◆「白山音楽倶楽部」第5回定期演奏会
【日時】2月18日(日)開演15:00
【会場】早稲田奉仕園スコットホール
【曲目】保坂修平:「未来へ」(詩:谷川俊太郎)(委嘱作品・初演)、黒人霊歌より、「サウンド・オブ・ミュージック」より 他
【出演】合唱:白山音楽倶楽部、ピアノ:保坂修平、指揮:初谷敬史
※お問い合わせ:shinsan1978@icloud.com(山川)

◆「東京マラソン2018・開会式」
【日時】2月25日(日)8:58- 国歌合唱、9:20-9:35 スタートの応援合唱
【会場】東京都庁前特設スタンド
【出演】合唱:六本木男声合唱団ZIG-ZAG(ピアノ:岩井美貴、指揮:初谷敬史)、ギター:マーティ・フリードマン、合唱:花園小学校合唱
※フジテレビで中継予定

◆「ヴォクスマーナ」第39回定期演奏会
【日時】3月4日(日)開演14:30
【会場】東京文化会館小ホール
【曲目】
・北爪道夫(b.1948)/ 手まりうた(委嘱新作・初演)
・小出稚子(b.1982)/ the smoke of kreteks(委嘱新作・初演)
・田中吉史(b.1968)/ 気象情報の形式による六重唱曲(2012委嘱作品・再演)
・山本裕之(b.1967)/ 失われたテキストを求めてⅢ(2014委嘱作品・再演)
【出演】合唱:ヴォクスマーナ、指揮:西川竜太
※お問い合わせ:voxhumana_info@hotmail.com

◆「第6回 3.11 全音楽界による音楽会・チャリティコンサート」
【日時】3月10日(土)開演18:30
【会場】サントリーホール
【チケット】入場無料(全席指定・事前予約必要)入場時にお一人さま1万円以上の義援金を申し受けます。
【出演】
○クラシック:上野星矢、大島幾雄、大山大輔、小川里美、神楽坂女声合唱団、coba、佐藤しのぶ、ジョン・健・ヌッツォ、東京女声合唱団・VOJA FAMILY、紅林弥生、服部百音、宮田大、横山幸雄、吉田誠、六本木男声合唱団ZIG-ZAG
○ポップス&演歌:小林幸子、さだまさし、氷川きよし、平原綾香、三浦祐太朗、 由紀さおり・安田祥子、LE VELVETS
○指揮:高井優希、渡辺俊幸
○総合司会:露木茂、永井美奈子
※お問い合わせ:0570-02-9111(チケットぴあインフォメーション)

◆「INAHOコーラス」第9回定期演奏会
【日時】3月21日(水・祝)
【会場】同仁教会礼拝堂
【曲目】木下牧子:「悲しみの枝に咲く夢」(詩:大手拓次)、林光:「グラナダのみどりの小枝」(詩:ガルシア・ロルカ)他
【出演】合唱:INAHOコーラス、ピアノ:中山博之、指揮:初谷敬史
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2018-02-12 23:13:38

「白山音楽倶楽部 第5回定期演奏会」に寄せて・3

テーマ:ブログ

(承前)

 

 ・・・僕たちが大切にしたいことは、過去への想像力と敬意である。

 僕は、白山音楽倶楽部の活動の柱である「黒人霊歌」に、その想いを乗せてみたいと思っている。しかし、日本人の僕らにとって、このことはとてもハードルが高い。アメリカで奴隷として生きたアフリカの黒人たち・・・、そして、旧約聖書の世界を経て、十字架にかかったイエスの物語・・・、これらをリアルに感じることは、とても難しい。

 ・・・けれど、想像することは自由である。敬意をもって想像してみれば、完全に間違いということはないし、失礼・無礼にあたることもないだろう。僕たちは、そうすることによって、人生にとって本当に大切なことを学ぶことができるし、自らを考え直すこともできる。そしてそれは、僕たちがあしたを生きることに繋がっていくと思うのだ。

 

◆「I’m Goin’ To Sing」(わたしは歌う)・・・コンサートのはじめに、僕はこの曲を、黒人たちの信仰告白「クレド」(わたしは信じる)として演奏してみるつもりだ。

 「I’m goin’ to sing when the spirit says : Sing !」(聖霊が「歌え!」と言えば、わたしは歌う)・・・僕は、この歌詞の世界そのものが、「黒人霊歌」そのものであるのではないかと思っている。・・・「霊歌」とは、「聖霊の歌」「聖霊による歌」である。歌詞にあるように、黒人たちは、神の働きである「聖霊」によって導かれて「歌い」、「祈り」、「叫んだ」。したがって、彼らが歌い、祈り、叫んだものが、彼らの魂の叫び=黒人霊歌となったのである。・・・はじめに、祈りの言葉があった。そこに節がついた。そしてリズムに乗った。

 「And obey the spirit of the Lord」(そして主の聖霊の言葉に従おう)・・・彼らにとって、とても大切だったのは、「obey(従う)」という一念である。彼らの主人は、白人なのではない。彼らの主人は、主なる神であるのだ。

 

◆「Let Us Break Bread Together」(パンを分かち合おう)・・・僕はこの曲を、「ミサ」として演奏してみたい。

 ・・・労働、疲労、屈辱、暴力、瀕死。一日の過酷な仕事を終えた黒人たちが、夜、仲間と膝を付き合わせて、ひっそりとパンとブドウ酒を分けあう。そして、彼らは、遠い昔、イエスが弟子たちと取った最後の食事に想いを馳せる。(イエスは自分を弟子たちに記憶させるために、パンとブドウ酒を分け与えたのだ。・・・イエスはその後捕えられ、人びとの罪を背負って十字架にかかった。イエスはそのことを分かっていた。イエスの苦しみ、そして、大きな愛・・・。)黒人たちの粗末な食事に、イエスたちの食事の残像が重なると、薄汚れた暗い部屋の中に不思議な一体感、安心感が生まれた。彼らのこころは憩っているのである。それは、神の国における永遠のたゆたい、そのものである。

 束の間の休息である深い夜が明ければ、明日はまた、過酷な労働が彼らを待っている。しかし、彼らは輝く朝日が昇るのを夢みた。それは、自分たちの栄光の未来である。朝日を夢見て、彼らはこう祈った・・・「キリエ エレイソン」(主よ 憐れみである存在よ)。この苦しみの世界は、永遠の住処なのではなく、神を信じれば、必ずや、神の御許に行くことができる・・・。彼らは、仲間とともにそれを確認し、安心するのである。

 

◆「Dig my Grave」(おれの墓を掘ってくれ)・・・僕はこれを「レクイエム」として演奏したい。「家族や友人」のための鎮魂歌ではなく、「死者」のため、死んだ黒人たちのための鎮魂歌である。

 彼らの死は、痛ましく、残酷で、けっして、人間の尊厳が与えられることはなかった。しかし、彼らは、自らの死を迎える日が来ることを、こころの奥底で願い続けていた。(そんなことは、誰にも言うことができなかったし、正直、どんな死に方でもいいと思っていたのだ。)なぜなら、「死」は、肉体の死であり、奴隷からけっして逃れることのできないこの世との決別であった。・・・それは、来世において、神のもとで「永遠の命」がはじまることを意味する。

 彼らは死というものを、もしかしたら、僕たちよりもずっと客観的に捉えていたかもしれない。・・・肉体的・精神的苦痛を味わいながらも、恐ろしく静かに、こころ穏やかに、かつ坦々と、その時がやって来るのを、じっと待ち続けていたのだ。信じる者は強い。その先に、必ず、救いが待っているのだから・・・。

 

◆「The Battle of Jericho」(ジェリコの戦い)・・・この旧約聖書に書かれた物語が、彼らの信念の拠り所であった・・・ということを、第一ステージの最後に、改めて確認したいと思う。

 長きに渡るエジプトでの奴隷生活から逃れ、40年もの間、荒野をさまよったイスラエルの民。もうすぐ、神との契約によって与えられた「約束の地」に入ることができる。そこに立ちはだかる要塞都市「エリコ」。力尽きたモーセの後を継いだヨシュア。彼らはヨルダン川を越えて、エリコの城壁を取り囲んだ。彼らは、神の命令に従い、一日に一度ずつ、六日間、黙って城壁の周りを回った。すると七日目、奇跡は起きた。民が城壁の周りを回り、神の命令の通りに角笛を鳴らし、ときの声を上げると、エリコの堅固な城壁は一瞬にして崩れおちたのだった。

 ・・・この物語は、「約束の地」「神の国」に行く方法・道筋を示しているだろう。黒人たちは、イスラエルの民に、自分たちの苦難と救済を重ね合わせたのである。神を信じ、神に付き従えば、必ず、救いの道が開ける・・・、と。いや、別の言い方をすれば、彼らには神を信じるしか、彼らの魂を救う手だてがなかったのである。

 

 僕たちは、「旧約聖書」から、イスラエルの民の苦難の歴史を想像する。そして、現在の中東における紛争の連鎖を思う・・・。僕たちは、黒人奴隷たちの災厄と信仰と死を想像する。そして、現在でもけっして取り去ることのできないアメリカの人種差別を思う・・・。過去の歴史が、現在へと直結していることは言うまでもない。もちろん未来へも、それらが確実に繋がっていくわけだ・・・。

