今回の記事は、大人と子ども共通の内容です。

 

私達、親族がみな気をつけて過ごしていることの一つが、

 

「シンプルを心がける」

 

です。私たちの頭の中、脳内はとても多動でちょっと考え出すと、刺激するとドーっと脳内多動が始まります。それこそ一日中、何かを考え、思い、ぼやき、失望し、悩み、喜び、ジェットコースターのように、それこそ毎日が走馬灯のようにあれこれと、過去のことも今の事も、未来の不安もずーっとつけっぱなしのテレビのように感情や記憶、情報が流れつつ出ることもあります。

 

大人しい人も、活発な人も、脳内の忙しさはだれしも自覚するところです。

 

そんな人間が、全くの自然体で何にも工夫をせず、現実世界でひょうひょうと、スマートに、物事をきっちりと、落ち着いて実行できるはずがありません。小さいころから学んできた、自分に必要な工夫やノウハウを使ってやっとこさ、この膨大な奔流の脳内を押しとどめつつ、現実の世界でそこそこやっていけるようにしているだけです。

 

それも慣れてくれば、パターン化や繰り返しが得意な人間が多いので、いつの間にか安定した、穏やかな日々を手に入れられているように思います。

 

それまでにやらないといけないこと、必要なことの一つ、「シンプルを心がける」というこの知恵を、どこに使うか、という話を一つ、具体的にしていきます。

 

使いどころは、「自分の用事の管理」です。

 

子供はこの、「自分の用事の管理」に七転八倒します。宿題は親の手助けを得て、やっとこさできる状態ですし、学校の準備や予定をこなしながら、自分のしたいことや、習い事や塾を入れて生活していくのは毎日がチャレンジです。

 

自分の能力で、かつ成長なかばの変化の時期に、どう対応できるかのお試しと、体調の変化や気候の影響、対人関係の疲れなど突発的な事での影響に振り回されながらの試行錯誤です。そこには完璧に達成できる結果よりも不完全で未消化だったり、簡単にできることより難しいことが多いですし、スムーズであるよりは四苦八苦することが多いでしょう。それが子供の成長に伴う試練です。

 

大人の場合はどうかというと、家族がいれば、家庭と仕事、自分の特性、子供や夫との人間関係、学校や子供の学習関係などの多くの事項を考えて、やりくりしていくことになります。

 

能力的に自分はできるつもりでやるけれど、実際にはできないことの方が多いです。自分に失望するぐらい、結果が悪くなることもあります。それというのも、現実というのは計画的には進まず、「突発的なことが急にやってくる」ものだからです。上手くいきそうなのに、突然ある用事が入って来た、子供が入院した、夫が転勤になった、学校でトラブルが起こった、自分の体調が絶不調になってきた、など予期しないような出来事がこちらに向かってくるのが人生です。

 

ですので、そうした「現実」をしっかりと理解し、それに対応できるノウハウでなければ意味がありません。そこから考えていくのです。話を戻します。

 

「できるだけシンプルを心がける」のは、まず、自分の1日のスケジューリングからやっています。混乱期にありピリピリしていたり、もう駄目だと泣き始めた子どもや大人がいれば、まず声をかけて「シンプルにもどる」ように、思い出させることをします。

 

私達は、気を抜くと、「自分の特性に戻っていく」という性質があります。

 

癇癪もちだった経歴の人間は、気を抜くと色んな事に刺激されてイライラし、不満や怒りをためて「自分が見えなくなる」状態になったり、先のことを考えることが苦手な人間は、すぐに「今、この時間だけ、点で過ごす」ようになっていきます。でも、それでは特に大人は仕事をこなしていけません。社会生活が成り立ちません。

 

ですので、「シンプルのスタンスにもどる」ように声掛けをします。最初に伝えるのは・・・

 

一日に達成できることは、今までに平均してどれぐらいだったか?

