飼い主の意識について | シニアチワワ日記

シニアチワワ日記

保護犬だったチワワ2匹とうさぎと旦那とのんびり暮らしています。

バタバタと過ごしていたら秋になっていました汗


うちの動物達は今日も元気です。




そのうちお話出来ればと思っていた犬のこと。


小分けにしてコツコツ書き溜めてました。



あくまで個人の主観で、正当性を訴えるつもりは皆無です




犬を家族に迎えるときって、多かれ少なかれ色々調べてから迎えられる事が多いと思います。


なので、たまたま検索で引っかかって読んで下さる方がいればいいなと思ってお話しておきます。


「犬を飼い始める」とか「里親になろうと思う」とか。






前置きしておきますが


個人的には悪質なペットショップなんて全部潰れてしまえば良いと思っていますし


里親制度は犬好きにとって有難いし、ボランティアの方は尊敬しています。


その上で飼い主側の人の業とか情とか思想とか、答えの見えずらいものを主観でお話させて頂くので


結構キツイ事も言うはずです。読む人を選ぶかもしれません。


先にお詫びしておきます。




今からお話する事に関しては、育った環境がかなり影響していると思います。


私は沖縄の神社の家系の生まれですが


通っていた中学高校が兵庫のプロテスタントの女子校で


大学は京都で量子物理学という地理も分野もめちゃくちゃな異端ですが


民俗学も一般的な宗教学も物理も、とことん意味を還元すると良識として言ってる事は同じなんです。


オカルト否定から物理に入って完全肯定派に回る研究者が多いのも多分その為です。


真理の片鱗が見えてくると一個人の意見なんて簡単に覆ります。



中学高校では、他国の恵まれない子供の為の募金や支援


炊き出しのボランティア


これらが学校教育に組み込まれていました。


目に見えている自分の世界だけが全てではないのだと知るための教育理念です。


傾向として、動物愛護の意識も高くなる子が多かったです。



隣人愛、動物愛護、その他諸々含め


周りに「こんな大人になりたい」と思わせる尊敬すべき方が多数いらした事


また、運良く良い時代に育って子供の頃から家に拾われた犬や迷い込んだ鳥がいた事


私自身結婚前後に動物病院に勤務していた事もあり、動物全般が大好きですし


犬も猫もウサギも鳥も、もっと言えば植物にだって深刻な問題が沢山あるのですが


今回は犬の事です。





マスコミが結構適当な事を言うので勘違いされがちなのですが


昨今では里親制度の認知度が上がってきているので、殺処分って減少傾向にあります。


ですが捨てる人はそれでも多く、裏にはボランティアの方々の凄まじい努力があります。


綺麗に言うと優しさや努力ですが、敢えて現実的に言います。



犬のボランティアって本格的にやると、時間、手間、お金、この3つは血を吐くレベルで犠牲になります。


大規模な寄付が集まる団体から個人活動まで様々ですので、一概には言えないんですけどね。


寄付を募っても基本的には赤字運営になるのが9割です。


そんなボランティアさん達の頑張りを経て、犬たちの家族探しが始まります。





犬=可愛い=癒される など


長所として合ってはいるのですが、生きているので当たり前に歳をとるし病気にもなります。


お金もかかるし、放っておくと犬もストレスが溜まるし、吠えるし、仔犬は噛むし


人と同じで、躾を入れずにただ甘やかされると、基本的にワガママな成犬に育ちます。


それが安易にショップで買った犬を捨てる理由に繋がる事が多いのも事実です。




センターに保護されている犬たちは、どんな病気を持っているか分かりません。


特に問題がなく何故捨てたか検討もつかない犬もいますが


病巣があり手術にお金がかかる犬や、通院の必要がある犬がやはり多いです。


保護活動をされる方は、お金がいくらかかるとか、どんな病気を持っているとか、余命だとか


考える事より先に犬たちが殺処分にならないようにセンターから引き出して保護してくれています。






また、犬を飼う上で、里親になる上で、意識の問題が出てくると思います。


大手の動物病院などに勤務していると、多方面から色々な話を聞きく機会が多くなります。


飼い主さんやトレーナー、医療従事者だけでなく、芸能・メディア関係、作家さんなど本当に様々です。



その最たるものは、「最近の愛犬家に宗教じみた変な人が多いのは一体なんなの」


という、私自身も明日は我が身と思って身が引き締まる質問でした。


一般的に言う、人と犬の区別をつけない「お犬様」の状態に疑問を呈しているのです。


そしてこの件に関しては、大多数の獣医師やアニテク、経営部にも思う所があると考えます。


ですが、それを生業としている立場だと角が立つので絶対に言わないというか言えません。


子供が犬に駆け寄ったら怒鳴られたとか


ドッグランで大きめのコーギーがチワワに近づいたら怒られたとか。



殆どが犬じゃなくて飼い主の都合と決め付けです。



院内の待合室ですら


「隣に座って待っている犬の皮膚病がうつったら困るので、あの犬隔離して下さい」

と言われる方がいました。


加齢による病気と痴呆で徘徊が出ると怪我が増えるし毛が抜け落ちてしまう事もあります。


そんな子を汚い、くさいと言われて蔑む方も


その犬の飼い主さんに「綺麗にしてあげなさいよ」と説教を始める方も、虐待を疑う方もいました。


知識があれば分かる事ですし、そもそも病院なのに。悲しかったです。



多分その方たちにも言い分はあって、ご自身の犬をとても大事にされているのだとは思うのです。


ただ、良くも悪くも偏った意識の愛犬家が増えているのは残念ながら事実です。





また、犬に肩入れするあまり人を卑下した言葉を吐き出すケースも多く見られます。


ショップでペットを買った飼い主さんの批判とか、まさにそうです。


