呉越同舟の謎 | 蘇州日記

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2015年4月から蘇州に単身赴任しています。蘇州での生活をブログに書いてる人が大勢いて、赴任前にとても参考になったので、真似することにしました。

中国人の部下が作ったプレゼン資料に「風雨同舟」という言葉が出て来ました。古くから伝わることわざなのだそうです。

僕が「呉越同舟と似た言葉だね」と言ったところ、「呉越同舟ってなんですか?」という意外な答え。その場にいた10人の中国人に聞いたところ、呉越同舟という言葉を知っている人は一人もいませんでした。

「中国から日本に伝わった言葉のはずなのに不思議だなあ」と思って調べてみたところ、次のような事情がわかりました。



「呉越同舟」という四字熟語は孫子の兵法の次のような言葉から作られたものです。

「夫吴人与越人相恶也,当其同舟共济,遇风,其相救也如左右手」

呉と越は互いに敵同士だが、同じ船に乗り合わせた時に大風が来たら共に手を携えて協力すべしというような意味だと思います。

現代の日本語で「呉越同舟」という言葉を使う時には「同床異夢」と似たようなニュアンスで使われることが多いと思いますが、原文はちょっとニュアンスが違っていて、敵同士の協力という点に主眼があるようですね。



孫子の兵法は、春秋時代に呉という国に仕えた孫武という軍事参謀によって書かれたものです。

春秋時代の呉は僕が住む蘇州を首都としていた国です。呉は隣国(現在の浙江省)の越と激しいライバル関係にありました。

(ちなみに三国志の呉とは別物。三国志の呉の首都は南京。)

「夫吴人与越人相恶......」という言葉はそんな両国の関係に基づいて書かれたものです。

この言葉を短くして「呉越同舟」という四字熟語にしたのは後世の人ですが、どうも複数の後世の人がそれぞれ勝手に原文を短縮したようで、全く同じ意味の四字熟語として「風雨同舟」という言葉も生まれてしまったようです。

孫子の原文には「風」という言葉は出てくるけど「雨」という言葉はないので、「風雨同舟」は厳密な短縮形ではないのですが、五感を考えて「雨」も加えたのでしょう。

(日本語と同じで中国でも「風雨」という言葉は「困難」を指す言葉として使われるそうです。)



そして時代は下がり、いつの間にか中国では「呉越同舟」という言葉は廃れ、「風雨同舟」という言葉が生き残りました。

そして日本では「呉越同舟」という言葉が伝わって今も生き残っているものの、ちょっと間違った意味で使われています。

面白いもんですねえ。


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