.
ある目的に向かって、自分が頑張って、結果、
成し得ることと、成し得ないことがある。

それはその通りだ。

全ての努力が、全て夢かなえられるはずはない。

努力をすれば夢かなう。
ではなく、
努力をすれば夢かなう可能性がある。だ。

まあ時には、努力をしなくても夢かなう。こともあるにはある。
まあそんなことはまあそんなに無い、と思うが。(思いたいが)。

... 
時に、SNSなどで、
自分の子供のことを載せる(書く)人がいる。

子供の発育のことを載せたり、
子供の活躍のことを載せたり、
子供の失敗のことを載せたり。。

それが、どのような意味(目的)で載せているのかは分からないが、
あらためて、何故、子供のことを載せるのかな~と思う。

どういう気持ちで載せるのか。
なんの考えもなくただ載せるのか。
なんの深い意味はなくただネタとして載せるのか。
家族の団欒を自慢で載せるのか。
親ばかの自慢で載せるのか。

子供が載るSNSは、その(良い)反響も多い。
例えばFacebookなら、いいね! が多い。

なので、さらに載せる。

...
が・・、

世の中には、どんなに努力してどんなに願い頑張っても、
その頑張り度合いに比例してそれがかなうといったものではないこともある。
ほとんどのことが叶う中。

人にとって必須なこと、仕事。

どんな仕事をするか。
好きなことだけで生きていく(ホリエモン)、じゃないが、
好きなことを仕事にする。ことは、
その人が明確に願い頑張れ続ければほぼ叶うことだろう。
 
希望するモノを買う。
人生で大きくお金がかかるものを買うこと。

自宅を購入すること。(そもそも購入しようと思わない人は関係ない)。
一軒家、マンション、問わず、
それはそれは人生一の高価な買い物だが、
まあそれを真剣に希望すれば叶う。

次に高価なものは、何か。
自動車購入か。
もちろんものによるが、50万~300万くらいか。
高価だが、買おうと頑張れば買える。

買うことではない、
結婚。
希望すれば、
努力をそんなにしなかても叶うこともある。
かなり努力をしてそれが叶うこともある。
ときには・叶わないこともあるか。。
 
で、ここでとても重要な話しとは、
子供
を授かること。だ。
 
どんなに希望しても絶対に叶わないことがある。
そのような人(夫婦)はいる。

努力云々ではないのだ。
神のみぞ知る。天からの授かりもの。ともいう。

このことだけは、本人の頑張り努力願いでは
どうしようもないことなのだ。

なので、願っても、成し得ないことが明確に存在する。
これは本人の努力ではないことなのだ。

子供を授かった人には、この成し得ないかった人の気持ちは
分からないだろうか。。

...
映画をそっちゅう観る。
DVDで毎月5本以上は必ず。
映画館にも数ヶ月には1回以上は観る。
映画はほんとにイイものだ。
人としての感性が広がる。

つい先日も映画館で映画を観た。
何を観たか。
「光をくれた人」。

いやー、感動した。
観たら泣くとは事前に聞いていたが、
人前で泣かない私はそんなことはないと思っていたが、(少し)泣いた。 

この映画の内容。
これがここでは大事。
 
で、
映画を観たその夜。
何人かでの飲み会に。
その飲み会参加の(以前から知る)女性が、
私がふったわけでは全くなく何の話しからそのような話しになったのか忘れたが、
" 女性に生まれたからには、子供を産むことを成し遂げるべき"
と言って産んだ、とのその場いない女性の言葉に、
怒っていた。(←酒も入ってだが)。
産みたくても、産めない人もいるんだと。
その女性は結婚していて、そのような現状の方。。
 
なぜかたまたまそのようなことの内容、同日の映画とリンク。
  
自分の子供って、
どんなに欲しくてもその努力に全く比例せずに
授かれない人がいるのだ。
その人(夫婦)の気持ちとは。
 
自分の子供を欲する人は、そのことは、
人生にとって、とてもかなり重要なできごとだ。

世の多くのことは、努力の度合いにある程度比例する結果。
だがこれだけは違う。

授かった人には、授かっていない他人の気持ちは分からないだろうか。

自分の子供のことを、
無邪気に、載せる書く文章、写真。SNS(など)。

「光をくれた人」を観ても泣かないの人かな。感動しないのかな。

努力しても、叶うことと、絶対に叶わないことがあること。
その違いは大きい。
 
子供のことは、人生にとってとても大きいこと。

自分の子供のことを、話す、書く、載せるのは、
親しい人だけに対しのみにするべき。
と、昔から思っている。

 
   
