2014/12/16一部追加修正しました

2014/12/18記述の一部を微修正しました。(朱書部分)


今回は、今話題の下世話ネタ、百田尚樹さんの「殉愛」と、これにまつわる人々について書きます。


ここで書くのは、「何が真実か」とか「ほんとに悪いのは誰か」ということではなく、この下世話な話題がもたらす影響や面白さのようなことについてです。


まず、私は、百田尚樹という作家のことはよく知りません。本屋大賞をとった有名な作家でテレビにもちょくちょく出てきて結構過激な発言をする人というくらいの認識です。彼の本を読んだことはありません。なので、好きでも嫌いでもありません。(今回の「殉愛」は話題になったので本屋で立ち読みしました。すみません。)


次に、やしきたかじんのことも、それほど知りません。あれだけ有名な人ですから、「東京」をはじめとするヒット曲を歌っていること、関西のテレビ界では相当の人気者らしいことくらいの知識です。特に好きでも嫌いでもありません。


ましてや、やしきたかじんの長女のことや、死亡直前に婚姻した未亡人のこと、元弟子のこと、元マネージャーのことなど、私には何の関係もなく、知ったことではありません。


要すれば、私が生活を送るうえで、ほとんど何の影響もなく、利害もない人々が繰り広げる人間模様です。しかし、こういう下世話な話ほど面白いものです。世の中から、どうでもいい話を排除していったら、つまらないことこのうえないでしょうね。


もし、下世話な話は低レベルなのでしない、週刊誌もTVのワイドショーにも全く興味がなく、読むのは学術的な本だけ、TVもほとんどみない、みるのは教育番組だけ、社会貢献と関係ないことは無意味だ、などと言い放つ人がいたら、むしろ、そっちのほうが異常な人である可能性が高いですね。もちろん我々のレベルより段違いに高い立派な人である可能性もありますが、そんな人はほんの一握りです。


1 この件の主な登場人物


百田尚樹


「殉愛」を執筆し、TVなどの媒体に出て自ら宣伝しまくった人。


家鋪さくら


「殉愛」の主人公。余命いくばくもない「やしきたかじん」と死亡の3か月前に婚姻した人。「純愛」のメインテーマは、この人がいかに献身的にやしきたかじんに尽くしたかということです。「殉愛」では完全無欠の「いいもん」として描かれています。


やしきたかじんの長女


やしきたかじんと元妻との間の子。「殉愛」では徹頭徹尾「わるもん」に描かれています。親の見舞いにもいかず、看護をさくらに押しつけたとされています。あまりにも一方的に「わるもん」にされたので、とうとう訴訟を起こしました。


マネージャーK


この人も「殉愛」の中では完全な「わるもん」。やしきたかじんの長女と同様、ヒロインさくらを引き立てるために、一方的に悪く書かれており、仕事はしない、嘘はつく、売上をごまかす、帳簿は粉飾するなどと言われたい放題。どこまでが真実かはわかったものではないですが、さくら側の敵であることは間違いないようです。これだけ一方的書かれたのに訴訟などは起こしていません。


打越元久(たかじんさんの弟子だったという歌手)


「殉愛」の中で、長女やマネージャーKがあまりにも一方的に「わるもん」にされていることに腹を立て、真実は違うということを叫び続けています。


及川眠子(作詞家)


やしきたかじんの「東京」や、Winkの「淋しい熱帯魚」の作詞家。


「殉愛」に登場する「いいもん」と「わるもん」の両方を知る数少ない人物だそうですが、あまりにも「わるもん」が一方的な悪として書かれていること、そして「殉愛」のネタの取材ソースが「いいもん」側に偏っていることなどに疑問を呈したが、百田尚樹に「作詞家の売名行為」と罵倒され、憤慨されているようです。私見ですが、一連の登場人物の中で、一番まともなことを言っているように思えます。


