■六本木男声合唱団 ZIG-ZAG クリスマスコンサート in 広島
日時:12月4日(日)開演14:00
会場:グランドプリンスホテル広島
合唱:六本木男声合唱団 ZIG-ZAG 指揮:初谷敬史 ピアノ:岩井美貴
曲目:ホワイト・クリスマス、アニー・ローリー、三枝成彰「川よ とわに美しく」 ほか

■ベンジャミン・ブリテン没後40周年記念レクチャーコンサート
「無垢と犠牲 Innocence and Sacrifice 」 ―ブリテンとマーラーの歌曲における「子供」の世界―
日時:12月11日(日)開演14:00
会場:やなか音楽ホール(西日暮里駅下車徒歩4分)
出演:高橋ちはる(メゾ・ソプラノ)、初谷敬史(テノール)、斉藤龍(ピアノ)、向井大策(構成・解説)
曲目:◇ベンジャミン・ブリテン :4つのフランス語の歌より《子守歌のお守り》op.41、カンティクル第2番《アブラハムとイサク》op.51
   ◇グスタフ・マーラー :《不思議な少年の角笛》より、《亡き子をしのぶ歌》より
◇チケット:全席自由 3000円 レクチャーコンサート事務局 brittenandmahler@gmail.com
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2016-11-28 01:40:40

レクチャーコンサート「無垢と犠牲」に寄せて・1

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 ベンジャミン・ブリテンを歌う時がきた。この日がくるのを、僕はどれだけ待ち望んでいたことか・・・。

 これまでも、歌おうと思えば、プログラムに組み込むことは可能だっただろう。しかし、その機会は作られなかった。僕は、ブリテンを歌うことに値しなかったのだ。いや、彼から許可がおりなかったのかもしれない・・・。

 

 ベンジャミン・ブリテン・・・。

 僕が彼を特別な存在として慕うようになったのは、もちろん、親友の向井大策くんの影響だ。大学2年生の時、同級生で楽理科だった彼と知り合い、彼が研究するブリテンに出会った。当時、僕は無知で、そんな作曲家がいることも知らなかったし、その時代の音楽すら聴いたこともなかった。ブリテンの音楽はあまりに高度過ぎて、理解しようとさえしなかった。しかし、向井くんと親しくなっていくにつれ、ブリテンの名は、僕の中で特別な響きをもってゆき、もっとも親しみをもち、もっとも敬愛する作曲家となり、彼の作品を演奏することが、僕の音楽する目標ともなっていった。

 僕は彼に近づくために、手始めに、イタリア語の詩による歌曲『ミケランジェロのソネット』を勉強しはじめた。高先生のレッスンに持っていくも、面白くない・・・と撥ねられた。もちろん、満足に歌うことはできなかった。僕の歌の技術では、どうにもならなかったのだ。

 ・・・しかし、僕はいつか勉強するときがくるだろう・・・と、足しげく図書館へと通い、ブリテンの声楽作品の楽譜をコピーし、収集しておいた。

 

 高先生のレッスン以来、自分での勉強はいっこうに進まなかったが、ラッキーなことに、ブリテンを公に演奏する機会を得られることとなった。僕が大学4年生の時、NHK交響楽団の定期演奏会で、ブリテン『春の交響曲』を演奏するのに、芸大声楽科に合唱の依頼があったのである。僕は当時、芸大合唱の全体のリーダー(インスペクター)をしており、NHK交響楽団との交渉からすべて、僕の手によって進めていくことになった。しかし、僕はブリテンのことについて詳しくなかったので、向井くんに手伝ってもらって、日本語訳や資料などを作ってもらった。

 

NHK交響楽団第1379回定期公演

1999年5月13(木)、14(金) NHKホール

指揮:アンドレ・プレヴィン

ソプラノ:シェリー・グリーナヴァルド

メゾ・ソプラノ:ロバータ・アレクサンダー

テノール:アンソニー・グリフィー

合唱:東京藝術大学(合唱指揮:ジョン・オリバー、田中信昭)

児童合唱:東京少年少女合唱隊(合唱指導:長谷川冴子)

 

 公演を終えて、思わぬ人が、舞台袖の僕らのところに現れた。小澤征爾さんだ。その日、たまたま客席で聴いていたのだ。そして、あまりに合唱が素晴らしかったので、興奮して舞台袖まで飛んできて、その感動を僕らに熱く語ってくれたのだった。

 ・・・この時の出会いが、小澤征爾さんが2002年のシーズンからウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めるにあたり、オペラを通して若手音楽家を育てようと、2000年に設立したプロジェクト「小澤征爾音楽塾」へと繋がっていったのである。僕らは、その一期生として、創立から3年に渡ってプロジェクトに参加し、世界一流の歌手や演出家などを揃えた本物のオペラを、一から勉強させていただいたのだ。

 

 すこし脱線してしまったが、僕はいま、ブリテンを、生身の人間のように、とても近しく感じることができる。それは、もちろん、ブリテンを探しに、イギリスへ渡った経験からである。

 2011年8月、向井くんがブリテンの研究のために、ブリテンの家「レッドハウス」のある「オールドバラ」に長期滞在していた時、僕は彼を訪ねて、遊びにいったことがあった。ロンドンから、電車とバスを乗り継いで辿り着いたひなびた漁村。・・・そこには、ブリテンを感じるあらゆるものがあった。ひと夏の賑わいを見せる通りと礫の浜、使い古され役目を終えた漁船、自由を勝ち取ったかのようなカモメたち、荒々しい黒い海に吹き荒れる風、堰を切ったように打たれる教会の鐘の音・・・。彼はここを愛し、生涯離れることがなかった。