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人の批判評論 /280

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「他人を批判・評論」 する人が結構いる。

その人達は、それを、無意識か、意識的か、は分からないが
結構いる。

「あいつは、あーだ・・」
「こいつは、こーだ・・」などと。 

まあ無意識にしている人が多いか。

何事もある程度、人生を過ごせば、
自分の考えというものが存在する。根付く。 

それを正解、基本として、
それに合わないと勝手に感じたものを、批判・評論する。

ここでは、批判と評論の違いはどのようでもいいとする。
なのでこのように述べる。

人それぞれ性格が違うように、生き方が違うように、
その感じる思う正解も若干は異なる。
(もちろん異ならないような誰からみても同じものも存在はする)。

なので、自分からみた、他人は、違うのが当たり前だ。

やってることも、発言していることも、なにもかも、
人によって異なる。

自分が正解!と思いこんでいる人達は、
なので、自分の身近にいる周りにいる、
自分からみて変なことをやっている言っている人が
許せないのか、馬鹿じゃないか、とか思い、
それが自分の(頭の)中で気になり、
正義感的なのか、お前は間違っている、あの人はおかしい、
などと、
他人のその行動などを、
また別の他人に、それをいちいち
「口に出して」言う人がかなりいる。

人と人は、違うのが当たり前。

そりゃ自分の考えを基準として話しをするのだから、
その基準が基準なので、
それ以外の行動は全て、間違った、おかしな、人となる。

基準がベースが自分の頭の中にある考えなので、
それはその人にとっては、
間違っていない絶対的に正しい内容としての発言となっている
とその本人(自分)は100%思っている。

このこと自体が抜本的に、間違っていておかしなこととだろうといえる。
自分の頭の中にある自分の考えを基準として、
(立派な人間であるかもしれない)その他人を、批判し評論することである。

そのような発言をする人、しない人。
しない人でも皆誰もが、
する人と同じように、
自分以外の他人の行動が、理解できない、おかしい、などとは
少なからずは感じてり思ったりはしている。

それは、人間は各人が違う個体だからなので、
そのように思うこと感じることは当たり前の結論だからだ。

でその中で、
そのような、他人を批判・評論する人がだめなのは、
その自分を基準としたものの捉え方を、
こちらが聞いてもいないのに、それをあたかも正解、凄いこととして、
別の他人に話し伝えることである。

もちろん、あるA氏について話し合おう~!
というミーティング会議などのときであるならば、
それは逆にそれを発言しなければならない。
がここではそのようなときのことをいっているのではもちろんない。
 
(話しは一瞬変わるが、
あるミーティングや会議で、
斯く斯く然々のことについて話し合う、ということに出席している
その場にいる、のにそれについて「発言をしない人」がこれもよく多々いるが、
これはこれで全くもってダメな人である。
ミーティングや会議の出席者は、絶対にその内容に入り込み、
自分の意見を多々発言しなくはいけない。それが出席者の必須条件だ。
..とメインの話しからズレてしまったので・。
で話しは戻り)。

他人を批判する評論する、ものの内容ほぼ全てが、
その他人のことのマイナスのこと言っている。

他人のマイナスのことを偉そうに言っている貴方はどうなんだ。
貴方はその人よりもそんなにそんなに凄い人間なのか。。

でもこのことはその人の頭には無い。
自分が基準だけで物事をみる人だからこそ
そのようなことが出来るので、
自分が基準(自分の考えが正解)となっているので、
その人自身からみたら、批判・評論の対象になっているその他人は、
自分よりもダメであり、下なのだ。と思っている。
から先の話し、貴方はそんなにその他人よりも凄いのかの答えは、
凄いんです。となる。
(あらためてホントに、口頭で問うならばそのようには答えないだろうが)。
だからそのように他人のことをいえるのだ。

それを聞いているまともな人からみれば、
他人の悪口を聞かされていることになるのだから、
たまったもんじゃない。だろう。

誰もが人は完璧ではないのです。
その人もあの他人も自分も誰もかも。 

人はそれぞれ皆、違う。

物事には、多種多様の考えや行動が存在する。

その発言をする人達が、もっと
「もっと幅広く」物事の考え方や捉え方の基本となる知識を知り、
直接的な多くの人のそれらの行動を経験し続ければ、
どんどん自分と異なる自分が正解と思っている考えや行動と、
他人のその考えや行動が異なっていても、
「なんとも思わなくなる」だろう。

それは、皆が皆考えや行動が異なるのだから、
皆全員が自分と違うのが当たり前なのだから、
と解るのだから、
他人の所作を、一々口にして発言しても意味がないことが分かるし、
自分の頭の中にある考えが必ずしも正解ともいえないことも分かるし、
人に他人の悪口を言う(批判・評論)ことが、
その人に不快を与えていることも
分かってくるだろう。

