今日は少し、今までと違い「家族の関係」のうち「兄弟姉妹関係」について書こうと思います。

 

私達一族は田舎に住まう家族ほど兄弟姉妹がいる家庭が多いですが、世間一般的な「兄弟姉妹」という概念を捨てていると思います。

 

「捨てている」というと悪い響きがありますが、要は「個々、1人1人」を大人、子供、夫婦、親子ととらえるように、兄弟姉妹を一つのグループとして考えることはなく、誰かと誰か、という1個人対1個人という関係性を忘れないという意味あいが強いです。

 

そうした概念が出来上がって来た背景には、私達が発達障害を持つ子供時代を過ごし、そして大人になり子育てをしてきたという「経験」が積み重なってきた結果であろうとも思います。

 

発達障害の子供を持つ親であれば気が付くと思いますが、障害特性の一つとして「対人関係に難がある」、つまりコミュニケーション能力がかなり低い事が顕著です。それは兄弟姉妹関係であっても避けることができません。むしろ、年齢が幼いほど特性は激しく全開であり、その時代にコミュニケーション能力が低い兄弟姉妹と未熟な体験を積むことが、必ずしもプラスに働くことではないと「記憶」されているからです。

 

片方が定型の兄弟姉妹であれば、その子にしわよせがいきます。これは障害特性がある子には、生まれてから数年、10年ぐらいの間は「生まれつきの全開の特性」で対応するためであり、防御がまともにできない定型の子供であれば、ある意味親よりも過酷な被害体験をすることもあるからです。

 

また、お互いに特性を持つ兄弟姉妹の場合は、刺激されたくないネガティブな側面の刺激を多く経験することもあります。「兄弟姉妹でもまれてよい成長を」というのは大人の理論であり、子供には暗い方向にやすやすと流れる未熟な感情があるので、大人が考えるよりも残虐になれます。

 

言葉や行動で例えれば、うっとおしい、邪魔だ、自分のデメリットになる、マイペースを崩される、1人になりたい時に煩くテリトリーを侵害してくる、などでしょうか。発達障害の子達が時に過敏に守ろうとする「自分の領域」を、兄弟姉妹に侵された、と感じる時に怒りや悲しみが触発され続ける状態になります。

 

自閉の度合いが強い乳幼児期、児童期は特に、穏やかに自分の内面で満足がいくまで何かを追求できると精神が安定し、外の世界とつながる次のステップをとりやすいのですが、この大切な時期に兄弟姉妹から自分の世界を侵害されると、安心できない世界、自分を苦しめる外界、というとらえ方が脳内を侵すので、ある意味攻撃的な面が成長してしまったり、人間不信の種を育ててしまったり、自分は家庭内で守られない、という親と言う大人への不信感や家族への警戒心まで育ててしまうことがあります。

 

そうならないように、私達親族は、兄弟姉妹というものを「大人が保障されているのと同等の」意識で個人の領域を守ろうとはしています。例えば兄弟姉妹を「一つの部屋に押し込めない」ことはどの親族の家庭でも見られます。「相性のよい家族と同室になる」ことはよくあります。祖父と孫、または父親と息子、母親と子供一人、などの組み合わせはあります。部屋は与えず「自分だけの場所」は、リビングの一角であったり親の寝室の一角であったり、2階にあがった廊下の一部分であったりと様々です。

 

机や服も、以前書いたように自分のものがありますが、兄弟姉妹でおさがりを前提にはしません。もしおさがりを使うのであれば、「その子のものにする」儀式を必ずして、兄弟姉妹の気配を消します。親の着物を子供に譲るときに肩上げをしたり帯を子供らしいものを用意するのと同じ様に、その子にあったデザイン、例えばフリルをつけるとか、アップリケをつけるとか変化をつけるわけです。

 

前置きが長くなりましたが、定型の兄弟姉妹同士のような関係が持てる発達障害の兄弟姉妹もいると思いますが、私達は「そうなればいいな」という前提で育てるのはリスクが高いと思っており、そのため「一個人、まるで一人っ子が何人かいる」かのように育てていく道を選んだ、と言えます。

 

ですので習い事や塾、進学先もそれぞれの子供に合わせて考えていくので、皆、行き先はばらばらです。同じ家庭に3人子供がいたとしても、保育所の子もいれば幼稚園の年長だけを経験する子もいますし、幼児教室だけ行く子もいる、という具合です。私立の小学校へ行く子もいればフリースクールへ行く子、長期不登校をする子もいます。どの子も、その子の性格や特性、周囲の環境やその時に出会う人によって「体験」は違います。

 

感じ方が違うということは、体験も違ってきますし、その子の成長の仕方も全く変わってきます。上の兄弟の体験がそのまま下の兄弟で繰り返される、という考え方が使えない、むしろ「どの大人も違う個性があるのだから、人生経験は違って当たり前」という大人の当たり前を、子供にも適用するだけです。