多くのネット民


あまりにもできすぎた「殉愛」のストーリーを疑問に感じて、真実を掘り起こそうとしている人々です。もしくは、その尻馬に乗ってあることないこと騒いでいる人々。よくあることですが、こういう事件では、ネット民は抜群の情報収集能力を発揮します。ただし、彼らの情報のいくつかは真実ですが、噂レベルで当てに

ならないものも多数紛れ込んでいます。


彼らの情報収集に対する情熱の源となっているものは、おそらく、百田尚樹さんへの嫌悪感と、家鋪さくらに対する嫉妬(注)だと思います。


注;ブログを読んでくださった方から「嫉妬とは違う」というご意見をいただきました。確かに嫉妬が「自分よりすぐれている人をうらやみねたむ。」あるいは「自分が実現したいと思っていたことを他人が実現してしまっていることへのねたみ」という狭義の意味でとらえるのであれば、誤りです。ここでは、「自分とは全く利害関係はないが、何か許せない気持ち」のことを嫉妬と表現しています。これは「正義感」とも少し違う気持ちです。ほかに適切な言葉があれば修正しようと思いましたが、見つからないのでこのままとさせていただいています。(2014/12/18記述追加)


前者については、今の若い人はとにかく「偉そうなおっさん」「態度がでかいおっさん」、特に極端で強引な物言いをする人を嫌悪します。話す内容云々以前にね。嫌いなおっさんの代表格として見ているのではないでしょうか。


後者については、ただうまいことをやったというだけなら「羨望」で終わりますが、何か胡散臭さが漂ったとき、インチキではないかと思えたとき、それが正義感にも火がついて、異常に燃え上がる習性があるようです。「殉愛」は、確かに、できすぎた話ではあります。


2 「殉愛」とは何か


「殉愛」は小説ではありません。ノンフィクションとして書かれています。そしてそれは社会の問題や矛盾を突いたものでもなんでもなく、また、偉業を成し遂げた人を称えるためでもなく、ただ「こんなに献身的な嫁がいた」というだけがテーマのノンフィクションです。


献身的に尽くした相手が、世の中の恵まれない人々であったり、陽の当たらない人々であって、しかもそれが無償ということであれば、社会的にもそれなりの意義のある話になるでしょうが、単に、余命いくばくもない個人を介護したというだけの話です。それがいくら献身的であろうが、お涙頂戴以上に、社会的にそれほど意義のある本とは思えません。


「さくら」という人がいかに素晴らしい人物かということを徹頭徹尾書き綴っているのです。ただ介護をしたというだけでは、「さくら」の素晴らしさが伝わらないと思ったのかどうかはわかりませんが、「さくら」を際立たせるために完全な「わるもん」を用意しています。ノンフィクションですから、実在の人物です。しかも個人が簡単に特定できるように書かれています。これが巨大組織の犯罪を暴くとか、時の権力者の不正を暴くとかであればまだしも、普通の個人を、それとわかる形で徹底的に叩いているのです。百歩譲って、これら「わるもん」がしたことが例え事実であったとしても、ノンフィクションとして書く以上、個人が特定されないよう配慮するのが当然のように思えます。それが、「さくら」という、本来、表舞台に出てくるはずのない人物をほめそやすためだけに「わるもん」として登場させているのです。


後述しますが、百田氏はツィートで「犯罪を犯したわけでもない私人の経歴を暴き立てて非難するのは実に低俗な行為」とネット民を愚弄していますが、何のことはありません、自身が同じことをやっているのです。しかも氏の場合は、それで多額の報酬(印税)を得ているのであり、無償のネット民の発言とは質が違います。


本来主人公になってもおかしくない「やしきたかじん」その人でさえ、「さくら」の引き立て役以上の役割は与えられていません。それどころか、そのわがままぶりや性生活まで暴露し、故人を貶めてまで、「さくら」をもちあげようとする内容になっています。誰が自分の性生活を死後暴露されたいと思うでしょうか。存命中、いかに傍若無人なふるまいをした人でも、故人となればせめて死後1年や2年は、過去の功績やいい人ぶりにスポットをあてて偲ぶものなのに。