自分の周りの人の発言をあらためて観察してみるとわかる。
「他人を批判・評論」 する人が結構いる。のことが。

そこであらためて観察してみてほしい。
そういう人こそ自分が、
ほんとは、結構だめな人である、ことが分かることを。
 
人との「会話」というのもの。
その内容。何を話しているのか。

もちろん何を話していおうが絶対的な正解も不正解もない。

が、人の批判・評論は、
よくよく無意識・意識的にやってしまっている人が多い。
が、それは止めたい。

他人(の色々)をみるまえに、
他人のことをとやかくいうまえに、
もっと自分自身(の考え、行動、発言がどうなのか)に目を向ける。


   
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卓球世界  /279

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今、卓球が盛んだ。
 
(ご存知かもしれないが..)
スポーツをなりわいにしているのに、
スポーツを観戦しない応援しない、私 だが、
観ました。 

先日の世界卓球。もちTVで。

けっしてそれは日本人を応援する意味ではなく、
ただ卓球を見たかった。

あらためてどのような動きのスポーツなのかを知りたくて。
  
すごいな。
13歳。16歳。
日本のトップだ。

世界大会でのこんな活躍。

私が、13歳、16歳、だったときを思い起こして、
ありえないでしょう。

中学、高校生で、世界大会での活躍。

いやー何度も言うけどスゴイ。
 
で、
この彼ら彼女らはもちろんすごいのだけど、
それよりも、
13歳16歳が日本のトップアスリート。
ってどのようなのー。。
 
スポーツの種目によって、
技術系、体力系、の違いはあるが、
どれでも、30歳くらいまでは、 
その道のトップクラスでいけるはず..。

が、世界卓球は、若年の13、16歳。

ランキング世界6位の日本人は、
女子も男子も20台半ばだけど、
 
ここ最近活躍してるのは、13、16歳。

マクロで幅広く世界をみると、

世界ランキング卓球。

女子。
1位26歳、
2位26、
3位21、
4位30、
5位23。

男子は。
同、28、
20、
27、
29、
28。

てこと。
普通に20代後半30歳くらいの人達が活躍している。
 
水泳もそうだ。
彼女も、16歳。
 
私の好きなゴルフもそうだ。
ときに活躍するのが
アマチュアの高校生だ。

それぞれのスポーツ種目で世界で活躍しているのは、
20歳以降の代。
 
Why ジャパニーズ people?!
(↑もう古いネタ)

なぜ日本人は若年が活躍するのか?!

なぜだいたい20歳を超える年齢になってくると、 
日本のそのスポーツ界で活躍できなくなるのか~。

若人のときに活躍できたとすると、
そのときに体力があるわけではないので、
センス、技術、が優れていた、となる。  

その優れた、センスや技術を持った人間が、
なぜその後に活躍でなくなるんだー。

その歳になると元々保有した
センスや技術が下手になっていくとは
ありえない。
 
ってことは、
あとは、
身体能力。体力。
 
積極的体力、が変な風になっていくのだろう。
 
それを作っているのは、もちろん
「トレーナー」だよ。

なんか相当に間違っていないのか、
日本での日本人による日本人アスリートのための、
そのトレーニング。
 
日本のナショナルを担っている関係者。
は、もっと相当に今のこれまでの日本での常識を
吟味し考えなくてはいけないだろう。

あらためて。
なぜ、日本は世界一般とは違う
若人が活躍するのかを。。 


 
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ps.
卓球観てて、実況、解説者、が、やたら
「パワー」っていってるが、
それは、パワー じゃないってー。
この方々は、身体の専門家じゃないから
仕方ないか・・。 













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動きに近い動き /278

テーマ:
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まだまだ全然解ってないー。

そのスポーツの動きに近い動きのトレーニングはしてはいけない!
ことを。

トレーナー(マッサージ整体院系を主業界とする和製英語のトレーナーを除く)が、
トレーニング指導をする際、
担当する選手のスポーツ種目の動きに近い動きのトレーニングをする
ことがどれだけパフォーマンス向上にマイナスとなるのかが。

向上にマイナス、ではない。
そもそも向上とかではなく、マイナス、どんどん下手になるのだ。

トレーナーがチームや選手に対してトレーニングメニューを組みトレーニングをする。
選手や、コーチは、そのスポーツの(動きの)専門家だ。
選手やコーチは、(フィジカル)トレーニングは、専門外だ。素人だ。

そこで、そのスポーツの動きに近い動きのトレーニング(メニューを組み)を
すると、喜ばれる。
このトレーナーは、解っていると。

トレーナーは、どのスポーツ種目問わず、それを担当する(仕事とする)。

トレーナーは、
スポーツ種目の技術(スキル、テクニック、他)や戦略などの専門家ではなく、
フィジカル(身体)の専門家だ。

なので、(ホンモノのトレーナーは)どのスポーツ種目でも関係なく担当できる。

が、コーチ側、選手側は、それをそのまま信じていない。

「このトレーナーは、我のこのスポーツ(の動きなどを)そもそも理解しているのか?!」と。
最初は疑心暗鬼。

で、そのスポーツの動きに近いトレーニングなどをおこなうと、
「そうそう! 解っているな、このトレーナー!」。
で、喜び、そしてそのトレーニングがパフォーマンスアップに効果的!
と思い感じ、喜んでそのトレーニングを積極的におこなう。

