播磨塾・中司です。




  本日も宜しくお願い致します。 




 うれしい突っ込みがありましたので、私見のポイントを・・・




 私は、前回、申し上げた通り、家康黒幕説です。




   理由その1・個人的恨み




    光秀は実母を、家康は正妻と嫡男を、それぞれ信長の判断・命令によって失った。




   だから、二人(光秀と家康)には、シンパシィー・同情・共感のようなものがあったはず。




   理由その2・政治的・戦略的理由




    元々、信長と家康の同盟の目的とは?信長から見れば、東の強者に対する備え、もっと露骨な表現をすれば、家康は信玄や北条に対するための弾除け・噛ませ犬だった。




    ところが、武田家は天目山で滅亡、家康の存在理由は無くなった訳です。既に北条に対しては滝川一益が担当となっており、家康ほどの男が、これを感じとっていなかったとは、到底考えられない。


   


   理由その3・直前状況




   光秀は、本能寺の直前、家康と一緒に居た。これは信長の命令で、家康の馳走役(接待役)を命じられていたからである。




   結果として、光秀は本能寺!を決行してしまったわけですから、直前、一緒にいた家康がこの計画を(事前に)知らなかったとは思えない。




   本能寺の変の前日、当日の6月1日、2日、こんな噂があったとか・・・信長様の命令で、光秀が家康を討ちに行く???


   一般ピープルが信じるに足る噂だった!と解釈できると同時に・・・光秀と家康で、さもありそうな噂を流したのではないか?と、うがった考え方を(私は)してしまうのです。




   事件後(本能寺の変)???の動き、理由その4




   事件後にも、疑問は付きまといます。


 


   まず、伊賀越えって!?本当に大変だったの?未だに、ここがはっきりしないのですが・・・でも、私見では、伊賀越えが大変だった、三方ヶ原以上の危機だった!と言うのは、徳川実記の最大のウソだと考えております。


   何せ、徳川家には、服部半蔵がいるじゃないですか?この(件の)半蔵さんは1596年に亡くなったとか、伊賀越えの際、半蔵の手引きでスムーズかつ安全に家康は帰国した?!と私は考えます。




   最後に、春日局についてです。


   春日局・おふくさんは、明智光秀一の重臣・斉藤利三の娘です。


   もし、家康が、信長のことを実の兄??と思っていたのなら、その兄?を殺した犯人の娘を、自分の大事な跡取り(孫)の教育係に任命するでしょうか?


   春日局の存在そのものが、家康黒幕説の決め手!といっていいのではないか?とまで思っています。




   ざっと、項目を思うがまま、並べて見ました。




   反論を期待しています。




   中司でした。ペタしてね