本日、2つ目の記事です(kmkrさん、またまたありがとう!)

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学校で展開される、子ども達の間の「いじめ」は、過去も昔もどこにでもありますが、最近増えてきたいじめのスタイルに眉をひそめてしまう私です。


物言わぬ子に対する、身体への直接的な傷害(軽くても傷害だと思います)例が、ここ数年は増えているように思います。


なぜなのだろう、と考えます。


子ども達の間で、他人の身体に傷をつける、ということに対してのハードルがなくなってきたのでしょうか。他人の血を見ることや、身体の一部(今回は皮ふです)が欠損するということを目撃しても、それを「怖い」ととらえる感覚が鈍ってきているのでしょうか。はたまた、幼い子供の抱えるストレスが、学校で爆発するぐらいに負担が大きいのでしょうか。それとも、個人の資質が落ちてきてるんでしょうか。暗い欲望の面を増幅させる社会的雰囲気があるのでしょうか。



一族の中には、対話が不得手な子達が多々います。学習能力的な事は個人差がありますが、子ども時代に喋らない子というのは一定数いるのです。発語が遅く、小学校高学年ぐらい、もしくは思春期になってからも言葉のかわりに「パソコンで文章で表現する」という方をひどく好んだり、会話はめんどうで苦手で、自分としては使いにくいツールだと決めている子も何人もいるのです。


そんな子をターゲットにするいじめが、また最近出ました。陰険としか思えないのですが、わざわざ小さい傷を、一度にたくさんつけてくれたものです。手の甲にあったので発覚しましたが、調べればシャツに隠れた脇腹に爪で数か所、えぐられた所があります。この子は小学1年生です。


それはもう、普段おとなしい両親が悪鬼のように豹変しました。今はスマホと言う便利な物がありますので、証拠写真も保存、かかりつけの小児科医の診断を速やかに取って学校へ。先生方に用事もあろうと思いますが、夜間になりましたがその日のうちに「登校を一時見合わせ」の通達をしてきました。



先生方はきちんと対応してくださいましたが、両親が「物言わぬ子」の安全は学校では確保できないと判断したのです。実際、全くどの先生も気が付いておらず、それは仕方ないとしても、多くの時間つきそってもらっている個別支援の先生ですら知らないという状態を鑑みて、相手の子の巧みさを考えました。つきそい支援のサポートがある中で加害が成り立った、という事実を両親は重く受け止めました。


この子は、非常におっとりとしていてスローですし、言葉がほとんど出ていないので知的に問題があるとあなどられがちです。ですが、中身は外見を裏切り、非常に高度な学習能力を持っています。学校で勉強は理解できませんが、家で家庭学習をした範囲はほぼ100%記憶します。ですので、授業の受け答えはできない、当てられても全くニコニコするばかりで答えられない、グループ活動もちんぷんかんぷんだというのに、まとめテストや学年末テストはほぼ100点を取ります。夏休みの宿題も、家族がサポートをすれば嫌う事もせず、コツコツとやるタイプで読書感想文も含めてすべて仕上げて出しました。一般の人から見ると理解しにくいギャップがあります。


対人関係面が「いつもニコニコしていて、発信はなく、受け入れる一方」であるため、穏便な方なので輪に入れてもらいやすいのですが、こうしたいじめなどに関心のある悪意ある人間のターゲットになりやすい側面もあります。なにか被害を受けても、それがどういう意味なのかを理解しにくく、また痛みに「痛い」という感情がその場で出にくく、泣いたり叫んだりという事も皆無です。むしろ、されていることをじっと観察し、その意味合いを一生懸命考えるという変わった方向へ意識がいくので、普通のいじめに対しての反応をしません。それが加害者には都合がいいのだろうとも思います。また、「普通、痛かったらその場で意思表示するはずだ」とか「痛いと泣くはずだ」と思い込んでいる大人には理解されにくい子です。一つ間違えば、「自分でストレスから自傷したのでは」と言われる恐れもあります。


今回は不幸中の幸いと言っていいものか・・・脇腹の背中方面まで傷がありましたので、自分で届かない範疇であったこと、爪の跡、えぐられた皮の向きから小児科医が他人からされたとしか考えられないと言ってもらえたことで、先生方に両親の訴えの信憑性がありました。



こうしたいじめは、実は最近めずらしくありません。ですので、慣れたくもないのですが対処に慣れていたので、すみやかに動くことができました。この子は、つたないながらも「こんな風にされた」ということは、つままれたしぐさで、また「○○の時間でした」と伝えることができました。その時間、いつもは微動だにしないのに後ろをしきりに気にしていたようだったという先生の話と一致しました。他人に興味がなく、また同級生の名前を覚えないので「誰がやったか」ということはわかりません。指を指せるかもしれませんが、されたこと(つねられたりえぐられたり)という行為をじっと見ていたのであれば、「誰が」という部分の記憶は薄いかもしれません。並んだ時の前後か、机の前後左右なのか、それぐらいの検討となります。


学校が安全であるという確認ができないと、「誰がやったかわかりません」「また注意して見ておきます」ではこの子を送り出すことは難しいです。「加害したがばれなかった」という実績を、その加害した子に作ってしまうだけに他ならないからです。子供の残酷な面というのは、私達は嫌と言うほど経験しています。自分からやめるということをしない子も、多々いるのを知っています。エスカレートするのは「発覚しない」または「発覚しても、ばれなかった」という事実に裏打ちされた時です。ですので、いじめの中でも、身体的な加害は特にあいまいにするのは危険です。



以前記事に書いたと思いますが、一族では加害をした者はその日のうちに相手の家に親同伴で謝りに行き、本人を即刻登校停止にします。加害を受けた人を守るためと同時に、加害した者に自分が取った行動の認知と、善悪の確認と、暗い愉悦がないかどうかの確認と、精神的な歪みがあればそちらの対処を優先しないといけないので、観察するためです。加害をする方でもあり、受ける方でもあった経験がそうさせます。ですが世間一般では、定型のお子さんにそんな対応をする親御さんもいないでしょうし、またそうした必要性は一切感じないのだと思っています。だからこそ、いじめはなくならず、長期にわたることもあり、また命に関わる大参事に発展することもあるのだと感じます。



都心に住まう親族の子達の学校では、軽いいじめはどのクラスでも日常的にあると聞いていますが(軽い、日常的、というのがもう絶望的ですが)、田舎でもこういうことはあります。もともとが精神的に成長期であり未熟である子どもですので、子どもがいる場所では、どの世界にも間違ったことは起こります。その個人が、事の重大さ、「他人の体を自分の好きに傷つける」という暗い欲望を直視して、自分の人としてのあり方のふり返りができる相手であることを願うばかりです。





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