 しかし、僕らはそれを、悲観的に捉えるのではなく、そこから様々なことを学び、それを教訓として肝に銘じ、飛躍させる方法で、未来をひとつずつ、つくっていけばいいのである。

 過去への想像力と敬意。白山音楽倶楽部の夢みる若者たちは、ここからはじまる・・・。

 

==================

 

■白山音楽倶楽部 第5回定期演奏会

【日時】2月18日(日)開演15:00

【会場】早稲田奉仕園 スコットホール

 

【曲目】

◇第一部 〜夢みる若者たちの歌〜

 ・黒人霊歌「I’m Goin’ To Sing」(わたしは歌う)

 ・黒人霊歌「Let Us Break Bread Together」(パンを分かち合おう)

 ・黒人霊歌「Dig my Grave」(おれの墓を掘ってくれ)

 ・黒人霊歌「The Battle of Jericho」(ジェリコの戦い)

 ・「そのひとがうたうとき」(作詩:谷川俊太郎、作曲:木下牧子)

 ・「明日ハ晴レカナ、曇リカナ」(作詩・作曲:武満徹)

 ・「明日に架ける橋」(作詩・作曲:Paul Simon、編曲:前田憲男)

 ・「未来へ」(委嘱初演)(作詩:谷川俊太郎、作曲:保坂修平)

◇第二部 〜My Favorite Songs(わたしのお気に入り)〜

 ・「Tonight , Tonight」(作曲:Leonard Bernstein、バーバーショップバージョン)

 ・「見上げてごらん」(作詩:永六輔、作曲:いずみたく)

 ・「I got Rhythm」(作詩:Ira Gershwin、作曲:George Gershwin、編曲:関根綾歌)

 ・「空も飛べるはず」(作詩・作曲:草野正宗、編曲:K.Nakamura)

 ・「ひこうき雲」(作詩・作曲:荒井由実、編曲:山室紘一)

 ・ミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』よりメドレー

  (作詩:Oscar Hammerstein Ⅱ、作曲:Richard Rodgers、編曲:前田憲男)

 

【出演】

合唱:白山音楽倶楽部

 ソプラノ:内田琴美、増田菜々子、山口早絵子

 アルト:大前あゆ美、山川真登香

 テノール:市川宗宏、地野由時

 バス:宮寺昇、山川神太浪

ピアノ:保坂修平

指揮:初谷敬史

 

※問い合わせ:shinsan1978@icloud com(山川)

 

by.初谷敬史

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2018-02-12 23:10:35

「白山音楽倶楽部 第5回定期演奏会」に寄せて・2

テーマ:ブログ

(承前)

 

 「何故ならきみが未来だから」・・・これは、谷川俊太郎の詩『未来へ』の最後の一文である。僕の大学の同級生で、現在、ジャズピアニストとして活躍し、アレンジや作曲も手がける保坂修平くんが、白山音楽倶楽部からの委嘱を受け、この詩を選び、新作を書いてくれた。

 

 僕たちは、未来が、ひらめきのように突然やってこない・・・というところからスタートしなければならない。

 『未来へ』は、こうはじまる――「道端のこのスミレが今日咲くまでに」。なぜか、僕はここに、松尾芭蕉の俳句「山路来て 何やらゆかし すみれ草」を重ね合わせてしまう。

 芭蕉は、すみれ草に何を感じ、思い巡らせたのだろう・・・。春の訪れを素直に喜んでいるのだろうか・・・。力強い生命力を見たのか・・・。それとも、自分がこれまで辿ってきた道のりだろうか・・・。懐かしい人の面影をそこに重ね合わせたのだろうか・・・。どちらにしても、芭蕉は、道端に咲くすみれ草を見て、はっと何かを悟ったのである。・・・その瞬間、驚くべきスピードで、時計の針が逆戻りして、自分の奥行き、また、世界の奥行きを感じたのだろう。そして、そのすべてを受けて、しみじみと「ゆかし」と感じる自分が、いま、ここにいる・・・ということに気付いたのだ。

 この「いま」という瞬間は、芭蕉にとって、永遠の夢想の時間となった。この体験を境に、彼は、世界に対する自らの存在意義を、感じ直したに違いない。だからこそ、芭蕉は意志をもって、しかし軽やかに、新たに咲き出たケレン味のないすみれ草のように、自らの新たな一歩を踏み出していったのであろう。

 (もし、すみれ草に、想いというものがあったとしたら、すみれ草も芭蕉と眼が合った瞬間、はっと何かを悟ったかもしれない・・・。そうだとしたら、彼らにとって、そして世界にとって、それは奇跡の瞬間、かけがえのない出会いであったはずだ・・・。)

 

 自分をつくってきたモノ、世界をつくってきたモノ、・・・それが同じものだと気付いたとき、人ははじめて、自分自身を知ることができるのだと思う。人はそれによって、生まれ、生き、死んでゆく。大きな力、大きな流れ・・・。

 「いま」は、過去から持ち越された「いま」なのである。そして、「自分」は、過去から持ち越された「自分」なのだ。だから、「あした」の自分をつくるモノ、「あした」の世界をつくるモノは、いまの己の中にある。・・・己は尊く、世界にとって唯一無二の存在なのである。

 未来は、突然やってくるものではない。未来は過去から持ち越されたものであり、自分自身と共にあり、自分そのものが未来であるのだ。

 

・・・つづく・・・

 

by.初谷敬史

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2018-02-12 23:08:53

「白山音楽倶楽部 第5回定期演奏会」に寄せて・1

テーマ:ブログ

 待ちに待った白山音楽倶楽部の演奏会。

 前回の第4回定期演奏会を開催したのは、2015年10月。このコンサートは、僕の提案から、戦後70年を記念して「平和」を願うステージと、メンバーの熱い想いから実現したミュージカル『レ・ミゼラブル』の舞台に挑戦した。あれから、約二年半ぶりの単独演奏会。今回は、「夢みる若者たちの歌」、そして「My Favorite Songs」をテーマに選曲した。

 しかし、このテーマを考えついたころ、僕にはまだ、正直、具体的なイメージが湧いてこなかった。みんなで選曲をしている最中、ほとんど直観で、口から出てきたのだった。しかしこの時、メンバーの顔を眺めながらおぼろげに思ったことは、これからの時代を担っていくのは、まさしく彼らである・・・ということ。そして、若者は、自由に夢を見なければならない・・・ということ。更に、自らの夢を夢のまま終わらせることなく、「歌」という形にして、それを、みんなと共有することができたら、どんなに幸せなのだろう・・・ということだった。

 ・・・このことは、いままさに、僕自身が感じていることであり、それを、これからの活動の指針にしようと考えていたところであった。・・・とても不思議な感覚。デジャヴのようでさえある。あの時に、突然思いつき、そのことから一度離れ、ほとんど忘れてしまったようなことが、ある日唐突に、新鮮な感覚をもって新たにイメージされる。その点と点とが、一本の線によって、明確に結ばれる。まるで、過去から現在に敷かれたレールに、僕は乗せられているようである。過去から現在、そして未来へ・・・。

 

 僕がありがたいと思うのは、白山音楽倶楽部が、「演奏会有りき」で活動していない点である。(これはやはり、「音楽倶楽部」という名が、僕たちの活動を、ずばり言い表しているのかもしれない。)前回の演奏会が終わってから約一年間は、稽古のほとんどが、発声練習と「コールユーブンゲン」(ひとりずつがみんなの前で発表し、僕からアドヴァイスをもらうという、公開レッスン形式。白山音楽倶楽部は何年にも渡り取り組んできた)に取り組み、音楽の基礎を学んできた。一回の稽古でひとつの課題を、みんなでじっくり取り組み、そこでさまざまなことを学習し、それを共有してきた。こうして、僕たちは実りの秋を待つように、ゆっくりと自らの内に機が熟してくるのを待った・・・。

 ・・・僕らは気楽だ。追われるものがまったくない。自分のペースでものごとに取り組み、そこでその都度、小さな発見をし、「わからない」を「わかる」に、「できない」を「できる」に変えていく。この体験をひたすら積み重ねていく。ひとりの「わからない」は、みんなの「わからない」であり、ひとりの「できない」は、みんなの「できない」である。だから、じっくりと取り組むことには意味があり、そしてそれを、みんなで温かく見守ることにも意味がある。けれど、それには正解はないし、ゴールもない。ただ確実なことは、スタート地点よりも前に進んでおり、そこからスタート地点をしげしげと振り返って見ることができる・・・ということ。自ら踏み出した一歩は、誰のものでもない自分の一歩であり、自らを成長させる確実な一歩である。課題→挑戦→挫折→克服→達成→反復→体得・・・。

 稽古は和気あいあいと楽しく、けれどみんな一生懸命で、いつも充実感がある。少人数であることは、団体として不安定さを生むが、それがかえって僕たちの最大の長所となっている。僕たちの奏でるハーモニーは、スクラムのようなハーモニーである。とはいっても、ハモらないことも多いが(笑)、大切なことは、みんなでひとつの方向を向いている・・・ということであろう。

 

