「エイリアン、故郷に帰る」の巻(17)
ドクターによると、師匠は腎臓を
患っている他に、肺に気胸があるという。
気胸とは、簡単に言えば
肺に穴が開いている状態のことで、
そこから空気が漏れてしまい、
呼吸が苦しくなったり、胸や背中に
痛みを感じるといった症状がある。
そう言えば、私には
思い当たるふしがあった。
師匠が台湾に戻る前、
まだ日本にいた時のこと。
自転車で出かけ、
用事を済ませて帰ってきた後、
「息が切れるね。」
少し息を弾ませながら
こう言っていたのだが、
もしかしたら、この頃にはすでに
気胸だったのかもしれない。
先生も、年齢には勝てないのかな...
その時はこう思っていたが、
今から思えば、私は何と
おめでたい間抜けだったんだろう。
「この人はタバコを吸うんです。」
こう告げると、ドクターは驚いた様子だ。
無理もない。
私だってドクターの
立場だったら驚くだろう。
鍼灸師である師匠は、
東洋医学で言えば医者だ。
その人が喫煙者だなんて。
一日5~6本だと言っていたが、
吸っていることに変わりはない。
実は、本人も止めたがっていたが、
なかなかそれができなかった。
随分と若い頃から吸っていたようで、
高校生の頃、家の中でこっそり吸っている時、
窓の外へと吐き出した煙を母親に見つけられ、
「火事だ!!」
と叫ばれ、騒ぎになりかけたことがあるという。
高校生の時からタバコ...?
以外にヤンキーというか。
ファンキーというか...
師匠からこの話を聞いた時は
こう思ったが。
何がファンキーなものか。
私の長男は高校生だが、もし息子が
タバコを吸っているところを見つけたら。
絶対にしばく。泣かす。脅す。
挙句、YouTubeで
色々なことをバラす。
お義母さん。
ボヤ騒ぎの原因が、息子のタバコの煙だと
判明した時点で即、どんなに大事な息子であっても、
完膚なきまでに叩きのめすべきでした。
頭を刈り上げ、脅し上げ、もうタバコを見ただけで
恐ろしくて震え上がるくらいになるまで、
懲らしめるべきでした。
「良薬口に苦しよー。」
あまりの不味さと臭さに、頭痛と吐き気を
催しそうな漢方を飲むのを渋る私に、
あなたの息子さんは、
よくこう言っていたんですから。
でも、まあ...
あの人のことだから、たとえそんな目に
遭わされても、タバコを止めるのは
無理だったかもしれないという気もするが...
「退院したら、絶対止めさせます。止めなかったら殺します。」
ドクターは笑っていたが、私は本気だった。
誰にでも、体に悪いと分かっていても
止められないことがあるものだ。
例えば、私は甘いものが止められない。
だから、師匠には煙草を止めてほしいと
ずっと思ってはいたが、
あまりうるさく言わなかった。
でも、こうなった以上、
きっぱり縁を切ってもらう。
でなければ、子供たちにも示しがつかない。
あのおっさんを愛し、
必要としている人間が何人もいる。
そのひとりひとりが、
心配と不安で心を痛めながら、
回復してくれることを
ひたすら信じ、祈り、待っているのだ。
ただ。
気胸は喫煙が原因だと
一概には言えない。
タバコを吸わない人がなることもある。
様々なことが原因として考えられていて、
自然発生する場合もある。
高齢な人の場合は、
肺の疾患からなることもある。
だから、師匠の場合も、絶対に
喫煙が原因だと断定はできない。
でも。
原因は何であれ、
とにかく気胸が見つかったのだ。
私が悪かった。
心底後悔し、反省した。
私は、先生を先生だと考え過ぎていた。
その存在を過信していた。
そして、過信は怠慢へと繋がる。
その結果がこれだ。
確かに師匠には、不調な時には病院で
診てもらうという発想がこれっぽっちもない。
本当に頑固者で、どんなことであれ、
自分が一度こうだと思うと、
人の言うことはまず聞かない。
あの男を病院に連れて行こうと思ったら、
一服盛って気を失わせるか、
ぶちのめすかして気絶させ、
その隙に車に放り込んで
病院に連れ込む以外に方法はないだろう。
だったら。
一服盛るか、ぶちのめすかして
病院に連れ込むべきだったのだ。
息が切れると言っていた、あの時に。
調子が悪いと言って、台湾に帰る前に。
師匠は、師匠であると同時に
家族でもある。
と言うより、私にとっては、
師匠である以上に家族なのだ。
師匠に欠けている部分を弟子として、
夫に欠けている部分を妻として、
子供たちの父親に欠けている部分を
母親として、私が補うべきだった。
師弟関係と家族関係の輪の中に
どっぷりと入り浸るのではなく、心のどこかで、
常に一歩その輪から抜け出した状態を保ち、
冷静で客観的に相手を観察して接するという、
適度な距離感と緊張感が必要だったのだ。
親しき仲にほど、岡目八目と
俯瞰が必要なのだ。
どうしようもないほど馬鹿な私は、
この期に及んで、やっとそのことを悟った。
家族を持つということは、
覚悟を決めるということだ。
自分で選んだ人生である以上、
落とし前をつけなければならない。
さもなければ、必ずその
とばっちりを食う人間がいる。
そして、それは大抵の場合、
弱い立場の人間だ。
我が家の場合、そのとばっちりが
向かう先は、3人の子供たちだ。
どうしてこんなに簡単なことが
今まで分からなかったんだろう...
先生と子供たちに、どうやって
謝ったらいいんだろう。
言葉も方法も見つからない。

