昨夜ははやめに寝たので、案の定、夜中の1時過ぎには目覚めてしまう。

致し方なく、スマホで日本のニュースチェックしたり、森先生や下村大臣と国際電話で打ち合わせ。

森先生とは、明日のヴィゼールとの面会の打ち合わせ。

伝言をいただく。

「①パンフレットありがとう②ブエノスアイレスでは、探したんだが会えなくて残念③五輪招致協力ありがとう④次回来日時に、ミーティングしよう!」

の4点。

また、下村大臣とは、「1964東京五輪50周年記念イベント」について、打ち合わせ。

あれから50年。

それが来年。

2020東京オリパラを成功に導くためのイベントとして、相乗効果をもって開催できれば。

IOC委員であるパル・シュミットさんからも、そういう提案をいただいた。

東京開催への、象徴となるイベントにすべきだろう。

下村大臣にも、ご理解いただく。

・・・・それでも時間はあまりある。

二度寝。

そしたら、疲れが出ていたのか、二度目に金沢の秘書からの連絡電話で起きたら、あれま、もう9時45分。

まずい、これじゃトレーニングできない。

外は雨。

致し方なく、シャワーを浴びて着替え、自室でコーヒーとリンゴとハムの朝ご飯。

11時半、丸山さんと富山先輩とともに、マリオットホテル出発。

練習会場に到着し、所在無げな井上選手とちょっとミーティング。

「高田監督と試合のことや今後のこと話したか?」

「いえ、まだです・・・」

その場にいた高田監督も、

「落ち着いたら・・・・話すよ!」

とおっしゃるので、それはそれ。

「おまえ、高校の先生しながらの日本代表、大変だろ?」

「は、はい・・・」

「俺も高校教員の時にそうだったから、よくわかるよ!(と言いつつ、俺は1年半で辞めちゃったけど・・・稲置理事長・稲置校長、すみませんでした・・・)で、次の試合はいつなんだ?」

「はい、全日本です。」

「そっか、大変だけど頑張れよ。それと、階級変更もあるかもしれないし、今回の課題もあるから、よくビデオ研究して、次の目標を早く決めろよ。でも、土日とか、日体大に行ってちゃんと練習しろ。高校生相手じゃ甘くなるぞ。昨日の残り13秒も、ポイントを取る攻撃じゃなかったよ。厳しい環境でやらなきゃ!」

と、激励。

試合前には、松本しんやの奥様や、前田のお母さんや、吉田沙保里のご両親とご挨拶。

家族の皆様も、お疲れ様です。

でも、こういう支援あればこそ、選手もモチベーションが高まります。

午後1時試合開始。

60キロ級の前田は、初戦エストニアに7-0でテクニカル勝ち。

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フェイントも引き落としもタックルも、切れている。

ところが次の試合。

欧州2位のブルガリアに、第2ピリオドリードしていながら、エビ固めを耐えきれず、左足ハムストリング断裂の大けがで、負傷棄権。

片足タックルを取ってからの処理に失敗。

それほどパワーのある選手だったが、前田も、メダルを狙うのであれば、足を取ってからの処理で一呼吸置いてはいけない。

ましてや、エビ固めで固められてはいけない。

筋断裂は長引く。

全日本選手権に間に合えばいいが。

無理せずに、来年6月の全日本選抜まで治療とリハビリに専念したほうが良い。

そして、あのブルガリアに雪辱を果たすための、レスリングの幅を広げたり、展開を早くする練習をしたほうが良い。


84キロ級の松本しんやは、いいところなく、0-8でトルコの選手にテクニカルフォール負け。

アタックしなきゃ。

その筋肉、宝の持ち腐れ。

どうして、引き落としやがぶりで崩し、フェイントやカウンターで崩し、アタックしない。

持ち味発揮できず。

山口と一緒に、海外修行を1年ぐらいしてきたらどうか?

じゃないと、海外で勝てない。

実力を出し切る試合をしないと。

120キロの荒木田は、初戦、パンアメリカン大会3位のベネズエラに完勝。

しかし、次戦でアメリカに何もできず完敗。

荒木田も、3年くらいロシアに武者修行だ。

図太い性格だから、郷に入れば郷に従う。

下半身の動きもよかったが、ポイントに結び付けていない。

やっぱり、パワーと場数が必要。

それか、84キロ級以上の重量級はすべて、新日本プロレス合宿所&道場に2年間ぶち込んで、意識改革と基礎体力改革しないと、ダメだ。

以上。

夜、フリー男子の情けない成績に悶々としながらホテルに戻り、ジムでトレーニング。

ウェイトトレーニング30セット。

晩ごはんは、昨夜に引き続き、「TAKEBAYASHI」。

生ビール3杯、野菜ラーメン、枝豆、ドラゴンロール寿司。