 

ということです。まずは、その分析からはじめます。イライラしている人も、ぼーっと停滞してしまって仕事が山積みで首が回らなくなった人も、あれやこれやの用事を管理できず混乱して途方にくれている人も、まず

 

「今までの過去に、自分は、実際に、どれだけの事ができただろうか。どれだけの目標を達成しただろうか」

 

ということを考えます。大げさなことではなく、小さいことです。

 

例えば、

 

「私はたいてい、掃除はできない。1週間に、余裕があれば1回ぐらいは全部の部屋を掃除機がかけられるけど、それがせいいっぱい。

 

仕事をして、帰宅して、家族の食事を作るのがなんとかできているギリギリのライン。

 

余裕があれば、シャワーではなく湯船につかれるけど、それもおっくうで、10分ぐらいのシャワーですませてしまう。

 

子供の宿題も見られない。勉強が追いついていないことは知っているけど、平日はフォローできない。塾におまかせして、週末に少しフォローしてやるぐらいしか余裕がない。

 

冬服もクリーニングに出せていないし、衣替えだってやれてない。少し服を引っ張り出して着ている状態で、同じ洋服を選択して回し使いしている。

 

これ以上の用事はもう、コントロールできない。」

 

というのが、親族のあるお母さんの自分の過去の分析でした。

 

達成していたのは、

 

・ 毎日仕事に行き、こなしている。

 

・ 家族の食事作っている。

 

・ 1週間に1回は掃除機をかけられている。

 

・ 衣替えできなくても、何とか少ない服で工夫して着まわせている。

 

・ 精神的にダウンする前に、無理なことはあきらめられている。

 

という5つのことでしょう。

 

この5つを、どう見るか、ですが、本人は「不満と不快感がいっぱいな状態」です。なぜなら、理想が高いからです。もっともっと、こうしたい、こうあればいい、こうすべきだ、という期待や希望、理想が脳内に渦巻いています。それが払しょくできないのが、現実がどうであっても、理想を常に高く持つ傾向になるこの親族の特性でもあります。

 

現実にできていることを、「できている」という風にとらえず、「できていない」と大まかにしか思っておらず、達成している、など思ってもいません。

 

ここにリストした内容を話し合っても、「できていない」という思いが強いのです。

 

ではどうするか、ですが

 

「それでは、この現実にぎりぎりのラインで『できている』ことに、さらに上乗せしてできそうなことはあるか。それは自分で十分にコントロールできそうか。例えば、家族が突然風邪で熱を出し、手がかかる状態になったり、自分の仕事でトラブルが発生して、思わぬ事態になり、電話に時間を取られたり残業したり、家でも作業が必要になった時に、マネージメントできる技能的な余裕や、精神的な余裕や、現実面での折り合いはつくのか」

 

という疑問を投げかけ、考えて行きます。

 

少し先に「あるかもしれない、来るかもしれない」突発的なことに備えるために、少し先の現実にありそうな出来事を、想像できづらい、もしも、のことを対応を考えて行動しない、そういう性質の人間が多いので、これは定型の人間であれば「ある程度予想できたこと(と、実際によく同僚や上司は言っていましたが)」として、考えたこともあり、また余裕を残しているのでもちろん、対処でき、対応できないぐらいの状態でも「切り抜けるためのアイデア」を、ポンと出せるので、私達のように崩れたり、できなくて途方に暮れてしまったりはしないことが多いのです。私達は定型のように器用に切り抜ける、それができない分、より真剣に「もしも、の時の余裕を残すこと」を考えておく方がよいのです。

 

いっぱいいっぱいの状態で、こうした「加算」する出来事を考えると、脱力するというか、もうマネージメントできない、そんなことは起こらないと考えてやるしかない(特性に戻って行き当たりばったりでやる)、という考え方にしぼんでいきます。

 

それでは何もノウハウが得られず、現実との折り合いもつけられず、メリットがありません。そのため、「そうだろう。だから、今のうちに、物事をシンプルにそぎ落としていくんだよ。今のうちに、余裕が持てる所にまで、削除できるものは削除し、自分が現実にやれるレベルをしっかりとキープしていくんだ」

 

と、ノウハウの習得に向けて考えて行くのです。

 

