【Rewrite SS】『地上のベガとアルタイル』 | 残留嗜好

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模索中

七夕SS。朱音ルートED後です。

















 既に整えられた自然を抜け、作られた大地と無造作に点在する自然の間を歩く。
 果ての見えない荒野。果たして世界の端はまだ遠いのか、それとももう、認知できない目の前なのか。
「そろそろ休憩にしようか」
「ええ……」
 吐く息の乱れに朱音の限界を感じ取り、進めていた足を止める。
 腰掛けられそうな大きい石を見つけて、荷物を降ろした朱音が座り込む。元々それほど体力ない上に長い間衰弱していたこともあり、朱音にはまだ長時間の運動は厳しい。
「これからはもうちょっとペース落とすかな」
「ごめんなさいね、私体力無くて……」
「いいって。別に急ぐことないんだし」
 この旅には目的地も期限もない。ただ生きる、そのためだけに歩き続ける。
 俺たちの人生を追い立てるものはもう何もない。ゆっくりでも同じ道を歩いていければそれでいい。
「……あら」
 朱音が腰掛けていた石の脇から何かを拾い上げる。拳大の正方形の箱のようなものだ。材質は見たところ石のような。
「これ、魔物だわ」
「魔物?」
「ええ。時間と日付を記録する、時計とカレンダー代わりの魔物よ」
「そんな魔物までいたのか」
「このタイプは力の消費量が微量な上に貯蔵機能もあってね。一度起動すれば契約が切れても数年は稼動し続けるのよ。こちら側で使うには電池式の時計よりも便利だったのね」
「充電式の魔物って感じか」
「そうね。まあ機能が単純だから実装できた機能だけど」
 朱音は箱型の魔物を撫で回し、やがて何かを見つけたように一点で手を止める。
「まだ記録は続いてるようね。今日の日付も分かるわよ。現世での、だけど」
「現世の日付……」
 それはもう意味を持たない数字、誰も捲ることのないカレンダーだ。風祭市が新体制となってから、暦は一度リセットされている。四季のないこの世界では現世と同じ暦に意味はない。こちらでの自然の循環、作物の栽培に合わせた新しい暦が採用されている。それにしたって俺たちにはもう関係がない。市を出てからは一日の区切りの基準となるのは夜の到来だけだ。それももう数えておらず何度繰り返したか分からない。
「今日は7月7日のようね」
「7月7日……七夕だ」
 たまたま日付を確認した日がイベントデイ。凄い偶然だ。
 このまま流してしまうのはもったいない気がしてきた。
「せっかくだからやるか、七夕」
「やるって、何を?」
「そりゃあほら、笹に願い事を書いた短冊をってやつ」
「笹も短冊も無いけれど?」
「う……」
「それに、私にはもう願い事なんて……願いたいことも、願う権利も、私には」
「俺はある」
 沈みかけた朱音の声を遮る。
 ……が、咄嗟には何も思い付かない。
「あら、瑚太朗は何を願うのかしら?」
 見抜かれている。アドリブ力を見せてみろと朱音の声にからかいの色が混じる。
 こうなっては、朱音の意表を突くぐらいのことを言わないといけない気分になってくる。
「俺の織姫がもう二度と離れていきませんように」
 朱音の瞳を覗き込むように見つめて、言った。
「……ぷっ」
 笑われた。
「……俺のっ……織姫……っ」
 可笑しげに口元を歪ませ、肩を震わせる。……目に涙まで溜めて……
「そんなに笑うことないだろ……」
「ふふっ……そうね、ごめんなさい」
 目元を拭い、朱音は俺を見つめ返す。座る位置を近づけて、朱音の肩が俺の腕に寄り掛かる。
「大丈夫よ。私の彦星は、私たちを阻む天の川ぐらい余裕で泳いで渡ってきてくれるから」
 俺の言葉に掛けて返された朱音の答え。
「…………こほん」
 重なり合っていた視線が逸れる。朱音が頬を赤らめて、ばつが悪そうに咳をする。
「恥ずかしいんだ」
「陳腐な科白は苦手よ」
 拗ねたような困ったような、微妙な表情で呟く。その顔に、思わず俺の口からも笑いが漏れる。
「瑚太朗が変なことを言うから」
「お互い様ってことで」
 さっき笑ってくれたお返しだ。
「でも、そうね。もう二度と、私が瑚太朗の元を離れることはないわ。……もし、離れ離れになるようなことがあったら」
 少しだけ穏やかな表情に戻り、朱音は続ける。
「今度は私が、あなたを追いかけるわ。ずっと、追いかけさせてしまったから……」
 さらに寄せられる体。俺は朱音の手を取り、少しだけ強めに握る。
「こんなことを言うのは、自分でも虫の良い話だって思う……でも私はもう……瑚太朗の傍でないと生きられない」
 寄り掛かってくる体、預けてくる体重に応えて、朱音を包み込むように抱きしめる。
 固く密着した朱音の肩は小さく震えていた。 
 朱音は未だ不安定だ。
 朱音の負った罪は重く、それを背負うには彼女の背中はあまりにも小さ過ぎる。
 贖罪という鎖ですら、朱音を支えるにはまだ脆い。
 いつにでも頽れてしまいそうで、けれどそれも許されない。
 俺はただ黙って朱音に寄り添う。ただ静かに、強く抱きしめ続ける。頽れてしまわないように。生き続けるために。
 朱音に強さがないのなら、俺が朱音の強さになればいい。かつて為し得なかったことを、今度こそやり遂げていく。
 俺が朱音を縛り、繋ぎ止め続けていく。
 俺が贖罪を課したのは、俺たちだから。
 身じろぎし顔を上げて、今度は朱音が俺の瞳を覗き込んで言う。
「……瑚太朗といっしょに、生きていたい」
「……ああ」
 この言葉のために生きてきた。
 朱音を、守るべきただ一つの大切なものと決めたあの日から今日まで。
 朱音と一緒に生きる。ただそれだけを大事にして生きてきた。
 やっと、辿り着いた。
「生きるよ。一緒に」
 朱音の隣以外に俺の生きるべき場所はない。
 俺の隣以外に朱音の生きるべき場所はない。
 それが俺が選んだ生き方で。
 俺たちが手に入れた生き方だ。
 足跡が血と屍に塗れていても。進み行くのが贖罪の道でも。
 二人で生きる。
 それだけが、俺が最後まで望むたったひとつ。
 朱音の瞳に写る俺が大きく広がり、やがて一面黒く染まる。もう互いの瞳には何も写らない。求め合う相手以外には何も。
 唇が重なる。突き出した熱が絡み合い交じり合う。
 一度吐息が離れても、繋がった糸が切れるのを惜しむようにすぐに再び口を寄せる。
 離れまいと求め合う。
 気が付けば、周りを照らす光量が減ってきていた。市から離れたこの辺りでは夜になれば暗くて身動きが取れなくなる。早いとこ今日の寝床を用意しないといけない。
 少し行けば最近の拠点にしている森小屋がある。完全に夜になるまでには間に合うだろう。
「行こうか」
「ええ」
 朱音の手を取って立ち上がる。
 空を見上げれば、そこに輝く星はない。天を横切る光の河も、対岸に想いを馳せる二人の男女もいない。こうした物語もいずれは失われていくだろう。
 たくさんのものが失われたこの世界で。いずれ失われ行くこの世界で。
 俺たちは明日へと歩き出す。