ブログの更新が滞ってしまい、申し訳ないです。

 

4月からの新しい学年、門出を目前にして、親族間でもかなりあたふたと、準備やお手伝いにばたばたしています。

 

今年は案外、親族の子供達にとって良い進路、就職を歩むことができているように思います。「良い進路」とは自分が納得できる、能力に見合う、理想すぎず、現実的でもあり、何か困ったことがあっても対処できそうな余裕が持てそうな進路ということです。いわゆる知名度だったり、職種だったり、学校のレベルだったりということではありません。親族の中では、個々の人間にとって充実できる・続けられる・喜びを感じられそうな進路、ということが大事にされています。

 

その中でも、親子でもめることは時としてあります。10年以上に渡り、親族達によく意見がほしいと小さい会合のようなものを召集してきた親子がいるのですが、この親子から見えてくることがありますので、今回はそれを「できれば書いておいてほしい」という親子の意見で優先的にブログ記事にしようと思いました。

 

この親子は、親が両方定型です。父親が私達親族の一人ですが定型で、特に不登校もせずすんなりと小、中、高、大学と進学し、友人関係も普通、会社での人間関係にもトラブルなく長年一つの勤め先でずっと仕事をしていることからも、非定型の素質は見えません。母親がこの男親族のパートナーさんですが、ほがらかで明るく頭の回転が良い方で、日本を飛び回って仕事していましたが出産を期に退職し、それからは専業主婦です。子供は一人っ子です。

 

その子が私たち親族と同じ性質を備えており、幼稚園の年中頃に発達相談センターに相談に行った母親の希望で、幼稚園に専門家に巡回に来ていただき、その様子を見て発達検査を受けてみたほうが良いということで、年長になる目前に自閉症スペクトラムと診断されました。

 

見てわかりにくい、自閉症スペクトラムの子です。一見、他の同じ年齢の子と変わらず、少しのぎこちなさ、少しばかりの違和感ぐらいで「個性」の範疇で、周囲の先生にも大人にも障害特性があるとは気づかれないタイプです。昔なら「隠れ非定型」として、大人になるまで気づかれずに成長していく典型的なタイプであろうと思います。

 

集団の中で特性があまり見つけられない子ですが、家庭ではやや、母親が困難を感じることがありました。身体的な自立はすんなりといき、離乳食はきちんと食べる、トイレトレーニングもすんなりいく、という保健所で受ける定期的な健康診断でも走り回ったりしない「おりこうさんな子」です。

 

ですが、母親が何かを丁寧に教えようとすると、まるで赤の他人のように「嫌そうな顔と態度」をとり、まるで子供らしさを感じない、というのが1歳、2歳、3歳、4歳と続くわけです。自分が「したいこと」の意志がはっきりとしていて、母親のすすめるおもちゃや遊びに全く興味を示さず、関わりを持とうとする母親に「全くのってこない」子です。

 

用事があって親族に預かってもらったところ、全くぐずることもなく、朝から晩まで泣きもせず、その場で興味を持ったものをいじったり、自由に散策したり、提供された食事を食べたりして「お客さん」でいます。他の同年齢の子がするように、ママ、と恋しがってぐずったりせず、平然としています。おやつも出されたものを食べ、あれが欲しい、これが欲しい、あれしたい、これしたいというわがままを全く言いません。「大人のお客様」状態です。

 

乳幼児であるのに、中に大人が入っている子というのは一定数、親族には登場しますので、その特性を持った子であろうと私たちは感じました。それを両親が納得できるかは別の話です。両親から相談がくるまでは、私達にできる範囲の「非定型の子に向く関わり方」をして様子を見ることしかできません。両親の心の安定と子のそのままの状態を受容できるかどうか、というのが、とても親子関係には大事だと思うからです。

 

状況が変化してきたのは、幼稚園の年長になる頃です。周囲の同年齢の子達も自分に自信をつけ、習い事なども盛んにして自己アピールが強くなってくる頃です。また子供らしい未熟なひねた部分や挑戦的な部分、他人を虐げてみたい悪意なども芽生え、それをどこまで世間で、集団内で許されるかを試して、人の中でもまれて学んでいく時期でもあります。