なぜ、こうまでして「さくら礼賛」のノンフィクションを書くのでしょう。可愛そうな人を援護するために書くのだとすれば、もっと可愛そうで、理不尽な扱いを受けている人は世の中にたくさんいるはずです。「さくら」は一時、週刊誌等で叩かれたことがあったかもしれませんが、経済的になんら困窮しているわけでもなく、例え財産がなかったとしても(あるけどね)、まだ若く、これからなんとでも生きていける人なのです。


そう考えてくると、このノンフィクションを世に出す最大の理由は、彼女への同情が引き金になったとしても、結局のところは「話題になる」「売れる」「儲かる」ということ以外に思い当りません。金にもならない本を書く人ではないでしょう。


ただ、引き金になった未亡人さくらへの同情というのは少しわかるような気がします。この年代のおっさんというものは、清楚で献身的な女性に強い憧れがあります。ですから、最初に百田氏が未亡人さくらに会った時に「まだ日本にこんなに清楚で献身的な女性がいたのか」と感動し、それが間違いのない真実であってほしいという思いが強くなり、これを否定するような事実には目が入らなくなった可能性があります。これはまさに百田氏が批判する朝日新聞の慰安婦報道の構図なのですが。


これがノンフィクションではなく「一部事実に基づいたフィクション」としてならよかったという意見もありますが、フィクションでこのようなストーリーだったら話題にもならないし面白くもなく売れもしないでしょう。ノンフィクションだから話題になるのです。しかも、やしきたかじんという人物に対する記憶が薄れていないうちに世に出さなければ話題性も薄くなってきます。


そこで、作者自ら急いでTVに出て、あざとい大宣伝を打ち、それがまんまと成功したということだろうと思います。


3 百田尚樹という人物


この件だけで、百田尚樹という大作家のことを云々するのは、いかがなものかという気がしないでもありません(ましてや彼の他の本を読んでもいないのに)。


この大作家が普段どのようなことを話し、どのようなふるまいをしているのかは知りません。時々、TVに出たり、NHKのなんとか委員会で過激な発言をしているのを耳にするだけです。したがって、百田という人の全体像を語ることはできません。


しかし、百田尚樹さんのツィッターでの発言に限定して言えば、およそ作家の発言とは思えないような内容で、そのへんのあんちゃんのツィートかと思うほどです。


下記に羅列しますが、ひとつひとつに矛盾があり、突っ込みどころ満載で、どこまで本人が信じ切っているのか、あるいはわざと書いているのかわかりませんが、これらを総括して一言でいうと、文体とその内容が品性に欠くというか、「お下劣」なのです。作家としての品位というものが全く感じられず、「さくら」という人の徹底弁護と、『殉愛』の正当化、それを否定する人に対する侮蔑的な言葉、恫喝に満ち溢れています。疑問に答えるかのようなツイも、何ら具体的に答えておらず、「さくら」から聞いた話のみを根拠とした答えの繰り返しだけで、これが、本当に著名な作家の発言なのだろうかと思わせるに十分です。