 ・・・僕はコンサートの成功を夢みている。ひとりひとりが、不安を抱えながらも晴れの舞台に立ち、努力してきたという事実を自分の小さな自信とし、思い切ってそれを発揮する。そして、それを成し遂げた時、お客さまから多くの拍手をいただき、キラキラと輝く笑顔と充足感に満ち溢れるのだ・・・。それらは、自分たちの未来に、そして聴きにきてくれた人たちの未来に、希望を抱かせてくれる輝きであろう。・・・なぜなら、君たち自身が、「未来」という名なのだから・・・。

 

・・・つづく・・・

 

by.初谷敬史

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2018-01-30 12:35:28

年のはじめに・4

テーマ:ブログ

(承前)

 

 正直に言うと、僕は生まれてこの方、やはり、ずっと孤独感を感じて生きてきたのだと思います。ブログのタイトルを考えついた時、自分自身をそのまま言い当ててしまったことに、自分でも少し驚いてしまったほどでした。

 この僕の孤独感は、一体どこからやってくるのでしょうか・・・。自分でもよく分かりませんが、幼い頃、家に独りでいた時から、そんな風に感じていたのかもしれません・・・。

 

 僕の家は、ごく一般的な家庭です。両親も兄弟もいて、みんなとても家族思いで、ご飯はいつも一緒に食べ、一緒に「水戸黄門」をテレビ見て泣いて、歌謡番組を見てほほ笑み、こたつに入ってバカを言ってはミカンを食べ、休みの日には父の運転する車に乗って出かけ、畑のジャガイモを掘り、庭石をせっせと運び、ホームセンターに行って水道管や電気ケーブルの材料を買ってきて、真夏の焼けこげた屋根のペンキを塗り、蜂の巣を退治し、庭でバドミントンやキャッチボールをして、みんなで歌って、ピアノを取り合い、国語の教科書を大きな声で朗読し、きゃっきゃとじゃれあい、泣いたり笑ったり大忙しで、ペットをかわいがり、部屋はどこも筒抜けで・・・、孤独感など感じることが、不思議なくらいです。

 そう、我が家は、大きな愛に満ち溢れているのです。そして、みんな、気持ちに正直に、喜怒哀楽が存分にあります。相手を思いやるやさしい会話もあり、そうだからと言って、それぞれの道に対して放任であって、それがよい方向に向かっていくよう温かく見守る大きなこころがありあます。

 ・・・夕方になると、家庭の温かさが実感できます。包丁でまな板をトントンと小刻みに叩く音。ぐつぐつと鍋が煮える音。ぽつぽつ交わされる遠い会話。寒空の一番星を見ながら家に帰ると、窓に灯りがともされていて、自分が帰る場所はここなのだ・・・と、こころから安堵する自分がいます。そう、帰る足取りが、いっそう軽いのです。・・・家庭は、灯りです。僕のこころにともる灯りです。ゆらゆらと揺れ、温かみがあり、そして、そこを家族みんなが、まっすぐに目指すことのできる灯り・・・。

 

 こんな温かい家庭に生まれ、育ちながら、僕が孤独感を感じていたのは、端的に言うと、誰にも言うことのできない苦しみ・・・から来るものなのではないかと思います。・・・僕は無口な人間です。しかし、常にさまざまなことを感じ、想い巡らせています。それを表現し、人に伝えるのが苦手なのです。だから、自分は他の人に理解されることがないのではないか・・・、と疎外感を感じるのだと思います。

 独りは気楽で、気ままで、自由である反面、自問自答ばかりを繰り返し、言葉の迷路に入り込んでしまいます。本来は、時の流れに身を任せて、何も考えずにすめば、それでいいのですが、人間、そう上手くはいきません。幼い頃の僕は、どんどん自分の内へと自ら掘り進んでいってしまったのです。しかし、幼稚園や学校に行けば、そういうわけにはいきません。ある程度、社交性もあったために、友だちや先生と上手くやっていかなければならず、僕はその外向きの自分と、内向きの自分の二重性のために、より自分の孤独感を深めていってしまったのだと思います。外向きの僕は、いつの間にか、八方美人になっていました。けれど、そういう自分は本当の自分ではないので、嫌いでした。

 しかし、こうした事は、僕の人間形成にとって良いように働いた・・・と、自分では思っています。こんな僕を救ってくれたのは、「仏さま」であり、「夢想」であり、「音楽」でした。これらは、他の人とは関係ありません。これらは、何も介さずに、直接、僕に対してくれる存在だったのです。僕はそれによって癒され、勇気づけられ、そこから、さまざまなことを学びました。そして、それを、自分の「唯一のもの」・・・と考えることができたのです。僕はそこに、この世に対する自分の存在意義を見出していくことになるのです・・・。

 

 僕は音楽活動を通じて、表現者となりました。僕の奥底にあるものを、恥ずかしげもなく人にさらけ出すことができるのです。まだまだ苦手ではありますが、僕は人にものを伝える言葉を得ました。音楽する語法を体得しました。身体も開放へと向かっています。僕は僕自身を表現することによって、救われたのです。

 だから、僕はもし同じような人がいたら、救いたいのです。僕は自らをさらけ出すことによって、他の人の奥底にあるものを震わせたいのです。それは魂と言ってもいいかもしれません・・・。まだそこと対峙していない人、また、それと対峙しながら、どうしていいか分からず、もがき苦しんでいる人・・・。きっと、みんな同じものを共有しているはず・・・と、僕は思っています。

 ・・・そうして、みんなの魂から迸り出てきた「夢」を集めてくるのです。・・・それは新たな世界となりえるものでしょう。これは存在するいまの世界ではなくて、それと同時に存在することのできるもうひとつの「未出現宇宙」とでも言うことができるでしょう。埴谷雄高の言葉を借りてきましたが、これは出現しようと思って出現しなかった世界です。死んだ人も、生きている人も、そしてこれからを生きる人も、共有することのできる夢想の世界です。

 ・・・僕は想うのです。南の島で、独り倒れた兵士は、ヤシの木の下で、いまでも夢を見ている・・・と。彼は孤独です。身動きがとれません。もう身体がないのですから・・・。彼は精神的にも孤独です。もう長いこと、みんなから忘れさられてしまっているのですから・・・。しかし、彼は想っています。ふるさとの家族のことを・・・。大切なあの人のことを・・・。・・・彼は独り、ぽかりと夜空に浮かぶ月を見ているでしょう。幾度となくやってくる月の満ち欠け・・・。一度として同じ月はありません。すこし欠けているなぁ・・・。すこし大きいなぁ・・・。すこし赤みがかっているなぁ・・・。僕と同じ月を、いま、あの人は、遠い故郷で見ているのだろうか・・・。月にあの人の面影が重なり、やがて、ゆらゆらと残像が大きくなり、そして消えていきます・・・。風が吹き、さわさわとヤシが揺れます。昨日も、今日も、あしたも、ただただ、波音だけが聞こえ、永遠の時を耐えて過ごしていくのです。・・・しかし、想いは消えず、夢はたゆたっていくのです。

 

 僕は、人の集う場所を作りたい・・・と思っています。みんなが自分の帰るべき「ホーム(家)」と、こころから思うことのできるような場所。

 そこには、必ず自分の居場所があります。自分のすべてを受け入れてくれる温かい空気があります。よそよそしい愛想笑いはいりません。無言に耐えうる友がいるのですから・・・。あした、また会いたい・・・と思う人がいるのです。人は、人によって傷つき、人は、人によって救われます。憎しみも、いたわりも、悪も、愛も、人のものです。人は、人から離れることはできません。だから、「ホーム」と、こころから思える場所は、自分にとって、自分の人生にとって、とてもかけがえのない大切なものなのです。・・・いつ来てもいいのです。いつでも戻ってきていいのです。いつでも待っています。いつもあなたのことを待っています。あなたにとても会いたいです。だから、安心して帰ってきてください。

 特別なことは何もいりません。ささやかな日常が素晴らしいのです。質素でも誠実に・・・。不器用でも根気強く・・・。しかし、そこには夢があります。夢を共にする友がいます。その夢に向かって、長い時間をかけて、共に歩んでいくのです。・・・そのためには、共に健康でなければならないでしょう。

 

 ゆっくりではありますが、今年一年、こころにゆとりをもって、ひとつひとつを大切に生きていこうと思います。

 みなさま、どうぞよろしくお願いします。

 

by.初谷敬史

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2018-01-30 12:33:38

年のはじめに・3

テーマ:ブログ

(承前)

 

 今後の音楽活動について、いま想うところを書きたいと思います。

 しかし、これと言って、何も変わるところはありません。いま、目の前に与えられたものを、ひとつひとつ大切にやっていくだけでありますが、少しだけ心境の変化があるように感じられます。

 

 いまの気持ちを端的に言うと、「人の集う場所を作りたい」です。

 愛好家も、未経験者も、老いも、若きも、男も、女も、健やかな人も、病める人も、楽しみに来る人も、通りすがりの人も、人種を越えて、夫婦や恋人、親子や友だち同士、もちろん独りでも・・・。いつでも、どこでも、どなたでも、こころから歓迎したいです。

