私は24歳のときに、営業途中の新橋駅かなにかで急におなかが痛くなり、ひどい貧血を起こしてしまった。その数ヶ月前に盲腸の手術をしていて、自分の体力を過信して、仕事にすぐに復帰したために、盲腸の治りが悪かったのだろうかと医者に行ったところ、
「盲腸の方は順調に治っています。むしろ婦人科に行かれた方がいいと思います」
といわれ、婦人科に言ってつげられたのは
「子宮内膜症ですね。おなかに、ピンポン玉くらいのチョコレートのような血のかたまりができています」
との結果だった。
原因はわからないが、営業で地方に行くことも多く、なかなかトイレにいけないために、生理中に長時間無理をしたりすることが影響していたのかもしれない。
その頃はもちろん独身だったし、自分が結婚するのか、子どもを産むのかもまだ全然ぴんときていなかったし、今から20年も昔のことなので、子宮内膜症についても、
「子宮筋腫とは違い、どうやら子宮の内膜と同じようなものが卵巣や卵管にできて充血していまい、生理のときにその血が身体の外に出ないので行き場がなくなり血の塊が残ってしまう」
程度の知識しかなく、
「生理を止めましょう」
という治療方法しかなく、ピルを飲み
「でも、薬の副作用で太ったり、更年期障害のような症状が現れますよ」
という言葉どおりに、副作用がやってきて太ったりのぼせたりしていた。
その後、スプレキュアという鼻から吸引する薬が出たり、漢方を試したりしながら、子宮内膜症とつきあって、いいときもあれば、悪い時もありながらも、仕事が忙しい毎日でそれが妊娠出産につながるとかあまりイメージできずに、医者からはなんとなく
「子どもはできにくいかもしれない」
という情報と
「内膜症は出産によって改善されるケースが多い」
という情報を与えられていた。
中でも、卵管が詰まっているかもしれない、という時の卵管造影の検査は、ものすごい痛みだった。
30歳手前で結婚してしばらくは、やはり仕事も充実していて、子どもはまだいいや、と先送りにしながらも、すでに長い付き合いになっていた婦人科医からは
「子どもが欲しいなら、結婚もしているんだし、早い方がいいですよ」
などといわれていた。
ぼんやりと、子どもができないとしたら私はどうするんだろう・・・なんてことも考えていた。
で、漢方薬などで身体の状態を整えて、チョコレートのような血の塊(私の場合は左の卵巣あたり)が小さくなるような治療を続け、子どもが欲しいと思ってしばらくしてすぐに、無事長男を授かった。産婦人科医は、もう少しできにくいことを心配していたので、すごく喜んでくださったのを今でも覚えている。今から10年も昔のことなので、不妊症だとか不妊治療といった言葉がまだそれほど世の中に出回っていない時代である。
で、その後2人目、3人目と子どもは続くわけなのだが、上と3番目が7歳もあいてしまったのは、なかなかできなかったからである。ああ、また今月も生理が来てしまった・・・という落胆を繰り返し、特に3人目は、もういっかあ、とあきらめて仕事の研修なども申し込んだ頃にできた。
(これは自分の感覚なのだが)二つある卵巣のうち、片方からの排卵の月は生理が重く、もう片方の月は軽かったので、2ヶ月に一度のチャンスしかなかったのかなあなんて、勝手に思っている。
幸い、不妊治療とまで行くようなことをせずに子どもを授かったのだが、自分が子どもを「3人」持ったのは、なかなかできにくいからこそ、「子どもが欲しい」という気持がより明確になったことも大きいように思う。
また、妊娠やお産の辛さも(特に私はつわりがひどかったのだが)、それでも「子どもができた」という喜びが勝っているし、育児をしてしんどい時でも、ふと、ああ、子どもを3人持ててよかったなあ、としみじみ思う瞬間がある。
まだ未婚のうちから、婦人科のあの「内診」という治療を受けていたことは、その後の精神的ダメージを軽くしていたかもしれない。(やはり婦人科の敷居は独身女性には高いですよね・・・だからどんなに生理痛がひどくても医者にいくのをためらう人も多いんじゃないかなあ…)
妊娠中+授乳で、それぞれ1年半生理がこないこと、お産でいっきに子宮の中の掃除ができること、などが理由なのか、長男出産後、現在まで10年近くは、子宮内膜症は治療が必要な状態にはなっていない。ただ、3人目は自分の加齢もあって(41歳になってましたからね)、内膜症はたいしたことはないが、「筋腫ぎみ」と言われながらのお産だった。
子宮内膜症という経験や&Rhマイナスなので、お産のたびに検査だの注射だのいざというときのための準備(血液の確保)などあったのですが、そうしたことは、私の「子どもを持つという選択」に大きな影響を与えたなあ、と最近しみじみと思うのでした。