震災11年 | 【畳・ふすま・障子・網戸】張替倶楽部 社長の日記

【畳・ふすま・障子・網戸】張替倶楽部 社長の日記

姫路市・明石市にあります、たたみ・ふすま・しょうじ・あみどの専門店 張替倶楽部社長の日記です

阪神淡路大震災から11年経ちました。当時大学生をしていた私は大阪のワンルームマンションに住んでおり、卒業論文を必死で作成していました。朝猛烈に揺れてなんだろうと思ってテレビをつけたら阪神高速が倒れていて、神戸が震源地という事を知り驚きました。電話がまったくつながらないので実家もどうなったかわからず、とりあえず学校の研究室に行くと神戸から通っている友達がそこにいました。どうやってきたのか尋ねたら前の晩から研究室に泊り込みしていて家に帰れなくなったと言う事でした。西宮の友達は家が倒壊して体育館に避難したり大変でした、みんなで救援物資を買って何人かが友達の安否を確認しに原チャリで走ったりしてました。結局卒論の提出日は1ヶ月延期となり、それから始めて神戸をはさんで向こう側にある実家に帰りました。電車は寸断されていたので代替バスに乗って、ビルが傾いて倒れてきそうな中歩いて通るのが怖かった思い出があります、一面ブルーシートが屋根の上にかけられていました。無事卒業できて実家に引越ししたときも中国道がずっと大渋滞で参りました。直接の知り合いが亡くなったというのはありませんでしたが、間接的にだれだれが亡くなったというのはよく聞きました。その年私は就職して東京へ住む事になったのですが、兵庫県出身と言うだけで地震の話ばかり聞かれてうんざりした覚えがあります。そんな思い出話でした。