 そう、いまも、彼はそこに眠っている。親友のピアーズと共に・・・。彼らの墓は、墓地の奥にひっそりと、寄り添うように並んでいる。僕らは、まるで「かくれんぼ」のように、彼らの墓を探した・・・。大きな木の下で、ようやく彼らを探し当てた時、僕はほほ笑ましく思った。彼らの墓標は、すこし内側に傾いていて、まるで肩と肩を寄せあっているように見えたからだ。僕はそこでドキリとした。ブリテンの亡くなった年号「1976」が刻まれてあった。それが妙に浮き立って見え、何かを訴えているようであった。僕らの生まれ年「1977」と、何か関係があるように思えた・・・。

 

・・・つづく・・・

 

by.初谷敬史

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2016-11-18 15:29:33

無垢と犠牲

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■ベンジャミン・ブリテン没後40周年記念レクチャーコンサート
「無垢と犠牲 Innocence and Sacrifice 」 ―ブリテンとマーラーの歌曲における「子供」の世界―
日時:12月11日(日)開演14:00
会場:やなか音楽ホール(西日暮里駅下車徒歩4分)

 

出演:高橋ちはる(メゾ・ソプラノ)

   初谷敬史(テノール)

   斉藤龍(ピアノ)

   向井大策(構成・解説)


曲目:ベンジャミン・ブリテン :4つのフランス語の歌より《子守歌のお守り》op.41

   ベンジャミン・ブリテン :カンティクル第2番《アブラハムとイサク》op.51

   グスタフ・マーラー :《不思議な少年の角笛》より

   グスタフ・マーラー :《亡き子をしのぶ歌》より


 今年(2016年)、没後40年を迎えるイギリスの作曲家ベンジャミン・ブリテン(1913~1976)。

 彼にとって「子供」は、創作上、最も重要な主題のひとつでした。「子供」とは、ブリテンにとって、汚れのない、純粋なる「無垢」を象徴する存在であり、それと同時に、その喪失や犠牲が、彼の作品の中では劇的なドラマを生み出します。興味深いことに、ブリテンが敬愛し、そして深く影響を受けた作曲家であるグスタフ・マーラーもまた、歌曲の中で幾度となく「子供」の世界を取り上げました。このリサイタルでは、ふたりの作曲家の「子供」の世界を、交差するふたりの声を通して描き出していきます。

 

◇チケット:全席自由 3000円 

◇お問い合わせ:レクチャーコンサート事務局 brittenandmahler@gmail.com

 

 

by.初谷敬史

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2016-11-08 11:03:59

コール・エッコ第28回定期演奏会

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■混声合唱団「コール・エッコ」第28回定期演奏会

11月13日(日)開演14:00

コスモスホール(栃木市岩舟文化会館)

 

◇混声合唱組曲「心の四季」(作詩:吉野弘、作曲:高田三郎)

◇「イギリス合唱音楽の楽しみ」

カノン「夏は来たりぬ」(作者不明)、ベネット:「泣け、わが瞳よ」、パーセル:「3つの短いアンセム」、ラター:「天使のキャロル」、アイルランド民謡「ダニー・ボーイ」(編曲:チルコット)

◇「第2回コール・エッコ紅白歌合戦」

「ゆけゆけ飛雄馬」vs「おしえて」、「あずさ2号」vs「ア・ホール・ニューワールド」、「最上川舟歌」vs「おてもやん」、「栄光の架橋」vs「ウィスキーがお好きでしょ」、「民衆の歌」

 

合唱:コール・エッコ

アナウンス:関口真弓

チェロ:吉谷夏子

エレクトーン:石川龍子

ピアノ:荒井俊子

指揮:初谷敬史

 

 待ちに待った「コール・エッコ」の定期演奏会。今回もメンバーがいろいろと趣向を凝らし、楽しいコンサートをお届けする。

 第1部では、現存する世界最古のカノンと言われる中世イングランドの「夏は来たりぬ」(1280 年頃〜1310年頃)をはじめに、イギリスの合唱曲を年代順に並べた。東アジアの島国日本と同じように、音楽において、イギリスは大陸ヨーロッパとはすこし違った発展を遂げてきたと言えよう。それは、いつもヨーロッパからすこし遅れて、そして、イギリス風に・・・。イギリス風・・・とは、とても形容しがたいが、その特徴をひと言で言うなれば「驚くほどの心地よさ」であろう。それぞれの曲の時代的な様式の特徴を活かしながら、分かりやすい解説付きで演奏する。

 第2部では、前々回の定期演奏会で好評だった「紅白歌合戦」を再び企画した。赤組(女声合唱)と白組(男声合唱)に分かれ、歌で競いあう。審査員は、もちろん会場のお客さまだ。全演奏が終了すると、「野鳥の会」が正確に赤と白の札を数える。笑

 第3部は、日本の合唱曲の名曲、高田三郎『心の四季』を演奏する。この合唱組曲を、以前、前任の指揮者であった茂木先生の指揮で演奏したというが、僕の指揮で、もう一度歌ってみたいという意見が多数あり、演奏会のメインに据えた。・・・その辺りの僕の想いは、プログラム・ノートに記した。

 

◆『心の四季』を演奏するにあたって

 

 高田三郎という作曲家を、僕はこころの底から信じている。・・・このように書くと、何かの宗教であるかのように思われるかもしれないが、そうではない。これは、ある種、直観的な働きによって至った、僕の結論である。

 2013年のコール・エッコ第25回定期演奏会において、高田三郎『わたしの願い』(高野喜久雄 作詞)を演奏した時、僕は舞台上でこの上ない幸福と感動を味わった。この楽曲のもつ真理、そしてこの詩のもつ真理が、その時の僕のすべてを捉え、全身を震わせていたからだ。何もできない僕ではあるが、『わたしの願い』を一生懸命に演奏することで、すべての人びとを幸福にすることができるかもしれない・・・と思えたことは、僕の音楽人生にとって、とても大きな出来事であった。