 

子供だからと言って、その存在をグループでひとまとめにするからこそ、発達障害の子達は幼稚園や小学校という「集団社会」で困難を経験し生きづらいのであり、それを家庭という最初に出会う小集団で繰り返すわけにはいきません。

 

ここまで書くと、兄弟姉妹はまるで接点なく生きていくのかと思われるかもしれませんが、そうではありません。小さいころに自分の領域を安心して持てる経験をし、精神的に兄弟姉妹という突発的で予測不能なことをしでかす「他人」に脅かされる経験が少なく安定した子が成長すると、対人コミュニケーションの面が10歳を過ぎるころから芽生えていくことも多く、そうなると兄弟姉妹の関係性も変化していきます。

 

特に成人してから、話をするようになったり、大学の進路を決める際に兄弟姉妹に意見を聞こうという気になったり、「はじめて自分から自然と関わろうという気持ちが芽生える」時期を迎える子も多いのです。これは「他人への人間不信が少なく、他人から侵害されるという恐怖心がなく、自分を保つことができ、精神的に安定した」という土台と基礎が出来上がって初めてステップアップできた結果であり、他人と良好な対人関係を持てるだけの体験をしてきてできることです。

 

自分の領域を侵害されるという被害妄想が育ってしまったり、兄弟姉妹という子供は自分を悲しませる、怒らせる、不愉快にさせる存在だというような体験を積み上げたり、そこから守ってもらえないという最も安心できるはずの家族が「敵」であるかのような経験をした延長上に生まれる関係は、血のつながっている家族という意味あいを超えて、「学校や社会で出会う他人と全く同じ、自分を理解しない、時に攻撃してくる可能性のある、ただの他人」という認識になりやすい、ということです。

 

家族と外界の他人は違う、家族は自分を傷つけない、という経験をすることはそれだけ、発達障害の特性を持つ子供には必要な最後の砦なのかもしれません。生まれ育った家族の誰かを信じられ無ければ、外界の誰をも信じられないというような、無意識に育っていく百ゼロ思考から来る概念が、そうさせるのかもしれません。

 

最後に実例を一つあげておきます。

 

今はもうこの兄妹は社会人であり、それぞれの家庭を持ち、必ず年末はお互いの家族とその子供達と会うという仲の良い兄妹ですが、幼いころは「仲が良かった時期がない」難しい特性を持った子達でした。

 

兄は、享楽的で行動的、楽しい事は積極的にするけれど自分のデメリットになることを極端に嫌い攻撃的になります。親の言う事を聞こうとせず、友人とつるむことが楽しく、妹は邪魔な存在でしかありませんでした。彼の言葉を借りると、小学校を卒業するまで妹と言う存在は、

 

妹は、突然来た、自分の色んなものを奪っていく存在

部屋にいるだけで余分で邪魔

泣いてうるさい、歩いて触ってくるうっとおしい生き物

自分が望んだことはない、親が欲しくて生んだだけの存在

 

妹がいるだけで、自分が「手に入れるはずだった」ものが奪われていく

例えば小遣い、例えばおやつ、例えば親との時間、例えば遊ぶ時間

妹がいるだけで、自分が損をする

勝手に関わってきて、うっとおしい

邪魔だから叩いたり言葉で責めると自分が怒られるという理不尽

いなければ得られた幸せ、静かさや物質的な裕福さをこいつが食いつぶしていく

 

大人の手前、虐待はしなかったが、それと同等ぐらいに邪険にした

学校で、公園で、親の見ていないところでの兄妹喧嘩では本気でなぐった

自分が凶暴になりたくない思いとは反対に、妹が自分を挑発する

自分はあえて汚くなりたくないのに、妹が自分を追いつめて凶暴にさせる

自分を悪いやつに追い立てる、厄介な存在

 

それが、小学校を卒業するまでに「妹」に対して感じていた自然な感情。

その感情が言動になる前に、親は妹と自分をいつも切り離す。

野球と友達の家への遊びに連れて行ってくれる。

妹は絶対についてこさせないで、自分だけの時間をくれた。

家では妹がしつこく追いかけようとしても、「お兄ちゃんはやることがある」と

妹が見えない場所を確保してくれる。

 

お風呂は必ず、別にしてくれた。

一緒に食事をすると食べ物を勝手に奪っていく妹と、食べる時間を別にしてくれた。

妹が同じ塾へ行きたいと泣いても、別にしてくれた。

 

