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2016-12-29 11:08:39

ヴォクスマーナ第36回定期演奏会

テーマ:ブログ

■ヴォクスマーナ第36回定期演奏会(創団20周年シリーズ vol.2 伊左治直アンコールピース1ダース記念全曲演奏会)
2017年1月12日(木)開演19:00
豊洲文化センターホール

 

伊左治直(b.1968):
 Nippon Saudade ニッポン・サウダージ(2008委嘱作品・再演)
 謎の音楽(2009)詩:三好達治
 なんたるナンセンス!(2010)訳詩:柳瀬尚紀(作者不詳)
 あたらしい歌(2010)詩:ガルシア・ロルカ / 訳詩:伊左治直
 グランド電柱(2011)詩:宮澤賢治
 春の楽語集(2011)詩:伊左治直+新美桂子
 一縷の夢路(2012)詩:新美桂子
 或る日の手紙(2013)詩:新美桂子
 カリビアン・ジョーク(2013)詩:池辺晋一郎
 人の声(2014)詩:新美桂子+伊左治直
 人生のモットー(2014)詩:エドナ・ミレイ / 訳詩:伊左治直
 谷間に眠る男(2015)詩:アルチュール・ランボー / 訳詩:伊左治直
 雪(2016)詩:新美桂子
 ヨルガオ(2016) 詩:新美桂子
 アンコールピース14委嘱新作・初演

 

sop. 稲村麻衣子、神谷美貴子、花嶋千香代、日野祐希

alt. 入澤希誉、高橋陽子、矢ヶ部直子

ten. 金沢青児、清見卓、櫻井元希、初谷敬史

bas. 小野慶介、松井永太郎、矢吹誠

指揮:西川竜太


●ヴォクスマーナ・ホームページ http://vox-humana.wix.com/vox-humana
●ヴォクスマーナ・Facebookページ https://www.facebook.com/voxhumana1996
◇問い合わせ:ヴォクスマーナ事務局 E-mail:voxhumana_info@hotmail.com
◇チケット取扱:東京文化会館チケットサービス 03-5685-0650 http://www.t-bunka.jp/
 全席自由 前売:3000円 当日:3500円 学生:1500円(大学生)1000円(高校生以下)

 

 

 

by.初谷敬史

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2016-12-29 03:06:19

一年を振り返って

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 今年のビッグニュースは、何と言っても、「夢の車」を買ったことだろう。

 正月に突然思い立って、即、購入。そして、オペラ「Jr.バタフライ」の富山・東京公演を無事に終えて、晴れて納車となった。

 夢にまで見た車を、実際に運転してみると、何ともぎこちなかった・・・。それもそのはず。それまでの車と、ドアの重さや乗り降り、アクセルやブレーキなど、すべての勝手が違っていた。しかし、それも次第に慣れていくと、乗車していて、いろいろな意味で、こんなにも心地よい感覚はない・・・と思えるようになった。

 ・・・こんな日が来ることを、ずっと僕は、夢みていたのだ。

 

 僕は一日の大半を、車の中で過ごす。・・・ということは、一年の大半が、車と共にあるということ。テニスに行くのも、仕事に行くのも、遊びに行くのも、家に帰るのも、そして空き時間もすべて・・・。そう、僕は1年間で、何と40,000キロも乗ってしまったのだ。

 僕はこの車を購入する前に、心配だったことがある。それまで乗っていた「リビングのソファー感覚」が特徴で、女性に人気の姉の車にくらべると、僕の欲しい夢の車「スポーツカー」は、スピードは出るだろうけれど、毎日乗る車としては、どれだけ居心地がいいのだろう・・・、と。

 しかし、実際に乗り出してみると、僕が心配するような居心地の悪さはなかった。それよりも、格段に乗り心地がよかったのだ。まず、長距離を運転していて、まったく疲れない。そして、意外に車内がゆったりしていて、足も伸ばせ、荷物も積めるし、リクライニングも充分だ。シートの座り心地や室温管理、オーディオ類やドライビングのためのさまざまな機器など、感覚的にとても気持ちがいいものだった。

 この車は、まるで、僕の動くもうひとつの部屋なのである。しかも、ずいぶん上質の・・・。

 

 乗りはじめた頃のぎこちなさや違和感はすっかりなくなり、いまや、僕の身体や生活、そして人生の一部とさえなっている。もし、僕が催眠術をかけられ、君は誰だ・・・と尋ねられれば、僕は間違いなくこの「夢の車」の名を言うだろう・・・。

 

 今年は、この車のお陰かどうか分からないが、僕自身がずいぶん飛躍したように思える。

 

 まず、趣味のテニスについて振り返ると、今年2月に、目標としていた大会で初優勝をした。これは、僕のプレーにおける最高の形で勝ったものだった。・・・まず得意のサーブで崩し、早いテンポですぐに展開して、フィニッシュはネットプレーでとどめ。このプレー・スタイルは、上手くいけば最強であり、もっとも相手が嫌がるものであろう。・・・でも僕は、このプレーにまったく満足できていなかった。

 僕は実は、この優勝を境に、自分の得意のプレー・スタイルを封印したのだ。・・・それは、苦手なプレーを克服するためであった。僕は、ネットプレーではなく、本当はストローク戦で、ポイントを重ねてみたいのだ。・・・しかし、それを習得し、自分のスタイルとして試合でプレーするようになるまでには、かなりの時間と根気と、執念が必要である。人は、得意を伸ばすことは容易であるが、苦手を克服し、更に得意とするところまで持っていくのは、至難の業であろう。でも僕は、自分の満足のために、この闘いに敢えて臨んだのである。

