今日の記事は、少し限定的な内容となります。WISCの検査結果の数値がIQ120以上ある子の、社会生活の場所選びの話となるからです。


初めにお断りをさせていただきます。この記事の内容は、あくまで「私たちの一族の一員からみられる傾向」であり、この広い日本全土の発達障害の子どもの傾向では全くありません。ですので、田舎でくらすほんの少数民族の傾向の一つ、ぐらいの感覚で読んでいただけるとよいかと思います。



この記事の主人公を、一人具体的に出そうと思います。同じ傾向の子が親族にはどの世代にも数人はいます。その中でも「苦しんだ子、でもその後、自分で最も幸せになった子と発言した」子を、この例として出したいと思います。もう時効だから、と本人と家族にも記事にすることにOKいただいています。


WISCの検査を受けるタイミングはみなまちまちです。だいたいはお医者様が言うタイミングにお任せすることが多いです。中でも、社会生活に適応していそうに見えるタイプは、小学生になってから受けることが多いです。


この子も小学校1年生で受けたタイプです。いわゆる、小学校の壁というものを経験しました。

乳幼児期は最初がはちゃめちゃで、はじめての集団生活時には脱走し、教室で大便をしたり、常識を逸脱したトンチンカンな不適切言動が頻繁で、ものすごく変わった子として有名でした。ですが幼稚園年長最初の頃ぐらいまでで、先生や親が教えることは素早く吸収して社会生活に適応し、笑顔が絶えないお友達付き合いのそこそこ上手な子になっていきました。ところが、小学校へ入ってそれが一変します。


おそらく、小学校生活に希望を抱き楽しみにしていたのでしょう。それが、入学式が始まり、授業が行われるようになってからこの子の苦悩は深まっていきます。毎日毎日、家で宿題をしながら泣くのです。もともと喜怒哀楽が激しいはっきりきっぱりとした感情を持っている子でした。


なんと言って泣くかというと、


「どうして・・・小学校はひどい所だ。どうしてこんな簡単なことばかりさせられるの」


「どうして、もっと勉強しちゃだめなの」


「教科書は全部読んでしまった。でもそれはいけないことだと先生から言われた」


「どうして、毎日毎日、こんなに同じような簡単なことばかり、長い時間かけて我慢して聞いていなきゃいけないの」


「先生が教えたこと意外は絶対覚えても使っちゃいけないって。なぜなの?賢くなるのは禁じられているの?」


「みんな、同じにできないとだめなんだって。勉強が嫌いな子はもっと頑張れっていつも言われている。ひどく落ち込んで悲しんでいるんだよ。嫌いだって苦しんでいる子に、どうして無理やり、怒ったり叱ったりして勉強させるの。もっとゆっくり、わかるようになるまで待ってあげたらいけないの?」


「宿題ができなかった、勉強が苦手だ、って言う友達に、学校で休み時間に面白くなるように教えていたら、先生が家で自分でやるべきだって言うの。どうして?」


「どうして友達と楽しく、教えたり教えられたりしてたらダメなの。先生は毎日家で、自分で勉強する習慣が大事だからだ、学校で手伝うと自分で頑張らないからダメって言ってたけど、友達は家で自分でするのがしんどくてできないって悩んでいるんだよ。どうして先生はそう言う子を助けてあげないの?友達同士でなんとかしようって思うのは、そんなにいけないことなの?」


「小学校っていう所がわからないよ。だれのことも大事に考えていない勉強の仕方じゃない?勉強が好きな子も苦手な子もみんな苦しんでいるのに、どの学校もそうなんだから仕方ないって。子どもは学校に毎日通って、教えられたことをきちんと勉強してたらいいから、友達と楽しく過ごせって先生から言われたよ。」


