今晩は。ツナ★です、
人間誰しも、ウソをつくものですが、そのウソは一体どこまでがウソで、どこまでがウソでは無いと言えるのでしょうか?
例えば、自分では本当だと思っていた事を他人に話した所、まったく違ってしまった。
これは、ウソをついたと言うよりは、間違えたと言う事になりますが、しかし、この状況でも相手が自分を良く思ってなかった場合は、相手はウソをつかれたと思うでしょうし、友人や知人なら、間違えたと思ってくれるでしょう。
となると、受け取る相手側の問題で、ウソかそうでないかが変化する事になります。
受け手側が、「ウソ」だと判断した場合、発信側が「ウソ」を言う気持ちが無くても、それは「ウソ」であると断定されるのです。そうなると、自分では完全に「ウソ」をついたと思っていたとしても、受け取り側が「ウソ」では無いと判断した場合、「ウソ」をついたとは言えないと言う事になります。
良くあいつはウソつきだとか言いますが、それは受け手側がその人の言動を「ウソ」だと思っているだけなので、必ずしも彼が「ウソ」をついているとは限らない場合もあります。
でも、やはり社会的に見て、常識を外れた場合、「ウソ」をついていると判断されやすくなると思います。
ドン・キホーテの場合は、「ウソ」の規模が大きすぎてそれは進化し「ホラ」になりました。
「ウソ」は、規模により名称を変える事があるのです。
「ホラ」は、「ウソ」の中でも、誰でも絶対ウソであると見抜け、その上でなお且つ本人がいたって真面目に言う事で、「ウソ」は「ホラ」に変化します。
「ウソ」は、しばし他人を傷付ける事がありますが、「ホラ」は他人を呆れさすか、笑わせる事になります。
同じ「ウソ」でも大きく違いますね。
同じ「ウソ」をつくなら、「ホラ」を吹いた方が、皆幸せになると思います。
勿論、政治家や政党が言う、マニフェストは「ホラ」では無く、「ウソ」に分類されますね。
出来たら、今度は「ホラ」でお願いいたします。
そうすれば、誰も信じず、笑い飛ばす事が出来ますから。
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