幼馴染との再会 | MASUMIのブログ

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誰も読まないかもしれない日記を書くことに決めたのは、昔日記をつけていたことを思い出したから。

その日記には、自分の理想像や、目指すべきこと、やるべきこと、人から感じ学んだこと、不平不満、などなど、いろんなことを書いて、一日の頭の中を整理していた。

毎日記録すると決め込むと続かないので、気のむいた時に、殴り書きでもいいから、とにかくノートに記録してた。


今思えば、その作業はとても有効で、次の日に自分がどう行動し、何を学び取るべきかを明確にしてくれた。あるいは、自分の中にたまったストレスの発散にもなっていた。


精神療法でも日記を書くという療法が実際にあるらしい。

この作業は後に行った、認知行動療法にも似ている。


そこまでの内容はここに書くつもりではないけど、日々の記録として、レシピやダイエットのことをブログに残せば、今後何かのヒントになるかもしれない。



つい最近まで、私はプレッシャーに感じることがとっても多かった。


なぜあそこまでと自分でも不思議なほど、抱えきれないプレッシャーで自分をいつも追い込んでいた。


今考えれば、それらは成長するために必要なプレッシャーと、逆に自分をダメにしてしまう不必要なものとがあることに気付く。


必要なものは、自分をより高めてくれるが、不必要なプレッシャーは、周りに認められようとすればするほど、自分らしさとはかけ離れて、そのプレッシャーはやがて精神をもむしばんでいった。


他人から見れば、私は順風満帆な生活を送っていたのかもしれない。

事実、とても恵まれていた部分は沢山あった。

でも、自分としては、人生のどん底からほんの少しだけ這い上がれたところで、この先いつまたどん底に落ちるのか、怖くて苦しくてたまらなかった。限界ギリギリかもしれないが、これでいいんだと自分に言い聞かせて、早くこの状況に慣れることにばかり重点を置いてしまっていた。これは、私の大きな間違いだったことも、わかっていながら、そこに希望があるはずだと信じていた。あるはずもないのに。



大きな間違いだと、本当の意味でようやく気付くことが出来たのは、一人の幼馴染との再会がきっかけだった。


再会した時は、犬のしつけを教えてもらった。

お互い犬の散歩でバッタリ会い、彼の犬はしっかりとしつけがされていた。

一方、うちの犬は、1つ2つのしつけしか出来ておらず、まったくやんちゃで、完全に飼い主をなめていた。


犬のしつけには、根気と、周りに協力してもらえるような説得力も必要で、実際にこれと向き合ってみると、本当に自分の弱さと無力感が身に染みてわかる。


ここでも、犬との生活において、楽しみと苦しみが両方襲い掛かるわけで、途中であきらめてしまう方がよっぽど楽である。


でも、彼は違った。しっかりとそれと向き合って、自分に負けない強さと、視野の広くもち客観的に物事を見ている、大きさを感じた。


彼は覚えていないかもしれないが、別れ際に彼が、成長して変わった姿を俺に見せてくれと言った。

その言葉は、心に大きく響いて、ずしっと重く、ずっと頭から離れなかった。


その後、徐々に、犬のしつけと、健康へのアドバイスが始まるのだが、これはまた次回書くことにしよう。