「家で好きなことしらいいって。勉強したいなら塾へ行けばいいって。わからない勉強は家で頑張ってちゃんと復習しようなって。学校は決まったことを、決まったようにやるのが大事なんだって。みんなに公平な教育なんだって。そうかもしれないけど、じゃあ、毎日こんな調子で朝から夕方まで、ずーとずーっと6年間やっていくんだよね。つらいよ・・・」



親も親族も、この子の言い分に思うことがありました。一つは、社会という概念に懐疑的になってほしくないこと、この出来事で世間というものはこういうものだ、と勝手に思い込んでほしくないということです。もう一つは、世界は広く、いろんなチャンスはあり、それを選んでいくことが自分の幸せの絶対条件だということ、それを教える時期がもう来ている、という実感です。



この子は乳幼児期は他の親族の子たちと外遊びをすることが大好きで、本も読んだことがないぐらいのアウトドア派、遊び大好きな子でした。ですので小学校に入学して初めて、勉強らしきものをすることになったのです。兄弟がいるので本や勉強するツールなどは身の回りにたくさんありましたが、外遊びが大好きだったこの子はシングルフォーカス気味で、他のことには全く興味を示しません。


外遊びで虫を追いかけ、自分で穴を掘っておじいちゃんとコンクリで固めて大きな池を作り、魚を飼ったり、畑を耕して自分専用の「理想の果樹園と野菜畑を作る!」と、小さい楽園を作っているような子でした。


ですので、小学校に入学して、お友達と遊びまくり、勉強はぼちぼちやっていくだろうと誰も疑いませんでした。その子がこういうので、びっくりして色々、親は探りを入れました。


どうやら知的な欲求にシングルフォーカスがされ、しかも能力がありそうだ。自分を持て余している、ということでなじみの支援学校の相談窓口へ行き、WISCをまず受けてみようということになりました。結果、最も苦手な分野で120以上、一番上は150に届くかという状態です。


正直、この結果を見て「ああ、中学ぐらいからはじめられたらよかったね」と思ったものです。小学校の勉強は、やろうと思えばおそらく1年間で6年分をやれるぐらいの知的欲求の強さと、能力があると感じました。でも日本には飛び級制度などと言うものは小学生ではないようです。いきなり試験を受けて小学1年生が中学の教育を受けられる、という可能性はない。


ならどうするか、と親は考え、ある先生へ電話しました。この先生は親族がこのタイプの進路相談の時にアドバイスをいただく、以前、発達相談でお世話になった先生でした。日本の私立の学校の知識をよく持っておられます。


幸い、そう遠くない地域に、学業がかなりハードだという私立の学校が見つかりました。編入も検討してみたらどうだろうか、ということで、まず子どもと話し合い、生活の場をどうするか(小学校に寮はないので)から考えていくことになりました。


親族の子は話に飛びつき、まず学校を見学に行き、気に入ったのであれば受験を考えよう。相手側の都合ももちろんあるのでWISCの検査結果と子供本人を見てもらい、編入試験を受けてもよいと言われたらやっとお見合いになるね、ということになりました。


話はトントンと進み、やさぐれていた5月6月でしたが、早々と7月には編入試験に合格したことで、夏休み明けの2学期からその私立小学校へ編入できることになりました。親が一人、小学校と仕事場に通えそうな中間点で2人暮らし用の家を賃貸することに。


この子にはシビアに話をしたそうです。


「地元の学校では無理だったから私立へ行くことになったけど、遊びではないのだから、お前のできる限りのベストをつくしてきなさい」


「お父さんとお母さんは、仕事をしているけれど他の兄弟のこともあるから裕福ではない。仕事で行事に行けないこともあるだろう。それは了解してほしい」


「勉強が好きになったのなら、どんどんやってほしい。貯金を使っている状態だから、成績が一番良いと中学からの費用が無料になるので、それも考えておいてほしい」


「勉強が思う存分にできる中学に行きたいなら、小学校で頑張って上へあがれ。でも公立の中学へも進学できるし、他の私立中学にも行ける。その時の勉強のでき次第で進路はまた相談して決めよう。」


