現在ちょっと抽象作品に取り組んでおりまして張り子制作が滞っております。
作品に意図的に「穴」を開けることが多いです。
穴を開けることにより光の効果が生まれるのが面白いということもありますが
制作上のテーマをよく表わしてくれるから、というのが理由としては大きいです。
私は自分では見たことも実感することも不可能な微粒子や成層圏の外側の計測結果、そして世界中の優れた頭脳の産物であるところの計算結果とそこから導き出された「事実」を基本的に信じています。
銀河系とアンドロメダ星雲は40億年後に衝突することも、ヒッグス粒子の存在も、太陽には寿命があることも。
私の身体はそれらの「事実」の示す設定に沿って保たれており、何の過不足もありません。重力と大気と栄養補給がなければこの姿で生きていけないことを基準に物事を考え、動き、発言します。
もし。計測器のわずかな隙間が発見されることなく、「ニュートリノは光より速かった」ことに「なった」なら。
私の身体も思考も、その「新事実」に容易く対応し始めるに違いないと思います。
実際そうなりかけました。「光」というもののある種の絶対性が失われた世界で生きていくうえでの心構えをしなければいけないと思いました。それは急に綱渡りを命じられたような、それでもその先には何か楽しいことが待っているような不思議な感覚で、しばらく身体もふわふわしていたように思います。
結局まだ光は最速らしく、それが分かった途端身体も心も元に戻りました。「実は間違っていた新事実」に対応した身体の記憶が残るばかりです。
私は極めて不自然で不安定で奇妙な生き物です。
「間違い」と「真実」を積み重ねて不純に変化していくその先を肯定したいと願う私にとって、作品に開ける穴に込めるものは希望です。存在に開いた窓です。
「信じること」その間違いは、時にとんでもない悲劇を生みます。被害に合うのは大抵弱く小さいもので、そこを無視することは許されませんが、取り込み、放出し、変化を受け入れるとともに促す存在同士の循環と、だからこそ一つ一つの存在を敬うことへの限りない欲求を形にしたいと思っています。