 2015年に足利で高田三郎『水のいのち』(高野喜久雄 作詞)を演奏した時も、同様のことを感じた。僕が仮定したのは、「この組曲は、ミサ曲である」ということ。肉体と精神の狭間でもがく人間の、精神的な救済を願っているのではないか・・・、と。

 僕は高田三郎が、音楽を通じて、すべての人びとの幸福を願っている・・・と思えてならない。『心の四季』を前にして、いま、改めてそう思う。人が、ただひとり、人生に立ち向かうように・・・、人が、ただひとり、死と向かい合うように・・・、人がただひとり、神と向かい合うように・・・、静かに己のこころと向かい合うのだ。何も飾ることのない、ありのままの己のこころと。そこにきっと、その人それぞれの苦悩に満ちた美しさや輝きを発見するにちがいない・・・。

 今回、『心の四季』を演奏するにあたって、作為的な表情の付け足しを、敢えてやめた。拍節法に則った和声の自然な流れを基本とし、言葉が内包する意味や力がそれと一体となって表出されるように、細部まで配慮した。それが、高田三郎が意図したことであるだろうし、それが、この作品の「こころ」であると思うからである。  (プログラム・ノートより)

 

by.初谷敬史

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2016-11-08 03:51:18

故 入野義朗「生誕95年記念コンサート」

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 ヴォクスマーナが出演します。平日の夜ではありますが、めったに聴けない内容となっておりますので、是非、お越し下さい。

 入野義郎(1921年〜1980年)は、柴田南雄や戸田邦雄とともに「12音技法」を研究し、戦後の日本の音楽界において、その普及に尽力した作曲家です。「12音技法」とは、シェーンベルクが1921年に「5つのピアノ曲」作品23で体系化したとされる作曲技法で、「調性」の束縛から逃れようと、オクターブ内の12個の音を均等に使用した音楽のことを言います。

 ヴォクスマーナの演奏する「凍る庭」(1961)も「12音技法」で書かれているそうですが、調性音楽のようにとても美しく、その音が内包している世界に、計り知れない奥深さを感じます。この曲を演奏していると、彼の芸術において、「12音技法」は、あくまで手段であった・・・ということを強く感じるのです。

 

■「故 入野義朗 生誕95年記念コンサート〜12音技法のマイルストーン」

11月14日(月)開演19:00

東京オペラシティ・リサイタルホール

全席自由席: 一般3,000円 学生1,500円

http://yoshiro-irino95th.strikingly.com/

 

 

曲目:全 入野義朗(1921-1980)作品

◆ピアノのための変奏曲(1943)

  田中一結(pf)

◆管楽五重奏のためのパルティータ(1962)

 鷹羽弘晃(指揮)、下村祐輔(f l)、鈴木かなで(ob)、前山佑太(cl)、河野陽子(hn)、木村卓巳(bn)

◆ヴァイオリンとピアノのための音楽 (1957)

 中澤沙央里(vn)、佐々木絵理(pf)

◆混声合唱とピアノのための「凍る庭」(1961)詩:村野四郎

 ヴォクスマーナ(合唱)、篠田昌伸(pf)

◆フルート独奏のための3つの即興曲(1972)

 多久潤一朗(f l)

◆四大(1979)

 藤原道山(尺八)、黒澤有美(二十絃箏)、本條秀慈郎(三絃)、平田紀子(十七絃箏)

 

by.初谷敬史

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2016-10-30 23:49:48

ふたつの男声合唱団・4

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(承前)

 

 もうひとつの男声合唱団は、いま、僕の合唱指揮者としての活動の中心ともなっている「六本木男声合唱団 ZIG-ZAG」である。

 僕は、三澤先生のアシスタントとして、2004年に「六本木男声合唱団倶楽部」にやってきた。男声合唱の経験は、「志木グリークラブ」で充分に積んでいたし、大型合唱団も多数経験があったので、僕は比較的、自信をもって「ロクダン」に来たつもりだった。・・・しかし、ロクダンでは、僕の予想を遥かに超えて、すべての勝手が違った。

 

 音楽に関してのことを取りあげてみれば、僕がこれまで経験したことのないような複雑で難解な音楽を稽古しなければならなかったし、岩城宏之さんや、小林研一郎さん、大友直人さんなどの大指揮者の下棒として、サントリーホールや海外の有名な劇場などで演奏するために、きっちりと仕上げなければならなかった。しかし、一流のオーケストラや一流のソリストと共演するためには、僕がこれまでやってきた自己流の音楽方法では、まったく歯が立たなかった。・・・僕は「仕上げる」という意味さえも、当時、よく分かっていなかったのだと思う。僕はそこで、合唱指揮者として、団長の三枝成彰さんや、三澤先生のもとで、音楽を一から勉強し直し、経験を積み重ねていかなければならなかった。

 いま思えば、僕は音楽の何も理解していなかったし、経験が全く足りていなかった・・・。

 

 僕がロクダンにやってきて1ヶ月が経った頃、あるレコーディングがあった。モンゴル出身の関取「時天空(ときてんくう)」を応援する歌「時天空」(作詞:眞木準、作曲:三枝成彰)を、三澤先生の指揮で、CDレコーディングしたことがあった。僕はアシスタントとして当然、関わっていたし、録音では合唱に混じってトップ・テノールを一緒に歌った。

 ・・・時天空関は、2004年3月場所に十両に昇進し、2004年7月場所に、たった2場所で新入幕を果たした。これは史上最速タイ(貴ノ花関)記録である。僕たちがレコーディングしたのは、破竹の勢いで入幕したすぐの頃だった。

 その後、時天空関は、柔道経験を活かした巧みな足技などを武器に、目覚ましく活躍し、小結まで上り詰めた。しかし、2015年、悪性リンパ腫であることが分かり、やむなく休場し、抗がん剤治療に取り組むことになった。土俵の復帰を願って、病気をやっと乗り越えるも、闘病生活が予想よりも長引いたために、現役の時ように身体を戻すことができず、残念ながら引退を表明することとなった。