 

 しかし、僕はこの挑戦のために、試合でまったく勝てなくなってしまった。勝てる試合も、簡単に落とした。あまりにできなくて、恥ずかしい思いもたくさんした。・・・でも、この自分への挑戦を、試合でやり続けることは、「できない僕」にとって、とても意味があることだ・・・と信じている。正直、辛い。メンタルはズタズタだ。あまり負け続けるのも、負け癖がついて良くないとも思う。

 けれど、僕は見据えているのだ。いまよりも一段も二段も上のテニスをしている僕の輝ける姿を・・・。「夢」は、なるべく見るほうがいいだろう。そして、それが叶うように努力するほうが、尚いいだろう。そうして、「夢」は、自分では気が付かないうちに、いつの間にか叶っていたりするものなのだ。

 

 まだまだ道半ばではあるが、今年、すこしずつ、できないことが、確実にできるようになってきた実感がある。来年も、自分の感覚を頼りに、しっかり「夢」に向かって練習していこうと思う。

 

 音楽に関して振り返ると、僕は音楽を、より好きになったように思う。そう思うようになったのは、たぶん「できる」と「わかる」が増えたからなのだろう。僕は、ようやく自分の音楽に対して、手応えを感じはじめている。「歌」に関しても、「指揮」に関しても・・・。

 そう思うようになるまで、どれくらい年月がかかっただろうか・・・。しかし、その回り道のすべてが、無駄になっていない。回り道があったから、その都度、克服してきたことが自分のものとなり、それが自分の音楽の土台となって、いま、揺るぎないもの・・・と思えるようになっているのだろう。最近では、こうした実感が、「確信」とも思えてくるようにさえなってきた。

 

 いま、ここに書いてしまうのは、自分としては少しはばかられる思いなのだが、今年2月から再スタートした「ロクダンZZ」や、4月からスタートした「シダックス」でお世話になっている三枝さんに、先日、言われたことがある――「僕は、君のことを、弟子だと思っている」。弟子・・・。僕は声楽家であり、指揮者である。三枝さんは作曲家であり、経営者である。・・・弟子とは、専門の分野だけの先生と生徒の関係を言うのではない。人生そのものの師弟である。・・・三枝さんの言葉は、これまでの僕の過程を踏まえた上で、僕の今後に期待をこめて言ってくれたものだった。

 僕は、三枝さんの背中を見て、本当にいろいろなことを教わっている。音楽観については、尚更である。もともとの音楽的な相性ということもあるし、それぞれが置かれている立場ということもあるが、僕がいま、はっきり思うことは、もちろん足元にも及ばないが、三枝さんの音楽観を、一番理解しているのは、僕だと思うし、一番引き継いでいるのも、僕だ・・・と思っている。

 2006年の広島「川のうたコンサート」の晩、「君は、何もわかってない」と、一晩中、とあるバーでお叱りを受けた。・・・それから10年、先日の広島「ディナーショー」を終えた晩、「君のつくる音楽は、素晴らしいと思う。今後、君のような合唱指揮者が増えることを願っている」・・・。これは、敢えてここに書く必要はなかったけれど、僕の本来持っていた音楽性の蕾みは、三枝さんによって成長して膨らみ、そして、いま、三枝さんのもとに開花した・・・と、この言葉を聞いて、改めて思った。

 

 いま、僕の身体の奥底から、音楽をする欲求が満ちてきている。それは、「愛」と同じである。枯渇したこころは、愛を提供することはできない。愛を享受することでしか、自らのこころを満たすことはできない。しかし、こころに自然に涌き上がってくる愛が満ち、やがて溢れ出るようになると、ようやく人に愛を施すことができる。

 ・・・僕の音楽が自らの内に満ちてくるまで、長い年月がかかった。しかし、自らの内に音楽が満ちてきたいま、ようやく人に音楽を伝えることができるようになってきたと思う。40歳を迎える来年、ますます音楽することが楽しみになってくるのではないか・・・と、いまからワクワクしている。

 

 テニスにしても、音楽にしても、いいイメージを大切に、これまで培ってきたことを土台にして、自信をもって取り組んでいこうと思う。

 

 今年一年、本当に多くの方にお世話になりました。感謝してもしきれません。また来年、一歩一歩、一打一打、一音一音、着実に積み重ねていけるように頑張っていきますので、どうぞよろしくお願いします。

 

by.初谷敬史

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2016-12-07 00:09:50

レクチャーコンサート「無垢と犠牲」に寄せて・3

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(承前)

 

 ピアノ合わせにおいて、自分の歌や声を改めて聴いてみると、子供からはかなり遠い存在になってしまった・・・と気付き、嘆かざるをえない。どうやっても子供には戻れないし、ずいぶんいろいろと余計な物が付いてしまったものである。

 いま、子供たちを見ると、まだ何も分かってないのに・・・、とか、大人になってから物を言いなさい・・・とか、つい子供扱いしてしまう。しかし、僕の幼少期を思い起こせば、思考について言えば、かなり幼い時期において、それは既に、いまと変わらないレベルにあったと思う。大人が考えている以上に、子供はいろいろなことが分かっているのである。それは、何にも捕われない眼で世の中を見ているせいである。それ故に、時々、大人がドキッとすることを平気で言ったりする。

 「子供」とは、いったいどういう存在なのだろうか・・・。

 

