フランス紀行・1 | 孤独な音楽家の夢想

フランス紀行・1

10月13日(火)

 成田空港から日本航空405便にてパリへ。パリ、シャルルドゴール空港に到着。着後、専用車にてパリ市内のホテルへ。


 ホテルのチェックインを済まし、部屋へと入る。時間がないので、ポーターに頼まずスーツケースを自分で部屋まで運んだ。夕方になっていたので、部屋の中は薄暗かった。大きなベッドが部屋の中央に置かれ、それが蒼白くぼんやりと浮き上がって見える。部屋の印象は悪くない。決してゆったりとしているわけでもなく、豪華な感じでもなく、感激するような要素はどこにもないが、全てがあるべき所にきちんとあり、静謐におさまっている。それでいい。僕はひと通り部屋を眺めまわしたあと、電気を点けた。机上のランプがひとつ点いただけだ。蒼白さが温かなオレンジ色に変わっただけで、部屋の明るさはさほど変わらない。なぜホテルの灯りはこうも暗いのだろう・・・。いつものセリフを誰にも聞こえないような曖昧さで洩らした。腕時計を外し、時間を確認すると、あと15分。急いで服や下着を脱ぎ、眼鏡と一緒にベッドの上に無造作に置いた。思い立ったようにスーツケースのカギを開け、中の物を何となく確認した。まだ服を着ていたほうが良かったな・・・などと思いながら、タキシードと燕尾服を取り出した。オレンジの光のあたる所で顔を近づけて服が皺になってないかどうか確認し、丁寧にクロゼットに並べた。それからざっとシャワーを浴び、歯を磨いた。少し小腹がすいていたが、我慢して身支度をした。あれこれ服を選んでいる暇はなかったので、瞬時に頭の中でいくつか着せ替えをし、気のきいたジーンズをはき、素敵なニットにタキシードのジャケットを羽織った。鏡を見てみると、どうも気に入らない。ニットに皺がよっていたからだ。ニットはやめよう。しかし外は寒そうだなぁ・・・。いや、オシャレのためなら何のその。ニットを脱ぎ、インナーも脱ぎ、雨粒をあしらったシャツを素肌に羽織った。第1ボタンまで閉めると如何にも堅苦しい。それで第2ボタンまで開け、タキシードを羽織る。フォーマルがいい具合に崩れている。仕上げにエナメルシューズを慎重に履いた。よし、これでいい!パスポートと財布をセーフティボックスに入れ、いくらかポケットに小銭を入れた。準備はできた。ちょうど時間だ。

 ホテルのロビーに下りると、おのおのが小奇麗な格好をして出発を待っていた。すでに外は暗くなっていた。この時間、タクシーは大渋滞に引っかかる可能性があるそうだ。こんな素敵な恰好で町を歩き回りたくはないと思ったが、みんなについて、急いで近くの駅から地下鉄に乗った。バスティーユまでは地下鉄を2つ乗り継がなくてはならない。オシャレなパリとはいえ、これは少しオシャレすぎたかな・・・。・・・しかも1789年ならば、きっと場違いな格好だっただろう。しかし2009年ならば、歓迎の眼差しで迎え入れられるにちがいない。そんな馬鹿なことを考えているうちに到着した。地上に出たそこは、7月革命のモニュメントがそそり立つ広場だった。そこに隣接して堂々と建っているのが新オペラ座「オペラ・バスティーユ」。すでに開場時間を過ぎていたので、座席へと急いだ。特等席だった。大友さんと三枝さんが並んで座っている。大友さんはプログラムをペラペラと眺め、三枝さんは日本から持ってきたオペラに関するいくつかの資料をぼんやり眺めていた。・・・この席ではいい加減な事は口にしないほうがいい・・・。僕はいくぶん気配を消し、そっと周りを眺めまわした。満席になった広い客席は、ある種の熱気があった。いやはや、この大空間に声を響かせ、この大観衆を唸らせるのは、よほど大変なことだろうな・・・。僕は落ち着いて椅子に座り直し、体制を整えた。まもなく場内が暗くなり、指揮者が現れた。さあ、幕があくぞ。


 コルンゴルト作曲:オペラ「死の都」。めったに上演されることのない演目だ。モーツァルトの再来と謳われた彼が、22歳の時に書いた作品だ。1920年代の初演当時、空前の大ヒットだったそうだ。しかし彼がユダヤ系のドイツ人であった為に、ナチス政権下、退廃音楽として上演が禁止された。その後、第2次世界大戦が終わっても、上演される機会はほとんどないままだった。その理由は、彼がアメリカに亡命後、ハリウッド映画音楽で活躍したために、クラシック音楽史では彼の作品が重要な位置を占めていないという事と、これを歌う歌手に、きわめて高い技術が求められている事などにあるという。

 始まるとすぐに、濃密な音の渦によって瞬時に時空が歪められた。僕はすぐにその世界に引き込まれ、まるで異次元をあてもなく彷徨っているかのように思えた。そこには規則性や甘美なメロディなどこころ安らかな素材は排除されている。すべてが混沌であり、懐疑的である。幕が上がると、舞台は遠近法をさらに強調したような線と面だけの絵画のよう。椅子が二つ、左右に対照的に置かれ、一方の壁に大きな絵が無造作に立てかけられている。美しい女の絵。男はそれをじっと眺めながら肩を落としている。愛妻を失った男。男は苦悩をメロディとは言えぬメロディに託し、テノールをヒステリックに語りあげる。頻繁に繰り返される高音には、力強さと持続力が要求されている。男はオーケストラ・ピットに入りきらないほどの大オーケストラを圧倒し、バスティーユの大空間に響かせなければならない。そうしなければ、男の苦悩を真に伝えることはできない。喪失感――あるべきものが、そこにない。己の一部を、もぎ取られたかのような感覚。ぽっかりとこころに穴があき、そこは何をもってしても決して埋めることはできない。ただ、実体のない永遠の甘美な思い出だけがそこに残され、それを人生の慰めとしていくしか方法がない・・・。男は幻想の中で苦悩する。僕も彼と同じ夢を見ていた。神秘的な劇空間において、夢の共有こそが束の間の慰めであり、救いであると信じて・・・。男は町で出会った愛妻似の女に、やり場のない想いを重ね合わせ、肉体的な欲求をぶつける。しかし、ついに答えは見いだせなかった。いくら探しても妻はどこにもいない。存在の痕跡を求めたところで、それは空しいだけだった。もう妻の体温を感じ取ることはできない。決定的な時空の隔たりがそこにはある。幻想の中で、唯一結ばれうる可能性を秘めているだけだ。想念の自由。時空を脱却し、一瞬にして繋がりあう。そんなことがあるかもしれない。肉体の不自由。重力に支配されている限り、個体として己の範囲内で生き続けなければならない。死者と生きている者は、「いま=ここ」を別次元で共有する表裏一体の関係でありながら、まるで己の影を決して踏むことができずに影がするっと逃げていくように、現実としてお互い求めあってはならぬものなのだ。・・・男は死者を平安のうちに憩わせておいて、自らは生き続けることを決意し、この「死の都=妻」から離れるのだった。


                                                      ・・・つづく・・・


by.初谷敬史