今日は、大人メインの話です。
一族は私を含めて、ソーシャルネットワークを使用している人間はごくわずかです。理由は明白で、「他人とのやりとりを全開状態にして大丈夫かどうか」という点で不安がある人は、まずソーシャルネットワーク(ブログやツイッター、Facebookなど)に近づきません。
これは個人が、日常生活で「対処できない気疲れする要因を増やさない」ことが目的であり、また「人に相談されたり、問かけられたりするとうまく対処できずもめたり、感情的になったり、自閉特性が強く出て客観性が失われることに自分自身が不安を覚えるから」というのが本当の理由です。
ですので、このブログに集めている情報も、一族は自分では表に出ずに私を仲介して発信しているような感じです。私が窓口になることで、困った状況に陥ることを避けて「日常の平安、自分の心の、精神の平安を保っている」ということでもあります。
私たち一族が重きを置いているのが、「実生活」つまり、現実の生活です。
私たちは強く自閉の思考傾向があり、自然体でいると心の多弁がとまらず、思考しているだけで1日があっという間に過ぎてしまいます。それでは何も生み出さず、生産性がなく、生きていく糧もえられません。
私たちの最終目標を「自立」「社会人の一人として、どんな仕事でもいいから自分の生活が成り立つように稼ぐこと」としてきました。
そのためには、その目的の最大の障壁である「自閉する思考、心の多弁」と真正面から向き合う必要があったのです。
発達障害の人の多くが陥るわな、というか悪循環に、
「心の多弁と自閉思考の世界で世界が完結してしまう」
ことがあげられると思います。自分でも、この傾向に不安を覚え、自分はどこか正常運転ではないと感じつつも、社会との均衡のとり方が分からないので、思考の渦の中にずっと巻き込まれて何年、何十年も翻弄されつつ生きていく、という例がとてつもなく多いように思います。
それは結婚相手であり生涯の伴侶である夫や、親族の一員となったパートナーさんが実感したことでもあります。
ですが、この傾向をずっと続けていると、「現実社会では何かをなしえていない」という、行動欠損の状態に陥ったまま、思考の中で路頭に迷い、精神が疲労していきますから、うつ病や無気力、止められない衝動的な怒りなどを抱えて二次障害を発症しやすくなるように思います。
人間は考える葦である、と哲学者が言いますが、考えてばかりでは生きてはいけないのが現実社会です。自立できず、稼げず、つまり自分への自信を失います。
私や親族がパートナーに「認知行動療法」をすすめてきた理由には、こうした上記の理由がありました。発達障害の人間が、自分の悩みを「自分を知る」ということで把握し、その次のステップに踏み出すには、「具体的に、実生活で自分らしくやっていける具体的な方法や対策のパターンを見つけ出して、それを実践していく」という作業が欠かせないのです。
現実世界でうまくやっていきたい、と強く願う場合には、現実世界のことを考え、現実世界で行動する比重を大きくしないといけないのです。
自閉思考の中にいて、自閉思考の「こうしたい」「ああだったらいいのに」という希望や願望、欲望、たらればの後悔や反省では、「現実世界での行動欠損」しているために、思考の渦からは一歩も出ておらず、むしろ自分が渦の中にいることにすら気が付いていない状態なので、社会を渦から眺めてあれこれ考えているだけで、実際には自分は「渦の住人」として、別世界で暮らしていることになります。
認知行動療法については、以前ブログ内でふれましたので、「認知行動」などで検索してみてください。
一つ言えるのは、思考の渦に入り込みやすい人は、その渦から遠ざかる「行動」を取ることは大事な一歩です。例えば、むやみにツイッターやFacebookで多くの他人とつながろうとせず、自分が落ち着いて自信を持って対処できるほどよい人数と、可能な限り現実世界でつながること、それが社会を知り、社会でうまくやっていくための「社会と自分のギャップを直視して分析していく、そして工夫を実践していき良い結果パターンを得ていく」のに欠かせない行動でもあります。
思考の渦に巻き込まれることから遠ざかるため、親族の多くはブログ等をやっておりません。そのかわり、自分の子供と向き合い、日々、目の前の子供の行動をしっかりと見て、観察し、わからない所は専門家や親族に聞き、いろんな対応できる方法やパターンを考えて、それを実際にやってみて、10の失敗の中から、上手くいきそうな1つの可能性を見つけて、それをさらに「親子でうまくやれるパターン」にならないか、次の日も、次の月も、翌年も、と一日一日を「現実」として捉えて日々試している、というのが大切な日常になっています。
話がストレートでなく説明不足で申し訳ないですが、言いたいこととしては、思考の波にとらわれやすく、自分の心の多弁にまきこまれて、感情の起伏も内部では激しく、不安や不満、怒り、悲しみが日常生活となっているのであれば、それは「思考の渦の中での生活」をしているということなので、自閉の特性が自然と連続していることの結果ですから、「現実世界で一つ、一つ行動に移す、それは他人の中で実行するとは限らず、自分一人の生活の中でも、実生活を大切にとらえてやっていく」ことで解決していけます。
具体的な例を挙げたいと思いますので、次の記事へ続けます。
