避けてきました。
昨日は、
なぜ、その言葉に対して、敏感に反応したのか?
心に正直になって、感じました。
本当の感情は「怒り」ではなく「悲しみ」からきていました。
相手が、どんな感情で言ったのは、私の考える事ではありません。
それが、気になるのなら、相手に聞けば良い事です。
事実は、私は、その言葉を自分の耳から聞いて、心が痛んで、悲しんだ事。
心の痛みを、思う存分感じて、自分に優しい言葉を何度もかけました。

悲しいとか、辛いとかナドの、心の痛みを感じるのは、
呼吸ができない程苦しくて、胸に、何回もナイフで突き刺される程の痛みが感じられます。
でも、その痛みを何十年も、感じる代わりに、心に封印していくと、
自分の感情が麻痺してしまって、何も感じる事ができません。
トイレに行きたい。とは、感じる事ができても(生理現象のため)、
「お腹がすいた」という事は、感じる事ができてませんでした。
これは、生命危機なのに、気がつかない。って事と同じ事です。
私は、長い長い間、生命の危機を感じながら、気がつかない状態でした。
昨日やってもらった、インナーチャイルドから、生命の危機感に気がつかせてもらい、
その状態から、脱出しはじめています。
とても優しい「laniヒプノセラピー」と、長いブログを読んで下さった
皆様に、感謝の気持ちをこめて。
それでは、良い一日をお過ごしください。