罵詈雑言は、犬以前に人として違うと思うのです。



そして保護犬を迎えたから偉いわけでも犬を買ったからダメなわけでもありません。


保護犬を迎えた方が犬の世界に優しく、ペット業界の利益に貢献せずに済むだけです。


縁あって一緒に暮らす事になった犬を大事に思う気持ちがあるのなら、両者同じ立場であるはずです。



生態販売の実態の殆どが酷いものですし、出来れば保護犬を迎えて欲しいのが本音です。


でも責めるべきはペット事業や国の法律。


そして責める権利があるとしたら、先に書いたように自身の贅沢よりも他所の犬の事を考えられる方


献身的にボランティアをされている方だけだと思います。



ですが今まで私が見てきた限り、それらの方って物凄く心が綺麗なんですよね。


憤るでも批判するでもなく、何も出来なくて悲しいという心理状態になってみえる方が多いのです。



法律では犬をセンターに捨てる飼い主を他人が罵倒した際、侮辱罪で訴えられると負けます。


弁護士費用の方が高いので訴訟する人は稀ですが、根本的に間違っているのってソコです。


動物愛護法があるにも関わらず、国に犬を捨てるシステムがあります。


倫理的におかしな事でも法律的に許されていて、犬は所有物の扱いです。





動物を保護して下さる方々は”私にとって”とても尊いです。尊敬すべき人たちで、とても好きです。


出所がどこであろうと、動物が好きで大事に一緒に暮らす人たちも、”私は”とても好きです。


そして可愛いからと動物を買って、飽きて大事にしない人は”私は”嫌いですし、捨てる人は軽蔑します。


保護犬を飼っていても他人の批判ばかりする人は”私は”苦手です。



コレ元をただすと全部私の主観で「こうあるべき」という私が勝手に作り出したエゴなんですよ。



うやむやにしたままの人の方が実際多いはずですし


気付かないまま、それがエゴでなく正義だと決め付けるのも人間らしいです。


道徳的に正しい事を踏まえると、間違っちゃいないです。


それが突き詰めない考え方、生き方です。


とことん突き詰めて考えて、ある程度の答えに辿り着くと、恐らくその無意味さから人を責めなくなりますが


世間に学者が少ないのと同じで、コレと言ったメリットが特にないので絶対数が少ないんです。


専門家や学者だって、言い方を変えれば異質な存在でオタクに他なりません。


なのでこの手の事を大々的に訴えると、宗教や偽善に感じて嫌な気持ちになる方もいると思います。


命や愛を定義して、それらの為に人事を尽くす人の情報がどれほど少ない事か。





マザーテレサや黒柳徹子さんの本など読みやすいので一度は読んで考えてみて欲しいです。





世界には戦争があります


飢えて死ぬ子供がいます


病気で苦しむ人の家族が寄付をお願いしています


動物の殺処分があります


大袈裟ではなく、毎日1円ずつでも募金すれば、1年後には確実にどこかで誰かの人生が変わります



どれも進行形の事実です。



どこかの誰かを救えるだけの力を持つお金を自分のペットの為に使うんです。


愛犬家は皆同じなわけですよ。


それを出所が違うってだけで、誰に責める権利がありますか?


自分も難民の子供の存在を知らんぷりしているのに?一食我慢したら数人助かるのに?





うちの犬は2匹とも保護犬でしたが、色んな持病がある為、毎月結構なお金を使います。


お薬だけでなくサプリを与え、フードも病気に良いものを、とお値段高めの物を与えています。



もし貧困や病気に苦しむ人が目の前に現れたら、生活を切り詰めて何とか助けようとするとは思います。


でも、それって普段は見えない事にして自分達だけ贅沢している事に他ならないんですよね。



私が子供の頃から動物愛護に関わっている事で、えらいわねーと褒めてくれる方がたまにおられますが


その実こんなもんです。何も出来ません。


たまに贅沢しますし、我が身は可愛いし、頭で分かっていても家族と他人は同じように愛せないし


全然たいした人間じゃないので死ぬまでにマシになれたらいいなと思ってます。



ペットショップで買ったので何だか後ろめたいっていう検索ワードで辿り着いた方


既にご自宅に犬がいて、買ったとはいえ大事な家族だと思えるなら何を言われても割り切ってください。


上から目線の保護犬関係者に出くわしたら


十中八九自分に酔っているだけなので、世界を広く見てスルーして下さい。


ちゃんと常識的な飼い主もボランティアも沢山いるので、呆れずに受け流してくれると有難いです。



若干スピリチュアル寄りに見えるかもしれませんが、学術踏まえての理念です。




うちの母の実家は神社ですし、私は別に熱心なクリスチャンでもありませんが


聖書に「人が人を裁いてはならない」という言葉があります。


裁判や罪の話じゃないですよ。


勿論私もですが、人って基本的に自分勝手で罪深いです。


無意識で勝手に他人を判断しているんですよ。


心理学的に言うと、相手と自分に共通項があると良い人、違っていたら良くないと考えるんですね。


これが人を裁くという事です。


犬と暮らすと、命の重みや尊さ、儚さを感じやすくなるのかもしれません。


多分それは良い事で、犬がきっかけで優しい人になれるなら素晴らしいと思います。


ただ長々とお話したように、神様にでもなったつもりかと言いたくなる程人を裁きまくる人は普通にいます。


好き勝手に他人の悪口や文句言う人と仲良くしたいと思う人って、あまりいないと思うんです。


意見が合う人ならともかくですが、同属ですよね、そうなりたいと本気で思うものなのか分かりません。



あれこれと惑わされないでください。



犬を飼われたら楽しく暮らして、最期まで一緒にいてやって下さい。


一端の私ごときがよそ様に言える事なんて、結局それだけだと思うのです。








ではまた四つ葉