これが大きな間違いであることが解っていない。
 
選手やコーチは、フィジカルの専門家ではないので、
それはそれでそう思ってしまうことも...。

がそんなことより大きな間違いは、
それをトレーナーが解ってないこと!だ。

近い動きのトレーニングをして、
選手やコーチに喜ばれ積極的に参加してきて喜ぶトレーナー。

それは、体力、行動体力、身体能力、の
何を求めておこなっているのか。

二兎を追う者一兎をも得ず。 

トレーナーは、身体の能力の専門家。

そのトレーニングは何を求めているのか。

そのスポーツの動きに近いので、
神経系。
バランス、アジリティ、?!
えっ、技術の向上~?!

最大筋力、 筋持久力、?!
スポーツ科学、トレーニング科学、って何?
体力って何?

もっとそもそも論。
そのフィジカルトレーニングの
「そのスポーツに動きに近い動き」って、
そのスポーツの本来の正確な動き、では明らかにない動き、
なわけだが、

そのスポーツに求められる、
とても、かなり、超正確でなくてはならないその技術。

とは、違う異なる、その「近い」動き。

そのスポーツに求められる正確な動きとは異なる、
(近い)動き、
をトレーニングでおこない続けていたら、
それを繰り返すのだから、
どんどん、
そのそのスポーツの正確な動きとは異なる
そのトレーニングの動きが、
身に付く。わけだ。 

そのスポーツの本来必要な動きとは異なる動きが、
身に付く。

そのスポーツに求められる本来必要な動き、
ではない動きが、身に付く。

イコール、
そのスポーツが、
下手になっていく。

以上。

間違わないでください。
全てのトレーニング(フィジカルトレーニング、技術トレーニング、等)は、
そのスポーツを、上手くするためのものでしょう。

が、下手になっていくトレーニングをするって何?!

アスリートへの、
フィジカルトレーニングは、そのスポーツのパフォーマンスアップのため
(と、ケガ予防ら)の 
「体力の向上」を目的とするもの。

スポーツ種目に近い動きのトレーニング、
ってなんなのか..?!?
  
選手もコーチも、
そしてにわかトレーナーも、
間違わないように。

そのようなトレーニングをすればするほど、
そのスポーツが、下手になっていこることを。

最もやってはいけないトレーニングは、
スポーツの動きに近い動きのトレーニング
なことを。
 
それをやらせるトレーナーが、
全くトレーニングというものを
解っていないことを。 

と...。。

 

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異国を知ること /277

テーマ:
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やはり、異国ですね。

自国の日本とは、異なる国の外国です。

地球人として約70億人皆同じ人間ですが、
住んでいる場所が様々。
が皆同じ人間です。

皆同じ人間なのに、
この住んでいる場所によって、
相当に人生が異なっています。

この場所といっても、国。
国によって、かなりの人生に違いがでます。

がやはり、皆同じ人間。
そこが重要なことです。

人間は人間。
作りは同じ。
骨の数も形も(大きさは若干違ったりするが)、
筋肉の数も形も、
内臓の数も形も、
脳細胞の数も。。  

なので、根本的には、
考えることも、
求めることも、
やることも、同じです。
同じはずです。

が実際の動き生活は皆違います。

個々各人が違うかというよりも前に、
それは、住む国によって異なります。

国によって、
歴史が異なり、
その流れの文化が異なり、
法律が異なり、
そしてそれらによって、
常識が異なり、
モラルやマナーも異なってきます。

日本の、
常識、マナー、モラルなどが、
無論、全世界人のものと同じわけではありません。

もちろん、日本ずーと居るならば、
その日本式だけオンリーが常識等
でもいいわけですが、

その日本人が持つ考えが、
世界にいる同じ人間にも通じる
なんてことはない。

異国に行けばわかる。
異国に行かなきゃほんとのところはわからない。
 
やっぱ、日本だけにいて、
人を語る、人間を語る、のは、
世界人には通じない。

日本の常識は、世界の非常識。
という言葉があるように、
世界多くの人間の常識を直に知ることは必要です。

もっと世界に出よう。
世界中の同じ人間を知ろう。
知り合いになろう。

といつも思っております。 

世界はメチャ広い。
広い世界にはメチャ沢山の我々と同じ人間がいます。
そういう人がどのようなのか直で知りたくないですかー。 

ほんとに直で知る見るはすごい発見が山ほどです。
 
....

今、片道6時間以上かかる異国に居ます~。

日本と違う、異国の文化らを
堪能していま~す。



・・・・・・・・・・・