 そこには、さまざまテーマが用意されていて、それについて、人びとが自由に交流することができます。会話やある種のパフォーマンスを通して、お互いを理解し、共感し、徐々に親交を深めていきます。お茶やお菓子は銘々が持ち寄り、時には、みんなで料理したり、バーベキューしたりしてもいいでしょう。できれば、太陽の日を浴び、風を感じたいです。・・・笑いは共感です。頷きも共感です。沈黙は思考です。空を眺めるのも思考です。すべては、尊重されます。

 そこでは、自然とアートは、人が気付かないほど融合していますが、その中には、明確なメッセージが込められています。・・・それは夢です。祈りです。希望です。ふわふわした夢を、自らの力で形にするのです。僕たちはこの交流の中で、現代社会では忘れてしまった何か大切なものを呼び起こし、それを一緒に磨いていきます。

 もちろん干渉はしません。適度な距離を保ち、必要とあれば、そっとアドヴァイスもします。それは指導ではなく、サポートです。・・・でも、何もしなくてもいいのです。そこに座っているだけでも大丈夫です。それらを見ていて、もしやりたくなったら、みんなと一緒に見よう見まねでやってみればいいのです。うまくできるとか、できないとか、それは全く関係ありません。大事なことは、一緒にその場にいる・・・ということ。同じ空間で、同じ時間、同じことを共有することです。

 ただし、時間差があっても構いません。いつ来ても、いつ帰ってもいいのです。寝間着でも、サンダルでも構いません。できれば、長い時間をかけて、人生を共にしていくことができる・・・と実感することがあれば最高です。そして、ひとつの目標を共有することができれば、相互にとってこの上ない歓びとなるし、そうではなく、それぞれの目標を見つけて、そこを巣だっていったとしても、それはみんなで後押しをするでしょう。来る者拒まず、去る者追わず・・・。

 目的は、そこに参加した人が、みんな元気になることです。瞳に、純粋な輝きを取り戻すことです。悩んでいた人が、微笑むことです。独りでいた人に、仲間ができることです。そして、また明日、ここに来よう・・・と、自らが思い、それを実感することです。

 肝心なことは、人と人が接する・・・ということでしょう。そしてそこが、自分の帰るべき「ホーム(家)」である、と、こころから思えることだと思います。

 

・・・つづく・・・

 

by.初谷敬史

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2018-01-30 12:32:03

年のはじめに・2

テーマ:ブログ

(承前)

 

 今年の目標は、「ぎりぎり」ではなく、「余裕」のある行動です。

 僕はいい加減な性格なので、いろいろなことをぎりぎりで行う悪い癖があります。(例えば、月末になって、焦ってブログを書きはじめる・・・とか。笑)しかし、土壇場で何とかしてしまう「一発逆転」的な才能?もあるので、これまで、ぎりぎりで何とかやってくることができました。これは性格なので、なかなか直るものではないと思いますが、少しずつ改善していきたいと思っています。

 それには、「きちんとした生活」が不可欠です。ものごとがしっかりと整理されていなくてはなりません。・・・きちんとした生活・・・何てステキな響きなのでしょう。

 

 そう言えば、あまり公表したくありませんが、「戒め」のために書きます。

 つい一年前、免許センターで、違反者講習を受けました。交通違反の点数が累積してしまい、30日間の免許停止処分の対象となってしまったのです。免許センターで丸一日の講義を受け、さだまさしの『償い』を鑑賞し、シミュレーターで運転時の判断力を訓練し、専用コースにて実車指導を受け、交通ルールのペーパー試験を受けました。時間も労力も費用もかかり、とても屈辱的な思いでしたが、これは自分で招いたこと。事故に遭わなかっただけ、ありがたいと思わなくてはいけません。・・・僕はもう一度、自分の運転を考え直し、それから安全運転をこころがけました。そして、無事故・無違反で、一年が経ちました。

 それまでの僕ならば、現地到着をぎりぎりの時間設定で、出発していました。しかし、道は予想以上に混んでいることが多く、そうなると、やはりスピードを出したり、強引に割り込んだり、黄色信号でも突っ込んでいったりしてしまいます。気持ちが焦っているので、当然、運転は荒く、不注意も多くなります。割と慎重な性格であるにもかかわらず、交通ルールや他人のことを顧みず、時間との勝負となってしまうのです。

 これを解決する手段は、ただひとつ。「時間に余裕をもって出発する」です。時間のゆとりは、こころのゆとり。三澤先生が、芸大の合唱の授業でよく言っていました。自分は、朝一の授業に遅れないようにするために、朝早く家を出て、一本前の電車に乗り、はやく着いたら学食でコーヒーを飲んでいる、と。これは、プロの世界でこれからやっていこうとする僕らの、大切なこころ構えとなりました。・・・ゆっくりと都内の大通りや首都高を走っていると、何とも清々しいものです。あおってきたり、割り込みをしてきたりする車はとても危険ですが、それも許容してしまうほど、気持ちにゆとりがあります。(・・・時々、父親はこんな風に、のんびり運転する人だったなぁ・・・と思い出して、嬉しくなります。そんな時は、助手席に父親が乗っているのかもしれませんね・・・。「敬史、もっとスピード落とせ」「そんな曲がり方はするんじゃないぞ」・・・何で父親はあんな風に、やさしくものを言うことができるのでしょう・・・。田舎道を走る父親の陽気な口笛が、どこからともなく聴こえてくるような気がします・・・。)

 

 30代は、手帳に空きがあるのを恐れていたような気がします。それが仕事に対して・・・なのかどうかは分かりませんが、いつも不安がどこかにありました。仕事の合間に、すべてテニスの予定を入れました。

 テニスも、どういう訳か、一日やらないと不安で仕方ありませんでした。テニスは感覚スポーツなので、少しでもいい感覚を忘れないようにしたかったのだと思います。僕はいつも、不安げにテニスをしていました。(レベルこそ違えど、トップの選手も同じ悩みを抱えていると思います。)・・・それは、いまでも変わりませんが、いまは、少し気持ちに余裕がうまれ、週に一度や二度のヒッティングパートナーとの練習で満足しています。闇雲にやっても、体力を消耗し、身体が疲弊し、ケガをするだけです。かえって、テニスを離れる時間が、気分や身体、思考をリフレッシュさせ、上達に繋がるかもしれません。

 しかし、このテニスにかけた6年間は、僕にとって、とても重要だったのではないかと思っています。・・・僕は自分に課していたのです。テニスで自分をぎりぎりのところに追い込んで、それでもきちんと仕事をする・・・と。仕事を一生懸命するのは当然のこと。趣味まで一生懸命にできれば、こんなに素晴らしいことはありません。趣味と仕事は、人生の両輪です。

 こうした日々の訓練が、僕のこころと身体の強さに繋がってきたのだと思います。僕の30代は、40代にステップアップさせるための訓練だったのかもしれません。

 

 僕の40代。・・・健康を第一に、生活の基盤を整え、よく寝て、温かいものを食べ、こころにゆとりをもって、ひとつひとつのことを大切に、まごころをもっていろいろなことに当たり、自分のできること、できないことを理解し、いつでも前向きに、肝心要の腹を決め、あしたを夢見、僕の周りにいる人と、かけがえのない時間を過ごしていきたい。

 

 最近、運転ばかりでなく、よく歩いているのですが、車の行き来があまりない交差点でも、歩行者用の赤信号を守って横断するようにしています。以前は、そんなことはバカげている・・・と思っていたのですが、まじめに、誠実に生きることは、人生にとってとても貴重なことあり、何よりも気持ちのよいものだ・・・と、この歳になって初めて実感しています。

 

 とりあえず、次の休みにでも、健康診断に行ってみようと思います。

 

・・・つづく・・・

 

by.初谷敬史

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2018-01-30 12:30:25

年のはじめに・1

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 年のはじめはゆっくり過ごすことができたので、新しい年のこと、そして40代、50代をしっかりと生き抜くことができるように、これからの人生について改めて考えてみることにしました。

 健康や生活について・・・。そして、今後の音楽活動について・・・。

 

 まず、健康について、すこしお腹が出てきたこと以外は、いまのところ順調です・・・と言いたいところですが、昨年の年末に風邪をひいて、すこし身体の変化を感じているところです。これは、20代から30代に移行する頃に感じた身体の変化と同種のものだと思います。

 思い返せば、2008年の年末から2009年の頭にかけて、体調を崩しました。扁桃腺炎、食中毒性高熱、極めつけに、インフルエンザにかかって本番をキャンセル。泣き面に蜂と言わんばかりのひどい状況でした。あの頃のブログを読み返してみると、「自暴自棄」、「もうダメ」、「自業自得」・・・という、マイナスな言葉の数々・・・。明らかに、気持ちと身体のバランスを崩してしまっていました。それから健康を考え直し、自然食品による体質改善を試みて、調子がすこしずつ上向いていきました。

 けれど、気持ちや身体のどこかに、モヤモヤしたものがあり、僕はそれを払拭させるために、2012年(34歳)、思い切ってテニスを始めました。これは、それまで鬱積してきたすべてのものを、一気に吹き飛ばしてくれるくらい、僕にとっては大きな出来事でした。はじめは、週に一度のテニス・スクール。けれど、テニスへの欲求がおさまりきれず、二度、三度と増えていき、ついに、プライベートでコーチにレッスンを受けはじめました。すべては、上手くなるため・・・、そして、試合に出場し、勝つため・・・です。そう、僕の中に「挑戦する気持ち」が芽生えたのです。

