子供ながらに登校拒否の心理とは身体にまで影響を及ぼすことを知りました。
登校時間になると、本当に頭が痛くなる。
頭が痛くなり過ぎて本当に吐く。
足まで痛くなる。
本当に歩くとズキズキして痛みを伴う。
毎朝毎朝そうだから、兄たちは笑って「ほうらまた始まった」と言う。
両親も台湾育ちのせいか中国圏の方々の大らかさそのままで。
日々大らか、楽観的、歌い、何でも楽しみ、家族で会話をしては笑う。
この気難しく育った娘の頭痛など気にしない。
毎朝手を引かれて強行登校。
ある日、母の部屋のこたつに潜って食事拒否していたら、鼻血が出て。
しかも大量に。
鼻血出たー!こんなにー!と騒いだら、家族全員ご飯を食べながら笑っていて。
子供ながらに、独りショックで。
この繊細な小さな我が身にそんなジレンマも抱えていました。
父方の実家があり、引き揚げ後、両親が落ち着いた先は雪国新潟。
私は、そこで産まれて育ったものの、両親家族の何でも笑いながら開けっぴろげに語り合う大らかさとはまた違い、新潟県民の方々は農村地帯という土地柄か、とても無口で真面目で努力型の勤勉な働き者。
父の教えから、とても働き者の良い人たちと判ってはいても、私には何を考えているか判らない恐怖があった。
近所の人々に出会うと、いちいち立ち止まり話し込む母。
恐ろしくて後ろに隠れて待つしかない。
そんな育った環境の違いと内弁慶な性格からか、常に周囲にはジレンマと「違和」の連続。
今でこそ年齢も重ね併せて、無為自然など語り、開き直れば無敵なほど限りなくマイペースなお気楽極楽楽しいのが一番なおばさんになってしまっていますが、
そんなジレンマを抱えた子供の頃は円形脱毛症になるには持って来いの性格でした。
そんな性格だからこそ、より独り好きのマイペースになったのかも知れませんが。
やがて小学校三年。母が連れて行ってくれたバレエの発表会を観て一瞬で感激と一目惚れ。
無理を言って習わせてもらい直ぐに大好きになりました。
話す必要のない常のレッスンは各々が各々の内側で鍛錬するものだから、特に際立った強い社交性はあまり関係がない。
発表会の時に皆と合わせて踊れたらそれで良かった。
自分を表現する場所を見つけた子供は、少しずつ自信を持ち、発表会を観に来てくれたクラスメイトとも仲良くできたり、友達も沢山増えて。
続く
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