我が一族の特徴の中で、発達障害が重荷になっていないその大きな理由の一つは、「仕事をして稼いで自分の価値観を確認する術がある」ということにつきると思います。ただ、その「仕事をする」という目標や意識は、発達障害の人間にはイメージしにくいため、小さい頃からの意識づけが必要です。今日はその話を書いてみます。
同じ発達障害の人間でも、価値観が大きく異なるのだなぁと感じることがあります。それは、結婚した相方との出会いで感じた発見であったり、親族以外の発達障害の子がいる他人との会話や付き合いの中で感じることです。
療育の場へ足を運んだり、役所の用事や他の親族の子の療育の送り迎えなどで、発達障害の専門家の方々と接することは多いです。そして、都心に住まう親族の療育先からも、良く言われることがあります。それが「将来、仕事をすることが困難」という話題です。障害ゆえに、技能的にも難しい、対人関係がこじれやすいので、会社勤めが難しい、そもそも「仕事をする」というイメージがなく自立しにくい、などなどマイナス面ばかりを話されることが多いです。ですが、そうでしょうか?だとしたら、我が一族はかなり強い障害特性を持ちながら、なぜ手に職を持っているのか。
ただ単に、「方法を知らなかったから」じゃないでしょうか。定型一般の人の考え方からは想像がつかないのが、発達障害の人間の生きやすい生き方です。定型さんの、いい大学へ行き、100社の面接を受けて1社に入社する、そしてそこで頑張る。という就職への道筋そのものが、以前記事に書いたように、とてつもなく無理で無駄で、発達障害の人間にとっては現実離れしたコースだと言えます。
家に籠って仕事して何が悪いのでしょうか。それで稼げていることで、自由にできるお金が手に入り、趣味も楽しむことができて魚釣りに出かけたり、鉄道旅行に出かけたり、と「外の世界へ出る」ことができるんです。学校は不登校でも、高校卒業資格を取ることはできますし、そして大学は好きな興味のある分野を勉強して、「自分にできる仕事」を模索していく。それでいいんじゃないでしょうか。
長くなりましたが、このような、定型一般の方々とは違う路線を歩む一族ですが、夫や専門家と出会うとその価値観の違いに衝撃を受けました。仕事、というのは人生のゴールであり、生まれたときから「生きていくため」に必ずしないといけないこととして、親が伝え、仕事ができるように学力や優れた部分を磨き上げていくように促すわけです。そうして自動的に、仕事をするようになるんですね。夫は私と似たタイプで、好きな学問しかできないので大学は楽しかったそうですが、彼の兄弟は大学で精神的にダウンして二次障害のうつ病で苦しみました。「何がしたいかわからないまま大学へ行き、とりあえず就職した会社ではじめて技能を身に着けて、向いてなさそうだけど食べていけるから無理やりやっている」という状態で、いまだうつ病が治らず、苦しんでいます。
定型一般のやり方と考え方で「よい大学」が目標だと、就職、仕事、ということを考えたことがないので、そこでどん詰まりになり、その後の人生がわけがわからないものになる(彼の言葉を借りました)こともあるのです。だから、定型一般の方々に何を言われようと、たとえ蔑まれようとも、発達障害の人間は自分独自のやりやすい方法で、生きやすい生き方でやっていくことが大事だと思います。
その具体例として私が常々思うのは、農業をやってきた老人たち、そして新しく品種を改良したり事業の方法を変えたりして試行錯誤しながら引き継いでいる若い親族達の働き方です。農業は、発達障害の人間にとてもあっていると思います。以下がその理由です。
・ 収支計算がしやすい(必要な経費と実りから得る利益という考え方がシンプル)
・ 苦労をわりきりやすい(自然が相手なので、上手くいかなくても怒り責任をぶつける相手は自然しかないので)
・ 黙々と、自分のペースで自分のやり方で働くことができる
・ たとえ何度か失敗しても、とりあえずある作物を食べて生きていくことができる
・ 農協があるので、結婚や農作業に必要な費用なども頼ったり貢献したりと親が死んでも支えがある
・ 大学で学んだことが、より稼げるようになる手段の発想や人脈として活用できる
などです。発達障害の人間に必要なのは、わかりやすい作業をつきつめることと、自分以外の者を責めやすい性質を自分であきらめられること、自分の世界を壊されないこと、そして親が亡くなった後の支えです。
仕事の内容が、農業は単純です。土があり、育て、収穫する原始的な作業です。これはどんな障害がある人間でもわかりやすいのです。そして、慣れてくると自然を上手く利用できるようになってきます。収穫により得られる利益はとてもわかりやすく、「仕事をする=稼げること」だと実感しやすいのです。
そして、ここが肝心なのですが、仕事を続けていけるためには、障害特性が仕事の障害にならないようにすることが大事です。つまり、上手くいかなかったり、失敗したりということを会社では人のせいにしたり、会社のせいにしたり、環境のせいにしやすく、また本当にそうだったりもします。そのため退職して次に行くようになります。農業は、相手が自然であり天候ですし、神様が相手ですからコントロールができない、という自覚のもとに生きていきます。そうすると「神の采配に対しては、あきらめないといけない」こと前提での農業ですので、文句を言う相手もなく、失敗しても、不作でも、あきらめられます。そして、自然ですからもちろん天候が良い条件になれば成功すると理解できますから、続けることもできます。
そして最後に、これも結構大事なことですが、同じ農家同士の組織である農協や農家の先輩たちが、親族や親よりも先々、自分の子供が若くして農業を始めたときでさえ力になってくれます。親がこの世にいなくなっても、経済面、精神面、あらゆる部分で相談にのってくれ、支えとなってくれます。誠実に真面目に働いてさえいれば、定型一般の人であっても農業の人間は粘り強く、そして広い心で受け入れてくれます。そして、大学い行くことは実は農業でも役立ちます。よい経営ができるようになったり、マイナーな研究職でもその技能が生かせたり、ウェッブデザインやITを勉強していたからこそ通販が創り出せたり、人脈から店におろすことができたり、と色々メリットが出てきます。農業にも大学や専門学校での学びは生かせますし、十分に財産となります。
体力と病気をしない身体にもなります。それが資本であり、それさえあれば、頑張れるし成果もでるし人生を自分らしく、人的ストレスから解放されて、こころ落ち着く自然の中で生きていくことができます。発達障害のある人間が農業に向くと感じるのは、子供達が農作業を手伝う、と言い出す時に感じます。悩めば不登校をし、そして農作業をして無心に身体を動かして、何か「ふっきれた」と晴れ晴れとする事がありました。一族の親族の子は、そういう心を立て直す場や自分を落ち着ける場に農作業場を選ぶことが多いです。虫好き、昆虫好きな子は一日畑や田んぼや山にいます。興味や嗜好が合うのかもしれません。
世間一般でいう「仕事」とは、街でお勤めをすることなのでしょうが、今は昔、というような古い時代から続く農業というものが、どれだけ人間の本質を解放して癒してくれる優れたものであるかということも知っていただきたく、この記事を書いてみました。
発達障害のお子さんを持つご両親には、一度オーナー制などをしている農家の田んぼのオーナーになり、小さいエリアを借りて子どもと季節ごとに野菜を育ててみたり、稲を植えたりして農業を経験してもらいたいとも感じています。きっと「こういう仕事があるんだ」というイメージにつながり、一つの進路として印象に残る事と思います。そして願わくば、減り続けている日本の農業を下支えすることで、人間にとって欠かすことのできない大切な食糧を生産し社会に貢献する者の一人となってもらいたい、とも思っています。最後は勧誘的な話ですみません。
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