 僕がくすぶっていたのは、マンネリ、八方塞がり、そして、怠惰が原因だったのだと思います。けれど、テニスは、僕の探究心や向上心を大いに刺激し、「出来ない」を「出来る」に変えるための強い精神力や明確な志向性、そしてそれを実現するための強い身体を養ってくれました。この内なる「青春」、つまり、気持ちの若返りが、僕の30代を充分に支えてくれたのです。

 身体は内側から締まり、骨格が新たに組み上がりました。大量に汗をかき、その分、水分を摂取し、代謝が活発になりました。新たな細胞がたくさん生まれ、とてもお腹がすき、ご飯が美味しくなりました。便も調子よく、睡眠も深く、朝、目覚めるようになりました。日の光や風、そして泥を全身で感じながら、僕は気持ちが自然と前向きになっていったのです。収穫はそれだけではありません。スクールや試合会場で出会う新たな友ができました。そして、そうしたフレンドシップは、スポーツマンシップを僕の中に育んでくれました。

 ・・・そして、これらのことは、僕の音楽性や発声、合唱指導などに、間違いなく大きな影響を与えたと思います。

 

 しかし、いま、僕の生活が大きく変わりました。長年一緒に住んでいた友だちが沖縄に移動したことに伴って、去年の3月末、僕も引っ越しをしました。ひとりでの生活は、僕が考えていた以上に大変で、こころ細く、寂しいものでした。すべてが自由である反面、すべてが手探りです。

 ・・・そもそも、僕は大人としての「自覚」に欠けていました。僕はさまざまなことを友だちに頼りきっていましたし、生活のいろいろなことに対して、正面から真面目に取り組んでこなかったのです。きちんと生活をしていく・・・これが、恥ずかしながら僕が一人暮らしをはじめる目標となりました。

 

 まず、食生活を改善しました。これまでずっと外食だったのを、自炊に切り替えました。自炊と言っても凝ったことはしませんが、けっこう楽しみながらやっています。練習終わりにスーパーに出かけ、あれこれと冷蔵庫にある食材を思い出しながら、シールの貼られた値引き商品を買うのは楽しいものです。レパートリーもすこしずつ増えてきました。肉や野菜など、食材を使い切って、冷蔵庫が空になると嬉しくなります。

 今晩は、あまった豚肉とネギと油揚げで、肉うどんを作りました。具材を食べ終えて、最後にすすった汁は、格別の味でした。・・・手料理の温もり。あれやこれやいろいろ作れないけれど、外食にはないやさしい味で、何かこころが温まる気がします。

 食器やキッチン用品をひとつひとつ揃えるのも楽しいものです。いまでは、かなり使い勝手のいい、お気に入りたちがキッチンに並び、それを見ているだけで嬉しくなります。お気に入りの棚に、トースターやミキサーも置いてあります。食費はだいぶ抑えられているのではないかと思います。

 (・・・こんなことをブログで書くようになるとは、以前の僕からは想像もできません。笑)

 

 そして、なるべく居心地のいい居住空間を作り、家にいる時間を増やしました。念願のテレビやソファーも買い、ステキな観葉植物も置きました。お洒落な花瓶、そして、お土産の陶器などが飾ってあります。天気のいい日は、窓を開け、さわやかな風を通します。・・・空間のゆとり。物をあるべき所にきちんと整理し、新しく買ったワイヤレス掃除機で、せっせと掃除しています。ゴミ出しをこまめに、風呂も、トイレも、洗面台も、シンクも、皆きれいです。洗濯物も溜めず、下着も気持ちがいいです。ポストもこまめに開き、配達物や重要書類を逃さないようにしています。

 (・・・先ほどから、ごく当たり前のことを書き連ねていますが、これまでの僕にとっては、どれも新鮮なことです。笑 ・・・ということは、これまで、どんな生活をしていたのでしょう。笑)

 

 僕は、こうしたことを基盤に、ひとりでの新たな生活をはじめたのです。「生活」と「精神」と「健康」は、切り離して考えることはできません。僕は、生活を一から見直し、身体をきちんと管理していかなければならないのです。それが40代を生き抜くのにとても大切なことだと思っています。

 

・・・つづく・・・

 

by.初谷敬史

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2017-12-28 00:05:30

バチカン・4

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(承前)

 

 リハーサルが終わると、ぞろぞろと様々な方がお見えになり、席に座られた。いつの間にか、会衆席はいっぱいになっていた。

 今年は、1942年に日本とバチカン市国の国交が結ばれて75年を迎えた年。それを記念して、茶道、能、オペラ、シンポジウム、コンサートなど、一年を通して、ローマでさまざまな行事が行われたそうだ。僕たちが今回参加するこの「日本・バチカン市国 国交樹立75周年記念ミサ」も、その内のひとつで、在バチカン日本国特命全権大使の中村芳夫さんをはじめ、ローマ在住の日本人カトリック信徒、また世界各地からの巡礼者らがたくさん参列した。

 

 僕はその間、僕をサポートするために来てくれた日本人シスターの元で、ミサの式次第がどんな順序で行われるのかを教わっていた。彼女はとても優しく、とても親切な人で、清楚・・・という言葉がぴったりの女性だった。頭にはグレーの頭巾を被っていた。僕は彼女に率直に質問する。彼女は何も分からない僕に、紙に書いて式次第をとても丁寧に教えてくれたが、とても丁寧過ぎて、説明の途中でミサの開始時間になってしまった。僕は聖歌隊席で、彼女の横に座ることにして、その都度、合図をしてもらうことにした。

 ミサは、老齢の神父が取り仕切り、各所にいろいろな合図を送っていた。僕も彼と目を合わせ、ひとつずつ確認しながら、手探りでミサに臨んだ。

 

 遠くで荘厳な鐘の音・・・。一瞬、堂内にひと筋の緊張が走る。見ると、「大天蓋(パルダッキーノ)」の方から、真っ赤な服を身にまとった司祭たちが、列を作ってこちらに歩いてくる。大聖堂の主席司祭、バチカン市国における教皇代理であるアンジェロ・コマストリ枢機卿は、バチカンの司祭らや、ローマ在住の日本人司祭らを伴っている。神父とシスターから合図を受け、僕は指揮台に立った。合唱団を立ち上がらせてから、みんなをぐるりと見渡した。みんな一様にやる気が漲っていた。オルガニストのリベルトゥッチさんを見ると、もういまにも弾きだしそうである。時を逃してはいけない・・・。僕は静かに、そして力強く、「入祭唱」を指揮しはじめた。「〜主よ、慰めを豊かに与えて、その食卓に私たちを招いてください〜」・・・ロクダンの歌声は、やさしく、そして温かな厚みをもって、大聖堂に響き渡った。

 ミサは、見事な手際と連携で、滞りなく進められていく。僕はミサの間中、指揮台と聖歌隊席の間を何度も行き来した。その度に、合唱団に立ち座りの合図を送った。司祭たちのつくり出す流れは、大河のように止めどなく、しかし大らかに、深く、広く、豊かである。その表層は静かで、穏やかであっても、こころは熱く燃え、会衆はまるで、その祈りの渦に呑まれていくようであった。・・・その篤い祈りがいよいよピークに達しようかという頃、ふと、祭壇を見ると、司祭たちが、白い布のかけられたテーブルの周りに集まっていた。その時になってはじめて、僕には司祭ひとりひとりの人物としての個性が際立っているように思えた。彼らの内に奥行きを感じ、それぞれの人生ドラマを垣間見た気がした。それから司祭たちの集中は一気に高まり、何か特別な霊力が集まったのが分かった。特に照明がそこだけに絞られた訳でもないが、食卓の周りだけ、空気が他とは違っている。僕はその特別な空気を遠くから眺めていた。それはまるで映画のワンシーンを見ているようだった。・・・燭台にはロウソクが灯されていて、食卓には、ある特別な食事が並べられている。羊の血は、もう門の囲いに塗られただろうか・・・。どこかで見たことのある風景・・・。・・・そう、神がユダヤ人たちをエジプトの奴隷生活から救ってくれたことを記念する食事「過越の食事」である。

 ・・・食卓の真ん中に立っておられるのは、確かにコマストリ枢機卿である。しかし、そこにたくさんの影が見える。歴代の法王たちの残像・・・。そして、とうとうペテロと思われる老年の人物像が重なる・・・。彼らはキリスト教のごく初期の段階から、この記念の食事を繰り返し行い、その意味を自らの内に深く問い続けてきたのだ。いよいよ、グラスにワインが注がれ、銀の食器にパンが乗せられた。・・・彼らの残像の中に、しっかりとイエスの存在を感じることができる。それは幻のようでありつつ、明確な存在の中の存在であり、それが彼らの確固たる信仰の拠り所となっているのだ。・・・そうだ。ここは、あの晩、都で水瓶を運んでいた男の主人の家。窓からオリーブの山が見える二階の広間。この最後の食事は、イエスが十字架上で流す血を、全人類の「贖いの血」とするために、弟子たちにその意味を示した、最後の晩餐であったのだ。

