情報公開請求で思い知った権力者の怖さ | 半田伸明のブログ

情報公開請求で思い知った権力者の怖さ

2011年12月議会の出来事です。
市長の記者会見配布資料をインターネット公開すべきと質問をしました。今はネット公開されるまでに改善されましたが、当時はそうではなかったのです。この資料を手にするまで、議会事務局を通じて依頼したり、まぁいろいろ大変でした。

新聞記者は、記者会見時にこの資料を手にするので情報は持っています。
一方、全ての情報が記事になるわけではありませんよね。
つまり、新聞記者は知っていて市民が知らない実態があり得ることになり、それはおかしいと気づき、この質問に至ったわけです。

実は、この3ヶ月前の9月議会の時点で、私は議会事務局を通じて記者会見資料を得ようとしたが、あまりに対応が遅かったということがありました。

議員としてではなく、市民として情報公開の窓口に行けば違うのかな?…
私は素朴に考えて実行に移しました。11/22の市長記者会見資料を、議員ではなく一市民として記者会見配布資料の情報公開請求を11/24にしました。

終了したものの配付資料なんだから、当然、すぐ出てきて当たり前ですよね。

ところが、12月議会が始まって一般質問の時点になっても出てこないのです。
会見が済んでいる、コピーをするだけの話なのに、なぜこれだけ長期間、資料が出てくるのに時間がかかるのか?…

市長は、「9月議会のときには議会事務局を通して資料要請があった。今回は情報公開請求があった。同じ資料なのに、情報公開請求をいただきましたので、私としては、しっかり考えさせていただく」と答弁したのです。

私は言葉を失いました。
情報公開というものは、公開するかどうか「考える」ものではありません。個人情報など非開示事由がない限り公開されて当たり前なのです。ましてや新聞記者が知っている情報ですから。

公開するかどうか権力者が「考える」と発言する事態に、私は恐怖を覚えました。権力者次第で情報公開制度が変質させられてしまう可能性があるのか?…率直に聞きました。

「公開できない可能性もあるのでしょうか」

ここで、市長は「検討している」と発言したのです。

情報公開請求があった場合、権力者が公開するか否かを「考えたり」「検討したり」することがあることが明らかになった瞬間でした。情報公開制度の根本が権力者の都合の良いように解釈されてはたまらないですね。まさに、謙虚さが問われている場面なのです。

おかしいことはおかしいと言い続けて行く必要はあるのです。今後も同じ姿勢で権力者と対峙します。