世の中では新学期が始まりましたが、親族の子供たちの中には不登校の子がいます。

 

 

今週月曜日からは、いつものごとく我が家がしばらく当番となり、親族の不登校の子が集まり、おのおのが家庭で親と決めてきた勉強スケジュールや、各自にあった教材や素材などを使って夕方までを過ごします。

 

 

通信教育の教材を使う子もいれば、学習自体が理解が難しいので、学年をいくつか下げて、ごく基本的な内容をゲームなどでまなべる「がくげいのランドセル」(過去の紹介記事→ )などのソフトを使って、わかる所からやっていく子もいます。週数回ほど家庭教師に来てもらっている子の場合は、その家庭教師から出された宿題をしていたりもします。

 

 

 

最近は時代でしょうか、都心に住まう親族の親たちから田舎の方の親に紹介された、動画の学習ツールが急速に子供たちに浸透しています。

 

 

 

私などは昔の人間なので、紙とペンで学習していましたが、やはり仕事をはじめてからはパソコンを日常的に使うようになったので、子供たちに使いやすい「書かなくてもいい、敷居の低い学習教材」をインターネットで探していると、ネット上で学べる無料ゲームのコーナーなどを利用することもありました。

 

 

最近はリクルートが授業の動画と、確認小テストと、パソコン上で見られるテキストブック(プリントアウトもできる)を全教科セットで約1000円で提供しているという【スタディサプリ】 が不登校中の親族の小・中・高校生の主力になってきています。(前回この記事で紹介しました→

 

 

 

私は最初、この教材は単に塾などの動画と変わらないと思っていたのですが、学習が嫌いだった小学5年生の子が、実際にこの数日、私の横で4年生の勉強からやり直しているのを見ていると、考えが少し変わりました。

 

 

 

この子はとにかく国語が嫌いで苦手で、ゆえに作文も「おもしろかったです、楽しかったです。」というお決まりのパターンで数行書いて終わりという状態、テストも漢字以外の文章問題は全滅というものでした。その影響から、学年が上がるにつれて、理科や社会なども文章に対して考えて文章で答える問題が増えるにつれ、学習不振が進行し、本人は何も言わないタイプですが「勉強は嫌い、苦手」と思いこんで拒否反応を示すような子でした。

 

 

小学校2年の終わりごろに友達関係でつまづき、3年生に上がった時にクラス替えをしてもトラブルのあった子とは同じになり、わだかまりをお互い持ったまま、月日が経つにつれて問題を増幅させて、ついには不登校になりました。学習不振で自信を失っていたところに、勉強に自分ほど悩んでおらず、スムーズな(ようにその子には見える)学校生活を過ごしている同級生たちと自分を比べがちになり、段々とあらゆる点で自信を失っていくのがわかったので、親が他校の不登校児を集めた特殊教室へ行くことを進め、そこにやっとこさ通える風でいます。

 

 

学習においての「自分のできなさ」は、あらゆる自分の凸部分の良い点についても不振の連鎖につながっているというか、自分の優れた部分についての自信も奪っていくようで、この子にとっては、

 

 

「勉強はできなくても気にならない」というものではなく

 

 

「勉強ができるようになりたい、けど、自分は頭が悪い・・・」と

 

 

あきらめられないけどあきらめないといけない、と、「自分の願っている自分を、あきらめないといけないのだ」という現実に苦しめられていたようです。

 

 

勉強嫌い=勉強したくない=勉強しないまま・できなくて平気、という構図が成り立たないわけです。

 

 

勉強嫌い=勉強はわからないからしたくない・やっても自力で太刀打ちできない=勉強できない自分に失望する=勉強できたらいいのに・・・あきらめきれないけど、できないから仕方ないってあきらめないと=勉強そのものを否定し、拒否して自分の心が壊れるのを防ぐ

 

 

という、最後の、自己防衛の段階なのかな、自分の欠点へのあきらめられない、でもあきらめないとだめなんだよ、という深い悲しみが根底にあるのかなと親は思いました。

 

 

両親は親族の大人たちに相談し、そんな勉強に拒否反応を示している子に、何かできることはないだろうか・・・との答えに、彼らにアドバイスしたのが、都心部に住まう小学生や中学生、高校生の親族の子達でした。子供たちが、スタディサプリを見せたら?と、大人たちに提案したのです。

 

 

勉強嫌いな子に、勉強の動画を見せようとしても、きっと失敗するよと両親は言ってみましたが、子供たちの反応は違いました。

 

 

 

「この動画はね、学校の授業とは違うんだよ。国語が苦手なんだよね。だから国語を見せるといいよ。できれば1年下の、国語のごんぎつねとか、物語の勉強の動画がいいと思う。先生がね、文章を読みながら、

 

 

 

『ここの、この部分を、覚えておいてください』とかメモしておくこともきちんとはっきり言ってくれるし

 

 

文章の解説を、順番に丁寧にしてくれるから、わからない登場人物の考えとか、書いてあることの意味とか、内容が、ぜんぶ綺麗にわかるの。

 

 

それに質問も解説してくれる。

 

 

聞いてるだけで、目が開いていく感じ。

 

 

学校の授業は、聞いててもぼやんとしてて、何を言われているのか迷うっていうか、あんまりわからない。

 

 

でもサプリの先生は、お話しの全部を、わかるように説明してくれる。

 

 

サプリの国語をやると、他の教科を勉強してる時も『わかるようになってきた』って感じることがあるよ。

 

 

それに1回の動画が10分とか15分だけど、続きを聞きたくなるよ。

 

 

だって、わかりやすいから。」

 

 

と、

 

 

「学校で習う国語は、書いてあることの全部、文章も、質問も、答えもわからないんだよ。それがこの動画の先生が説明すると、なんでかわかるから、学校の勉強とは違うんだよ。」

