今回のテーマは「発達障害サポートグッズ・コツ」にしてありますが、内容的には何かグッズを紹介するものではなく、コツを紹介する記事となります。

 

親の判断として、保育園や幼稚園、小学校へ入学するとき、また何か習い事をしようと決める時、日々の生活の中で「やりなさい」と指導したい時に少しは役に立つのではないかという内容です。

 

よく、「子供の特性がわからない」「子供が何を考えているかわからない」とコメントやメッセージなどに入りますが、子供は成長していく生き物ですので、毎日変化しているともいえるので、必ずしも「こうだ」という風に特性や性質、傾向というものを、長く定義したり断定したりできにくいです。

 

乳幼児期に慎重派だった子が、成長とともに恐ろしいほどおおざっぱになることなんてよくあります。成長していく中で意識する方面や能力の偏り時期が時間とともに変化しているように思うので、そのせいかと感じています。

 

そう考えると、子供のことは「わからなくて当たりまえ」なのですが、それでは子供を育てていくためのヒントが何もないのか、ということになります。

 

そのヒントは、一つは「事実の回収」や「パターンの発見」でなんとかやり過ごしていきます。

 

子供の泣き叫びなどは、特にパターンが見えやすいです。どういう時に、どういう表現方法を取っているか、泣く前に必死にしていたことは何か、泣く寸前に子供自身が「ダメだ」と悟った瞬間は何をしていたか。

 

そういうことを目撃し、親が見たものをそのまま、情報として使っていきます。

 

これはしつけをする時にも役に立ちますし、進路を考えていくときにも役に立ちます。

 

二つ目に親側で、「こうさせたい」と子供に対して思うことを、細分化してみることです。

 

今、例えばおむつをはずしたいと思ったとします。これは親の希望と、親の願うタイミングです。では、子供はどうか、という部分が「親子でおりあう、タイミングを合わせる」のに大事な部分です。

 

まず、親側の希望である「おむつをはずす」という目的を達成したいと思うならば、漠然と「おむつをはずさせたい」と希望だけを子供にぶつけても結果がついてきません。それは親のファンタジーのような世界であり、子供にとって現実的ではありません。

 

ではファンタジーではない、現実的な「おむつはずし」とはどういうことかというと、必要な作業や労力などを細分化して親側が、それを現実的にどう運ぶかを計画することです。

 

おむつをはずすには、子供が

 

・ トイレというものの存在を「わからないけど、全員がここでおしっこ、うんちをしているな」とぼんやりでも理解している

 

・ トイレに入ってからの段取りを見たり、学んだりして予習しておおよそ子供が想像できる、理解できている(DVDで見たり、親の実際にしている所を見て学んだ、など)、自分でズボンやパンツを「下げる」指の力がある、便座に座るお尻の置き所がここだと理解できている

 

・ トイレットペーパーの使用するタイミングがわかっている、その存在について知っている

 

・ トイレットペーパーをひっぱってちぎることができる

 

・ 終わったら、自分で立つことができる、パンツやズボンを引っ張ることができる

 

・ 水を流すスイッチはこれ、と理解している、その動作がなぜ必要かわかっていそうである

 

など、トイレトレーニングに関しては、これらの知識や体験、見聞きした事が少なければ少ないほど、子供は知らないことを「やって、ほらやって」と言われると「段取りがわからない・知らない」ので、とまどうか、泣いて反撃するしかなくなります。

 

この段取りがほとんど理解できていると、「自分なりにこうするのか」と自信があり、不安が少ない場合は「トイレで大小をする」という実行に移せるタイミングがきます。その時に親が背中を押してあげると、成功する感じでしょうか。

 

三つめ、この、親が何を教えたいか、やらせたいのかという「親の目的」を子供がしつけや学びとして身に着けていくには、細分化した作業の内容を、子どもに日常の中で、少しずつ教えて段階的に技能をアップしてあげる必要があります

 

例えば、指の力があれば、パンツやズボンの上げ下ろしがやりやすく抵抗感が低くなります。子供自身が力を入れるのが大変、という意識があると、そこで先にすすまなくなります。上げ下げしやすい服を選んで、子供に簡単だと感じさせるのも無駄ではないと思います。

 

作業を細分化させて、自分の子供はどこの部分で手間取りそうか、まだ作業のどこを達成できない状態か、ということを一つ目の子供の今現在の能力や傾向を知る術である「事実の回収」や「パターンの発見」と合わせて判断していきます。

 

子供が、手指の力がなく、ズボンの上げ下ろしが大変な状態で困っている発達具合の時に、「なんでトイレに行って大や小をしないの。履いたまましたらだめでしょう」と言っても、技能的にそこに達していないのであれば、作業の細分化の一部分でひっかかって「トイレで大小をする」という目的まで到達できないのです。

 

