奥田民義

 「恋のから騒ぎ」(日本テレビ)や「たけしの誰でもピカソ」(テレビ東京)から、「釣りロマンを求めて」(テレビ東京)、はたまた「迷宮美術館」(NHK)と、バラエティ、ドキュメンタリー、教養番組、そしてCMと幅広いジャンルにわたって、硬軟使い分けたナレーションを聞かせてくれる奥田民義さんは、今、各局のディレクターから“ひっぱりだこ”である。
 生まれ故郷の広島弁、高校時代までを過ごした大阪弁、そして江戸弁を縦横に駆使できる彼の魅力的なバリトンの響きは、番組の展開に視聴者の興味を駆り立て、映像に彩りを添える。それも、文学座研修生として将来を大いに期待された、青春の苦闘時代があったからこそとか…。
 DVD「ハートカクテル・アゲイン」(わたせせいぞう・83~89年講談社“週刊モーニング”連載を原作に映像化)では、主役“彼”の声を演じ、“ナレーター・奥田民義の真骨頂”がいかんなく発揮されている。

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 アイデンティティは文学座


 「役者として、男はドラマチックに生きなくてはならないんだ」…小林裕(文学座・演出家)氏の熱い言葉が、食わされたビンタの痛さとともに、今もよみがえってくると、奥田さんは頬をなでた。
 「僕の素質を、かってくださっていたんですが、僕は、役者である前に人間なんだと反抗して…若かったんですね…」

 79年、青山学院大学を卒業し、当時の人気TVドラマ「太陽にほえろ」(72~87年・日本テレビ)の刑事役に憧れ、文学座の門をたたいた。千を超える志願者から難関を突破し、研究生30人の中に選ばれ、翌年には、数名しか進めない研修生になった。
 その二年目、奥田さんは仲間の誰もが目指していたアトリエ公演の主役に抜擢された。しかし、連日厳しい稽古を積んでいた中で、乗り越えがたい壁にぶつかってしまう。
 「実は、プライベートな問題に悩んでいたんです。それで、一言のセリフの芝居がどうしてもできなくて…ダメ出しが続き、挙げ句の果て、僕は主役を代えてもらいたいと願い出たんです」
 大先輩の故太地喜和子さんらに説教され、引き止められたが、彼は、ギリギリの決断を下し文学座を去った。
 「役者に徹しきれなかった文学座時代は、いわば、僕の原点です。…今、ナレーターとして声の仕事をするアイデンティティになっているような気がします」

奥田民義


 メガネと明るい色がパワーの源


 仕事の合間を縫ってNHK放送センター西口玄関に現れた奥田さんは、レモン色のサマーセーターにクールホワイトのコットンパンツという気取らない装いだった。
 「僕のファッションへのこだわりと言えば、メガネのコレクションぐらいですね…」
 数年前の冬、ドキュメンタリーのナレーションをお願いした時、スタジオ入りした彼は、濃い赤系の皮コートを羽織り、ユニークなデザインの同系色のメガネが印象的だった。
 「なにしろ、学生時代から青学の近くにある“メガネのプリンス”(青山の骨董通りにある手作りメガネ専門店)でアルバイトをしていましたからね。 文学座を止めてからも、ナレーションの仕事に入るまでしばらくお世話になりました」
 メガネは新旧合わせると50個以上に及び、しかも、すべてがオーダーメイドの“奥田ブランド”…中田英寿がはやらせたと言われている小さめのサングラスタイプなどは、すでに20年以上も前から愛用していたそうだ。こうなると、メガネファッションのプロと言っても過言ではない。 奥田民義
 「着るもについては、妻が僕の好みをよく知っていて、今では、98%任せっきりです…そう、2%は、僕の我がままの部分かな…」
 そこで、奥田夫人・理恵さんに伺うと、
 「主人の洋服選びの唯一の条件は、清潔感のあるものと言うことです。
 例えば、服の色は、グリーンやブルー、オレンジなどの明るくスカッとしたものを選ぶようにしています。
 特定のブランドへのこだわりはない人ですね。ただ、私が大好きな“バーバリー”をいつの間にか受け入れて、とても気に入っているようです。他には、身体に優しいカジュアルウェアが好きで、“トミーヒルフィガー”などのニット類も愛用しています。
 また、仕事中、身につけているものが気にならないようにと心がけています。ネクタイは、フォーマルな席以外はしませんね。
 夏場は、スタジオからスタジオへの移動で、特に温度差が大きくなりますから、風邪を引かないように、インナーにプラス羽織るもの(例えば、ブルゾンなど)を用意しています」
 全幅の信頼があればこその、夫人の細やかな心くばりが伝わってきた。
 奥田民義
 天然素材の愛好家


 70年代後半の青学と言えば、横浜発のトラディショナルファッションである“ハマトラ”が花盛り…。「フクゾー」のベストやカーディガン、ハイソックス、「ミハマ」の靴に「キタムラ」のバッグが女子学生の定番だった。「ナウい」「ダサい」の流行語が生まれた真っただ中にあって、当時の潮流にのまれることもなく、まさに唯我独尊(ゆいがどくそん)だったと言う奥田さん。
 「昨今は、ルーズな着くずしたタイプのファッションも堂々と受け入れられていますが、そういう傾向に浸かりすぎてしまうと、何かしまらなくて、心までルーズになってしまいそうな気がしますね。
 若い時から、僕なりのおしゃれルールがあって、ジーンズははかないし、フォーマルを除いて黒系も着ません。
 年を重ねるごとに、服は心地良く清潔であるという条件が重みを増してきました。
 夏場はできるだけ上質な綿、冬場は暖かい羊毛や革製品などの天然素材が好きです。
 ファッションへのスタンスは一貫して変わらないように思います。仕事柄、それを押し通してこれたのかもしれませんが…」
 彼の言うファッションでの“清潔感”は、ナレーションに求められる、主観を押さえ映像と渾然一体となって作品を生み出す、ある種の“透明感”に相通ずる様な気がする。
 「ファッションも、自分で感じ、そして人に与える五感で吟味しなければいけない世界だと思いますね。よく、年をとってくると加齢臭ケアが必要になってくると言われますが、装いも同じように、ケアのできたナチュラルな着こなしをしていきたいですね」

 レモン色のメガネフレームをキラリと輝かせ、一陣の涼やかな風に吹かれて、再びNHKのスタジオに戻っていった奥田さんのバリトンの響きが、心地良く耳に残った。

〔PHOTO:奥田民義 DOMINANT LIMITED〕

《チャネラー連載記事より》

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