 僕は比較的、幼い頃の記憶がはっきりと残っているほうだ。

 ・・・少年だった僕は、仏の子として育ち、そして仏と共に生きていた・・・という実感がある。田舎で育ったことや、家に仏壇があったこと、寺の附属幼稚園に通っていたことなどが大きく影響したと思う。一方、家の裏にある神社は、町内の祭があったり、境内で友だちと遊んだりしたが、特別に信仰の対象にはならなかったし、キリスト教の神などは、触れる機会がなく、僕からは遠い存在だった。

 この幼少期の僕は、精神的に何からも自由で、ぬくぬくとして幸せであったように思う。子供特有の孤独感は常にあったが、自分に対して、唯一の無償の愛を施してくれる親に守られていることと同じように、大いなる仏に守られていたと思うからだ。絶対的な安心感・・・。

 いま思えば、親鸞の「ひとえに親鸞一人がためなりけり(阿弥陀の誓いは、自分ひとりの為にたてられた)」という境地を体現していたように思う。阿弥陀仏は、見捨てられた人たちを見て、「私がすべての人を助けよう・・・」と立ち上がり、誓いをたてた・・・。そのようなことを、当時の僕は知る由もなかったが、仏は僕のために存在し、僕は仏のために存在していた。これは、自分さえ救われればいい・・・というものではなくて、みんなの幸福、みんなの平安ということを願っていたのだ。みんなが幸せでなければ、僕の幸せはなかった。

 この仏と僕との間の絶対的な関係は、仏からの働きかけだけでは成り立たなかっただろう。そこには、子供ごころに、仏の働きかけに応える僕の信じる一念があったと言えよう。

 子供が天真爛漫でいられるのは、こうした絶対的な安心感があるからである。

 

 しかし、安心感の裏側には、いつも恐怖心があった。夜中にトイレに行くのが恐い・・・という子供の感受性は正しいだろう。ありきたりの知的な思考は、感受性を鈍感にさせる。見えないもの、聞こえないものは、存在しないものだと思い込んでしまうのだ。・・・子供はいつでも、あちらの世界と通じている。

 シューベルトの歌曲「魔王」で、必死に父にしがみついている子供には、魔王の姿が見えているのだ。今回、僕が歌うマーラーの歌曲「この世の暮らし」(『子供の不思議な角笛』より)の子供も、「母さん、お腹すいたよ!」とパンを欲しながら、もしかしたら、自分を死へと引きずり込もうとする悪魔的な存在が見えていたのかもしれない・・・。

 子供は、そうした眼に見えない善と悪の不思議な存在の狭間で生きているのである。

 

 子供のイサクは、無垢なこころと、大いなるものから引き継がれた魂で、神と父を信じることができた。そして、大人であるアブラハムも、神を信じることができた。

 ではなぜ、アブラハムが神を信じることができたのか・・・。

 それは、神の存在を、全身で感じることができたからではないかと思う。神の存在は絶対的である。そして、その存在は、「愛」そのものなのだ。僕も以前、ある神社の祭において、全身で神の存在を感じたことがある。その時、「神は、清々しくあられ、本当にありがたい存在だ・・・」と感じ、魂が震えた。その震えによって自然と涙が溢れ、止まらなかった・・・。ましてや全知全能の神ヤハウェである。それは人間の知性を超え、疑いを超え、愛する我が子を生け贄に捧げるほど、「信」に値するものなのであろう。

 

 今回のコンサートで、「子供」という容易に推し量ることのできない超越した存在、そして、カンティクルにおいて、絶対の存在である神を前に、アブラハムが経験した葛藤の片鱗が、にじみ出る歌になれば・・・と思っている。

 

by.初谷敬史

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2016-12-07 00:07:43

レクチャーコンサート「無垢と犠牲」に寄せて・2

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(承前)

 

 僕がオールドバラに滞在中、向井くんは、「レッドハウス」に僕を連れていってくれた。ガイドによる見学ツアーがあった。

 「レッドハウス」――ブリテンとピアーズの大きな屋敷は、その名の通り赤煉瓦づくりで、彼らが暮らしたそのままが残されてあった。ブリテンが作曲していたピアノ。テノール歌手のピアーズが練習していた書斎。大きなリビングには、ロンドンから音楽仲間が集い、新作のいきいきした音と笑いとが溢れていたし、陽気のいい日は庭園に出て、テニスやクリケットに汗した・・・。彼らはもういなくなってしまったが、このレッドハウスには、まるで、今まさに、散歩を終えたブリテンが扉をあけて、気さくにこちらの部屋に入ってきそうなほど、彼らの生きた気配が、そのままに残されてあった。

 

 レッドハウスにて、僕が気になったのは、ブリテンが大切な人たちに見守られながら息を引き取ったベッド・・・、そして、庭に置かれた少年たちのブロンズ像だった。細身の少年像のひとつは、ブリテンお気に入りのリビングの外に置かれてあり、腰に手をあてた凛々しいポーズで、意味ありげな顔をして、こちらを向いていた。

 『ベニスに死す』の美少年「タジオ」に代表される彼にとっての「少年」とは、きっと、憧れに近い存在・・・だったのではないかと思う。少年特有の青みがかったまぶしい光を放つ神々しさ。豊かな生命を解き放つ直前の蕾みのような静けさ。魂の古い記憶を残したまま、けっして知性に染まることのない無垢そのものである振る舞い。僕たちを取り囲む大いなるものと通じあった狭間の不思議さ。・・・それは、ブリテン自身が通り過ぎ、老いとともに失ってしまったものだった。それはもう、誰も、二度と取り戻すことはできないものである。

 しかし、ブリテンは、ネバーランドのピーターパンのように、少年のこころを持ち、夢想の世界で、永遠に少年として生きていたにちがいない。・・・そんなふうに確信できるのは、僕もまったく同じように生きているからだ。