=====ここから百田氏のツイ=====
『殉愛』のAmazonレビュー、未亡人に対する誹謗中傷がひどすぎる! 実態も真実も何も知らない第三者が、何の根拠もなく、匿名で人を傷つける。本当に人間のクズみたいな人間だと思う!
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たかじんは人生最後のメモで、妻に向けてこう書いた。 「幸せにしたいのにできん、守りたいのにできん」 妻を残して逝くことが本当に無念だったろうと思う。 しかし今、たかじんファンと称する人間たちが、彼が最も大事にしたかった妻を非難し傷つけている。彼らはたかじんのファンなどではない!
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ネット上で、たかじんさんの妻の経歴をほじくりかえして、鬼の首を取ったようにわめいているヤカラが大勢いるが、過去がどうだと言うのだ。いたって普通の経歴にすぎない。 犯罪を犯したわけでもない私人の経歴を暴き立てて非難するのは実に低俗な行為だと思う。
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たかじん氏の妻は、何もかも捨てて夫を看病した。たかじん氏が残した数億円の預金はほとんどすべて寄付だ。しかしたかじん氏の死後、週刊誌などで「遺産目当てで結婚した」と報道された。 そして今、昔の経歴をほじくりかえされ、心無い人から非難されている。しかしその経歴はいたって普通のものだ。
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自分は何の迷惑もこうむっていないのにヒステリックな正義感(?)を振りかざして他人を攻撃する人間も腹立たしいが、この機に乗じて売名行為する作詞家というのも実に厄介や。
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及川さんというのは有名な方だったのですね。それほど有名な方が印象だけで筆跡が怪しいと公言されるのはいかがなものか。筆跡やメモに関しては、20年来のスタッフたちが一様に本物と認めている。疑うなら、取材してみては?
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① 多数の質問が寄せられたので書く。たかじんの妻にはイタリア人男性との結婚・離婚歴がある(日本で入籍、離婚)。しかし一部ネットで言われている重婚の事実はない。彼女はたかじんと出会う一年前から、夫とは離婚の協議をしており、たかじんに出会ってそのことを彼に相談していた(証拠メールあり)
② しかし彼女の離婚の話を書くかどうかは、実は大いに迷った。本人ができれば知られたくないというプライバシーを明かす必要があるのか、と。誰にでも伏せておきたい過去はある。それに本のメインテーマはそこではない。迷った末に書くのをやめたが、この判断は結果的には失敗だった。
③ ネットで彼女の結婚歴が暴かれ、重婚ではないかという噂が拡散した。こういう話は尾ひれがつく。2チャンネルでは信じがたいデマも乱れ飛んだ。本に離婚歴を書かなかったというだけで、ネット上では「とんでもない悪女」という評判が立った。すべては私のミスである。以上!
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名誉毀損で訴えられてもいいから、敢えて書く。
たかじん氏の娘は、父の二年間の闘病中、看病はおろか、見舞いにさえ一度も来なかった。看病はすべてさくら氏に任せっきりだった。娘はシャットアウトされていたというが、たかじん氏は常に携帯を持っていて、友人やスタッフたちと連絡を取っていた。
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たかじん氏の娘が出版差し止め請求の裁判を起こしてきた。裁判となれば、 今まで言わなかったこと、本には敢えて書かなかったいろんな証拠を、すべて法廷に提出する。 一番おぞましい人間は誰か、真実はどこにあるか、すべて明らかになる。世間はびっくりするぞ。
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たしかに『殉愛』には、未亡人の結婚歴と離婚歴を書かなかった。それは私のミスだが、書かなかったのは理由がある。 たかじん氏がそれを公表することを望んでいなかったからだ。 しかし、それ以外には一切ウソはない!! 書かれたことはすべて真実だ!虚偽だと言う者がいるが、法廷で決着をつける!
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『殉愛』には、敢えて書かなかったことが山のようにある。ある人物たちのことだ。もう、おぞましくておぞましくて、とても書けなかった。本が汚れると思った。 しかし裁判となると、話は別。全部、出すよ!
====百田氏のツイはここまで=========


4 漂う胡散臭さ、不自然さ


この件に関して、多くのネット民が噛みつきました。この理由を、百田尚樹さんへの嫌悪感と、家鋪さくらに対する嫉妬と先に書きましたが、それだけではこんなに盛り上がったりしません。やはり、全体に漂う胡散臭さがネット民を動かしているのでしょう。絵に描いたように清楚で潔癖で献身的な女性が、偶然の出会いで世話をするようになり、死亡の3か月前に婚姻し、遺産を手にしたというストーリーを見れば、できすぎた話と感じるのは、ごく普通のことのように思えます。これを「信じられないかもしれないが全て事実だ」と一方的に言われても、そう簡単には信じられないでしょう。


