入れ歯の歴史 その9 | 浜松町 治田歯科歯科医院のブログ

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 こんにちは。治田歯科医院の治田です。今回も、歯が無くなってしまった時に入れる、入れ歯の歴史について書きます。

 前回は、入れ歯の歴史において、現代と変わらない吸着する原理で作られていた、日本の優秀な入れ歯を作っていた「入れ歯師」について書きました。


 今回はその入れ歯が江戸時代にどのように作られていたかを書きます。


 江戸時代の入れ歯は、現代の入れ歯と形は似ていても、材料、道具は全く違います。材料は「黄楊(つげ)」が多く使われていました。黄楊は、材質が強く割れにくく、また彫刻しやすく肌触りも良かったのが理由のようです。


 女性用に黒柿の木を使い、鉄漿(おはぐろ)をつけているように前歯を黒くしたものもありました。

 前歯には、蝋石・動物の骨・象牙・人間の抜けた歯などを使っていました。


 作り方ですが、顎の型採りは、蜜蝋や松脂、白蝋、ごま油などを混ぜたものを使って蝋型を作り、荒削りの入れ歯に合わせながら仕上げていったようです。


 土台の木は、まず輪切りにしたものを24時間煮てから水中に保存したものに彫刻したそうです。細かい調整は食紅や墨を用いて、当たった所を少しずつ削り、精巧に仕上げていったそうです。

 歯は、黄楊などの土台に動かないようにはめ込みました。部分床義歯のように、自分の歯が残っている場合は、前歯の横に穴を開け、三味線の糸で結んで固定したりもしていたそうです。
どうやって前歯に穴を開けたのかは分からないのですが、錐(きり)のようなものを使ったのではないかと思われますが、今の段階ではどういうやり方をしたのかが分かりません。


 他にも、金属のバネを残っている歯にかける方法をとった部分床義歯もあったようです。入れ歯の裏側に金箔を貼り、金の殺菌作用で臭い匂いがしないように工夫したものまであったそうです。江戸時代の職人さんの発想力と技術力の高さには、本当に驚かされてしまいます。

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