前回の続き。→ 突厥文字が、ルーン文字にそっくりな件∑(゚Д゚)



■6世紀モンゴルの突厥(とっけつ)文字が、ルーン文字にそっくりな件について、
もう少しだけ詳しく調べようと思い、ウィキペディアを徘徊してみたけれど、
謎はちっとも解明できなかったガーン

むしろ、突厥文字のルーツの説明自体になんだか無理があるようにも思えて、
余計に頭が混乱してしまったうえに、かえって謎が深まってしまったという感じ。

あー、もやもやするあせる

突厥文字は、いったいどこから出て来たんや?
ほんまにルーン文字と無関係なの?

とりあえず、現時点でわかったことをまとめてみるので、
この記事を読んでくれている人にも、ぜひ古代文字の派生ルートを推理してみてほしい。
謎が深まって、もやもやすること間違いなしにひひ

■突厥文字のルーツとして、

フェニキア文字 → アラム文字 → シリア文字 → (ソグド文字?) → 突厥文字

となっているので、そのルーツとされている文字を調べてみたのだけれど……

まず、アラム文字、シリア文字、そして突厥文字を並べてみると……
※突厥文字の並び順は、左側の各文字の音価とは一致してないので、
あくまで、文字の形や雰囲気だけで見比べてください。

どうですかねえ、これ。似てますかね?
ビミョーですよね。

上図のシリア文字を経て、どうやって突厥文字の形になっていくのかがわからん。
むしろ、最上流のフェニキア文字の雰囲気の方が、まだ突厥文字に近い感じがする。

ただし、突厥文字も、右から左へ横書きする「右書き」というグループなので、
そういう点では、たしかにアラム文字系列というのはわかる。

ルーン文字はラテン文字から生まれたといわれていて、右書きではなく、「左書き」。
筆記方向が、ルーン文字と突厥文字ではぜんぜん違うから、両者は別文化とみてよいと思う。


■突厥文字のルーツとして、ソグド文字も候補にあがっている。
ソグド人は、シルクロードを往来した商人たち。


上記の資料(『アカデミア世界史』浜島書店)では、たしかにソグド人と突厥が共存して、
ソグド人が突厥に文字を伝えたとも書かれている。

ただ、ウィキペディアでは、突厥文字のルーツとしてのソグド文字には、
(議論あり) という注釈がついているので、ソグド文字は無関係の可能性も高い。

で、とりあえずソグド文字を見てみると……


いや、ぜんぜん似てねーだろ、これむっあせる
こんなにクニャクニャしたソグド文字から、何をどうしたら突厥文字が生まれて来るんだ???