そもそもが、話題性を武器にして、しかも時期を失することなく世間に打って出ようとした本だと思われるだけに、百田氏の取材が杜撰です。よほど急いでいたのでしょうね。ほとんどが「さくら」からの聞き取りで、「わるもん」からの聞き取りが全く行われていません。裏付けと言えるものは、たかじんが残したとされる膨大なメモと、さくら側に属すると思われる人からの聞き取りだけです。


まず、ネット民がくらいついたのが、この膨大なメモの真偽性です。余命いくばくもない人物があのようにしっかりした文字で大量のメモを書けるものだろうか、書こうとする気になるものだろうか、という素朴な疑問は誰にでも湧いてくるでしょう。これについて「たかじんはメモ魔だった」という答えが用意されているだけです。


それに、笑福亭鶴瓶のことを「つるべえ」と書いたり、「ほんまに」を「本間に」と書いたり、たかじん本人なら書くはずのない単語が出てきます。怪しむな、というほうがおかしいです。


筆跡については、(怪しげな)鑑定家が登場して「他人の筆跡を真似しながら書いた字ではない」「他人の書いた文字をなぞった文字ではない」と言っていますが、ネット民は全く納得していないようです。ツィッター上では、「イワンのばか@someout01 」という方が独自の鑑定をされています。これが専門的に見てどれほどの信憑性があるのか私ごときにわかるはずもありませんが、素人目に見て、鑑定家と呼ばれる人の分析よりもこちらのほうが説得力がありました。


これについては自身の目でご確認ください ⇒ http://news.livedoor.com/article/detail/9491989/


注;これを書いた後、藤田筆跡解析鑑定所の藤田晃一氏 という人の筆跡鑑定が行われたという記事があるのを知りました。個人的には、この鑑定結果はあまり納得できませんでしたが、ここで紹介しておきます。⇒ コチラ  (2014/12/18記述追加)


私としては、、あれは「さくら」本人が書いたものだという疑念が消えません。これは私の想像ですが、まったくの「さくら」の創作ではなく、たかじん氏が端々で喋ったことを核にして、それを「さくら」が都合よく修飾して書き綴ったものだと思います。そう考えるのが最も自然のように思えます。


しかし、百田氏とさくらは、絶対にこれを認めることはないでしょう。このメモは「殉愛」の核となるものであり、これが否定されるということは「殉愛」の存在を否定することになるからです。百田氏にとっては作家生命の危機にさえなり得ることだからです。

注;当然、たかじん氏当人のメモである可能性も否定しきれません。今後、明らかになる可能性は少ないのではないでしょうか。(2014/12/18記述追加)


次に、ネット民が最も根性を入れて捜索したのが、さくらとたかじんとの婚姻中、イタリア人男性と重婚関係にあったというものです。これについては、イタリア人男性と婚姻していたことについては百田氏も認めていて、争点は、離婚したうえでたかじんと婚姻したのか、それとも重婚関係だったのかということですが、これは判然としません。それはたぶん重要なことではなくて、例え重婚関係ではなかったとしても、たかじんとさくらが接触した時点ではまだイタリア人男性と婚姻関係にあったということに疑いはなく、また、イタリア在住中に書かれた「さくら」本人によるブログがブランド大好き、派手好きの内容に満ちあふれていました。自身のブログの紹介が「シャネルとバーキンをこよなく愛し、高層マンション、タクシーの完全都会っ子生活から一転、恋した相手はイタリア・田舎っ子の彼・・・。 慣れないカントリーサイドで国際結婚ブログ。」という内容なのですから、「殉愛」で書かれた「さくら」の清廉、清楚なイメージを壊すに十分です。


そして百田氏はこのことを知っていて、敢えて書かなかったと答えています。それはそうでしょう。百田氏にとって「真実は何か」という詳細な事実関係はそれほど重要ではなく、重要なのは「さくら」という素晴らしい人物を表舞台に立たせ、話題にして世間の同情を集め、「殉愛」を売るということであろうからです。そのためには大枠が事実と思えればよいのです。犯罪捜査ではないのだからそんな枝葉末節のことは大した問題ではないという認識であったでしょう。