「大学の費用を今使うことになったから、大学で勉強したいなら国公立にするか、私立へ行くなら学費をお父さんと一緒にお前も働いてためてからになるぞ」


ということで、家族会議がされました。議事録も取られたようです。


具体的に手続きするにあたって、転校先の学校の授業の様子を見学し、校長先生と話し、「どの先生も難問に挑戦する子にはどこまでもつきあって、放課後もたくさんやりたい勉強があるなら好きにやれる環境だよ」と言われ、渡された学習教材がわくわくする物ばかりで気分も高揚しており、「何でもする!どんなことでもこの学校で勉強できるなら我慢もできる!」と宣言したようです。


その後、この子は人生通して学問一直線です。アジアと日本を行ったり来たりして勉強しています。学費がかかったのは小学校までで、それからは奨励金をいただき、大学も「やりたい勉強はここが最高」と国立へ進学しました。アルバイトも塾講師や家庭教師など、勉強が好きだから趣味をかねて仕事をするという感じで、教え子を勉強好きにすることに意気込んでいました。帰省すると親族の子の勉強の面倒も見てくれます。


この子は、公立の小学校へ入学してからの2か月を、「地獄のようだった」と今でも言っています。たとえるなら、大人が、先生から「離乳食の食べ方を覚えましょうね~」と優しく話しかけられ、スプーンの持ち方や、おかゆの食べ方を1時間かけて学ぶような奇妙で無力感を感じる時間が、ずっと何時間も、毎日続くというものだそうです。


「このままだと、自分は気が狂うんじゃないか」


「ここは現実の世界なんだろうか。まるで別世界の、夢の中でごまかされているようなふわふわとした感覚になって気持ち悪くなる」


「休み時間だけが、現実にもどれる楽しい時間だった。チャイムがなると、また奇妙な夢番組がはじまる感じ。ただただ、耐えていたけれど、うわ~~!!って叫んで発狂しそうになった」


そうです。精神的にバランスが取れなくなり、いわゆるうつ状態のようになったのかもしれません。現実感のない毎日というのは、それぐらいつらいものなのでしょう。


この時に、親が動かず、そのまま公立小学校へ通わせていたなら、完全に不登校になったと思います。家庭で自主学習する道か、高度な学習をいくらでもさせてくれる、先取りもOK、学年の枠にとらわれずやりたいだけやれという方向性の学校か、の二者択一しかなかったと思います。


この子の性質は外へ外へと向いていますし、欲求が満たされていると心に余裕ができ、どんどん底上げ式に不適切な言動も改善していこうという意欲がわき、社会性を身に着けていくタイプです。逆に言うと、欲求がみたされないと、うつ状態のように泣いて意気消沈しへしゃげてしまう弱さがあります。


そうすると不適切言動などにも一切対処できる余裕もなく、社会性の部分は停滞し、むしろ荒れてしまうので特性の負の部分が育ってしまいます。知的に高い子に多いように、そうした自分の境遇への不満は外界へ向かい、不満、怒り、恨みとなって性質まで暗く捻じ曲げてしまう方向へ爆走することにもなるのです。


子どもの道筋は、いつも選択で変わっていくものなのだと、しみじみ感じることの一つです。だからこそ、「子どものが遠い将来、働くころに最善な状態であるように、小さいころからの道筋は何の縛りも先入観も持たず、できることを可能な限りやっていく」という意識が、私たちの一族の中には根付いているんだと思います。


この、小学1年生にして絶望を経験した子は、長じて「自分は幸せだ。やりたいことをやってきた。世界一、幸せだと感じることもある」とよく言うそうです。好きなことができる、それが生きるたった一つの糧であり、それがないと「最も不幸、生きていけない」という極端な危うさを持つからこその、影を持つ者としての実感であるようです。



今回は知的欲求が強く、それが現実世界で幸せとなる唯一の手段だった、と公言してはばからないタイプの特殊なケースをご紹介しました。



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