 

 今回の向井くんによるレクチャーコンサートは、「少年」とは限定しないものの「子供」の「無垢と犠牲」がテーマである。彼がどのようなレクチャーをするのか分からないが、このテーマについて、僕なりにいろいろ考えるところはある。

 ブリテンでこのテーマだと、彼のオペラ『ピーター・グライムズ』や『ねじの回転』を思い描く人が多いかもしれないが、今回のメイン・プログラムは、カンティクル『アブラハムとイサク』である。アブラハム役(父)を僕が歌い、イサク役(子供)を高橋ちはるちゃんが歌う二重唱である。

 

 物語は旧約聖書からとられ、歌詞のほとんどは創作されている。

 僕はこれまで、ユダヤ人の祖「アブラハム」という人物をよく知らなかった。しかし、モーツァルト『レクイエム』の奉献唱で2度、印象的にフーガされる「quam olim Abrahae promisisti et semini ejus(かつてあなたがアブラハムとその子孫に約束したように)」の「アブラハム」と繋がった時、僕はようやく、彼がどんな人物だったか理解することができた。

 神(ヤハウェ)が地上に増えた人びとの堕落を見て、それを洪水で滅ぼそうとした「ノアの方舟」の後、人類救済のために、神によって選ばれ、はじめて祝福されたのが、アブラハムである。約束の地「カナン」(パレスチナ)を、神から与えられたのも彼だった。・・・しかし、なぜ、彼がその後、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教において、「信仰の父」と呼ばれる存在になったのか。それを理解するのには、カンティクル『アブラハムとイサク』で取りあげた旧約聖書の内容を知る必要がある。

 

 175歳で亡くなったとされるアブラハムは、なかなか子宝に恵まれなかった。しかし、奇跡は起きた。彼は神の言葉を聞く。その神の言葉通り、彼が100歳、妻が90歳の時、男子「イサク」が産まれたのである。イサクは、大切に育てられ、すくすくと成長した。

 しかしある時、神はアブラハムを試して、こう言われた――「アブラハムよ。あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい(創世記22.1~2)」。「燔祭(はんさい)」とは、モーセが定めた供犠で、神を賛美し、感謝するために、羊や雄牛などを祭壇で焼き、それを神に捧げる儀式である。

 しかし、神が求めたものは獣ではなく、よりによって、燔祭の供物として、アブラハムの愛するひとり子を選んだのである。・・・アブラハムは、それを受けて、いったいどう考え、どういう行動をとったのか。聖書を読むと、アブラハムは、その言葉を聞いた時から、そして息子に手をかけようとするその時まで、神の言葉そのままを受け入れていたことが分かる。しかし、人間であるアブラハムは、もちろん、大変な葛藤があったと思うのだ。(そこのところは、聖書には詳しく書かれていないが、ブリテンは、その葛藤を作品の中でよく描いている。)けれど、最終的に、不安や恐怖、疑いや拒絶、憎悪などの気持ちよりも、神を信じる気持ちが勝ったのである。

 

 さて、では、イサクはどうであったのか・・・。若いとはいえ、イサクにも分別があっただろうし、それを受けて、大変な葛藤があったと思うのだ。未来のある自分が殺され、神に捧げられるのである。しかも、愛する父によって・・・。イサクは山に登る途中、父に言った――「父よ。火とたきぎとはありますが、燔祭の小羊はどこにありますか(創世記22.7)」。イサクは気付いていたのである。自分が供物になることを・・・。しかし、彼は、それをそのままに受け入れた。

 彼は、神を、そして神を信じる父を、疑わなかったのである。それは単に、彼が「無垢」の存在だからではない。大いなるものから引き継がれた魂、そして善良な両親によって育まれてきた健全な精神というものが、そのことを納得し、受け入れたからであろう・・・と僕は思うのだ。

 イサクの年齢についてはさまざまな議論がある。5歳という説や、13歳、37歳という説もある。ブリテンは、ずいぶん幼い歳に設定しているように思われる。

 

・・・つづく・・・

 

by.初谷敬史

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2016-11-28 01:40:40

レクチャーコンサート「無垢と犠牲」に寄せて・1

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 ベンジャミン・ブリテンを歌う時がきた。この日がくるのを、僕はどれだけ待ち望んでいたことか・・・。

 これまでも、歌おうと思えば、プログラムに組み込むことは可能だっただろう。しかし、その機会は作られなかった。僕は、ブリテンを歌うことに値しなかったのだ。いや、彼から許可がおりなかったのかもしれない・・・。

 

 ベンジャミン・ブリテン・・・。

 僕が彼を特別な存在として慕うようになったのは、もちろん、親友の向井大策くんの影響だ。大学2年生の時、同級生で楽理科だった彼と知り合い、彼が研究するブリテンに出会った。当時、僕は無知で、そんな作曲家がいることも知らなかったし、その時代の音楽すら聴いたこともなかった。ブリテンの音楽はあまりに高度過ぎて、理解しようとさえしなかった。しかし、向井くんと親しくなっていくにつれ、ブリテンの名は、僕の中で特別な響きをもってゆき、もっとも親しみをもち、もっとも敬愛する作曲家となり、彼の作品を演奏することが、僕の音楽する目標ともなっていった。

 僕は彼に近づくために、手始めに、イタリア語の詩による歌曲『ミケランジェロのソネット』を勉強しはじめた。高先生のレッスンに持っていくも、面白くない・・・と撥ねられた。もちろん、満足に歌うことはできなかった。僕の歌の技術では、どうにもならなかったのだ。

