福島第一原発観光地化計画という発想そのものがよくわからない | 半田伸明のブログ

福島第一原発観光地化計画という発想そのものがよくわからない

昨年年末に、福島第一原発麻雀化計画というのが話題になりました。2つURLを貼っておきましょう。
https://twitter.com/genroninfo/status/417202066809815041
https://twitter.com/genroninfo/status/417203064404054016

Twitterでは批判の嵐が吹き荒れました。「避難民の気持ちがわかっているのか?」みたいな。
私はと言いますと、非難というより、「なぜこういうことやってるんだ?わけわからない」というのが正直な感想でした。

調べてみましたら、次の記事を見つけることができました。
福島の悲劇、希望に変えるため なぜ、第一原発「観光地化」か 東浩紀

東さんという方を、私は不勉強にして良く知りません。これを機会に勉強したいなとは思いました。この記事にある彼の主張をいくつか紹介してみますと、要するに「元が同じなら再生できる」という一言に尽きるのでしょう。
観光地化構想には、つながり再生の狙いがあったということのようです。彼は、観光地化につき「世界中の人が行ってみたくなる場所にすること」と説明しているようです。「観光には、本来なら出会わなかった人たちを出会わせる力がある」という言葉からも、彼のつながり再生の思いはわかる気がします。

批判というのではなく、私は、?と感じる部分があるのです。いくつか書いてみましょう。

<観光地化>
人は行きたいところに行きます。それが観光の全てです。来て下さいと仕掛けられて行くような事はまずないでしょう。税金を使って、各自治体が観光、観光とうるさいですが、訪問者数は本当に増えたのでしょうか?観光協会のようなものを立ち上げて、天下り先が増えたくらいにしかなっていないのが現状のような気がしますね。
「観光地にする」のではなく、「観光地になっている」というのが正解ではないでしょうか。長い歴史の積み重ねが醸し出す結果でしかないのです。京都なんかその代表例でしょうね。観光地「化事業」という花火を打ち上げて、それを見て行くような人は多分いないのでは?

<売主目線>
商店街振興をやりたい人は誰でしょうか?
消費者ではないでしょうね。

地域振興をやりたい人は誰でしょうか?
その地域に住んで不便を感じない人は言わないでしょうね。

企業誘致をやりたい人は誰でしょうか?
その自治体に済む人ではないでしょうね。場所にもよりますが、電車に乗れば働き先はその自治体の外にもあるわけですから。

これらに共通していることは、いわゆる「消費者目線」がないことです。ある事業をやって、潤う人が、自分の為にやりたいというのが現状なのです。

実は、観光も同じような気がしているのです。
消費者としてどこに行くか?行きたいところに行くでしょう。ところが、観光!と忙しくやっている人達は、消費者ではありませんね。

この福島第一原発観光地化という発想は、実は商店街振興だの、地域振興だのと、似た匂いがする事に気がついたのです。所詮は、ただの花火でしかないのです。商店街振興の名目のもとに、お祭りやるのとレベルは変わらないのです。お祭りやって売り上げが伸びた商店街って、本当にあるんですかね?

もちろん、東さん始め、この事業を立ち上げた方々は、消費者の目線で見て、福島第一原発を観光地化しようというのだから、違うと言えるのかもしれません。
しかし、来て欲しいから花火を打ち上げるというのは、いわゆる売主側の発想でしかないのです。ここが決定的に痛いのです。売主と消費者との間には、深い溝の川があるのです。仕掛けても一向にうまく行かない、気がついたら仕掛けることそのものが目的化する、という事例は、山ほどありますよね。そうなってしまうのではないかと…。

ちょっと、話がそれますが、商店街振興が成功しないのは理由がはっきりしています。人々の消費行動の変化がもたらしただけの事なのです。消費者の側にたって行動する事なく、売主側の論理にたって諸事業をやるから、ことごとく失敗するです。この福島第一原発観光地化も全く同じ次元の話に見えてしまうのです。

このように、売主目線と消費者目線は違うものであり、消費者としてここを観光地化したいと思っても、花火を仕掛けた時点で売主目線になってしまっているというのは、重たい事実だと考えます。

<コミュニティ>
つながり再生という理想は良くわかりますが、これにも疑問符がついてしまいます。
実は、地方議会の現場では、コミュニティ創生の問題が言われています。震災が起こったとき等を考慮すると、今のうちから共助の精神をどうのこうのという類いの話ですね。私は、「コミュニティは生まれるものであり、官が生み出そうというものではない」という考えです。コミュニティ作って下さいよ!と考えている人の思いと、日頃の生活をしている人の思いは決定的に距離があるんですよね。これも、先ほど紹介した2つの視線が見え隠れしますね。

人々はコミュニティから開放される歴史を歩んで来ているのです。そこを忘れて花火打ち上げて、コミュニティ作りましょうって、そりゃ失敗するでしょう。各自治体がコミュニティ再生だの創生だの言ってて、いろんな事業やってるのに、一向に町会他自治会の加入率が上がらない現状は、なぜ発生するのでしょうか?

ただでさえ危うい売主目線の観光地化という発想なのに、そのことに起因してつながり再生という希望を持つのは、やはり無理があるだろうと考えます。

<新たなムラの発生>
同じ志を持つ者は、寄り合った結果、そこでムラを形成します。結局、今回の福島第一原発観光地化の件も、「観光地化したい」という思いを持つ方々ならではの、ムラ帰属意識を確認しておしまいとなるでしょう。

福島第一原発を観光地化したいという方で集まって、「その中での」つながり再生を求めているんだというのなら、話は全く別になってしまいますが。

つらつらと書いてみましたが、時間が過ぎて、気がついたら、「バラバラな社会はもとからバラバラだった」との結論になってしまうのでは?
東さんは東さんなりの思いで行動していらっしゃるのでしょう。その思いには脱帽です。真剣に考えた結果、出てきた観光地化構想だったのでしょうね。なんとかしたいという気持ちはわかります。彼は多分信じたいのでしょう。人のつながりというものを。

しかし、そんなものは最初からないというのに気付くのも、時間の問題だろうなと感じているところです。

麻雀の画像も流れましたし、また東さんのツイートには「アート」という表現もありました。批判というのではなく、率直に申し上げて私にはわからないのです。

私は今回の福島第一原発観光地化は失敗すると見ているが、もし万が一成功した場合その成功要因は広く共有する必要があるでしょう。各地で悩んでいるであろう観光事業に火をつけることになるのかもしれませんし。

一方、失敗したら、コミュニティ創生否定論者の私としては「あぁ、やっぱり同じ過ちを繰り返した事になったか」となるでしょう。

東さんの思いは理解できるのですが、地方議会の現場で働く私としては、観光地化とか、つながり再生とか、?でしたので、この違和感は残しておいた方がいいかな?と思い、今回の記事にしました。

言うまでもありませんが、東さんの挑戦には敬意を表します。世の中、やろう!という人が少ない中、実際に行動に起こすのは素晴らしいことです。私は思想とか哲学とか、全く無縁の世界で生きていますので、これをきっかけに勉強したいと考えています。