 

年長になると親族の子は、この部分で「同級生を許せない」という怒りに燃える日々を展開しました。同じクラスの子が突然にしてくる理不尽な言動、大人から見ると「遊びの延長上で盛り上がって、なんとなく発したばかじゃな~い、とかいう何気ない一言」を、まともに受け取って一人激高し、普段かしこそうな大人っぽい子が、極端におかしく見えるほどの怒りの様相を見せてその場を戦場にしていく、ということが増えてきました。

 

この時点で、母親は同級生の子達との「意識の違い」に気が付いていきます。親として、子供と言うもの、その付き合い方、スルーの仕方、聞き流す言葉、言ってはいけない言葉、など色々と説明してみるのですが、ことごとく「納得できない」と母親にまで激高してくる状態で、家庭も戦場になりました。母親は、定型の物の味方をベースにして説明していたのです。

 

父親の方が一族でしたので、夫婦で話し合った結果、子供を連れて親族に相談に来るという事になり、そこではじめて、「発達障害の子供がどう考え、どう他人の刺激を受け、どう反応するのか」というメカニズムを解説され、子供がなぜあんなに激高したのか、なぜ日々を楽しく過ごせないのか、なぜ母親の言い聞かせや会話が理解できず、逆に怒り狂うのか、ということが本当の意味で、初めて自分とは違う、と理解できたわけです。

 

ここで親族が明確にしたのは、「定型の両親には、定型なりの考え方やこうすべき、こうあるべきという価値観がある。ただ、その定型の視点や価値観にこだわって成長を促していくと、目の前の違う考え方をする、異なる価値観を持ち、違う思考回路を持つ子とは理解しあうことも、まともに会話ができる関係になることも難しい」ということです。

 

定型のこだわりを非定型に向けていくというのは、発達障害の子が定型の親に向かってこだわりを暴露し、言う事を聞かず、幼稚園や小学校などの定型集団の中でこだわりを主張するのと、似たようなことだということです。

 

幼稚園で戦場になったのも、家庭で戦場になったのも、定型と非定型のお互いのこだわり、譲れない点がぶつかり合った結果であり、どちらも譲らなかったからです。お互いが違う人種である、という視点はそこにはなく、同じ種族、同じ考えを持つ人間同士であるのに!という前提で思い込んで対話しているので、定型側の親と非定型側の子が理解しあえないまま平行線をたどるどころか、戦争状態になってしまった、ということなのでした。

 

定型の親にとって、自分たちが歩んできた人生の経験や、友人との交流のすばらしさ、歩んできた「当たり前の道」を自分の子供が嫌がったり、できなかったりすることは驚き以上の、焦りやどうして!なぜ!という怒りにも似た失望もつれてきます。

 

この親族の子は、見た目、定型のようであり、「かしこい子」「育てやすい子」と健診でも入園の面接でも、年少~年中まで集団であっても一見何の問題なく過ごしてきたため、年長になり同級生も自分も自我が芽生え、集団の中で自分の内面に食い込まれて刺激された非定型としての特性が全面に出てくるまで、その問題点は見えてきませんでした。そのため、定型の両親は「あきらめきれない」部分をずっと、小学校、はては大学など進学決定時まで引きずり続けたのです。

 

同級生と同じにできるはず、もう少し言い聞かせて、少しこだわりの強い部分を押せて我慢できるようになれば、他の子より優れている部分もたくさんあるのだから、上手くやれるはず、と心の底で望んでいました。

 

それが子供には「自分が望まないことを常に強いてくる親」として親への苦手意識を募らせ、自分が最も困った小学校の3年生になった時点で、親に一言も相談なく、部屋に閉じこもって不登校を始めました。

 

子供の言い分はこうです。

 

「親に言ったところで、学校へ行かせたいだけで、皆と同じ事ができるはず、という前提で言い聞かせようとする。自分が今、学校へ行きたくないと思っている悩みも苦しさも『そんなこと』程度に思われて、最後には自分が無理をして親の希望を聞いてやり、我慢するばっかりで、何もなかったことにされる。」