 ・・・しかし、僕はいつか勉強するときがくるだろう・・・と、足しげく図書館へと通い、ブリテンの声楽作品の楽譜をコピーし、収集しておいた。

 

 高先生のレッスン以来、自分での勉強はいっこうに進まなかったが、ラッキーなことに、ブリテンを公に演奏する機会を得られることとなった。僕が大学4年生の時、NHK交響楽団の定期演奏会で、ブリテン『春の交響曲』を演奏するのに、芸大声楽科に合唱の依頼があったのである。僕は当時、芸大合唱の全体のリーダー(インスペクター)をしており、NHK交響楽団との交渉からすべて、僕の手によって進めていくことになった。しかし、僕はブリテンのことについて詳しくなかったので、向井くんに手伝ってもらって、日本語訳や資料などを作ってもらった。

 

NHK交響楽団第1379回定期公演

1999年5月13(木)、14(金) NHKホール

指揮:アンドレ・プレヴィン

ソプラノ:シェリー・グリーナヴァルド

メゾ・ソプラノ:ロバータ・アレクサンダー

テノール:アンソニー・グリフィー

合唱:東京藝術大学(合唱指揮:ジョン・オリバー、田中信昭)

児童合唱:東京少年少女合唱隊(合唱指導:長谷川冴子)

 

 公演を終えて、思わぬ人が、舞台袖の僕らのところに現れた。小澤征爾さんだ。その日、たまたま客席で聴いていたのだ。そして、あまりに合唱が素晴らしかったので、興奮して舞台袖まで飛んできて、その感動を僕らに熱く語ってくれたのだった。

 ・・・この時の出会いが、小澤征爾さんが2002年のシーズンからウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めるにあたり、オペラを通して若手音楽家を育てようと、2000年に設立したプロジェクト「小澤征爾音楽塾」へと繋がっていったのである。僕らは、その一期生として、創立から3年に渡ってプロジェクトに参加し、世界一流の歌手や演出家などを揃えた本物のオペラを、一から勉強させていただいたのだ。

 

 すこし脱線してしまったが、僕はいま、ブリテンを、生身の人間のように、とても近しく感じることができる。それは、もちろん、ブリテンを探しに、イギリスへ渡った経験からである。

 2011年8月、向井くんがブリテンの研究のために、ブリテンの家「レッドハウス」のある「オールドバラ」に長期滞在していた時、僕は彼を訪ねて、遊びにいったことがあった。ロンドンから、電車とバスを乗り継いで辿り着いたひなびた漁村。・・・そこには、ブリテンを感じるあらゆるものがあった。ひと夏の賑わいを見せる通りと礫の浜、使い古され役目を終えた漁船、自由を勝ち取ったかのようなカモメたち、荒々しい黒い海に吹き荒れる風、堰を切ったように打たれる教会の鐘の音・・・。彼はここを愛し、生涯離れることがなかった。

 そう、いまも、彼はそこに眠っている。親友のピアーズと共に・・・。彼らの墓は、墓地の奥にひっそりと、寄り添うように並んでいる。僕らは、まるで「かくれんぼ」のように、彼らの墓を探した・・・。大きな木の下で、ようやく彼らを探し当てた時、僕はほほ笑ましく思った。彼らの墓標は、すこし内側に傾いていて、まるで肩と肩を寄せあっているように見えたからだ。僕はそこでドキリとした。ブリテンの亡くなった年号「1976」が刻まれてあった。それが妙に浮き立って見え、何かを訴えているようであった。僕らの生まれ年「1977」と、何か関係があるように思えた・・・。

 

・・・つづく・・・

 

by.初谷敬史

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2016-11-18 15:29:33

無垢と犠牲

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■ベンジャミン・ブリテン没後40周年記念レクチャーコンサート
「無垢と犠牲 Innocence and Sacrifice 」 ―ブリテンとマーラーの歌曲における「子供」の世界―
日時:12月11日(日)開演14:00
会場:やなか音楽ホール(西日暮里駅下車徒歩4分)

 

出演:高橋ちはる(メゾ・ソプラノ)

   初谷敬史(テノール)

   斉藤龍(ピアノ)

   向井大策(構成・解説)


曲目:ベンジャミン・ブリテン :4つのフランス語の歌より《子守歌のお守り》op.41

   ベンジャミン・ブリテン :カンティクル第2番《アブラハムとイサク》op.51

   グスタフ・マーラー :《不思議な少年の角笛》より

   グスタフ・マーラー :《亡き子をしのぶ歌》より


 今年(2016年)、没後40年を迎えるイギリスの作曲家ベンジャミン・ブリテン(1913~1976)。

 彼にとって「子供」は、創作上、最も重要な主題のひとつでした。「子供」とは、ブリテンにとって、汚れのない、純粋なる「無垢」を象徴する存在であり、それと同時に、その喪失や犠牲が、彼の作品の中では劇的なドラマを生み出します。興味深いことに、ブリテンが敬愛し、そして深く影響を受けた作曲家であるグスタフ・マーラーもまた、歌曲の中で幾度となく「子供」の世界を取り上げました。このリサイタルでは、ふたりの作曲家の「子供」の世界を、交差するふたりの声を通して描き出していきます。

 

◇チケット:全席自由 3000円 

◇お問い合わせ:レクチャーコンサート事務局 brittenandmahler@gmail.com

 

 

by.初谷敬史

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2016-11-08 11:03:59

コール・エッコ第28回定期演奏会

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■混声合唱団「コール・エッコ」第28回定期演奏会

11月13日(日)開演14:00

コスモスホール(栃木市岩舟文化会館)