大人にとっては、あたりまえのトイレでの作業は、子供には当たり前ではありません。スノーボードをしたことのない人が、できて当たり前というインストラクターから「どうして、なんで」と言われても知らないものはやりようがなく、どうすれば上手く転ばずにスピードを出して滑り降りれるのかがわからない、という程度に難しいものだと思っていいかと思います。

 

そこを、最初にボードの扱いや立ち方、体の重心の置き方で進んだり止まったり、方向すら変えられるというような詳細の「作業の細分化」を丁寧に教えられて、それを一つ一つ、時間をかけてマスターして、最後に「ボードを付けてスピードをある程度だして滑ることができた」という状態に持っていけると思います。

 

それとトイレトレーニングも同じです。

 

もっと上の学年になると、より「今現在の、目の前の子供の行動パターンやよく言う事、傾向」の事実回収やパターンの発見は多ければ多いほど、子供とタイミングや折り合いがつきやすくなるとは感じています。

 

例えば、学習不振の子供に塾を進める際に、「どんな塾を選ぶか」ということは最大限に、一つ目から三つめまでのことを実行しないと、子供との間に溝ができてしまいます。つまり、子供の困り感のニーズをくみ上げられず、学習をさせたい親の希望で現実とはマッチしないというミスマッチから信頼にヒビが入ってしまうようなこともあるわけです。

 

思春期になると、こうしたことで子から大人への視線は厳しくなります。ですので、どこまで作業を細分化して子供の現実と見合わせて、親子ともに結果よければすべてよし、の状態に持って行けるかが大事だと私たちは思っています。

 

塾については、例えば子供の成績不振から、親が中学や高校の受験を乗り越えられるようにしたい、と思っていたとします。親は、まず「受験を乗り越えられる」という部分に目を取られがちになりますが、大事なのは「今の子供の状態、事実はどうか」という部分をできるだけ正確に、かつ詳細に情報を収集してそこから判断していく、スタートにする、という段階の最初のステップです。

 

塾を多数親が見学して回れば、受験を乗り越えるためのクラスがどれほど高度か、求められるハードルが高いかはすぐにわかると思います。そこに入れて、学業不振の子が、受験のために一心不乱に集中しているような同学年の子と机を並べた時のちぐはぐさを、根性論や希望論、期待論であやふやにしないことが大事です。

 

できない部分を今から丁寧に学習していたら時間がない、受験に間に合わない、という焦りがあるとします。だから必死で頑張らせたい、と。これは親側の技能的、能力的な基準で判断しています。

 

そこを、子供の今の技能や事実から考えると、取れる方法というのは決まってきます。

 

・ 本人がわかるところ・わからないところがどこかを判断し

 

・ わからないところから、躓きの原因を解明してくれる丁寧な指導者が必要であること

 

・ 学習が進んで受験に臨む態勢の子と、学習に躓いて不安と混乱にある子が同じ大勢のスタイルで学習することは難しい事

 

・ 個別に、1対1が無理なら1対2か3ぐらいで、学年ができれば上の、年齢がまちまちの生徒と「同学年の子と自分を比較して気にすることがない」グループで学習する、本人の集中力が保てる時間などを加味して、スケジュール立てをする

 

 

などでしょうか。

こんなことをしていては受験ができない、とスローすぎるように見えても、本人が丁寧に学習を理解できて、わからない、という気持ちや不安が減らないと、先にすすまないのです。本人が、わからないところが霧が晴れるようにわかりはじめると、先に進めます。受験に間に合わなくても、いずれかの場所で「学習を続けていこうと思う」気持ちが芽生えます。それは喜ばしいことです。

 

特に高校となると、受験、という集団の統一した目標が当たり前に思えてきますが、そこに到達できる状態なのかどうかは、オブラートにつつむことなく、親も子も現実を理解して、そこからスタートすれば何とか学習を続けていける、高校はどこかがある、と考えられるようになるかもしれません。

 

例が長くなりましたが、子供ができないこと、やらないことを「やらせたい」と親が思っても子供が動かない、動けないのは上記のような一つ目、二つ目、三つめのステップがはしょられていることが多いように思います。

 

子供は未熟ですが、親もまた、自分の子であるという油断から、感情や期待で押していけばなんとか押し切れるかもという気持ちがよぎることはもちろんあるのです。ですがそれで良い結果が出るかと言うと、確率的に低いです。確立の低いかけは私たちは怖く感じますし、労力がかかっても、時間がかかっても、子供が笑顔で小さいことから、少しずつ達成していき、長期間をみるとかなり成長していた、というじわじわ、三歩進んで二歩下がる、などでも一歩ずつでも進むことを成果として喜びます。

 

こんな風に、子供のできないことは、まず子供の「今」のそのままの事実認定、パターン発見から目標の作業の細分化、その二つを合わせて小さい一つのステップアップでもできそうな準備などをして、最終的に長く時間がかかっても、できるようになれば良いという方法を取っています。

 

参考になれば幸いです。

 

 

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