こんにちは




非常事態のため、通常ブログはしばらくお休みします




福島原発がいよいよ危機的な状況になっています。



近くの方、ご家族にもし、被爆の心配がある方は、この情報を伝えてあげてください。



時間のない方のために、要点を先に書きます。



余裕のある方は、根拠となる以下文章をお読みください


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日本の伝統食が被爆に有効 



お味噌、お味噌汁を摂取する。可能であれば昆布、わかめなどの海草類、かぼちゃなどを具に。

 ※お味噌は天然醸造の良質なものがベストです。現地では入手が難しいかもしれませんが、
できるかぎり、昔ながらの作り方のものが良いです。


天然ミネラルの良い塩を。可能であれば玄米を

一般に出回っている精製塩は科学物質に近い、純度のもので、海からとったような
微量ミネラル、天然成分の含有は絶望的です。
入手可能なかぎり、天然のお塩をとってください。




③お砂糖、甘いものはとらない

お砂糖はせっかくの上記効果を奪ってしまいます、特に白砂糖は危険です。
通常なら楽しみとしてOKだとおもいますが、除染でも放射能を完全に取ることは
難しく、有効な手段がはっきりない今、できるかぎりのことをやってみましょう。


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なぜ、これらが有効とされているのか、長崎被爆者、秋月博士のお話です



BL研究所 あすなろ日記より引用


『秋月医師は昭和20年、長崎原爆で病院勤務中被爆した。その病院がたまたまミソとショウユとワカメが大量に保存してあった。食糧不足のおり毎日ワカメの味噌汁を飲んでいたためか、患者と医師、従業員に原爆症が出なかったことが評判となり、たちまち近隣諸国に広まった

チェルノブイリ原発事故前後のミソの輸出量の比較をすると明らかに、ベルギ-・ドイツ・オランダ・イギリス・フランスなど欧州で増加。特にベルギ-は39トンから150トンと輸出量が増加している。』



引用終了


秋月先生は、マクロビオティック、食養医療を実践されていたそうです。

このお味噌と原爆の話は聞いたことがあったのですが、食養をされていた先生だったんですね。
 
実際に、チェルノブイリの時に、日本から大量のお味噌が現地に送られた そうです。

秋月先生の著書「長崎原爆体験記」(日本図書刊行センター刊「日本の原爆記録」第9巻に所収)

という本の英訳版が欧米で出まわり、チェルノブイリ原発事故のあと、ヨーロッパで

日本の「味噌」がとぶように売れた そうです。


BL研究所では、玄米ごはんパックと天然塩を物資として送ります。
  (※個人での物資受付はまだ開始されていません。現地に直接行く人物に託すそうです


時間がないので、有効な情報を引用させていただきます


以下引用

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◎秋月医博による、長崎原爆被爆対策

 

秋月博士は長崎市の聖フランシス医院の内科部長であった。

1945年8月、長崎に原爆が投下されたとき、同病院は爆心地からほぼ1キロ半余り離れたところにあった。同病院のほとんどの患者は、原子爆弾の第一撃からは生き残ったが、まもなく爆弾から飛散した放射性物質による放射能疾患に取りつかれてしまったのである。

このような状況において、秋月博士の行った処置は、患者ならびに医療スタッフに、マクロビオティックの食事(後述)を厳格に守ることを命じた。つまり玄米ご飯、味噌汁、醤油汁、ワカメなどの海草、北海道産のカボチャ、食塩などの食事である。

このような食事を患者と病院スタッフに守らせ、そして砂糖の禁止と、甘いお菓子を絶対食べないように命じたのである。

このような措置のおかげで、他では被爆者が放射能被曝障害で次々と死亡したが、同博士のところの患者とスタッフは、一人として被曝による犠牲者を出さずにすんだのである。



◎秋月博士の指示「塩分を多くし、甘いものはやめなさい」

 

秋月博士の命じた食事の内容を具体的に同博士の発言にみてみよう。

同博士は、次のように命じた。 私が、炊事に携わる人々と医療スタッフに厳しく命じたことは、塩を少しまぶした玄米のお握りと、それに味噌を多めにいれた濃い味噌汁でした。砂糖は一切使わないよう指示しました」。また、同博士は「この指示に従わない者は、砂糖は血液を駄目にするので砂糖はやめなさいと、情け容赦なくしかりつけましたという。

秋月博士は、このような指示の結果を、次のように明らかにしている。「このような食事によって、わたし自身、放射能障害をまぬがれ、医者としてきつい仕事をこなすことができたのです」「放射能は致命的な量でなかったかもしれないが、岩永修道士、野口牧師、村井看護婦婦長もそうですが、その他の病院スタッフ、入院患者とわたしを含めて、みな大変危険な放射能塵の中で生きながらえた のも、このような食事法によってなのです。疲労や原爆症を克服して、毎日無事に働くことができたのも、また放射能障害を免れたのも、この様な食事のおかげです」


◎秋月博士の被爆体験



1945年8月9日、長崎に原爆が投下された。その爆心地から、たった1.8kmのところで、当時聖フランシスコ病院医長であった秋月辰一郎博士と病院関係者は全員被爆した。

博士は焼けただれて痛がる人々に、 水を飲んではいかんぞ!」と大声でどなった。おそらく直観的に、血液の濃度を保ち、血液を水でうすめることなくガードしようとしたのだろう。((注)たしかに戦地で、傷の深い重傷の兵士に水を飲ませると、すぐに死んでしまうという記録がある)

さらに博士は、次のように職員に命令したという。

爆弾をうけた人には塩がいい。玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。塩からい味噌汁をつくって毎日食べさせろ。そして、甘いものを避けろ。砂糖は絶対にいかんぞ (秋月辰一郎著「死の同心円-長崎被爆医師の記録」講談社刊・絶版)

放射線宿酔と呼ばれる。レントゲンを受けたあとに起こることがある全身の倦怠や筒宇などの症状には、体験上、生理食塩水より少し多めの塩分を含んだ水を飲むとよいということをとっさに思い出し、原爆の放射能から体をガードするには、塩が有効であることを推理したのだ。みそ汁の具は、カボチャであった。のちにわかめのみそ汁も多くとったらしい。砂糖を禁じたのは、砂糖は造血細胞に対する毒素であり、塩のナトリウムイオンは造血細胞に活力を与えるという、彼自身の食養医学によってである

すると、どうであろう。そのとき患者の救助にあたったスタッフらに、原爆症の症状が出なかった のである。ふつうなら、しだいに原爆症の症状が出て、進行してしまうところなのに、彼らはそれからのち、ずっと現実に生き延びているのである

このことは、私にとって大きなショックであった。食というものによる、見かけからはなかなかわからない 体質的な強さというものの重い価値を知り驚嘆した。ちょっとした体質のガードが、明らかに生と死を分けているからである。

博士は人間の体質にとって、みそが実に大切であることを説き、のちにこう語っている。

「この一部の防禦が人間の生死の境において極めて重要なのである」(秋月辰一郎著「体質と食物」クリエー出版部刊)


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引用終了



被災にあわれている方を、全国、世界中から応援しています。

励ました友人から、逆に励まされた言葉を書いておきます

  『日本の奇跡の復興のはじまり』  

日本全体が心をあわせて、再建にたちあがることと信じております。

できることは小さくても、たゆまず届けることがきっと力になるとおもいます。