育児や仕事を両立している親の場合、借りられる手はかり、自分が他人の責任まで引き受けないように、子供の領分は子供に責任を取らせると割り切って、しっかりと「自分が引き受ける部分」を大風呂敷を広げず、小さい、持ち歩きができる程度の風呂敷ぐらいにしておきます。

 

先に書いた親族の場合、仕事と食事だけに「1日の目標」を置きました。食事はいつも適当に「食べられたらいい」という程度ですまし、時間をはしょった分で風呂掃除や洗濯などをしていましたが、それもやめて、洗濯は家族で持ち回り、「とにかく回しておいて。干すのだけはやれたらやるから」ということで、帰宅してから自分が家族分の洗濯を全部やる、というのをやめました。

 

子供達でも、洗濯機に服を放り込んで、洗剤を入れてスイッチを押すことはできます。子供に使いやすい手作りの手順書を作り、小さいころから学んでいれば自閉の子でも練習すればできているのです。やらせないと、学びません。親が、そこを全部引き受けて「学ぶ機会もなくす」のではなく、宿題よりも、週末にがっつりと「家事を教える」ことにしたのです。

 

炊飯器でご飯を炊くやり方。

 

掃除機のかけ方。

 

バスタブの洗い方。

 

週末に少しずつ、一つずつ家族に教えて行き、自分のい「やらないといけない」意識から手放していきます。それだけで、びっくりするぐらいに身軽に感じたそうです。

 

「やらないといけない妄想というか、おばけに背中に乗られていたぐらいの重さがあった。手放してみれば、案外、何でもなく家族は自分たちのペースでやってくれるし、家族ができなかった時に自分がやる、という程度になると、気持ちに余裕ができて負担感が少ない」

 

と、混乱と迷走していたような気分がぐっと半減したそうです。

 

そうなると、気分が上がっていきますので、他の事で効率があがります。食事に「自分が食べたい物」を考えられるようになり、ちょっと一品手間をかけて、「ああ、美味しい。」と食事中に思うようになったそうです。

 

この「ああ、美味しい。」と思える精神的な余裕こそ、人間に必要な精神の栄養です。

 

次の日の活力にもなりますし、子供が宿題ができないと切れて泣き叫んでいようと、「できる所まででいいわよ~先生から言われたら、家では四苦八苦して頑張っていました、って言ってあげるから。いつもいつも、完璧にできなくてもいいわよ。週末にお父さんかお母さんと、できなかったところをやればいいから」

 

と、連絡帳に書くか、先生に明日の朝、仕事に行く前に電話しておいてあげようか、と伝えて、子供のぎゃんぎゃん泣く刺激の強い癇癪もスルッとスルーできた、ということです。

 

 

物事をたくさん入れすぎて、それによって気分も重くなり、なぜかやらないといけないと思いこむことが膨れ上がり、パンクしそうになる私たちには、こうした「シンプルに戻る」という作業を、定期的にやっていく必要があります。

 

今回は、都会から田舎に帰省していた親族のお母さんが、テンパって親族の中で泣き出したので、大人たちでまあまあ、ゆっくり話そうね、と時間を取って振り返りと、シンプルにする整理を手伝ったのでした。

 

街に戻ってからも、忙しいながらに、手放すところは手放し、子供にも家族として相応の責任を分担してもらい、日々の勉強は塾へアウトソーシングして、何とか前よりは気分も明るく日々を過ごせているとのことです。

 

私も今現在は仕事がつまっていながら、どうしてもフォローしてあげたい身近な親族がいるので、支援に日々入っていますが、それ以外のものを「手放して」、いつもなら「やるべきこと」を見ないふりをして、緊急性はないから、と自分に言い聞かせ、最優先事項を仕事とサポートの2つだけにしぼって今を過ごしています。

 

何歳になっても、子供でも、この「シンプルに戻る」というやり方はなかなか役に立つので、今まさに使っている自分と親族のこともあり、タイムリーなので記事にしてみました。

 

何かの参考にになば幸いです。

 

 

 

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