 

◇混声合唱組曲「心の四季」(作詩:吉野弘、作曲:高田三郎)

◇「イギリス合唱音楽の楽しみ」

カノン「夏は来たりぬ」(作者不明)、ベネット:「泣け、わが瞳よ」、パーセル:「3つの短いアンセム」、ラター:「天使のキャロル」、アイルランド民謡「ダニー・ボーイ」(編曲:チルコット)

◇「第2回コール・エッコ紅白歌合戦」

「ゆけゆけ飛雄馬」vs「おしえて」、「あずさ2号」vs「ア・ホール・ニューワールド」、「最上川舟歌」vs「おてもやん」、「栄光の架橋」vs「ウィスキーがお好きでしょ」、「民衆の歌」

 

合唱:コール・エッコ

アナウンス:関口真弓

チェロ:吉谷夏子

エレクトーン:石川龍子

ピアノ:荒井俊子

指揮:初谷敬史

 

 待ちに待った「コール・エッコ」の定期演奏会。今回もメンバーがいろいろと趣向を凝らし、楽しいコンサートをお届けする。

 第1部では、現存する世界最古のカノンと言われる中世イングランドの「夏は来たりぬ」(1280 年頃〜1310年頃)をはじめに、イギリスの合唱曲を年代順に並べた。東アジアの島国日本と同じように、音楽において、イギリスは大陸ヨーロッパとはすこし違った発展を遂げてきたと言えよう。それは、いつもヨーロッパからすこし遅れて、そして、イギリス風に・・・。イギリス風・・・とは、とても形容しがたいが、その特徴をひと言で言うなれば「驚くほどの心地よさ」であろう。それぞれの曲の時代的な様式の特徴を活かしながら、分かりやすい解説付きで演奏する。

 第2部では、前々回の定期演奏会で好評だった「紅白歌合戦」を再び企画した。赤組(女声合唱)と白組(男声合唱)に分かれ、歌で競いあう。審査員は、もちろん会場のお客さまだ。全演奏が終了すると、「野鳥の会」が正確に赤と白の札を数える。笑

 第3部は、日本の合唱曲の名曲、高田三郎『心の四季』を演奏する。この合唱組曲を、以前、前任の指揮者であった茂木先生の指揮で演奏したというが、僕の指揮で、もう一度歌ってみたいという意見が多数あり、演奏会のメインに据えた。・・・その辺りの僕の想いは、プログラム・ノートに記した。

 

◆『心の四季』を演奏するにあたって

 

 高田三郎という作曲家を、僕はこころの底から信じている。・・・このように書くと、何かの宗教であるかのように思われるかもしれないが、そうではない。これは、ある種、直観的な働きによって至った、僕の結論である。

 2013年のコール・エッコ第25回定期演奏会において、高田三郎『わたしの願い』(高野喜久雄 作詞)を演奏した時、僕は舞台上でこの上ない幸福と感動を味わった。この楽曲のもつ真理、そしてこの詩のもつ真理が、その時の僕のすべてを捉え、全身を震わせていたからだ。何もできない僕ではあるが、『わたしの願い』を一生懸命に演奏することで、すべての人びとを幸福にすることができるかもしれない・・・と思えたことは、僕の音楽人生にとって、とても大きな出来事であった。

 2015年に足利で高田三郎『水のいのち』(高野喜久雄 作詞)を演奏した時も、同様のことを感じた。僕が仮定したのは、「この組曲は、ミサ曲である」ということ。肉体と精神の狭間でもがく人間の、精神的な救済を願っているのではないか・・・、と。

 僕は高田三郎が、音楽を通じて、すべての人びとの幸福を願っている・・・と思えてならない。『心の四季』を前にして、いま、改めてそう思う。人が、ただひとり、人生に立ち向かうように・・・、人が、ただひとり、死と向かい合うように・・・、人がただひとり、神と向かい合うように・・・、静かに己のこころと向かい合うのだ。何も飾ることのない、ありのままの己のこころと。そこにきっと、その人それぞれの苦悩に満ちた美しさや輝きを発見するにちがいない・・・。

 今回、『心の四季』を演奏するにあたって、作為的な表情の付け足しを、敢えてやめた。拍節法に則った和声の自然な流れを基本とし、言葉が内包する意味や力がそれと一体となって表出されるように、細部まで配慮した。それが、高田三郎が意図したことであるだろうし、それが、この作品の「こころ」であると思うからである。  (プログラム・ノートより)

 

by.初谷敬史

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2016-11-08 03:51:18

故 入野義朗「生誕95年記念コンサート」

テーマ:ブログ

 ヴォクスマーナが出演します。平日の夜ではありますが、めったに聴けない内容となっておりますので、是非、お越し下さい。

 入野義郎(1921年〜1980年)は、柴田南雄や戸田邦雄とともに「12音技法」を研究し、戦後の日本の音楽界において、その普及に尽力した作曲家です。「12音技法」とは、シェーンベルクが1921年に「5つのピアノ曲」作品23で体系化したとされる作曲技法で、「調性」の束縛から逃れようと、オクターブ内の12個の音を均等に使用した音楽のことを言います。

 ヴォクスマーナの演奏する「凍る庭」(1961)も「12音技法」で書かれているそうですが、調性音楽のようにとても美しく、その音が内包している世界に、計り知れない奥深さを感じます。この曲を演奏していると、彼の芸術において、「12音技法」は、あくまで手段であった・・・ということを強く感じるのです。

 