それは、かつてユダヤ人が、自らに降り掛かる災いが通り過ぎるように、小羊を屠り、その血を門に塗ったことに由来する。イエスは、この翌日、全人類の救済のために、自らに罪を背負い、血を流さなければならなかった・・・。

 

 ・・・あたりはとても温かい空気にすっぽりと包まれていた。コマストリ枢機卿は、とても丁寧に、そして、まごころを込めて、あの時のイエスの代理を務めている。・・・僕は指揮をしていてふと思った。この感覚は、いつもの本番の通り。間違いなく僕の指揮する音楽であり、間違いなく僕と13年間ずっと一緒に作ってきたロクダンの歌声である。仰々しさ、緊張とは、正反対の手作り、平生である。手作りも手作り、平生も平生、僕が僕らしく、僕の感じる音楽をそのままに響かせているのだ・・・。何も気負うことなく、ごく自然に・・・。大聖堂はいまや、僕たちの歌声で、やさしさに溢れている。ごく個人的に、ごく親密に、この記念の儀式は執り行われている。それは、イエスが三年の月日を常に共にした最愛の弟子たちと、最後の食事をしたその温かい雰囲気そのままに・・・。

 「教会」とはなにか・・・。「ミサ」とはなにか・・・。それは、そこに宿り、人が代わっても尚、脈々と受け継がれてきた「温もり」であり、「まごころ」であろう。生物学者の福岡伸一の言葉――「生命とは動的平衡にある流れである」――を借りれば、「教会」や「ミサ」とは、動的平衡にある流れである・・・と言い換えることができるだろう。

 己は、なぜ己のことを、己と言うことができるのか・・・。それは、昨日の川と、今日の川は、見た目は同じであるが、その水は異なっていることに似ている。僕たちの身体を形作っている物質は、数年も経てば、すべて入れ代わってしまう。体内の水分は、わずか二週間ですべて入れ替わってしまうらしい。では、僕たちの「本質」が物質でないとすると、一体何が僕たちの根幹であるのか・・・。それは、形ではない。過去から受け継がれてきた目に見えないモノ。「経験」、そして、それを引き継ぎ、未来へ向けられた「こころ」「精神」であろうと思う。

 プロテスタントでは、神と自分とが直接結び合うために「聖書」のみがある。しかし、カトリックでは「聖書」の他に、「教会」や「ミサ」もある。それは、二千年もの間、変わらずに護り、行ない続けてきた人びとのまごころと、そしてイエスたちの温もりと残像が重ねられているのである。・・・僕はこのミサに参加して、そのことがよく理解できた。

 

 ・・・そう。ここは、神の眼差しと、イエスの愛と、聖霊の働きによって、ペテロがここでそうしたように、何千年もの間、一日も欠かすことなく、全人類の救済のために、ごく個人的に、ごく親密に、それを信じる人びとによって祈られ続けられてきたのである。・・・教会の外では、ここで、このようなことが行われていることを知るよしもない。世界のための祈りは、人びとの知らないところで、このようにして執り行われているのだ。比叡山の後陣でも、皇居の奥でも、メッカでも、山間の朽ちかけた石仏の足元でも・・・。とてもありがたいことである。しかし、争いは終わることなく、憎しみは消えない。人はエゴから逃れることができず、負の連鎖は止まることがない。

 コマストリ枢機卿は次のように述べられた。「医学者アルベルト・シュヴァイツアーやマザー・テレサの、深い信仰に培われた苦労を厭わない愛徳の実践を思い起こしながら、すべてのキリスト教者は愛の奉仕に招かれている」と。そして、貧しい者や恵まれない者のために祈り、更に、日本と日本国民の発展と貢献を祈った・・・。

 

 ・・・僕はとても穏やかで、とてもやさしい気持ちになり、身体に充実感が溢れていた。神父とシスターに合図され、僕は最後の指揮台へと向かった。「閉祭の歌」を静かに振り始める。「〜この悲しみの世にあって、私たちは最愛の主のために、最愛の人たちと苦しんだ。主よ、あなたはそれを知っておられる。〜」・・・大聖堂は静まりかえり、ただただ、僕たちの歌声が奥へ奥へと向かって、いつまでも響いていた。それは、司祭たちのこころに、信者たちのこころに、そして、ここで祈り続けてきたすべての人びとのこころの想いに・・・。・・・僕たちの歌声は高揚し、温かく、力強く、そして大きなうねりをもって、天井に満ちた。「〜あなたは、私たちが求めたことを、なにひとつ与えなかった。しかし、私たちが必要とした神の慈しみは、主よ、あなたはすべてお与えになった〜」・・・歌声がドームの彼方へとゆっくり消えていくと、すべての祈りは閉じられた。

 僕がゆっくりと手を下ろすと、それをオルガニストのリベルトゥッチさんは、待っていた。そして、突然、絢爛豪華なオルガン曲を弾きはじめた――司祭たちの退場の音楽。音の粒がキラキラと輝いており、まるで音符と音符が楽しげに踊り戯れているようであった。あまりにもその音が華やかなので、一同、歓びに満ち溢れ、聖堂が輝く笑顔でいっぱいになった。・・・その時、祭壇からひとりの日本人司祭が、僕のほうへ向かって歩いてきた。そして、そっと耳打ちした。「コマストリ枢機卿が、特別に挨拶をしたいとおっしゃっています。」・・・僕は突然のことで訳も分からず、こちらににこやかにまっすぐに歩いてこられる枢機卿に見入っていた。枢機卿は僕の目の前に立ち、握手を求めてきた。その温かく、深い眼で、僕の眼の奥を見つめ、僕の手を優しく、しっかりと握りながら、朗らかに、力強く何かを訴えかけてくれた。僕はすっかり気が動転しまって、ただでさえよく分からないイタリア語であるが、残念ながら、ひとつの単語さえ耳に入ってこなかった。

 

 ・・・しかし、僕はこの時、しっかりと枢機卿のメッセージを受け取ったつもりである。・・・この教会の本質を、このミサの奥義を、この体験をもって、世の中のために役立てて欲しい・・・、と。・・・これは、人類への問いだ。世界の人びとが平和のうちに、心身健やかに、共存共栄するために、愛について考え続け、そして実践していくこと。それが全人類、ひとり残らず救済することに繋がるのである。小説家はそれを小説で、科学者はそれを科学で、音楽家はそれを音楽で・・・。

 

 **

 

 僕はこれまで幾多の困難を乗り越えてきた。その度に、より強く、より深く、よりやさしくなってきた。それは他愛もない、そして本当に貴重な輝かしい明日を、大切な人と一緒に生き抜くためである。

 僕の40歳は、ここからスタートする・・・。

 

◆ミサ終了後の一枚

 

by.初谷敬史

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2017-12-27 23:50:22

バチカン・3

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(承前)

 

 僕はホテルに帰り、本番の衣装に着替えた。そして、専用バスでメンバーとバチカンへと向かった。僕らは正面からではなく、バチカンの計らいで、大聖堂の裏口へと通じている脇のゲートから入った。

 ・・・サン・ピエトロ大聖堂は毎日、世界各地からの多くの巡礼者や観光客で長蛇の列ができており、入場するのに大抵、何時間もかかってしまう。しかも、この日は水曜日である。毎週水曜日は、午前中にローマ法王の一般謁見が行われるので、観光客の入場が、午後のみに制限されている。そのために、水曜の午後は、大変な混雑が予想されるのである。

 僕らはひとりずつ、金属探知機でセキュリティチェックを受けた。・・・僕はその時まで、あまり自分では意識してなかったのであるが、ある団員さんにこう声をかけられた。「初谷さん、大丈夫ですか。大分緊張しているのでしょうね。顔が引きつっていますよ。」・・・思えば、この日のことを、僕はずっと、心配してきた。

 

 ・・・ロクダンは、夏から3本立てで練習をしてきた。新作オペラ『狂おしき真夏の一日』の合唱出演、ローマ・イグナチオ教会『最後の手紙』公演、そして「バチカン用ミサ」(三枝成彰『レクイエム』から抜粋・編曲)である。

 オペラは1曲のみの出演であったが、初演であるために公演でどういう形になるのか分からなかったし、譜読みしてから暗譜をさせて、どんな演技がついても歌唱が崩れないようにしなければならなかった。そのために、練習での比重はどうしても多くならざるをえなかった。

 そして、『最後の手紙』。14曲もあり、いずれも難曲である。再演であるとは言え、ひとつずつ音やリズムなど、しっかりと練習し直さなければ、仕上げることは到底できない。しかも、今回の指揮者、高井優希さんは、ロクダンを初めて指揮する。(ロクダンが赤十字の世界大会「ジュネーヴ公演」で『最後の手紙』を演奏した際、大友さんの代わりに、彼がオーケストラの下振りをした。)彼がどのように音楽を作るのか分からなかったし、それよりも、彼に恥をかかさないように、彼に渡す前に、僕の手で、しっかりと仕上げておかなければならなかった。