 

というものでした。

 

子供は、親の言い分に合わせて幼稚園も、小学校の1年、2年も、我慢した、というわけです。親は子のおかしな、理解できないかたくなさに限界がきて、子は親の理解してくれなさ、親のこだわりに付き合うことに限界が来たのだ、と親族達は思いました。親子で向き合う時期が来たのです。

 

こうなると、専門家の仲介が必要でした。

 

定型の専門家は先生であり、スクールカウンセラーであり、教頭先生や校長先生、教育委員会の人たちでしょう。発達障害の子や非定型の人間にとっての専門家は、発達障害の専門医であり、発達障害に詳しい臨床心理士であり、公的・民間の療育に関わっているカウンセラーなどです。それは、前者が「定型のこだわりを基礎に話をする専門家」と後者が「発達障害のこだわりや特性を知っていて、それを基礎に話をする専門家」という違いです。

 

非定型の子供には、自分の定型にはない感じ方、考え方を定型の両親に説明をし、定型の中でこれから生きて行くのに必要としているスキルや独特の、非定型としての対処法など、定型が必要としない手段やノウハウを、それなりの権威でもって、説明してくれる人が必要でした。権威のない素人が説明しても、親は本気には取れないことも多いからです。親族であっても、奇抜な非定型の意見は、専門医でもない素人では、ただの一意見としてスルーされる程度の威力しかありません。

 

結果として、親子のぶつかり合いは収束したり、再燃したりして高校まで続きました。小学校での不登校については、不登校を解消したい両親側と、学校へ行くことが苦痛で仕方ない子との全面対決のようになり、この時点で専門家を仲介としてお互いの思考と立場、障害特性、定型社会のことを理解していくのに多大な時間がかかりました。

 

共通点として、「学習だけは滞りなく続けていく、それが義務教育である」という部分だけを頼りに、家庭教師やオンラインでの自宅学習、その後はフリースクールに通うということで維持しました。良くも悪くも、この「学習を滞りなく続ける」ということができたことで、両親は中学や高校への「普通に進学してほしい」という望みを強く持ってしまい、それが余計に子供には「親のこだわりが自分を縛る」と精神的な苦しみとなり、途中、心療的な治療を受けることになりました。

 

進路に関しては、主治医と本人の定期的な面談をもとに、通学日が少なくて済む高校へ行くことに決まりましたが、両親が心から納得できずにいたことで、親子間ではぎくしゃくしました。学習が滞りなくできる、という能力がそれなりにあり、またその子が自分の持てる力を発揮して努力したため、進路への夢や希望は、子供よりも親が膨らませることとなってしまった結果だと、その当時を振り返って親子は言います。

 

「普通の、一般的な進路を歩む方が無難であり、しなくていい苦労をせずにすむ」と考える親と、「その進路自体が、自分には日々の苦痛をもたらすものであり、その線路から降りたい、自分を苦しめる道ではなく、自分が解放される・やれる独自の道を行きたい、それを認めてほしい」と思う子のすれ違いが、ずっと続いた結果です。

 

この親族の子は、最後の力を振り絞って、大学受験をし、合格を取った時点で親から離れて自立することを宣言しました。進路は、自分が望んだ専門学校への進路を選びました。大学への進学は、親が期待した道であり、「自由が多くてサークルだ、なんだと人生を謳歌するような大学生活は、自分にはプレッシャーになる。最も苦手な人間関係がそこにどんと待っているのに、飛び込む怖さは、そういう苦労をしていない親にはわからない。」と主張しました。

 

専門学校は入学したその時からカリキュラムがびっしりで忙しく、アルバイトやサークルなどをのんびりしていられるような自由が少ない環境です。見学したり授業体験をすることで、自分はそういう「いつも何かをしている、自由が少ない、すべきことがびっしりと決まっている環境が息がしやすく過ごしやすい。」と、自分の自由を上手く使えない性質をもとに選んだ進路です。

 