■「故 入野義朗 生誕95年記念コンサート〜12音技法のマイルストーン」

11月14日(月)開演19:00

東京オペラシティ・リサイタルホール

全席自由席: 一般3,000円 学生1,500円

http://yoshiro-irino95th.strikingly.com/

 

 

曲目:全 入野義朗(1921-1980)作品

◆ピアノのための変奏曲(1943)

  田中一結(pf)

◆管楽五重奏のためのパルティータ(1962)

 鷹羽弘晃(指揮)、下村祐輔(f l)、鈴木かなで(ob)、前山佑太(cl)、河野陽子(hn)、木村卓巳(bn)

◆ヴァイオリンとピアノのための音楽 (1957)

 中澤沙央里(vn)、佐々木絵理(pf)

◆混声合唱とピアノのための「凍る庭」(1961)詩:村野四郎

 ヴォクスマーナ(合唱)、篠田昌伸(pf)

◆フルート独奏のための3つの即興曲(1972)

 多久潤一朗(f l)

◆四大(1979)

 藤原道山(尺八)、黒澤有美(二十絃箏)、本條秀慈郎(三絃)、平田紀子(十七絃箏)

 

by.初谷敬史

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2016-10-30 23:49:48

ふたつの男声合唱団・4

テーマ:ブログ

(承前)

 

 もうひとつの男声合唱団は、いま、僕の合唱指揮者としての活動の中心ともなっている「六本木男声合唱団 ZIG-ZAG」である。

 僕は、三澤先生のアシスタントとして、2004年に「六本木男声合唱団倶楽部」にやってきた。男声合唱の経験は、「志木グリークラブ」で充分に積んでいたし、大型合唱団も多数経験があったので、僕は比較的、自信をもって「ロクダン」に来たつもりだった。・・・しかし、ロクダンでは、僕の予想を遥かに超えて、すべての勝手が違った。

 

 音楽に関してのことを取りあげてみれば、僕がこれまで経験したことのないような複雑で難解な音楽を稽古しなければならなかったし、岩城宏之さんや、小林研一郎さん、大友直人さんなどの大指揮者の下棒として、サントリーホールや海外の有名な劇場などで演奏するために、きっちりと仕上げなければならなかった。しかし、一流のオーケストラや一流のソリストと共演するためには、僕がこれまでやってきた自己流の音楽方法では、まったく歯が立たなかった。・・・僕は「仕上げる」という意味さえも、当時、よく分かっていなかったのだと思う。僕はそこで、合唱指揮者として、団長の三枝成彰さんや、三澤先生のもとで、音楽を一から勉強し直し、経験を積み重ねていかなければならなかった。

 いま思えば、僕は音楽の何も理解していなかったし、経験が全く足りていなかった・・・。

 

 僕がロクダンにやってきて1ヶ月が経った頃、あるレコーディングがあった。モンゴル出身の関取「時天空(ときてんくう)」を応援する歌「時天空」(作詞:眞木準、作曲:三枝成彰)を、三澤先生の指揮で、CDレコーディングしたことがあった。僕はアシスタントとして当然、関わっていたし、録音では合唱に混じってトップ・テノールを一緒に歌った。

 ・・・時天空関は、2004年3月場所に十両に昇進し、2004年7月場所に、たった2場所で新入幕を果たした。これは史上最速タイ(貴ノ花関)記録である。僕たちがレコーディングしたのは、破竹の勢いで入幕したすぐの頃だった。

 その後、時天空関は、柔道経験を活かした巧みな足技などを武器に、目覚ましく活躍し、小結まで上り詰めた。しかし、2015年、悪性リンパ腫であることが分かり、やむなく休場し、抗がん剤治療に取り組むことになった。土俵の復帰を願って、病気をやっと乗り越えるも、闘病生活が予想よりも長引いたために、現役の時ように身体を戻すことができず、残念ながら引退を表明することとなった。

 そして、この度、年寄「間垣(まがき)」を襲名することとなり、今後は、後進の指導にあたっていく覚悟であるという。

 

 その「間垣親方襲名披露」の祝賀会において、「六本木男声合唱団 ZIG-ZAG」は、歌をプレゼントした。入幕した当時歌った、あの応援ソング「時天空」である。・・・あれから12年・・・、ロクダンも「ZIG-ZAG」として生まれ変わり、時天空も「間垣親方」となった。

 ・・・僕の指揮は、ステージ上の団員の歌と共にあった。メンバーの姿は凛々しく、眼はいきいきと輝いていた。そして、ひとつひとつの言葉には、辛い闘病を乗り越え、これから新たな未来へと一歩ずつ歩んでいく間垣親方に向けて、まごころがこもっていた。

 ・・・とてもいい仕上がりだった。僕がこれまでやってきた、さまざまなことが結ばれた歌だと思った。流麗なハーモニーを重厚に響かせ、骨太で勇壮なメロディの芯をしっかりと捉えていた。力強く、そして温かく、希望に満ちたア・カペラだった。

 

 間垣親方の門出を祝うステージの数日後、新しいロクダンになって初となる「東京カテドラル」での「レクイエム」のコンサートがあった。

 昨年11月に行われた同コンサートで、「六本木男声合唱団倶楽部」は解散し、年を明けて、「六本木男声合唱団 ZIG-ZAG」が再結成された。ロクダンは、「カテドラル」に終わり、「カテドラル」ではじまったのだ。

 

 そのコンサートを迎えるにあたり、マエストロ稽古があった。そこで、大友直人さんが言った――「ロクダンの組織が、何が以前と変わったのか分かりませんが、合唱はよくまとまっていますね!」・・・大友さんは、誰よりもロクダンのことをよく理解していたし、だからこそ、人一倍、ロクダンの行く末を心配してくれていたのだ。