 

 

と、子供たちの目線で言うわけです。

 

 

それをそのまま親族の両親は自分の子に伝えて、試しに見てみよう、とパソコンを開けました。そして、私の家で不登校中の自主学習をしているその子は、今は一学年下の4年生の国語からやり直しています。

 

 

私的には、学習に困っている子が自分のわからない所を一つ一つ、先生が解説して解きほぐしていってくれるツールなのかな、と感じました。

 

 

様子を見ていると、時々、動画を止めては何やらノートに書いています。そして少し戻って再生。この子はテキストはプリントせず、パソコンでちらっと見るぐらいで、全部「耳で聞いて」、動画の中の黒板をじっと見て、先生の動きと話しを一生懸命追っている感じです。

 

 

説明の何が違うのか、は、遠く小学校時代を離れてしまった私には今一つ、わからないことでしたが、印象だけで言うと、文章を読みあげながら、「流さない」のだな、と思いました。

 

 

読み上げた所の意味、その言葉がそのあとの文章に影響をあたえるのだという明確な表示、文章の中で主人公が考えていること、心の移り変わり、変化があった個所、その言葉、などを、きちん、きちんと一つずつ順を追って説明されていました。

 

 

小学校ではどうだった?と親族の子に聞くと

 

 

小学校では皆でまず音読、順番に当てられて読むこともある、言葉の意味調べから入る。音読がまず難しくて自分にはそこでだめになる。意味調べも国語辞典が上手く使えないし、家で調べても時間がかかるし、頑張ってやっても学校で当てられたときに上手く先生の質問に答えられない。それでみんなに馬鹿にされる。

 

 

サプリだと、音読は先生がしていて、意味も説明してくれるし、当てられることもなくて、安心して集中できるから、気持ち的にやりやすい。それに、学校では言わない細かい説明も、すごく丁寧に話してくれてる。

 

 

聞き落としても巻き戻せるし、どうしてもわからないことがあれば何分の所がわかんないかをメモしておいて、親に「ここがわからない」って言えば、一緒に見て考えて説明してくれる。わからない所を自分でいろいろ言い方考えて大人に説明するのってすごく難しいから、これだと何分の所がわかんないって見せればいいし、悩まなくてすむのが一番いいよ~。

 

 

とのことでした。

 

 

集団生活の中で勉強する、ということは、この親族の子のいうような

 

 

・ 音読(読みながら、同時に発声するということが特性上とても難しい)

 

 

・ 意味を覚える前に、「調べる」という作業ができずにつまづき、学習の大事な部分「意味を覚える」という所に到達できない

 

 

・ 先生と自分という1対1の応答にも、適切な切り返しが「瞬間的に」できない。

 

 

・ 自分の特性上の、同時処理ができない、情報を処理したり調べる作業が苦手、対話上での瞬間的な反応が難しい

 

 

という部分が集団学習では求められるので、学習内容に到達できない状態で挫折しているのかなと感じました。特性を抱えたうえで、小学校で頭に学習内容を定着させられる状態ではなかった、ということでしょうか。

 

 

この子は田舎と都会の間ぐらいのところに住んでいて、支援級対象となれず、親の強い希望で通級だけは許可されましたが、普通級でこの状態を続けたので学習不振が進行し、あらゆる部分の、良い部分ですら全体を押し下げるような自信の低下を見せたのかもしれません。

 

 

それも今は昔の話です。

 

 

今となっては、落ち着いて自分で学習し、理解を深める、という「当たり前の学習のスタイル」ができているので、今は昔の話になりつつあります。

 

 

要は方法と、環境と、特性の苦手部分を「当たり前のように日常的に使う」ことがない状況であれば、そうした壁がないので学習そのものに純粋に向き合える、ということなのかなと感じました。

 

 

 

子供たちには、今は勉強を嫌いな子にも近い将来、学習に少しでも抵抗感がなくなるように・・・少しでも勉強に関われるように、科学センターへ行くのもよし、恐竜のイベントに連れて行くのもよし、学習ゲームソフトでもやらないよりはやればいいと思いますし、不登校でも個別対応塾だけは行くとか、家庭教師との勉強だけはやるとか、通信教育は続けるとか、どの勉強もいやだけど、理科実験教室の習い事だけは行くとか、英会話のインターネット学習だけはやるとか、どんな形でもいいので全くやらない=0(ゼロ)にはならないように、応援したいと考えています。

 

 

 

学びは将来の力になりますし、子供たちが唯一、どの場所で生きて行くとしても自分が持ち歩ける財産となります。親がこの世を去ってもなお、残るのは知識や学びといった知的財産です。お金は無くなりますが、知識や学びは使いようによっては多少でも富をもたらします。稼ぐための礎です。

 

 

子供が勉強なんて嫌いだ、と全面拒否しているのはなぜか、あきらめたくないのに自分の出来なさ加減に失望し期待できないから「勉強のすべて」を捨ててしまおうとしているのだ、ということもあり得ます。それならば、捨てなくていい方法をとことん追求して求めていくお手伝いを、私たち親族の大人はどんなことがあってもサポートしていきたいのです。

 

 

学習のテーマで書いてみました。

 

 

以下、文中に出した学習ツールです。

 

この学習ソフトは教科書に沿っており、1年生~あります。

 

より初歩の学習からつまづいている子供に向きます。

 

 

 

 

 

最近の不登校の子達に人気のあるインターネットを使っての学習ツールです。

 

 

 

シンプル化されていて画面にも抵抗のない子が多いので、インターネットツールとしては

視覚的な刺激も少なく、視覚過敏な子にも大丈夫ではないかと思います。


 

 

参考になれば幸いです。

 

 

 

 

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