何より、清廉で献身的な未亡人さくらのイメージを否定するような事実は排除する必要があったことでしょう。


そしていったん世間が食いつけばこっちのものくらいの構えであったので、ネット民がそんなことまでほじくりかえしてくることまで想定できていなかったのでしょう。おそらく「関係もないヤツが、しなくてもいいような余計なことをしやがって」というのが本音で、それが一連の彼のツィートの表現に表れているのだと思います。


5 週刊誌の体たらく


この件で、事実として一番表面化したのが、週刊誌やTVのスタンスです。この件に百田氏が関係するまでは、批判的な週刊誌も一部存在していたのですが、売れっ子作家、百田氏が表舞台に出てきて以降、週刊誌が、この胡散臭い事件を取りざたすることが、ぴったりなくなってしまいました。さすがに、たかじんの長女が出版差し止めの訴訟を起こしてから、触れないわけにはいかないと考えたのか、おざなりな記事を載せましたが、週刊朝日とサンデー毎日がやや長女より、週刊新潮に至っては百田氏の主張に追随しただけ、週刊文春は百田氏の文章を載せただけの内容です。(私は、これらの週刊誌を全て立ち読みしました。すみません。ただし、フライデーは、なんと袋とじにしてあったので、外側部分しか読めませんでした、残念。)


あれほど朝日新聞を叩き、芸能人、財界人、政界人、官界人のゴシップ的な内容であれば、ほとんどあってないような根拠を元に、あることないこと書きたてて、正義のような顔をする週刊誌が、今回に関してはなりをひそめたままです。一番おいしい内容に思えるのにです。


このことの異様さについては、週刊文春で連載をもっている林真理子さんも疑問を呈しており、さすがにこれは無視できないと思ったのでしょう、百田さんもこれに対する回答を投稿していますが、内容には新しいものはなく、これまでの主張の繰り返しで、説得力にかけるおざなりなものでした。このような内容で林真理子さんが納得するとは思えませんが、そこは大人同士、泥沼状態になることはないのでしょう。


これではっきりしたことは、週刊誌は、いくらきれいごとを言っても、やはり売れないとしょうがない、売れることが第一というスタンスなんだな、ということです。そして売れっ子作家というのは、(明確な犯罪でも起こさない限り)相当のごり押しが可能な存在なんだなということです。逆に言うと、財界、政界、官界のトップであろうが、書けば売れるような存在であれば、多少、根拠が曖昧でも躊躇することなく書けるということです。


6 終わりに


今年は、佐村河内さん、野々村元議員と、強烈な個性が面白がらせてくれましたが、「百田」、「さくら」のタッグは、彼らを上回るインパクトがありました。前二者と大きく相違する点は、前二者が最終的には完全に非を認め、道化師になってしまったのに対し、このタッグチームはまだ自らを正当化して発言を続けていることです。とりわけ稀代の売れっ子作家百田尚樹の存在は強烈で、彼が一枚噛んでいることにより、TVのワイドショーも週刊誌も、たぶん腹の底ではタッグチームを道化師と思っているだろうに、それを言い出せないことです。百田尚樹という人が、売れっ子作家でいる限り、手も足も出ないのでしょう。


今後、この件がどのような展開を見せるか、ゲスとしての興味津々です。このまま百田氏が強引に非を認めず、時が経過して有耶無耶になる可能性も大きいですが、これでミソをつけて売れっ子作家から徐々に転落するとすれば、その時になってなりを潜めていた週刊誌も息を吹き返すかもしれません。ゲスな私はむしろそっちを期待していますが、なかなかそうはいかないでしょうね。ネット民の根性と執念が大作家をどこまで追い詰めることができるのか、当分の間、興味深く見守っていきたいと思います。


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