最後まであきらめきれない親との最後の決戦で、「行きたくない大学をすすめ、行きたい専門学校をあきらめさせる親に合わせることは、どうしても自分にはできない。自分は親のために生きているのではない。」と伝えたことで、終息となりました。

 

両親は、大学生活を謳歌し、その同級生とも長く付き合い、結婚もして、人生でなくてはならない時を過ごした貴重な4年間だったので、子供にもそれをあじあわせてあげたかった。親心です。ですが、子供が一見、よくできるように見え、また苦痛だ、苦しいと言いつつもなんとか最後には成し遂げる様子を見て「やればできる」ので、「やってみれば、きっと良かったと言うだろう。」という希望的観測を捨てきれずにいたのです。

 

子供には、苦痛の感情を他人にわかるように表現する力が弱く、常に淡々と話すので、その苦痛の度合いが伝わりにくく、自分が二次障害を発症して立ち上がれなくなるまで自覚なく我慢してしまう特性があるという点を、「親の自分たちにはない性質」であるため、理解できなかったという点が、大きな親子のズレとなってしまいました。

 

主治医が、「この子は限界まで頑張れる子ですが、限界を突破してポキリと折れたら、そこから回復し、立ち直るまでに人生の多くの時間を必要とします。そうなる前に、自分で限界を突破しないように」と常々伝えていたことで、子供がここを頑張りました。自分ややっている間につぶれる、結果が出るまでの過程が苦痛なのだ、と知っていたのです。ですので、自分が最も合わない、苦痛だとおもう進路を「やってみればよかったと将来思うだろう」という親の意見はトンチンカンな、自分に最も当てはまらない対策だと主治医と共に判断したのです。

 

親の期待に添うように、限界まで頑張ることをせず、自分の性質を良く理解してくれていた主治医の助言を信じて、自分が限界を突破しないように親を敵に回すつもりで、頑張ったわけです。

 

子供には、こうした「自分をよく知り、理解する大人の支援」が必要です。それは親でなくてもいいわけです。親は、時として理性を超えて子供を思い、愛情から良かれと思って親なりの心遣いで頑張ってしまいます。それが空振りをしていることに気が付く専門家がいれば、子供自身に身を守る術を伝えて、親子のどちらもが苦しむ将来にならないように、ストッパーとなってくれることもあります。

 

親族の子は専門学校を卒業し、その子の望む仕事をこの4月から始めます。親から見てめちゃくちゃだった小学校時代を振り返ると、忙しいながら、充実した生活を送り、卒業前からアルバイトに入っていた仕事場での就職も決め、満足そうにしている子供の姿に、子供の苦労というものはどういうものであったのか、をようやく振り返ることができるようになりました。

 

親からは、この言葉をもらいました。「小さいころから子供が親を必要としていなかった、とずっと感じていたけれど、今は、私達自身が、子供が必要とする親ではなかった、と感じることも多々ある。結局、最後まで子供が求めた親ではなかった。それに気が付いたのは、子供は自分なりの道で自立して証明してみせた時だった。寂しい気持ちもあるけれど、反省する気持ちが強い。これからは子供を否定することなく、見守って行きたい。」

 

子供からは以下の通りです。

「自分の人生だから、あきらめずにやっていくことが大事だと思う。親は結局他人で、別人だから、何を望まれても親にとっていいことが、自分にとって苦しい・望まないことであれば、我慢して自分をダメにする必要はないと、主治医の先生が支えてくれたから自分は生きてこれた。親は悪い人ではないけれど、自分を理解して支えてくれる人ではなかったように思う。でも小さいころにお医者さんを探したりしてくれたことに感謝している。今からは家も出て自分で生活できるし、自分のことを考えて、親の意見に困らされない自分だけの自由な人生を歩めるから、もう全部解決して、すっきりしている。」

 

親子での激闘が終わり、お互いに思うことはありますが、それぞれの人生を歩むということで、今は親も子も心の平安がおとずれ、長い迷いと霧の中から抜け出て、心明るく春を待てる心地だそうです。

 

ある親子の軌跡を書いてみました。

 

 

 


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