ソグド文字と突厥文字が使用されていた時代と場所は重なるかもしれないけれど、
ぱっと見には、まったく別系統の文字としか思えないよね。

シリア文字から、ソグド文字が生まれたというのは、まあわからないでもない。
シリア文字をさらにクニャクニャさせたらソグド文字になるような雰囲気はある。

でも、そこから突厥文字になっていくというのは、相当な無理があると思うよ……

それでも、突厥文字が右書きである以上、文字が伝わってきたルートとして、
やはりシリアやソグド文化の影響は大きいとも思う。

■ちなみに、モンゴル地域の遊牧民たちに用いられた文字をいくつか比較してみても、
やっぱり突厥文字だけ、なんか特異に感じる。


↑ウイグル文字は、突厥後期と時代がかぶってる。
突厥文字とは姉妹の文字体系となってるけど、ぜんっぜん似てないよね。

ウイグル文字の後に、モンゴル文字が生まれる。


たしかに、シリア文字、ソグド文字にルーツがあるというのも納得できる雰囲気。
そして、突厥文字の面影などはまったく皆無。

さらに時代がくだって17世紀には、満州文字が生まれる。


ふむふむ。
これも、文字ルーツの流れとしては、とても納得やね。

ウイグル文字、モンゴル文字、満州文字は、
素人目には、見分けがつかないぐらいに似てるし……

で、突厥文字と並べてみるとこう。


文字ルーツとして、シリア文字、ソグド文字を共有しているんだけれど……
突厥文字だけ、明らかに浮いてるよね。

アンタ、どっから湧いて出てきたんだ???叫び

■こうなると、突厥はやっぱりどこかでゲルマン人や、ルーン文字と出会ったんじゃないかと、
考えてみたくなる。
でも、どうしても、歴史的な接点が見当たらない。

突厥は、モンゴルからどんどん西へと勢力を伸ばしていった騎馬民族。

突厥民族が西から東にやってきたのなら、
ゲルマン民族・ルーン文字との接点があったと考えることもできるけど、
実際には逆方向なんだよなあ。

むしろ突厥の勢いが、ヨーロッパ方面へと進んでいる。

対して、ゲルマン人は、中央アジアからやってきた騎馬民族に追い立てられて、
早々に西ヨーロッパ方面へと移動してしまっている。



どうしても、突厥とゲルマン人は無関係という結論にしかならない

文字だけが酷似している。

突厥文字と、ルーン文字は、他人の空似と思うしかないのか?

■ちなみに、突厥碑文が解読されたのは、1893年。
ヴィルヘルム・トムセン 氏が解読。
デンマークの言語学者で、テュルク学者とのこと。(テュルク=古トルコ)

おや? デンマークの言語学者さんが、突厥文字を解読なさったの?

デンマークの言語学者だったら、当然ゲルマン語とルーン文字のことは熟知してますよね??

トムセン氏は、突厥文字とルーン文字が似ていることについて、どう思ったのだろう……
両者が似ているからこそ、突厥碑文を解読できたってことはないだろうかな……?

そのあたりは、トムセン氏のデンマーク語の著書を読めば何かわかるかもしれないけど、
それは私には実質不可能なので、これも謎のまま、保留だなあ。

ウィキペディアにはこうある。

トルコのアンカラには彼の名を冠した
「ヴィルヘルム・トムセン通り」(Wilhelm Thomsen Caddesi)があり……
……20世紀の曲がり角における現代トルコの民族的アイデンティティの形成期において、
トムセンによるオルホン碑文の解読が重要な貢献をしていると考えられているためである。


ということは、トルコはそのルーツが突厥であることを認めており、
突厥文字(オルホン碑文)はトルコ民族の古代文字として認識していることになるね。

この観点からしても、突厥文字はゲルマンルーン文字と無関係という結論になるなあ。

■ところで、突厥文字から派生した文字に、ハンガリーのロヴァーシュ文字があるそうだ。

ロヴァーシュ文字は、たしかに突厥文字にそっくりで、ルーン文字にもそっくりだ。
予備知識なしに、この文字表を見せられたら、これはルーン文字の一種だと思っちゃうよね。
ハンガリーは、ゲルマン文化圏とも近いし。

でも、ロヴァーシュ文字は、「右書き」なので、ルーツとしては、アラム系。
突厥文字から派生したというのが正しいと、私も思う。

それでも見れば見るほど、ルーン文字にも見えてしまうのも事実。
そう思うのは私だけではないようで、ウィキペディアには、

見かけはルーン文字に似ているのもあるので
誤って「ハンガリー・ルーン文字」と呼ぶこともあるが、直接の関係はなく……


とある。

ルーン文字と、直接の関係は無い。
古代トルコ人の、突厥系の文字。

うーん……むっ

■ロヴァーシュ文字については、近年のハンガリーで少しずつ見直されているそうで。

NHKのこんな番組がUPされていた。

『ハンガリー古代文字ブーム』 2010年?

4分弱の短い特集なので、よかったら見てみてください。
突厥文字やルーン文字の話は出てきませんが……


ロヴァーシュ文字グッズですって。
ルーン文字グッズにも、こういう系のものがあるよねあせる


ハンガリーの現代文字と、古代文字を併記した看板……
ルーン文字っぽいけど、ぜんぜん無関係。

うーん、混乱しちゃうなあ~叫び

歴史の事実としては、突厥文字とルーン文字は、他人の空似と思うしかないんだなあ……



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以下追記 2022年12月12日

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