 そして、この度、年寄「間垣(まがき)」を襲名することとなり、今後は、後進の指導にあたっていく覚悟であるという。

 

 その「間垣親方襲名披露」の祝賀会において、「六本木男声合唱団 ZIG-ZAG」は、歌をプレゼントした。入幕した当時歌った、あの応援ソング「時天空」である。・・・あれから12年・・・、ロクダンも「ZIG-ZAG」として生まれ変わり、時天空も「間垣親方」となった。

 ・・・僕の指揮は、ステージ上の団員の歌と共にあった。メンバーの姿は凛々しく、眼はいきいきと輝いていた。そして、ひとつひとつの言葉には、辛い闘病を乗り越え、これから新たな未来へと一歩ずつ歩んでいく間垣親方に向けて、まごころがこもっていた。

 ・・・とてもいい仕上がりだった。僕がこれまでやってきた、さまざまなことが結ばれた歌だと思った。流麗なハーモニーを重厚に響かせ、骨太で勇壮なメロディの芯をしっかりと捉えていた。力強く、そして温かく、希望に満ちたア・カペラだった。

 

 間垣親方の門出を祝うステージの数日後、新しいロクダンになって初となる「東京カテドラル」での「レクイエム」のコンサートがあった。

 昨年11月に行われた同コンサートで、「六本木男声合唱団倶楽部」は解散し、年を明けて、「六本木男声合唱団 ZIG-ZAG」が再結成された。ロクダンは、「カテドラル」に終わり、「カテドラル」ではじまったのだ。

 

 そのコンサートを迎えるにあたり、マエストロ稽古があった。そこで、大友直人さんが言った――「ロクダンの組織が、何が以前と変わったのか分かりませんが、合唱はよくまとまっていますね!」・・・大友さんは、誰よりもロクダンのことをよく理解していたし、だからこそ、人一倍、ロクダンの行く末を心配してくれていたのだ。

 昨年のコンサートの打ち上げは、ロクダンの「解散式」となった。その際、壇上で、大友さんは、いつになく長々とスピーチをした。三枝さんのこと、そして、ロクダンのことについて、この活動がどんなに素晴らしいことなのか・・・、団員に熱く訴えかけてくれた。・・・あの大友さんのスピーチがなければ、もしかしたらロクダンは、そのまま空中分解していたかもしれない・・・。そんなふうに思うほど、その言葉のひとつひとつに説得力と愛情とがあった。

 

 あれから一年、新しくなったロクダンでは、いままで以上に、音楽のすべてが僕に任されることになった。予算の都合もあり、これまでのパートリーダーによるパート練習はなくなり、音取りから仕上げまで、すべて僕の手によって行われている。その中で、発声や音色、ハーモニー、ソルフェージュ、フレージングやアーティキュレーションに至るまで、徹底して音楽構築することができた。

 また、団の改革によって「出席率」が重視されることとなり、稽古で確実に積み重ねていくことができるようになった。(これは、忙しい方々の集まりであるロクダンにとって、画期的なことだったし、指導者である僕にとっては切望していたことだった。)そして、「5人組」ならぬ「ユニット制」が導入され、団員相互の密な連絡によって強固な連帯感がうまれ、また自主性や積極性が芽生えてきたことは大きい。

 1年振りにロクダンに接する大友さんの「まとまっている」という評価は、僕らにとって、いろいろな意味で、最高の褒め言葉だった。

 

 新たなロクダンのスタートとなった「カテドラル公演」は無事に成功し、大きな一歩を踏み出すことができた。

 ・・・これから多くのステージが、僕らを待っていることだろう。忙しいロクダンにとって、それぞれのステージを着実にこなしていくことは、試練であることに違いはないが、メンバー、こころをひとつにして、頑張っていきたいと思う。

 僕は思う――ロクダンは、もっとステキな合唱団になっていくに違いない・・・、と。

 

by.初谷敬史

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2016-10-30 23:48:22

ふたつの男声合唱団・3

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(承前)

 

 僕が「ららぽーと」などで演奏されたグリークラブのレパートリー以外のもので、純粋に一から音楽づくりができたステージは、年に一度の「お父さんコーラス大会」だった。

 この大会は、コンクールではない。従って、それぞれの団体が個性を活かした音楽づくりで、全体的に大らかで、和気あいあいとしている。大会の合言葉は、大会第一部のそれぞれの団体による演奏は「前座」、第二部の野外ステージでの懇親会が「本番」・・・という冗談である。もちろん、懇親会ではお酒が入り、それぞれの団が入り交じって、男声合唱の定番を歌い騒ぐのだ。

 とは言いつつ、演奏ステージでは、入れ替わり立ち替わりいろいろな団がステージに上がるわけで、どうしてもそれぞれの出来栄えが比較される。「妙なるハーモニー」を響かすグループもあれば、「耐えられないハーモニー」のグループもある。また、「NHKのど自慢」で特別賞をもらいそうなユニークなグループもある。

 志木グリークラブはどちらかというと・・・、これまで、ユニーク路線で出場していたという。しかし、僕が指揮者になってからというもの、次第にハーモニーを追求していくようになった。

 

 僕はやはり、自らの芸術性を存分に表現したい・・・と思っていた。それは、比較されるステージだからこそ、僕にとって価値があった。そういった意味において、僕には野心があったのだ。

 僕は当時、指揮者の中で、最年少だった。初々しさと言ったらこの上なく、僕が舞台上でお辞儀をした時の、サポーターからの黄色い声援が、すべてを物語っていた――「フレー!フレー!たかし〜!」だから、新しいことを思い切って試みるには、うってつけの舞台だったと言えよう。しかし僕はそれを、けっして若気の至りにしたくはなかった。