 ・・・ということは、僕の指揮する「バチカン用ミサ」は、すべての責任は僕が負うのだから・・・と、一番後回しにせざるをえなかった現実がある。もちろん、練習の合間をぬって、やるべきことはしっかりやってきたつもりだ。しかし、果たして充分やれたか・・・というと疑問が残る。なぜならば、オペラが終わってからここ三週間というもの、昨夜の公演(「イグナチオ教会」での『最後の手紙』公演。指揮:高井優希、管弦楽:オルケストラ・ディ・ローマ)に、僕たちは全精力をつぎ込んできた。全力で取り組まなければ、成功を勝ち取ることができない作品なのである。

 ・・・みんな、本当に頑張って、見事に大成功を収めることができた。しかし、成功の余韻に浸るのも束の間。今日のコマストリ枢機卿のミサは、けっして粗相があってはならない。・・・すべては、これからの僕の一挙手一投足にかかっている。責任は重大である。大聖堂が目前に近づき、僕は無意識にも、その責任を、ひしひしと感じていたのだろう。ミサの式次第が、事前に僕に伝えられていない、という不安の中で・・・。僕は大聖堂に向かって歩きながら「平常心、平常心・・・」と呟いていた。

 

◆イエズス会の総本山「イグナチオ教会」でのリハーサル風景

 

◆『最後の手紙』終演後、スタンティングオベーションでのカーテンコール

 

 僕らは裏口からから大聖堂に入り、「聖ペテロの椅子」のある主祭壇脇に直接繋がる扉を通された。

 ・・・黄金に輝く巨大な空間。人間の叡智を結集させた柱やドーム、装飾のかぎり。・・・やはりここは、特別な場所だ。どれだけの時間と苦労、信念と労働力、そして、どれだけの財源を使って築かれたのだろうか・・・。(もちろん、悪しき「免罪符」の歴史を拭い去ることはできない・・・。)何か人びとにとって大きな意味を感じなくして、これだけの建物がここに建てられることはなかったし、そして、これだけの人が、ここで祈りを捧げることもないだろう。ここに立つと、ここが間違いなく世界に類を見ない特別な聖地であり、世界に広がる約13億人のカトリック信者の目指すべき所であり、その他の多くの人々に、いろいろな意味で大きな影響を与える場所であることを、改めて実感する・・・。(ワーグナーの歌劇『タンホイザー』を見れば、いかにバチカンが強大な権威を持っていて、人びとの救済にとってどれだけ重要だったかが分かるだろう。)

 ・・・それにしても、不思議な空気感だ。7年振りの主祭壇。・・・あの時と、まったく空気が入れ代わってないのかもしれない。祈りと祈りによって、それは想いが幾層にも積み重ねられている。・・・ここを目指し集ってきたあらゆる人種の、あらゆる人びとの人生、持ち越された悲しみ、幾多の苦難、敬意、祈り、赦し、感動、涙・・・。それらは「神の国」が訪れるその時を待っている・・・。そうだ、18年前に初めて来た時のあの空気感と、まったく同じなのだ・・・。僕は、懐かしさ・・・というよりも、あまりにも、ここの空気を熟知しているようで、よく知っている場所・・・、いや、僕のいるべき場所・・・とさえ感じられた。こんなにも絢爛豪華で、一般の人が立ち入ることのできない特別な聖域であるのにもかかわらず、僕にとって、不思議な安心感があった。歓迎されている・・・とでも言うのだろうか・・・。僕はキリスト教の信者ではない。かつて一度、ここで仕事をしたことはあるけれど、それはアシスタントであった。

 ゆっくりと聖堂の空気を吸っていると、僕は次第に、落ち着きを取り戻していった・・・。

 

◆「聖ペテロの椅子」のある主祭壇

 

◆聖ペテロの墓の上に立つ「大天蓋(パルダッキーノ)」

 

 しばらくすると、数人の神父が現れ、「予定時間の前だけれど、練習しても大丈夫です。きっと、そうした方がいいでしょう」と声をかけてくれた。そして、オルガニストを紹介された。

 ジャンルーカ・リベルトゥッチさん。彼はここの専属オルガニストである。幼い時からずっとここで教育されてきたのだろう。彼はとても優しい笑みを浮かべ、僕の目の前で中腰になり、指を反らせた独特な形で、ちょこんと片手を差し出してきた。彼のその仕草や物腰は、カトリックの聖職者というに相応しい・・・と思えた。話してみると、とても気さくで、温かみのある人物だった。その落ち着きから歳上にも思えたが、もしかしたら同じくらいかもしれない。僕らはオルガンの所で音楽上の打ち合わせをした。彼は僕が伝えたことに対して、さっそく、こんな感じ・・・というのを、オルガンを器用に扱って実演してみた。彼のストップさばきは熟練そのものであり、彼とオルガンは一体となっていた。

 

 僕らは要点のみを打ち合わせて、さっそく、リハーサルをはじめた。

 祭壇に向かって、指揮台は背を向いており、コーラスは会衆席の左半分を与えられた。聖歌は、祭壇に向けて歌われる。オルガンと聖歌隊席は左脇にあるが、オルガンのパイプは祭壇の両側から鳴るように設置されていた。

 ・・・「入祭唱」から始めたが、まったく合わない。しかし、僕はまったくがっかりしない。焦りもしない。なぜなら、それは想定内だったからだ。(・・・前回の大友マエストロによるミサの経験や、東京カテドラルで指揮したオルガンとの経験から、上手くいかないことははじめから予想していた。)しかし、時間との勝負である。限られた時間の中で、一から音楽を作っていく。合唱を集中させ、もう一度組み立て直し、はじめてのオルガニストに音楽を教える。特にオルガンは、手強い。もちろん、彼は三枝さんの曲を初めて弾くし、ましてや、指揮に合わせて弾くこともないのだ。彼はいつも、自分のオルガンでリードして聖歌隊を歌わせているのだから・・・。僕はその対処のため、度々、指揮台を降りなければならなかった。(合唱にも敢えて、その懸命な姿を見せた。)・・・それが、僕が咄嗟に判断し、行動したことだった。時間が限られた場合、距離は最大の敵である。伝わることが、伝わらない。指揮者は威厳を持ち、その場で指揮をしているだけでは真意が伝わらないことがある。自ら現場に出向き、彼の表情や息づかいを聞いて、何に対して困っているのか、何が上手くいっていないのか、把握することができなければ、何も解決することはできない。時間の中で、彼ともっと親密になることが、何よりも大切だった。

 僕は彼の横に立って、指揮をしながら彼の耳元で歌った。音楽の方向性を聴かせ、一緒に導いて行く。(ロクダンのピアニストの岩井美貴さんも、今回旅に同行しており、リベルトゥッチさんの傍らで、彼女なりの細かいサポートをしてくれた。これは前回、大友マエストロの際に、僕がやった役目である。)僕らは技術ではなく音楽の感性を、そしてそれに感化される感情を共にしていくのだ。・・・これは僕の得意技だ。(しかし、このことは、いつも不思議に思う。音楽を作る上で、僕が歌い手であることが、とても役立つ瞬間なのであるが・・・。)

 ロクダンの声は、相変わらずぼやけていた。しかし、それも仕方がない。昨夜、あの大曲を見事に歌い切ったのだから・・・。けれど、そうは言っていられない。ミサはもうすぐ始まってしまう。僕は一喝し、繰り返し歌わせることにした。しかし、とっておきの特効薬があった。テノールのソロを歌ってくれる小沼俊太郎くんが、何かの拍子にちょうど席を外している時、僕が彼の代わりに、指揮をしながらソロ部分を歌った。・・・僕の声は、聖堂いっぱいに、そして隅々まで響き渡っていった。建物や空気がやさしく振動し、そして、温かく呼応してくれているように感じた。その瞬間、合唱の音色が変わった。急に引き締まり、厚みと力強さが生まれ、歌に生命の躍動のようなものが入った。メンバーは皆、僕の方を見ていた。驚いたことに、リベルトゥッチさんも、それに呼応したかのように、音楽を手中に収めているかのように活き活きと弾きはじめた。

 僕たちは、できる・・・という実感を得て、約一時間の短いリハーサルを終えた。

 

・・・つづく・・・

 

by.初谷敬史

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2017-12-27 23:36:58

バチカン・2

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(承前)

 

 三度目は、2010年11月。この時は、「六本木男声合唱団倶楽部」が、ミラノ「ドゥオーモ」でチャリティコンサートを行い、その翌日、名誉なことに、バチカンでミサの聖歌隊を務めた。観光客が立ち入ることのできない大聖堂の一番奥にある祭壇「聖ペテロの椅子」の御前である。(・・・この飛躍は、僕にとって大きい意味を持つ。一度目と二度目は観光であったが、三度目は仕事で。しかも、観光では決して立ち入ることのできなかった憧れの後陣「聖ペテロの椅子」の御前へ。)

 カトリック信者である大友直人さんの指揮で、ソリストにソプラノの中丸三千繪さん、テノールに樋口達哉さんをお招きした。僕は大友さんのアシスタントを務め、その傍らで一部始終を見ていた。

 ミサの当日、本番前に別の会場で一時間程度練習をした。その時、やってきたイタリア人オルガニストは、何と、実は本番で弾くオルガニストではないという。そのことを僕らは、事前に知らされていなかった。大友さんは、「イタリアとは、そういう国です。信用の問題です。」としみじみとおっしゃっていたが、僕もこんなことがあろうかと、万が一のことを考えて、オルガンを弾けるように準備していた。

