母・19 | 孤独な音楽家の夢想

母・19

(承前)


 僕は手土産を持っていた。稽古の合間を縫って一生懸命に探したものだ。看護婦から手術の説明があった。手術前に頭の毛をすべて剃らなければならない。女性なので心配だと言われた。母が自分のそんな姿を鏡で見たらかわいそうだと思った。僕はニット帽を捜し歩いた。あまり厚すぎるような冬ものでは違和感があるだろうし、デザインや色が地味では気落ちしてしまう。あまり若い子のものでも嫌がるだろうし・・・僕は母の顔を思い浮かべながら、婦人服のお店を恥ずかしげもなく渡り歩いた。探してみるとニット帽自体扱っていない店がほとんどだった。探し方が悪いのかな・・・。そんな中、ふと目にとまったお店。商品はみなパステルカラーで、やさしい印象。店に入り、店員に聞いてみると、すべて自然の素材で、ひとつひとつ手染めをしているそうだ。気に入った。店員が白、鶯、桃色のニット帽を持ってきてくれた。薄手で、網目もかわいい。ううん・・・桃色かな!!


 髪を剃るのは、僕が夜、病院に着いてからの予定にしてもらった。それでも姉が心配して、看護婦と相談をした。かわいそうだから明日の手術の直前にしてもらうようお願いした。僕が着くと、母はさっそくニット帽をかぶってみた。孫が頑張って編んだマフラーも首にまいた。何だかちぐはぐな感じがしたが、母にはそのちぐはぐさが、かえってよく似合って見えた。何でそれらを身につけているのかよく分かっていない。明日手術だと言うと、新鮮な反応が返ってくる。髪を剃らなくてはいけないと言うと「それじゃ、瀬戸内寂聴になるんだぁ・・・」などと言って、とても喜んでいた。何度も言ったのに覚えていない。僕はきっと気を揉んで弱気になっているだろうと思ったので、急いで来たのだが、拍子抜けだった。

 いや、母は幸せなのかもしれない。普通なら手術は嫌だとか、心配だとか思うものだが、何も覚えていないのだ。予定もない。反省もない。今だけを楽しんで生きているのだから。無心の境地だ。悩まない。迷わない。苦しみのもとが存在しないのだ。ありのまま、なすがままである。もし、悩むことなく手術になって、手術が成功する。そうすれば、何にも分からないまま良くなるのだ。そんなに素晴らしいことはないではないか。


 3月9日朝、仏壇に静かに手を合わせた。父がひとつ、ゆっくりうなずいたように感じた。病院へ行くと、母はいつもの朝を迎えていた。今日手術だと言うと、また新鮮な反応が返ってきた。いよいよ髪を剃らなければならないと言うと「いいねぇ・・・瀬戸内寂聴になれるかな・・・」などと、また可愛く言って、尼さんになれて幸せだと喜んでいた。母の担当看護婦が来て、いよいよ剃ることになった。看護婦は「初谷さん、またすぐに生えてくるから心配ないよ!」とやさしく声を掛けた。母はそれをすんなり受け入れた。姉は母の気持ちを随分心配していたが、事無く終わった。

 遠くから救急車の音がする。この病院に向かっているようである。病室に担当医が急ぎ足で入ってくると、蜘蛛膜下出血の患者が運ばれてきたため、母の手術が延期になるかもしれないという。これは困ったことになった。これ以上「水頭症」が続くのは危険な筈だ。それに今日、僕は仕事を休んだ。手術が先延ばしになれば、術後の看病も考えると僕たち看病する側も体力的に限界が来てしまうだろう。・・・こればかりは運を天に任せるより仕方ない。


                                                      ・・・つづく・・・


by.初谷敬史