「エイリアン、故郷に帰る」の巻(4)
空港でチェックインする際、
こんな申し出があった。
「本日はエコノミークラスが満席ですので、
ビジネスクラスにご搭乗ください。」
何でもないときなら、満面の笑みで
小躍りでもしただろう。
台湾に着いた後、
周りの人に自慢もしただろう。
実際、そうできたら
どんなに良かっただろう。
でも、この時のアップグレードは、
素直に喜べなかった。
何か嬉しいことがあっても、今はそれを
単純に喜べる状況ではないのだという事実を
まざまざと目の前に突きつけられ、
再認識させられる出来事でしかなかった。
まるで、目に見えない何かに
おちょくられてでもいるようで、
すでに十分落ち込んでいる
私の心を更に暗くした。
搭乗ゲートに向かうエレベーターに乗って
ドアが閉まった瞬間、涙がこぼれた。
定刻を過ぎても、
一向に搭乗が始まる気配がない。
機体がどうのこうのと
アナウンスが流れる。
やっと搭乗が始まったのは、
出発予定時刻を1時間余り
過ぎた頃だった。
生まれて初めてのビジネスクラスは
とても快適だったが、でも一体それが何だろう。
台湾の桃園空港に到着したのは、
現地時間の午後11時を過ぎた頃
だっただろうか。
飛行機を降りた後、つんのめる様に
入国審査へと急いだが、夜遅い時間にも
関わらず、そこは長蛇の列だった。
こればっかりは仕方がない。
とにかく無事に台湾に着いたんだから。
はやる気持ちを抑え、ひたすら順番を待つのだが、
私のすぐ後ろに並んでいたおっさんが、
私をどうしようもなく苛立たせる。
日本語で話していたから、
日本人なのだろう。
せっかく台湾に来たのに、
飛行機が遅れた挙句に長い行列。
とにかく1秒でも1mmでも
早く前に進みたいらしく、
列が動く度に、持っているカバンを前にして、
体を私の背後にピタッと押し付けてくる。
しばらくは我慢していた。
もしかしたら、自分のカバンが私に当たっていることも、
私との距離が、失礼としか言いようのないほど
近いことにも、気付いていないのかもしれないし。
それにまあ。
少しでも早くここから出て、
遊びたいんだろうなと。
ところがだ。
いつまでも経っても、このおやじ。
時間がかかるとブツクサ文句を言いつつ、
カバンを私に押し付けたまま進むのだ。
ちょっと。あんた。
実は、とてつもなく老けた
幼稚園児かなんかなの...?
もう無理。
あの時の私にとって、師匠の容態以外に
恐ろしいものは、この世になかった。
おいこら。おっさん。
ふざけるな。
いい加減にしろ。
飛行機が遅れたのも、この行列も
あたしのせいじゃない。
だいたいな。
ここから1秒でも早く出たい気持ちなら、
あんたにも、ここにいる他の誰にも
絶対に負けない。
亭主が危ない状態で入院してるって言われて
ここまで来てるんだから。
でもね。
だからって、あたしはあんたみたいに
他人様に自分のカバン押し付けたりしないの。
それにな。
どんだけあんたがあたしにくっついても、
絶対に順番は譲らない。
分かったら、今すぐそのカバンを
どけて、3歩下がれ。
いつでもこう啖呵を切る
準備はできていた。
空港の職員が止めに入るようなことに
なったって構うものか。
でもね。
私も一応いい年をした大人ですから。
「あの。くっつかないでもらえます?」
若干吐き捨てるよう口調になったが、
辛うじて丁寧語で応酬した。
これでダメなら啖呵だ、啖呵。
このバカ野郎。
地雷踏むなら、踏みやがれ。
「すみません。」
おっさんは、ちょっと驚いた様子だ。
お?
えらく素直じゃないか。おっさん。
分かってくれた?
じゃあ、さっさと下がれ。
二度とくっつくなよ。
それから、どのくらい待っただろう。
しばらくして、
やっと入国審査を通過した。
これで、師匠までの距離が
ぐっと縮まった。

