従姉妹 | ©猫と春風の花慈しみ愛で。心。

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猫たちと暮らす穏やかでささやかな日常。
当たり前だけど、当たり前じゃない、
がかけがえない特別な宝物の瞬間瞬間。
一日一日大切に丁寧に重ねています。
(旧ブログ「神様がくれた宝物2007〜」より)



この記事は2015年にこちらに描いた記事を再編集して再び2017年に描き、大切なので2007年に移行して埋め込み、宝物として保存しています。



同じ歳の母方の従姉妹のことは、旧ブログやTwitter、こちらのブログでもよく表現の中に描いてきて。

子供の頃から透き通るような色白で、高校生くらいから物凄い美人になり、誰もがすれ違い様に振り返ったり驚いたりするような。

叔父は三重のお伊勢さん系列神社の神主さん、母方の叔母は、私の両親と同じく、台湾で生まれて台湾で育ち、引き揚げの後には、両親と同じ教師を全うしました。

小さな頃から、三重と私の故郷を夏休みの度に一年おきにひと月ずつ行き来をしていて。

まるで姉妹か双子のように両方の親から二人とも大切に育てられました。

私はガリガリで色も黒くて眼だけギョロっとしていて、従兄妹とは似ても似つかない顔で。

よく同じ従姉妹でこんなに違うとからかわれて育ち、コンプレックスもありましたが、

どこの誰よりも綺麗になり、純粋で無垢でまっさらで優しい従姉妹には、ずっと強い憧れを持って育ち、私には特別に大好きな存在でした。

家族から与えられた個性もありますが、従兄妹からの影響も大きかった。

派手なことは一切しなくて、素朴で地味で質素なところも。

従兄妹は派手にしなくても、そのままの従姉妹そのものが綺麗だったから。

神社の境内で夏休み中遊んだ記憶も懐かしく。
緩やかな坂道の先に大きな鳥居。

鳥居を潜ると広い境内。田舎でしたが大きな木々や森に囲まれて、空気がとても綺麗で。

大きな池には鯉が沢山。錦鯉や。
赤いカーブの欄間から餌を撒いたり。

従姉妹との夏休みの記憶は
本当に豊かで楽しかった記憶が沢山。

今はあまり会わなくなったので
どんな風かなと
また逢えるのを楽しみにしています。

大好きな憧れの従姉妹へ
2015年にこちらで想いを込めて
記事をアップした時の写真。

まだ小学生の時。
家族みんなで佐渡へ小旅行した時。

まだまだ、ただあどけない子供の写真ですが、
この頃から少しずつ美人さんの面影。

武井咲さんに少しだけ似ている。
父は大草原の小さな家の
メリッサ・スー・アンダーソンに似ていると
よく言っていて。

従姉妹の写真は少ししかなく。
美人と言われるのが嫌だったみたい。
写真にはあまり写らないそう。
私と同じしかめっ面になるから。



今も大好きな憧れの従姉妹です。

私が不細工でも、従姉妹が最高に美人だから、それでいいとさえ思っていました。

何だろう。一心同体的な。
従姉妹の綺麗さと私が二人で一人的な。

プラスマイナスプラスプラス的な。

従姉妹が美しければ、きっと私にも従兄妹の何かしらが染み込んでいるに違いないとでもいうような。

従姉妹は特別に、私の心の中の誇りや自慢ということかも知れません。

従姉妹を想うと勇気すら湧きます。

他の綺麗な方にコンプレックスを持たなくなる。

従姉妹のが綺麗という発想をするので。

自分が綺麗な訳じゃないのに。

コンプレックスは勿論普通に沢山ありますが、
従姉妹に救われています。

何か投影するのかも知れません。

従姉妹もまた、私がバレエを習えば、お琴、私が上京すれば上京、結婚すれば結婚、子供を産めば子供と直ぐ後追いみたいに私を辿り。

今は二人の子と教師の妻。
子と言ってももう大人ですが。
私は息子一人で、
従姉妹もずっと男の子一人で

一回りくらい離れて
女の子を授かった時、
恥ずかしいと笑って。

勿論女の子を授かったことでなく
自分の年齢のこと。
この歳でと笑って。

いいなぁと私はまた憧れて。

選択はいつも全て私より遥かに超えていて優秀でした。




従姉妹も私もずっと髪は長くて、小学生の頃のこの写真の時は、私が夏休みの水泳の練習で髪をバッサリとショートに切り、従兄妹も真似をしてお揃いに切った時の写真。

高校生の頃からの従姉妹は、ずっと羨ましくて仕方ないくらいサラサラの艶々ストレートのロングで、ずっとワンレグ。

毛色と瞳の色は違っても、私や父にとっては正にメリッサ・スー・アンダーソンそのものでした。

今メリッサ・スー・アンダーソンの画像を拝見しても、その当時の強い憧れがありありと蘇ります。

だから私はずっと今も髪を伸ばしているのかなと想う。憧れが強過ぎて。

もう年齢的に無理がきているのが寂しいですが、老いもまた楽しみながら色々チャレンジしてみたいです。


子供の頃から、今現在まで一人の女性に、同じ女性としてずっと強い憧れを抱き続けたこと、純粋に真っ直ぐ生きてこれたのも、全てはいつも私の心の中に美しいままの従姉妹が存在していたから。

父といつも楽しみに視ていた「大草原の小さな家」の魂に父と一緒に強く憧れたことも、今も深く潜在意識に根付いているそれらが、また沢山の夢の支えになったり、道の指針になったり、救われたり。

沢山のコンプレックスもあったけれど、それも含めて、今の私を作る要素のひとつであったこと。

その全てをとても幸せに想い、従姉妹の存在に凄く感謝してぃます。

双子みたいに育てられて。
段々逢わなくなってきても
やはり切っても切り離せない
存在だなと改めて想います。

従姉妹が先に旅立ったら
どうしていいか判らなくなりそうな。

そんな存在。