大衆演劇・養子 | BOOのなみはや国風土記

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 実は言うと養子縁組は平安の時代からあった。時代が下がって戦国時代、複雑怪奇な養子縁組も行われている。ほかの戦国大名と縁戚関係を持ちたいとき、自分に適当な娘などの女性縁者がいない場合、家臣の娘などを養子にして嫁にやったりしている。一説によれば、織田信長の妹お市の方も実の妹ではなかったという説がある。

 下って江戸時代、天下は太平になり、政略的な婚姻は減った。それでも養子は減らなかった。家名を残すため。人は一代名は末代ということわざがあるように、家名を残すことが重要だった。もちろん優先では血縁者になるのだが、優秀な人材を養子に迎え入れ、家名を残すことを優先した。

 商家では、家業を残すことが優先され、ボンクラな長男を勘当して、娘に番頭などの優秀な人材に婿養子に来てもらうところもあった。そう、今よりも非常に家業を残すことに一所懸命だったんである。現代でも鹿島建設、サントリーなどもたまたまかもしれんが婿養子組が役員をしている。

 大衆演劇では、養子までの話は少ない。多いのは、赤の他人が子供を育てるということ。これは貧しいがため、相互扶持の精神が大衆に根を張っていた証だと思われる。今と違い、飢饉、大火と孤児になる率が高かった。だから、社会全体で恵まれない子供を育てるという意識は高かったと思われる。

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