 僕は手探りで、いろいろなことを試した。僕という音楽家は、(自分で言うのも恥ずかしいが、僕のブログなので好き勝手に書けば・・・)際立った音楽性を持っている。・・・しかし当時、その際立った音楽性を、自分で言語化、記号化することができなかった。もっとも、まだ自分で自分を発見できていなかったし、「一流」と比較すれば、さまざまなことが浅はかな代物であった。

 しかし、それでも、楽曲の持ち味を十二分に表現したい・・・、人に感動を与えるような演奏をしたい・・・という気持ちだけは人一倍で、それを志木グリークラブで実現させることが、僕の最大の挑戦であった。僕はいつもこう考えていたのだ――もし、同じ曲を、他の団体で演奏したとしたら、その音楽性たるや、やっていることの次元が全く違っている・・・と、玄人に思われる演奏をしたい、と。

 

 こうした考えは、現在でも変わっておらず、僕の合唱指揮者としての原点は、このステージにあったと、改めて思う。そして、僕の基本的な合唱における思考というものは、「志木グリークラブ」で培ってきた男声合唱の響きの中にあると強く感じる。

 

 いろいろと他の活動が忙しくなってしまい、残念ながら、しばらくグリークラブから離れてしまったが、今回、6年振りに指揮をさせていただくことになって、すこし恩返しができたのではないかと思っている。

 あの頃よりは、いろいろな経験を積んで、多少「マシ」な人間になっているだろうし、指揮者として、より多くのことを提供できるようになっていることだろう。合唱の「いろは」を勉強させてもらった志木グリークラブに、音楽家として成長した姿を、すこし見せられたような気もする。

 

・・・つづく・・・

 

by.初谷敬史

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2016-10-30 23:46:04

ふたつの男声合唱団・2

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(承前)

 

 懐かしの「秩父ミューズパーク」での演奏を、無事に終えた。

 ・・・まだ駆け出しの指揮者だった僕は、ここでさまざまな試みをしてきた。1年に一度の大舞台は、僕に多くの経験を与えてくれたのだ。

 

 この「お父さんコーラス大会」は、ちまたで盛り上がりをみせる「お母さんコーラス大会」に倣って、埼玉県合唱連盟がはじめたものだ。この大会に、「志木グリークラブ」も、毎回参加している。

 「志木グリークラブ」は、三澤先生率いる「志木第九の会」を母体とする男声合唱である。(現在は、独自に活動している)僕は、大学4年生の頃から、三澤先生のアシスタントとして「第九の会」の指導にあたっていたが、僕の指導力を買ってくれたのか、ある時、「グリークラブ」の指導を頼まれることになった。・・・とは言っても、当時、僕は、声楽こそ大学で学んでいたが、合唱そのものはあまり経験がなく、「第九の会」の指導も、けっして褒められたものではなかったと思う。

 

 そもそも、僕が合唱指揮者として活動するようになったきっかけは、大学卒業を控えた頃に、当時、芸大の合唱の先生であった三澤先生に、将来について相談したことからはじまった。僕は先生に、どうやったら合唱指揮者になれるのか尋ねたところ、特に明確なアドヴァイスはなかった。その代わり、ただ、先生が指導する合唱団に見学に来るように誘われた。・・・それが「日本興業銀行合唱団」と「志木第九の会」だった。たしか、見学に行ったのが、1999年12月の頃・・・。

 初回は、先生の指導する練習を見学に行ったが、次回から合唱を指導するように指示を受けた。・・・僕がはじめて指導した練習のことを思い出すと、恥ずかしいような、笑ってしまうような、何とも言えない気持ちになる。それもその筈である。僕のデビューには、思わぬ見学者が二人もいたからである。

 

 僕が指導を頼まれたのは、三澤先生の来られない日で、他の指導スタッフによる練習日に、男声パートを別室で僕が練習をつける・・・というものだった。

 僕が練習に行くと、団員さんが別室に案内してくれた。部屋に入って、挨拶もそこそこに、曲の冒頭から、自分でピアノを弾きながら、音取り稽古をはじめた。いまでも忘れない・・・『メサイア』の合唱1曲目「And the glory of the Lord」だった。

 『メサイア』は、芸大でも毎年歌っていたのでよく知っているし、音取り程度ならば、ピアノを弾くことは容易かったので、スムーズに稽古に入ることができた。しかも、「第九の会」の人びとは、みなさん気がよくて、僕の慣れない挨拶や指導に、温かく反応してくれた。・・・はじめての指導としては、まずまずの滑り出しだったと思う。(いま考えれば、満足な指導ではなかったが・・・。)

 

 ・・・稽古もしばらく経ってから、部屋の奥のドアから、誰か二人、コソコソと入ってきたのが分かった。僕は一生懸命稽古をつけていたし、周りを気にするほどの余裕もなかったので、どなたか団員さんが遅れてきたのだろう・・・と思って、そのまま稽古を続けていた。しかし、いささか様子がおかしい。二人は、顔を隠すようにして、しかも、抑えきれぬ笑いに肩を震わせながら、部屋の後ろの席に並んで座ったのだ。ふたつのシルエットは、まったく対照的で、「大きい」と「小さい」だった。

 練習の区切りで、やはりすこし気になったので、そちらを見てみると、何と、それは・・・、初鹿野先輩と三澤先生だったのである。(バリトンの初鹿野先輩は、芸大の3つ上の先輩で、三澤先生の右腕として、「志木第九の会」の指導にあたっていた人だ。)・・・二人は、僕と目が合うと、失笑しながら顔を手で隠し、わざとらしく顔を逸らせた。僕は自分の目を疑い、見てはいけないものを見てしまった・・・と思ったので、見て見ぬ振りをしよう・・・と、いや、それはなかったことにしよう・・・と自分に言い聞かせて、時間になるまで、やるべきことに集中して、一生懸命に稽古した。

