今日は蘇州軌道交通1号線の東から14個目の駅「養育巷」(ヤンユーシャン)の紹介です。
この駅は蘇州古城の西の端に位置しています。
ですので、駅のそばには外城河があります。
下の写真は外城河をまたぐ橋の上から西の方(古城の外)を映したものです。
そして、こちらは東の方(古城の中)を映したものです。
古城の外には高層建築物があるけど中にはないのがわかると思います。
これは蘇州古城の内部は建築制限によって建物の高さが規制されている為です。
「巷」というのは小道・横丁という意味だそうで、養育巷というのは道路の名前です。
そうなると、これまでの類推からこの駅は干将西路と養育巷の交差点に位置するのが自然なのですが、実際には交差点から西の方に少しズレています。
多分、ちょうど交差点の下に駅を作ってしまうと、隣の楽橋と近過ぎるというのがその理由なのだろうと思います。
蘇州古城の中がいかに道路が少ないかを示していると思います。
そんなわけで交差点に面していないこの駅は、出口が3つしかありません。
これまで「まだ3つしかできていない」という駅はあったけど、計画としても3つしかない駅は初めてです。
駅の周囲もちょっとさびれた感じで、楽橋や臨頓路の賑わいが嘘のように静かです。
こちらが養育巷という道路。
道路の上に木の枝が生い茂っていて、暑い時期に訪問した身としては助かります。
この道路以外にも、この周辺にはこういう道がたくさんあります。
干将西路の一本南には道前街という道路があるのですが、その道前街が外城河を渡る橋は姑胥橋という名前です。
この橋を渡って古城の外に出ると、道前街は三香路という名前に変わるのですが、その直後に阊胥路という道と交わります。
そして、道前街のさらに一本南の道は胥門路という名前です。
胥門路のそばには胥門という城門があります。
この周囲にはやたらと「胥」という字のついた地名が多いのです。
これらは春秋時代に呉の宰相として同国の最盛期を支えた伍子胥(ごししょ。ウーズシュー)を讃えたネーミングです。
呉は元々は無錫に都を置いていたのですが、伍子胥が宰相だった時期(紀元前5世紀)に蘇州に遷都しました。
蘇州古城を築いたのも伍子胥であり、彼は蘇州の父と言っていいと思います。
この人が伍子胥です。
この伍子胥の像がある場所は観光船の発着場となっています。
ここを出た観光船は外城河を北上し、山塘河という運河に入って有名な虎丘へと続きます。
虎丘は呉の6代目の王である闔閭(こうりょ。フアリュー)の墓です。
闔閭に仕えていた伍子胥は王の死後にここに墓を作るのですが、ここは蘇州城から少し離れています。
そこで、いつでもお墓にお参りに行けるように山塘河という運河を作り、蘇州城と虎丘を繋いだわけです。
この場所に伍子胥の像が置かれているのは、彼の名を冠した胥門があるからですが、虎丘へと向かう観光船の発着場に彼の像があるという事実は、彼と闔閭の強い絆を示しているようにも思えます。
でも、ここに伍子胥の像があるって、結構地元の人でも知らなかったりするんですよね(笑)。
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