参観日や運動会も、親は別に行動してくれる。友達と弁当を食べさせてくれた。

同じ学校へ行きたくないという気持ちがあり、親には言ったこともないけど、中学から私立を受験させて分けてくれた。

中学から学校が妹と違う環境に入って、部活で忙しくなったこともあって、冷静になってきた。妹とイライラせず話せるようになってきた。妹も変わって来た。それから、少しずつ少しずつ大事な家族になっていった。就職とともに家を出た時に、妹がカーテンとカーペットを買ってプレゼントしてくれた。初めの給料で、妹に小遣いをやった。

 

以下は妹側からの話です。

 

兄はいつも人気があり、友達が多く羨ましかった。

遊んでもらおうといつも追いかけたけど、嫌がられた。

一緒にいようとすればするほど、嫌がられていじめられる。

学校で会っても無視される。

兄の友達が一緒でもいいと言っても、兄は絶対嫌だと平気で言う。傷ついた。

 

自分は欲が抑えられなかった。

おやつも、おもちゃも、兄の物が欲しい、兄と同じ量じゃないと嫌だと怒りが湧く。学年が違うから先に教材や道具を買ってもらっているだけなのに、それが嫌でずるいと泣いて癇癪を起こしてしまう。目の前の兄と同等に扱われたい。この相手を考えない、汚いまでの我欲を抑えられなかった。

 

兄が持っているものを壊し、奪い、余計なことをたくさんしようとした。

食べ物を奪うと怒る。

側によると嫌がる。

大声で泣いたりしゃべると、怒り狂う。

兄が半狂乱になるのが、面白かった。そういう存在、関係が兄弟だ、と思っていた。

でも、どんどんそういう楽しめる機会は減っていった。兄は忙しく家にいない。

 

同じ家にいても、食事をする時間も違うし、お風呂も別。

一緒がいいと親に言ったけど、必ず別にされた。

それならそれでいい、親が相手をしてくれるし面白かったから。

 

小学校で友達ができず、いじめにもあった。

親と、その都度話をした。いろんなことを話した。

病院にも何度も行った。

自分は性格が悪いのだと思った。

我欲が強すぎる。相手を傷つけることを楽しみすぎる。

だから兄にも嫌がられたのだろうと考えたのは6年生の時だった。

大人しくて優しい、でも心が強い子と友達になった。

その子みたいになりたいと初めて思った。

 

学校で、同級生に「何も求めない」ようになった。

親から、「他人には自分の期待をおしつけられない」「他人は好き嫌いを自由に選べる。」「他人は、家族ですら、あなたとは望むものが違う、別人だ。」と言われたことがやっと理解できてきた。

 

兄が、たまに話を聞いてくれるようになった。

学校の友達みたいに兄は「他人」だった。

何も求めなければ、兄は離れていかない。

何も奪おうとしなければ、兄は相手をしてくれる。

やっと、穏やかに同じ空間にいられるようになった。

 

それからはたくさん話をした。

恋愛の話もした。

結婚の時は、相手を紹介した。

今は、お互いに「家族」というものになったと思える。

 

 

以上です。

 

兄側、妹側で自分がかかえる障害特性も違い、見え方や捉え方も異なってきます。この兄妹の両親は、マイナス面を刺激しあう不幸な組み合わせだと早い時期から悟り、児童期は特に兄と妹の行動範囲を分け、家庭内でさえ個別に異なるスケジュールを組みました。共働きであったため、時に家計が赤字になるほど、色んなところに別々に預け、苦労したようです。ですが今は、兄妹がそろって孫を連れてくる穏やかな「家族」を体験できています。

 

定型の子供さんのいる家庭とは、かなり異質でおかしな家族関係を、特に児童期は過ごしたと思います。これは一例ですが、親族の間ではめずらしいことでもなく、兄弟姉妹の住まいを別にしている家庭や早くから寮のある学校へ行かせて家を出す家庭などもあります。食事時間を兄弟姉妹でずらす、ということなど普通にあたります。

 

何がいいたいか、伝わるか心配なのですが、大事にしているのは「幼いころの特性のある子達の心の安定」であり、その子達の未来につながる基礎、土台をつくるということを、最優先しているということです。兄弟姉妹というグルーピングは、学校と言う集団社会へ適応させることと同じく、2番手、3番手となります。学校は不登校できますが、家庭でも不登校にあたるような、家庭の中の兄弟姉妹という人間関係を強要されない逃げ場を用意する、ということです。

 

対人コミュニケーションという部分に障害が強くあることが多い発達障害の子達には、自分の自力対応ができない乳幼児、児童期をこうして補うことが、遅れて発達してくるスキルを健やかに育てていくことにつながる、という実感を、伝えられたらと思いました。

 

あくまで、私達が経験してきた内容なので、世間一般には通じない異常な、非常識な話だと思います。変わった人種だな、そんなこともあるんだろうか、という程度に読んでいただき、参考になるところがもしあれば、使っていただければと思います。

 

 

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