発達障害の子供はよく誤解されやすいのですが、その最も筆頭にあがるのが、「見た目普通に見える」と周囲から言われるようなタイプの子供です。今回はその一つの例を書いてみます。

 

この親族の子は小学校高学年です。小学校生活にはほどよく適応していますが、自分に悪意を見せるような同級生や、ちょっとしたからかいを仕掛ける子とのいざこざは、年に数回経験します。根が真面目でスルーができない、という性質がおそらく、いざこざの根本の原因です。ですがそれはたまのことであり、むしろ仲の良い友達もいたりして学校生活が無難に遅れており、社会適応状態もそこそこ良いです。

 

そして小さいころは特にですが、自分が望む結果に対してとても理想が高いです。年齢とともに、療育的な関わりをしていると少しずつ完璧主義な所は和らいでいきますが、発達障害の子にもれなくあるように、決して思うようにスイスイと事が運べる技能は備えていないので、自分の思うような結果にならないことは多々経験します。

 

例えば宿題をしている時に、字の歪みがきになると、そればかりが急に気になって、無理やりゴシゴシと消しゴムで消して、よけいにノートを汚くしてしまったり、その上から書いてまた「理想的な文字」にならず、カッと怒りがわいて泣き叫ぶ、というような癇癪の起こし方をします。

 

これはよく見られるタイプです。

そしてその時によく言う言葉の一つが「自分は馬鹿だ!もう一生できない!」というような言葉です。

 

周囲からすると、たかが一文字を上手くかけなかったから、という理由で泣き叫び、「もう一生(上手く)できない(書けない)!」と決めつけるなんて、なんてお馬鹿なんだろう、と思うでしょうが、ここにカラクリがあります。

 

普段、学校生活をほどよく無難に過ごしていて友だちもいる、というような子は、同級生、同じ年令の子たちと同等の能力がある、と周囲の人間は考えがちです。ですがそうではない、発達年齢的に、すごく低い部分が存在しているのが発達障害の子たちの「特性」といわれる部分です。

 

この子は、使っている言語の「意味」を正確に使えているかどうか、がまず疑問なのです。

 

つまり、学校のテストは100点を取っていて、おしゃべりもそれなりに上手だし、物事もそこそこ「知ってそう」な子ほど、ぽかりとした大きな間違いをしがちです。

 

ここまで書くと予想がつくと思いますが、この子の言う「一生できない!」の一生とは、多くの人が考える「一生」ではありません。

 

その証拠に、周囲の大人が「あなた、その文字を100歳のよぼよぼの老人になって、死ぬまで書けないって言うのかな。『一生』って言ったけど、一生って死ぬまでって意味だよ。よぼよぼの老人になるまで、90歳や100歳になるまでできないって、あなたは叫んでるんだけど、本当にそう?」と聞くと、「えっ」という顔をして、「そういう意味じゃない」とつぶやきました。

 

「それなら、『まだしばらくはきっと上手くかけない!』とか『まだ何日か、何ヶ月かは上手くかけない!』という風な言い方をしたほうがいいよ。一文字かくのに死ぬまでずっとできない、って10歳を過ぎた大きな子が叫ぶと周りの人が何を大げさな、って当然思うから。それはあなたの思っていたことと違うでしょう?」

 

と説明すると、それから「一生なになにができない!」という言い方をしなくなりました。

 

普段、それなりに、並みレベルには国語ができるから、テレビも良く見て話題も豊富だから、と言って「言葉の意味がほとんどわかっている」というわけではありません。こんな漢字で、ぽかっと全くニュアンスが違う風に使っていることも多いです。この子の「一生」というのは、今しばらく、というような短期間の意味合いで使っていたのですが、それは感覚的なもので、死ぬまでというような意図はなく、期間のズレがこの言葉には隠れていたわけです。

 

たまに泣き叫んだり、良く頻繁に使うネガティブな言葉や話がなんだかずれるな、という時には耳を澄ませて、いくつかキーワードになっていそうな言葉をピックUPしておき、時間がある時や子供が話を聞けるような状態の時に、世間話のように「その言葉の本当の意味」を丁寧に説明すると、「えっ」となることもこういうタイプの子には多いです。

 

今回のように癇癪時の激しく聞こえる、ネガティブすぎる言葉を自主的にやめるきっかけになることもあるので、教えてあげるとよい場合も結構あります。

 

参考になれば幸いです。

 

 

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