 

 ・・・僕は完全にダシにされてしまったのだ。・・・というのは、僕の個人的な感情であって、これは、過酷な抜き打ち実施面談だった。先生は当時、いまよりもすこし時間があったのかもしれない・・・。初鹿野先輩も、この日は別の指導スタッフがいたので、本来は来ない日だった。(初鹿野先輩は、僕が芸大声楽科のリーダーとして芸大合唱のとりまとめ「インスペクター」をしていたのを、先輩としてよく補佐してくれた。)

 ・・・二人とも、僕の「出来ない振り」をよく知っていたので、心配になって見にきてくれたのだ。それでもあまりにもダメならば、僕はそこでクビになっていただろう・・・。

 誰でもはじめは初心者だ。けれど、その本当に初めての日の一部始終を、予告も予行練習もなしに、よりによって、いきなり直属の大先生と大先輩に見られてしまったのだ。僕はその時、何も言い訳することはできないし、ただただ、与えられたものを一生懸命にこなすしか方法がなかった。良い風に考えれば、予告がなかったから、自然体でよかった・・・ということがあるのかもしれない。

 僕の指導について、内容や能力は合格に達しなかったと思うが、向き不向きや、可能性という点においては、まずまずの評価だったのだろう。・・・どうやら、二人の面接官による抜き打ち試験は、パスしたようだった。

 

 そんな頼りのない僕が、「志木グリークラブ」を、先任の指導者に代わって、常任指揮者として、ひとりで指導することとなった。けれど、僕は残念ながら、男声合唱も、ア・カペラも、合唱を指揮するのも、全くはじめてのことで、正直、右も左も分からなかった・・・。

 しかし、グリークラブは温かかった。メンバーの中には、学生時代に男声合唱を経験しているメンバーもおり、僕は彼らの助けを借りて、何とか指導者としての面目を保ちながら、稽古していくことができた。

 

 僕が指揮者として成長していくために、とてもラッキーだったのは、グリークラブで、多くのステージを踏むことができたことである。

 活動の主たるステージは、志木駅前にある大型商業施設「ららぽーと」で行ったミニ・コンサートだった。数ヶ月に一回のペースで、30分プログラムのステージ。施設中央の階段の踊り場で、僕らはア・カペラを披露した。プログラムのほとんどが、グリークラブのレパートリーで、「自由の歌」や「斎太郎節」「叱られて」など、男声合唱の定番だった。それに、季節に合わせて、メンバーが編曲した日本の四季の歌などを混ぜたプログラムだった。

 そして、グリークラブには、ありがたいことに、たくさんのサポーターがいた。「第九の会」の女性陣が、コンサートの度に応援に駆けつけてくれたのだった。そして、ステージが終わると必ず、正直な感想を述べてくれた。良かった時は、良かった。悪かった時は、悪かった、と。・・・僕は、彼女たちの好評価を得られるように頑張っていたのだ。プログラムのほとんどが、みんな暗譜で歌えるようなレパートリーであったが、僕の指導や指揮のさじ加減で、良くも悪くもなった。

 演奏は、人間が行うがゆえに、生ものだ・・・。僕はそれを、実践で学んでいくことができた。

 

・・・つづく・・・

 

by.初谷敬史

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2016-10-07 01:55:40

ふたつの男声合唱団・1

テーマ:ブログ

 たぶん・・・、6年振りくらいに、「志木グリークラブ」の指揮をする。僕の合唱指揮者としての活動は、志木グリークラブから始まった・・・と言ってもいい。

 そして、いま、僕の活動の中心ともなっている「六本木男声合唱団」のステージが続けてやってくる。

 このふたつの男声合唱団について、改めて記事にしようと思うが、ステージの情報だけ掲載することにする。

 

■10月8日(土)「彩の国男声コーラスフェスティバル2016」

秩父ミューズパーク音楽堂

第1部(演奏会)12:00〜15:20 

第2部(野外ステージにて懇親会)15:30〜16:40

 出演:志木グリークラブ(指揮:初谷敬史)

 

■10月9日(日)「時天空 改メ 間垣親方襲名披露祝賀会」

赤坂アークヒルズクラブ「the Club Room」

 出演:六本木男声合唱団ZIG-ZAG(指揮:初谷敬史)

 

■10月13日(木)「六本木男声合唱団ZIG-ZAGコンサート」

東京カテドラル聖マリア大聖堂 開演19:00

☆六本木男声合唱団ZIG-ZAG ホームページ http://rokudan-zz.com

◇お問い合わせ 六本木男声合唱団ZIG-ZAG事務局 03-3584-0649

 三枝成彰:曾野綾子のリブレットによる「レクイエム」

 指揮:大友直人

 ソプラノ:森麻季

 テノール:樋口達哉

 合唱:六本木男声合唱団ZIG-ZAG(コーラスマスター:初谷敬史)

 管弦楽:シアター オーケストラ トーキョー

 

by.初谷敬史

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2016-09-29 23:24:49

高崎おにころ

テーマ:ブログ

 ミュージカル『ナディーヌ』公演を大成功に終えて、秋の気配を感じながらホッとするのも束の間。10月3日(月)より群馬県高崎市でのミュージカル『おにころ』のワークショップがスタートする。来年7月30日(日)群馬音楽センターでの本公演を目指して・・・。

 

 昨年に引き続いて、毎週月曜日、高崎へ稽古に通う日々が始まる。しかしながら、三澤先生の創作ミュージカルに、僕の特性を存分に活かしながら、このようにファミリーの一員としてコンスタントに関わり、その世界にどっぷり浸かることができるのは、本当にありがたいことである。僕が僕らしくいられるところ・・・。

 高崎へ行けば、嬉しい再会がある。僕を温かく迎えてくれる仲間たちがいる。そして楽しみなのは、今回、新たにどんな出会いが待っているのか・・・。そして、どんな充実した日々がやってくるのか・・・。片道125キロの道のりを、みんなを想いながら通うことになる。

 そうしていくうちに、このミュージカルを生んだ高崎や、そこに暮らすみなさんと、どんどん近しい存在となり、僕は昨年よりも高崎を、そして『おにころ』を、もっと好きになっていくだろう。そうして、僕の演じる「伝平」は、更に真へと近づいていくのだ。

 

 

★合唱団員は、まだまだ募集しています!来年の夏を目指して、僕たちと一緒に新たな『おにころ』を創っていきませんか?!