 大聖堂に入り、本番のオルガニストと一緒に一時間ほど練習した。バチカン専属のオルガニストは、三枝さんの『レクイエム』を初めて奏する。いつも礼拝のためだけに演奏しているので、ほかの曲を弾いたことがないのであろう。案の定、演奏することが難しかったので、僕はオルガニストの傍らに張り付き、彼のケアに徹しなければならなかった。本番では、彼のすぐ横で大友さんに合わせて指揮をしながら、僕の歌で彼を導いた。

 ・・・いま思えば、これがいい予行演習となったことは間違いない。僕はミサのすべてを客観的に見ていたのだ。いま白状すると、実はこの時、これならば、大友さんではなく、代わりに僕にも指揮することができるかもしれない・・・と思った。・・・その7年後、まさか、僕がここで指揮をすることになろうとは、この時、思いもよらなかったけれど・・・。しかしそれは、この時の大友さんのすべてを側でよく見ていて、その残像が僕の瞼に焼き付いているから、そう思えるのである。

 

 この時の自由時間は、僕は市内を回らず、歴代ローマ教皇の収集品を収蔵する世界最大級の美術館「バチカン美術館」と、長い修復をようやく終えた「システィーナ礼拝堂」を見学した。礼拝堂の圧倒的なキリスト教世界に、ただただ驚き、キリスト教の偉大さと西洋文明の凄みに改めて脱帽した。・・・彼らは、神の偉大さを感じ、そしてこころから信じ、神を畏れ、神を愛し、しかし、神について、そして自分たち人間について、まだ何も知らず、けれど、それについて疑問を持ち続け、いまもって、探求し続けている。彼らは、「神の国」に行くその日を、ずっと待っているのだ。なぜならば、誰もその国を知らないから・・・である。それがキリスト教であり、それが一神教を信じる西洋の原理である。そこが、僕たち無宗教、または多神教を信じる日本人と、決定的に違うのであろう。

 僕は祭壇壁の巨大なフレスコ画や圧倒的な天井画に全身包まれながら、ここにまた来るためには、もっと深く、もっとしっかりと西洋を勉強しなければならない・・・と感じた。

 

◆サン・ピエトロ大聖堂

 

 そして、四度目となる今回。・・・まるで僕は、バチカンに吸い寄せられているように思えてならない。

 奇しくも、日本とバチカン市国の外交樹立75周年の記念の年、「サン・ピエトロ大聖堂」の最高責任者で、バチカン市国における教皇代理の主席司祭であるアンジェロ・コマストリ枢機卿の司式で執り行われるミサ(「教皇代理ミサ」と言ってもいいかもしれない)で、聖歌隊の指揮をさせていただくことになるとは、本当に思いもよらなかったし、畏れ多いことである。しかも、もちろん観光客が立ち入ることのできない大聖堂の一番奥にある主祭壇「聖ペテロの椅子」の御前で。・・・このようなことになろうとは、18年前の僕には、想像だにできなかった。

 

 「サン・ピエトロ大聖堂」は、その名の通り、イエスの一番弟子「聖ペテロ」を記念して建てられた教会である。(カトリック教会で、彼は初代ローマ教皇とされている。)この聖堂は、彼のお墓の上に建てられた。それは、イエスが「あなたはペテロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」とペテロに言ったことが起源となっている。

 彼の本当の名は、シモン。イエスは、彼の本性をすべて分かりながら、彼を「ペテロ(岩)」と呼んだ。聖書を読む限り、彼は、イエスの傍にいた頃は「岩」の愛称とは程遠く、短期で、臆病で、脆弱だった。しかし、イエスの受難、そして復活を経験したことを境に、彼のなかで明確な変化が起きたのだと思う。彼は次第に、イエスの期待を背負った「岩のこころ」を得て行くのである。聖書のイエスの物語は、同時に、ペテロが失敗を克服し、イエスの温かい眼差しのもと、イエスの一番弟子として成長していく物語とも読める。・・・僕はキリスト教の信者ではないが、ひとりの人間として、そこに共感するのは、ペテロに自分を重ね合わせているのかもしれない。

 

 彼は漁師だった。ガリラヤ湖で弟と一緒に漁をしていたところ、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と、イエスに声をかけられて、最初の弟子になった。その頃、彼は既に老年であり、結婚もしていたそうである。しかし、彼はすべてを捨ててイエスに付いてきた。

 彼はイエスに選ばれた12人の弟子のなかでも、とりわけ信頼が厚く、リーダー的存在だったという。それは、イエスが彼の本性を見抜いていたからである。イエスから「天国の鍵」を授かったのも、イエスの「変容」を目撃したのも、「ゲッセマネの祈り」に同行させられたのも、彼だった。

 イエスが弟子の裏切りによって捉えられた時、彼は剣で切り付け、下役の耳を切り落としてしまう。彼はイエスに叱られた。その後、彼はイエスを見捨てて逃げてしまう。そして、尋問を受けるイエスを見て、「そんな人は知らない」と、三度も否認した。その時、彼は鶏が鳴くのを聞いた。イエスは振り返り、じっとペテロを見た。彼は自分の裏切りを予告したイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。

 イエスは十字架にかけられ、息を引き取った。彼がその時、どこにいたのかは分からない。

 しかしその後、復活したイエスに会い、使徒として全世界に行って教えを述べ伝えることを命じられる。彼はエルサレムで教会をまとめた後、ローマへと出かける。しかし、そこは異教の街。彼は、過酷な迫害から逃れるために、いったんローマを離れようとするが、その途中で再びイエスに合う。・・・イエスは道の向こう側からこちらへまっすぐに歩いてくる。彼が「主よ、どこへ行かれるのですか」と尋ねると、イエスは「あなたが民を見捨てるなら、わたしがローマに行って、もう一度十字架にかかりましょう」と答えた。彼はそれを聞いて悟り、決心する。そして再び、迫害の炎の燃えさかるローマへと戻っていくのだ。彼は、皇帝ネロによって「逆さ十字架」にかけられ、殉教する。これは、彼が逆さになることを望んだのだという。自分は、イエスと同じ状態で処刑されるに値しない・・・、と。

 

 ・・・彼を殉教者にさせたもの。それは、強く、そして明確な信仰心に他ならない。この確信は、いかなる時も、自分はひとりではなく、イエスが常に自分と共にいてくれる・・・という実感からくるのであろう。

 

◆イエズス会の母教会「ジェズ教会」の奥にひっそりと安置されている十字架上のイエス

 

 ・・・僕はペテロに敬意を表し、彼とこころを一体にするために、本番前、「サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会」に行ってきた。調べてみると、奇遇なことに、この教会はホテルから徒歩1分の場所にあった。ホテルを出て「コロッセオ」方面に、急な古い階段を上っていった丘の上に建っている。「vincoli(鎖)」が示すように、ペテロが繋がれていたふたつの「鎖」が祀られている。ひとつは、エルサレムでヘロデ王に捕えられ、天使によって救出される奇跡の鎖と、もうひとつは、ローマの「フォロ・ロマーノ」にある「マメルティーノ牢獄」に捕まっていた時の鎖である。このふたつの鎖は、教皇レオ一世のもとで出会った時、奇跡的に合体し、1本に繋がってしまってしまったのだという。

 この聖遺物を収めるために5世紀に建てられたというこの教会は、何度となく建て替えられているそうだ。いま、教会の内部に足を踏み入れると、白い柱と天井が印象的で、まるで時が止まっているようである。静かな中に、どこか空気が張り詰めており、緊張感のある独特な雰囲気だった。・・・ここは聖なる牢獄だ。

 主祭壇にまっすぐに進んでいくと、それは、天蓋の下に大切に祀られていた。・・・聖遺物はきっと何かを訴えかけてくる・・・と思っていたが、それはただ黙っていて、静かにそこに吊るされてあるだけだった。・・・ペテロは、イエスが受難の際、そうしたことに倣い、「父がお与えになった杯は、飲むべき」であり、「わたしの願いどおりではなく、御心のままに」なのであろう。しかし、それは、けっして孤独ではない。イエスと共に、その苦難の杯を飲むのである。

 ・・・鎖の意味を理解すると、僕は改めて強い視線を感じた。堂内に入ってからずっと誰かに見られているような気配を感じたのは、主祭壇の右側にある教皇ユリウス二世の霊廟からだった。墓の装飾の中央、横たわる教皇ユリウス二世の下に安置されていたのが、ミケランジェロの「モーセ像」だ。ミケランジェロは、ここに安置されることを想定して、この「モーセ像」を制作したと言われている・・・。ミケランジェロが大理石から削りだしたモーセは、確かに生きていた。豊かな髭の下には、若かりし頃のモーセがおり、筋肉や血管は「命」そのものであった。モーセはユリウス二世を護っているのではない。ひと時もその緊張を途切れさせることなく、この聖遺物を見張っており、その神へのまっすぐな信仰を見守っているのだ・・・。

 

◆サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会

 

◆ペテロの鎖

 

◆教皇ユリウス二世の霊廟・・・こちらを見ているのがミケランジェロの「モーセ像」

 

・・・つづく・・・

 

by.初谷敬史

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