 昨年のコンサートの打ち上げは、ロクダンの「解散式」となった。その際、壇上で、大友さんは、いつになく長々とスピーチをした。三枝さんのこと、そして、ロクダンのことについて、この活動がどんなに素晴らしいことなのか・・・、団員に熱く訴えかけてくれた。・・・あの大友さんのスピーチがなければ、もしかしたらロクダンは、そのまま空中分解していたかもしれない・・・。そんなふうに思うほど、その言葉のひとつひとつに説得力と愛情とがあった。

 

 あれから一年、新しくなったロクダンでは、いままで以上に、音楽のすべてが僕に任されることになった。予算の都合もあり、これまでのパートリーダーによるパート練習はなくなり、音取りから仕上げまで、すべて僕の手によって行われている。その中で、発声や音色、ハーモニー、ソルフェージュ、フレージングやアーティキュレーションに至るまで、徹底して音楽構築することができた。

 また、団の改革によって「出席率」が重視されることとなり、稽古で確実に積み重ねていくことができるようになった。(これは、忙しい方々の集まりであるロクダンにとって、画期的なことだったし、指導者である僕にとっては切望していたことだった。)そして、「5人組」ならぬ「ユニット制」が導入され、団員相互の密な連絡によって強固な連帯感がうまれ、また自主性や積極性が芽生えてきたことは大きい。

 1年振りにロクダンに接する大友さんの「まとまっている」という評価は、僕らにとって、いろいろな意味で、最高の褒め言葉だった。

 

 新たなロクダンのスタートとなった「カテドラル公演」は無事に成功し、大きな一歩を踏み出すことができた。

 ・・・これから多くのステージが、僕らを待っていることだろう。忙しいロクダンにとって、それぞれのステージを着実にこなしていくことは、試練であることに違いはないが、メンバー、こころをひとつにして、頑張っていきたいと思う。

 僕は思う――ロクダンは、もっとステキな合唱団になっていくに違いない・・・、と。

 

by.初谷敬史

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2016-10-30 23:48:22

ふたつの男声合唱団・3

テーマ:ブログ

(承前)

 

 僕が「ららぽーと」などで演奏されたグリークラブのレパートリー以外のもので、純粋に一から音楽づくりができたステージは、年に一度の「お父さんコーラス大会」だった。

 この大会は、コンクールではない。従って、それぞれの団体が個性を活かした音楽づくりで、全体的に大らかで、和気あいあいとしている。大会の合言葉は、大会第一部のそれぞれの団体による演奏は「前座」、第二部の野外ステージでの懇親会が「本番」・・・という冗談である。もちろん、懇親会ではお酒が入り、それぞれの団が入り交じって、男声合唱の定番を歌い騒ぐのだ。

 とは言いつつ、演奏ステージでは、入れ替わり立ち替わりいろいろな団がステージに上がるわけで、どうしてもそれぞれの出来栄えが比較される。「妙なるハーモニー」を響かすグループもあれば、「耐えられないハーモニー」のグループもある。また、「NHKのど自慢」で特別賞をもらいそうなユニークなグループもある。

 志木グリークラブはどちらかというと・・・、これまで、ユニーク路線で出場していたという。しかし、僕が指揮者になってからというもの、次第にハーモニーを追求していくようになった。

 

 僕はやはり、自らの芸術性を存分に表現したい・・・と思っていた。それは、比較されるステージだからこそ、僕にとって価値があった。そういった意味において、僕には野心があったのだ。

 僕は当時、指揮者の中で、最年少だった。初々しさと言ったらこの上なく、僕が舞台上でお辞儀をした時の、サポーターからの黄色い声援が、すべてを物語っていた――「フレー!フレー!たかし〜!」だから、新しいことを思い切って試みるには、うってつけの舞台だったと言えよう。しかし僕はそれを、けっして若気の至りにしたくはなかった。

 僕は手探りで、いろいろなことを試した。僕という音楽家は、(自分で言うのも恥ずかしいが、僕のブログなので好き勝手に書けば・・・)際立った音楽性を持っている。・・・しかし当時、その際立った音楽性を、自分で言語化、記号化することができなかった。もっとも、まだ自分で自分を発見できていなかったし、「一流」と比較すれば、さまざまなことが浅はかな代物であった。

 しかし、それでも、楽曲の持ち味を十二分に表現したい・・・、人に感動を与えるような演奏をしたい・・・という気持ちだけは人一倍で、それを志木グリークラブで実現させることが、僕の最大の挑戦であった。僕はいつもこう考えていたのだ――もし、同じ曲を、他の団体で演奏したとしたら、その音楽性たるや、やっていることの次元が全く違っている・・・と、玄人に思われる演奏をしたい、と。

 

 こうした考えは、現在でも変わっておらず、僕の合唱指揮者としての原点は、このステージにあったと、改めて思う。そして、僕の基本的な合唱における思考というものは、「志木グリークラブ」で培ってきた男声合唱の響きの中にあると強く感じる。

 

 いろいろと他の活動が忙しくなってしまい、残念ながら、しばらくグリークラブから離れてしまったが、今回、6年振りに指揮をさせていただくことになって、すこし恩返しができたのではないかと思っている。

 あの頃よりは、いろいろな経験を積んで、多少「マシ」な人間になっているだろうし、指揮者として、より多くのことを提供できるようになっていることだろう。合唱の「いろは」を勉強させてもらった志木グリークラブに、音楽家として成長した姿を、すこし見せられたような気もする。

 

・・・つづく・・・

 

by.初谷敬史

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