 

ミュージカル『おにころ〜愛をとりもどせ』

■公演日:2017年7月30日(日) 

■会場:群馬音楽センター

主催:「新町歌劇団」 

共催:高崎市

 

台本・作曲・演出・指揮:三澤洋史 

出演:未定

合唱:おにころ合唱団、新町歌劇団

管弦楽:群馬交響楽団

 

◆指導者

音楽監督・指揮者:三澤洋史

ダンス指導:佐藤ひろみ

副指揮者:初谷敬史、余川倫子

ピアニスト:小林直子、近藤陽子

 

◆練習会場:高崎市中央公民館・集会ホール

◆練習日(19:00〜21:00)

2016年

 10月3日(月)初声式、17日(月)、24日(月)

 11月7日(月)、14日(月)、21日(月)、28日(月)

  12月5日(月)、12日(月)、19日(月)、26日(月)

2017年

 1月16日(月)、23日(月)、30日(月)

 2月6日(月)、13日(月)、20日(月)、27日(月)

 3月6日(月)、13日(月)、27日(月)

※4月以降は後日決定(4月以降、ソリストを交えての特別練習が入ることがあります。) 

 

◆お問い合わせ

新町歌劇団事務局:090-9954-1854 E-mail:m-satou@dan.wind.ne.jp

◆新町歌劇団ホームページ

http://nei065.wixsite.com/sinmachi-kagekidan

 

by.初谷敬史

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2016-09-29 01:42:22

歌のこころ・2

テーマ:ブログ

(承前)

 

 高校2〜3年生の時期、中学の頃のテニス三昧から一転し、音楽にどっぷり浸かる生活になっていた。僕は高校の音楽の先生の勧めで、芸大を志していたのだ。

 家で毎日練習し、毎週、声楽、ピアノ、ソルフェージュなどのレッスンに通った。部活動も音楽部に入っており、オーケストラで、ビオラを弾いていた。交響曲や序曲などを練習する傍ら、友だちと室内楽を初見で演奏したりして、アンサンブルを楽しんだ。やること全てが初めてのことで、勉強そっちのけで、音楽する楽しさを身体で存分に感じとっていた時期だった。

 この音楽する新たな身体的感覚は、演奏するだけに留まらず、音楽をじっくり聴くことで、更に精神的な領域まで及び、僕の音楽的感覚を開花していった。

 

 父が、芸大を目指す僕に、立派なCDデッキを買ってくれたことは、この時期の僕に、大きな意味をもたらしただろう。

 ・・・僕は学校やレッスンから帰って、自分の部屋に戻るのが楽しみだった。ベッドの前に置かれた黒光りする大きなスピーカーからは、重低音が鳴り響き、音の奥行きや繊細な質感、奏者の息づかいや、空間の広がりまでもが感じとることができた。・・・本当の意味で、僕がクラシック音楽に出会ったのは、この頃だったと言えよう。

 僕は地元のCDショップにあくせく通いつめ、片っ端からいろいろなジャンルのクラシック音楽のCDを買いあさった。(父には内緒だったが、その資金は、お昼の弁当代の残りだった。)家に帰ると、僕は決まって部屋を真っ暗にして、スピーカーから聴こえてくる音の世界に入り込んだ。・・・しかし、僕は、音そのものを聴いていたのではなく、その向こう側にあるものを聴いていたのかもしれない。グレゴリオ聖歌や十字軍の音楽を聴いて、古の世界を・・・。弦楽四重奏やピアノソナタを聴いて、恋の物語を・・・。寝るときは、標題音楽や歌曲を聴いて甘い夢を見て、朝は、ラジオから流れる「バロック」で目覚めた。

 ・・・僕はこうして、砂漠の乾き切った石に水を落とすがごとく、さまざまな音楽を一気に吸収していったのだ。

 

 なぜ、僕が音楽を志すようになったのか・・・。それは、音楽の先生に勧められたからであるが、僕が決断した理由がある。・・・それは、「人に惚れた」のである。

 音楽の授業で鑑賞した一枚のLD。メトロポリタン歌劇場のオペラ『ラ・ボエーム』(ゼフィレッリ演出・レヴァイン指揮)。貧しいボヘミアンの詩人、ロドルフォ役のホセ・カレーラスが、お針子のミミ(テレサ・ストラータス)と、第一幕の最後に歌う二重唱の一場面。・・・月明かりのもと、まだお互いを知らない若者同士が、夢や希望、そして打ち震える魂の中で、こころとこころを触れ合わせる。いま沸き起こったばかりの真実の愛を、自分の気持ちに正直に、大胆に、そして優しく、甘美に、力強く歌い上げる彼の姿と眼差しと歌に、僕は一瞬にしてこころ奪われてしまった。

 どうしてそんなに惹かれたのか分からない・・・。けれど、彼の彼女を見る眼差しや、目一杯張り上げた声の中に、僕の魂を揺さぶる何かがあったのである。・・・深い愛、高い精神、憂いややるせなさ、闘牛士のような闘志と勇気、何事も超えていく強い信念、こころの裏側に張り付いた弱さや陰、すべてを焼き尽くすほどの情熱、ひとりの人を包み込む優しさ、人生そのものの迷い、あらゆる歴史の歪み・・・。それらありのままを、すべて背負った眼差し。それらに目を背けず肯定し、「それが人間だ」と叫ばんばかりの声。

