苗栗県の頭份というところから、
義姉がやってきた。
師匠のお姉さんだから、私にはお義姉さんなのだが、
恐らく年齢は、私の祖母とあまり変わらないだろう。
師匠一家は、元々その地方の出身だが、
義父は台北に移り住んだと聞いている。
それに伴い、師匠と三人の弟も
台北で暮らしていたが、
実家はまだ頭份にあり、
義姉はその辺りで暮らしているらしい。
ICUで弟に面会した義姉は、
その後、バオメイと私と一緒に
病院の地下の食堂でお昼ご飯を食べた。
午後からは、先生の回復祈願のために、
みんなで拝拝に行くことになった。
行き先は龍山寺。
台北で一番古いお寺だ。
病院を出て、西門町に向かって歩く。
良く晴れた日だった。
途中、師匠が倒れていたという
バス停の前を通りかかった。
ここに先生が倒れていたんだ...
何だか信じ難くて、
白昼夢を見ているような気がした。
夏の日差しに明るく照らされた
バス停を見ていると、地球が自分ではなく、
太陽を中心に回っていることがよく分かる。
新しくできたばかりらしい、
サビひとつない小奇麗なこのバス停。
ついこの間の夜、ここで誰かが
行き倒れていたなんて、誰に想像できるだろう。
もし地球が私に同情し、私の気持ちを汲んで
回っているとしたら、この憎たらしいほどの
晴天の下、このバス停の周りだけは
光が当たらず、真っ暗でもいいはずだ。
私の大切な人が
倒れていた場所なんだから。
でも、現実とは
実にこざっぱりとした現象だ。
それに向き合う人間の気持ちはお構いなしに、
まるで、隙もなく掃かれて水撒きされた
玄関先のように端然としている。
誰の身の上に何が起ころうが、
毎日太陽は昇るし、月も出る。
何が起こった場所であれ、
その上から光も差すし雨も降る。
悲劇など存在しない。
ただ出来事が起こるだけなのだと、
誰かに言われているような気持ちになる。
西門町にある、地下鉄の西門駅から
龍山寺駅までは一駅だ。
階段を上って駅の出口を出ると、
すぐに龍山寺が見える。
初めて台湾に来た時、師匠に連れてきて
もらった場所のひとつだ。
あの時は、お腹に長男がいた。
古い歴史が醸す、荘厳で格式のある美しさに
一目で心を奪われ、しばらく見とれていたことを
思い出した。
今は、この美しい寺ですら
物悲しく見えてしまう。
ご本尊は観世音菩薩。
その他にも学問の神様の文昌帝君、
安産の神様の註生娘娘、
恋愛の神様の月老神君、
孔子や関羽、媽祖など、
100以上もの神々が祀られていてるという。
きっと師匠に一番ご縁の深い神様も、
ここに祀られているに違いない。
お願いです。
何とか私の夫を助けてください。
こうお祈りしながら、お寺の中の
各所で拝拝した後、おみくじを引いた。
さすがに多くの人々の信仰を
集めているお寺のものだ。
今も私の手元にあるこのおみくじは、
師匠の未来をずばりと言い当てていた。