一族は私を含めて、ソーシャルネットワークを使用している人間はごくわずかです。理由は明白で、「他人とのやりとりを全開状態にして大丈夫かどうか」という点で不安がある人は、まずソーシャルネットワーク(ブログやツイッター、Facebookなど)に近づきません。
これは個人が、日常生活で「対処できない気疲れする要因を増やさない」ことが目的であり、また「人に相談されたり、問かけられたりするとうまく対処できずもめたり、感情的になったり、自閉特性が強く出て客観性が失われることに自分自身が不安を覚えるから」というのが本当の理由です。
ですので、このブログに集めている情報も、一族は自分では表に出ずに私を仲介して発信しているような感じです。私が窓口になることで、困った状況に陥ることを避けて「日常の平安、自分の心の、精神の平安を保っている」ということでもあります。
私たち一族が重きを置いているのが、「実生活」つまり、現実の生活です。
私たちは強く自閉の思考傾向があり、自然体でいると心の多弁がとまらず、思考しているだけで1日があっという間に過ぎてしまいます。それでは何も生み出さず、生産性がなく、生きていく糧もえられません。
私たちの最終目標を「自立」「社会人の一人として、どんな仕事でもいいから自分の生活が成り立つように稼ぐこと」としてきました。
そのためには、その目的の最大の障壁である「自閉する思考、心の多弁」と真正面から向き合う必要があったのです。
発達障害の人の多くが陥るわな、というか悪循環に、
「心の多弁と自閉思考の世界で世界が完結してしまう」
ことがあげられると思います。自分でも、この傾向に不安を覚え、自分はどこか正常運転ではないと感じつつも、社会との均衡のとり方が分からないので、思考の渦の中にずっと巻き込まれて何年、何十年も翻弄されつつ生きていく、という例がとてつもなく多いように思います。
それは結婚相手であり生涯の伴侶である夫や、親族の一員となったパートナーさんが実感したことでもあります。
ですが、この傾向をずっと続けていると、「現実社会では何かをなしえていない」という、行動欠損の状態に陥ったまま、思考の中で路頭に迷い、精神が疲労していきますから、うつ病や無気力、止められない衝動的な怒りなどを抱えて二次障害を発症しやすくなるように思います。
人間は考える葦である、と哲学者が言いますが、考えてばかりでは生きてはいけないのが現実社会です。自立できず、稼げず、つまり自分への自信を失います。
私や親族がパートナーに「認知行動療法」をすすめてきた理由には、こうした上記の理由がありました。発達障害の人間が、自分の悩みを「自分を知る」ということで把握し、その次のステップに踏み出すには、「具体的に、実生活で自分らしくやっていける具体的な方法や対策のパターンを見つけ出して、それを実践していく」という作業が欠かせないのです。
現実世界でうまくやっていきたい、と強く願う場合には、現実世界のことを考え、現実世界で行動する比重を大きくしないといけないのです。
自閉思考の中にいて、自閉思考の「こうしたい」「ああだったらいいのに」という希望や願望、欲望、たらればの後悔や反省では、「現実世界での行動欠損」しているために、思考の渦からは一歩も出ておらず、むしろ自分が渦の中にいることにすら気が付いていない状態なので、社会を渦から眺めてあれこれ考えているだけで、実際には自分は「渦の住人」として、別世界で暮らしていることになります。
認知行動療法については、以前ブログ内でふれましたので、「認知行動」などで検索してみてください。
一つ言えるのは、思考の渦に入り込みやすい人は、その渦から遠ざかる「行動」を取ることは大事な一歩です。例えば、むやみにツイッターやFacebookで多くの他人とつながろうとせず、自分が落ち着いて自信を持って対処できるほどよい人数と、可能な限り現実世界でつながること、それが社会を知り、社会でうまくやっていくための「社会と自分のギャップを直視して分析していく、そして工夫を実践していき良い結果パターンを得ていく」のに欠かせない行動でもあります。
思考の渦に巻き込まれることから遠ざかるため、親族の多くはブログ等をやっておりません。そのかわり、自分の子供と向き合い、日々、目の前の子供の行動をしっかりと見て、観察し、わからない所は専門家や親族に聞き、いろんな対応できる方法やパターンを考えて、それを実際にやってみて、10の失敗の中から、上手くいきそうな1つの可能性を見つけて、それをさらに「親子でうまくやれるパターン」にならないか、次の日も、次の月も、翌年も、と一日一日を「現実」として捉えて日々試している、というのが大切な日常になっています。
話がストレートでなく説明不足で申し訳ないですが、言いたいこととしては、思考の波にとらわれやすく、自分の心の多弁にまきこまれて、感情の起伏も内部では激しく、不安や不満、怒り、悲しみが日常生活となっているのであれば、それは「思考の渦の中での生活」をしているということなので、自閉の特性が自然と連続していることの結果ですから、「現実世界で一つ、一つ行動に移す、それは他人の中で実行するとは限らず、自分一人の生活の中でも、実生活を大切にとらえてやっていく」ことで解決していけます。
具体的な例を挙げたいと思いますので、次の記事へ続けます。