 ・・・高校生だった僕は、単純に、あのような人間になりたい・・・と思った。

 

 そして、いま、また音楽を聴きだした。それは、僕の歌への情熱が再び湧いてきたことと、何か関係があるのだろう・・・。僕はいま、歌に飢えているのかもしれない・・・。

 ある時、スマートフォンでYouTubeの動画を閲覧した。これまでYouTubeを使用する時は、専らクラシックの演奏や、テニスの動画などだったが、この時、たまたま歌謡曲の動画を見た。たしか・・・「さだまさし」だったが、意外にも、とても良かった。独特のボソボソと語るような唱法で、声の線が細く、喉を浮かせ、ハスキーで甲高い。・・・しかし、それは作られた声や表現ではなく、ごく自然で、彼そのものである・・・と思った。

 クラシック音楽を仕事にしている僕は、歌謡曲をどこか馬鹿にしているようなところがあった。大衆音楽は、誰でも理解できるが故に、下品で、薄っぺらく、媚びていて、奥行きがない・・・、と。それを歌っている歌手や演奏家も、当然、磨き抜かれた技術も深淵なる芸術性もないに違いない・・・、と。・・・しかし、その考えは、改めなければならなかった。たしかに、そういう側面がないことはない。しかし、彼らの歌には、人を惹き付ける、人を感動させる何かがある。常に歌に対して真剣であり、揺るぎない。彼らは、それを歌い切るために、どれだけの精進と節制をしていることだろう・・・。彼らは、尊敬に値する。自らの人生をかけて歌っているのだ。だから、多くの人のこころを打ち、人びとに喜びや勇気を与えることができる。

 

 僕の父親が、よくニヤニヤしながら、テレビの歌番組を見ていた。ニヤニヤとは語弊があるかもしれないが、美しい着物をきた演歌歌手が、華やかなイントロにのせて笑顔で登場し、コロコロと巧みなコブシをきかせながら、感情表現と見栄えとのバランスを保ち、「水戸黄門」で最後に印籠を出すかのごとく、見事に歌い切っている様子を、父は最高の笑みを浮かべながら聴き入っていたのである。完全にショーの虜になっていた。そこには、辛い現実などなく、華やかなステージと、素晴らしいアレンジを高らかに演奏するバンドと、歌手の人生と、歌のこころがあった。

 ・・・僕は当時、こんな大衆的なものを聴いて、父はなぜ嬉しくなるのか・・・と、否定的に捉えていたのだが、いま、YouTubeを見ながら、ニヤニヤしてしまっている僕がいる。

 

 僕は単に、「食わず嫌い」だったのだろう。いや、その頃は、良さがよく分からなかったのだ。

 僕は調子に乗って、さだまさしのいろいろな動画を見てみた。現在の独特な発声も良いが、若い頃の彼は天性の美声だった。更にYouTubeを検索すると、あれもこれも聴くことができた。すこし恥ずかしい気もするが、その中で、僕が好きなものを列挙してみよう。

 

かぐや姫「神田川」

玉置浩二「I LOVE YOU」(尾崎豊カバー)

キム・ヨンジャ「イムジン河」(羽田健太郎伴奏)

長渕剛「トンボ」(清原引退セレモニー)

八代亜紀「舟歌」

平川地一丁目「かわれないので」

長谷川きよし「愛の讃歌」

美空ひばり「悲しい酒」

森進一「襟裳岬」

新沼謙治「嫁に来ないか」(1976年NHK紅白歌合戦)

都はるみ「アンコ椿は恋の花」(最近の映像)

 

 僕がニヤニヤとこれらのYouTubeを見ていたら、それを横で見ていた友だちがこう言った――「さらさら流れる曲じゃなくて、歌に情念がこもっているのが好きなんでしょ?!」――情念・・・確かに、そうかもしれない。僕が「歌」に求めるものを言葉にするのは難しいが、敢えて言葉にすれば、「きれい」とか、「整っている」とか、「迫力がある」、「完璧なテクニック」とか、そういうものではなく、その人のすべてが現れている歌であるかどうか・・・。知性やこころだけでなく、魂をも震わすことのできる歌であるかどうか・・・。何か深いものと繋がっていて、歌のあちら側にそういうものが見えるかどうか・・・。実は、僕はこういうものが好みである。(僕の合唱練習からはほど遠い・・・と思われる団員さんがいるかもしれないが、イメージやテクニック、エモーショナルなものを超えて、そういうものは歌に現れてくる・・・と、僕は思う。)

 ところで、僕は歌を聴く時に、まったく歌詞を聞かない。なぜなら、言葉と言葉の間にあるものを聴いているからだ。歌は、言葉を超えて、様式さえも超えて、存在していてほしい。そして、歌手は、整えたり、飾ったりすることなしに、ありのままの声で、内側から突き上げてくる衝動のままに気を発散するのだ。

 ・・・そんな理想通りに、簡単に歌うことはできないが、自分にもそんな歌がすこし歌えたら幸せである。それには、ひたすら鍛錬していくしか方法がないだろう。技術的に何も意識しなくても、自然と身体や息が反応し、ただひたすら歌の世界に没頭するのだ。しかし、品を高く保ち、芸術性は深いものでありたい。だから、自分自身を磨く必要がある。

 逆に言えば、歌に己の全てが現れてもいいような人にならなければならない・・・ということだ。

 

 僕はいま、もっといい歌が歌えるようになる・・・と思えてならない。たぶん、いままで知らなかったような多くの曲やアーティストを好きになって、芸術の豊かな深淵をもっと知ることになるだろう。・・・そんな予感のする今日この頃である。

 

by.初谷敬史

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